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◆不定期日記ログ◆

CATEGORY 映画

■2025-05-29
岸辺露伴がヴェネツィアに行ったこと
 「時」は今だッ!
 「場所」はここだッ!
 何が起ころうがそれは運命の一部だッ!

 露伴ちゃんが我々の受信料でアワビを密漁したあとしばらくして、「懺悔室」の映画化というニュースが我々の元に届けられました。
 「懺悔室」は岸辺露伴シリーズの全ての始まりで、「動かない」というタイトル通り、露伴ちゃんは教会で謎のイタリア人の懺悔を聞いているだけなんですよ。
 そこで問題です。露伴ちゃん以外の登場人物が全員イタリア人なんだけど言葉はどうする!?
3択――ひとつだけ選びなさい
①露伴ちゃんは以外は普通にイタリア語で演技し、セリフは字幕である
②小林脚本の力で懺悔する人が日本人になる
③高橋一生は荒木先生に「イタリア語がペラペラになる」と書き込まれて撮影に臨んでいる
 答えは②っぽいのですが、果たしてそう上手くいくか? でもまあ安心と信頼の小林脚本なので、なんだかんだで露伴ちゃん本人が呪われてエクストリームポップコーン投げをする羽目になるだろう、誰もがそう思って劇場に行くわけです。
 以降、原作「懺悔室」以上のネタバレは控えますが、一応折りたたんでおきましょう。
 そんな風に思っていたので、意外と早く原作通りの「懺悔室」が始まって面食らいました。それはそれとしてヴェネツィア美しすぎるな……。強いていえば最初に呪われる人が日本人に変更されてるくらいで(呪うほうの人は原作でも東洋人でした)、なんでヴェネツィアにそんなに日本人が……くそっヴェネツィア美しすぎるな……。とにかく「懺悔室」はちゃんと露伴ちゃんなしでやりきりました。

 なのでこの映画は「その後」を語る話になります。確かに原作では呪いそのものは何も解決していなかった……そこに露伴ちゃんが介入する余地がかなりあり、それに小林脚本が目をつけないわけがないのです。言われてみれば当たり前です。俺たちはポップコーンを喰う高橋一生の集団幻覚に囚われてそんな簡単なことにも気づいていなかった。

 「懺悔室」本体のダイナミックなトリックと比べると、この映画のオチはややシンプルではあります。しかし、「何でヴェネツィアで次々と日本人に会うんだ……?」という当然の疑問がねじ伏せられたことに対して俺は白旗を挙げた形です。最初に呪われたのが日本人だったのは悪霊が東洋人だったからで、そこに露伴ちゃんが絡んだのも偶然ではなかった。「上手く行きすぎている」ことには「理由がある」ッ!! ズルだろそれは……!
 それはそれとして、高橋一生は荒木先生に「イタリア語がペラペラになる」と書き込まれているのではないかというくらいなめらかにイタリア語をしゃべっていました。いやネイティブの発音とか知らんけど。つまり冒頭の3択はすべて正解です。完全――敗北だ――。

 なんかルーヴルのとき以上に「足音」が印象的な映画でした。プレステ1の頃のバイオハザードかっていうくらい足音が響きます。いい靴がいい床を踏んでいる音がする。くそっヴェネツィア美しすぎるな……。なんで「呪いの館と呼ばれ家賃が格安のアパート」が美術館みたいな内装なんだよ……。
 
■2025-04-27
映画マイクラにログインせよ
「だからこれからもたくさん見せてね!」
採掘マイン好きの工作クラフト……マイン・ザ・クラフトを!」
映画『マインクラフト/ザ・ムービー』公式サイト
https://wwws.warnerbros.co.jp/minecraft-movie/
 マインクラフトが実写映画化する、そしてスティーブをジャック・ブラックがやると聞いたので、これは映画館せにゃ! となり、行ってきた。
 よく見たらこれ、邦題が『マインクラフト/ザ・ムービー』なのに原題は『A Minecraft Movie』なんだね。これでもう英語のテストでaとtheを間違えてもバツを食らわなくて済むな!!

 実はオールタイムベスト映画を挙げると『スクール・オブ・ロック』が隙あらば入ってくる程度にはジャック・ブラックが好きなので、彼がスティーブ役として仕上がった段階で観ない選択肢はなかった。そこのお前! ジャック・ブラックは無免許教師、ブラック・ジャックは無免許医師だぜ!
 ただ上映されているのはほぼ吹き替えで、字幕版は1日1回しかなかった。対象年齢が低いので仕方がない。娘氏を率いて吹き替え版で山寺宏一ボイスのジャック・ブラックが大暴れしているのを観るという案もあったが、娘氏がおじさんの大暴れにまったく興味を示さなかったため、単騎で、児童のいない夜の字幕版に向かった。

 公開されたばっかりなので以下折りたたみます。
 最初に断っておこう。読者諸兄はすでにご承知の通り、俺にはゲームサントラ即泣きおじさんとしての危険な一面がある。そのため「マイクラの映画で泣いた」みたいなトロフィーをアンロックしてしまう可能性があり身構えていたが、予告編に含まれていた例の音楽[Youtube]以外に目立つメロディーは見当たらなかった。そもそも強いメロディの曲を持たないゲームなのでここで負けるわけにはいかない。
 原曲よりむしろジャック・ブラック作詞作曲の溶岩チキンの歌などが随時挿入され大暴れだった。溶岩チキンの歌、調べてみたら広報が吹き替え版を公開[YouTube]してたんだけど、これを見る限り山寺宏一の仕事はかなり信頼のおけるもので、機があれば吹き替え版も観たいと思わせるに十分なクオリティであった。言語が違うのに完コピってできるもんなんだな……。

 いま予告編の話が出たが、マイクラの世界を実写化(実写とは?)したという体験については、予告編の驚きを越えるようなギミックはあまりなかった。予告編にいろいろ出てきすぎじゃないかね。
 ちゃんと繁殖するときにハートが出るとか、バケツの水をぶちまけて落下ダメージをゼロにするとか、「やりやがったな!」っていうギミックもあったけれど、改めて観てなかったほうの予告(3月に出た本予告)を観たら全部入ってた。チキンジョッキーも入ってる。これ全部あらかじめ知ってたらもうマイクラ面で驚くこと、エンドロール後のアレしかないじゃん! エンドロール後のアレ、吹き替え版は坂本真綾なの!?
 なのでもうちょっとこう、オーブに手が届かないよ! って時に下向いてその場ジャンプして土を出して乗るとかさ、「マイクラあるある」の隠し玉がもっとあってもよかったんじゃない? あっでもヴィンディケーターがめっちゃ律儀にチェスト部屋作って整理整頓してたのは笑ったわ。

 そんな感じなので俺の視聴姿勢としてはどうしても「ジャック・ブラックが暴れて歌って踊るのを見守る」といういつものやつになる。いやいつものっていうほどジャック・ブラック映画は観てないけど、目的はそれになる。ここにジェイソン・モモアが加わり、太ったヒゲのおっさんといかついヒゲのおっさんが画面を占有したいへん暑苦しい。ナタリー役の人が規格外の美少女なのでそこだけが画面の清涼剤になっていた。

 お話はマイクラらしく創造性を讃えるもので、「創造は難しく、破壊はたやすいので、弱いやつは破壊に走る」みたいないい話も出てはくるんだけど、べつにそこまで創造の難しさが障壁になる話ではなかったためあまり深い言葉ではなかった。むしろそれを言ってるダイヤ装備一式を身に付けたジャック・ブラックで無限に笑えてしまう、そういう映画だった。
 ごめんなアイアンゴーレム、毎回毎回トラップにかけて鉄インゴットの素材にしちまってよ……でもジャック・ブラックだってあの大量の鉄インゴットは同じ手段で手に入れたものだと思うから……。
 『スクール・オブ・ロック』『ナチョ・リブレ』が刺さった人で、マイクラ経験者は確実に満足できる映画であるが、そのような人は俺が言うまでもなく公開初日にとっくに視聴済みであろう。俺が出せる情報はここまでだ。
 
■2023-07-17
俺たちはどう生きるか
 もう年齢も40を過ぎると「どう生きるか」よりも「どう死ぬのか」のことを考えてしまいがちなんですが、なんと80過ぎのレジェンドアニメ映画監督が『君たちはどう生きるか』と刃をつきつけてきているんですよ。不惑がどうとか言ってる場合じゃないんですよね。

 ただこの映画、マジで事前情報がまったくなく、ただ一枚のポスターだけでどう生きるかを決めなければならなかったんですね。ジブリ公式サイトでも「同名の小説が原作ではない」という話しか書いてない。
 俺は映画でもゲームでも公式が出してくる事前情報はできるだけ履修してから作品に触れたいと思っているタイプなので、これはかなり不安でした。「宮崎駿監督作品」というだけで、ジャンルすらわからない映画をどういう態度で見に行ったらよいのか。しかもタイトルの圧がすごい。検索するとメガネがこちらをガン見してくる。こわい。

 だから逆に怖いもの見たさで行っちゃおうと思ったんですよね。ここまでの大作映画を事前情報ゼロで観るという体験はおそらく今後ないでしょう。そのような考え方で生きていくことを俺は決めたのです。

 とにかく情報が「君たちはどう生きるか」と突き付けてくる謎の君生きバードのポスターしかなかったので、「絶対違うけどそういう話だと思うしかない」という藁にすがるような状況で観覧をスタートしたんですが、いきなり火垂るの墓みたいな話が始まったので、リアリティラインをどこに持っていったらよいのかわからなくなりました。
 そのうち、神的存在だと思っていた君生きバードが驚くほど下衆なしゃべり方を始めたため俺は完全にハシゴを外されました。自分の持つ情報がゼロになってしまったのです。許さないよ君生きバード……お前が人生を問うキャラじゃなかったら俺たちはこれから何を見せられるんだよ。

 どういう話か予測がつかないので、自分がいま序盤を観ているのか終盤を観ているのかぜんぜんわからない。おそらく予告編などがあったら時々「金曜ロードショーなどで見たシーン、ここか!」「そういやまだあのシーンが出てないぜ!」と我にかえって自分の座標を確認できたと思うんですが、それがまったくできずに作品を浴びせかけられるの、とてもエキサイティングな体験でした。そして俺は「なぜ自分の座標を確認する必要があるのか?」ってふと思いました。なぜでしょうね。

 おそらく俺は、「公式が出してくる事前情報を把握しておかないと、自分が変な方向を向いて鑑賞してしまうのではないか?」という不安をもっているのだと思います。今回も「同名の小説は原作ではない」という事前情報があったから小説の内容に目を通すことができましたし、その結果「その小説には『人として正しくあれ』みたいなメッセージが書いてある」という情報を得ていなければ、主人公が母の残した本を読んで何を思ったのかを受け取り損ねていたでしょう。
 というかあのシーン、小説の情報がなければ「時間を超えて母が石の世界や自分の運命について記した本」だと思っちゃうのではないですか。なんかそれでもいいような気がするし、北米版のタイトルは『少年とアオサギ』になるようだし、どうすんだろ。

 お話は中盤以降「これは何らかのメタファー! そしてこれが何らかのメタファー! そして喰らえッ明らかなアレのメタファーだァーッ!」っていうような感じでもみくちゃにされましたが、不思議と置き去り感はなく、むしろ心地よく高濃度の宮崎駿を浴びせかけられていました。
 これ深読みされることを前提に書いてるでしょ。作者と作品を切り分けて考えることをゆるさない構えです。考察勢をまとめて一網打尽にするつもりだな。

 背景美術が特に素晴らしく、オールジブリよくばりセットって感じでした。トトロみたいな田園風景、千尋みたいな和風建築、もののけみたいな原野、ハウルみたいな王城、ラピュタみたいなダンジョン、全部ある。それが西洋美術みたいな美しさで迫って来るのでスクリーンで観てよかった。他にもポニョみたいなババアもいるし、風立ちぬと紅の豚は……戦闘機のキャノピーがいっぱいでてきたよ! よかったね。
 音楽は……音楽はもう久石譲でしたね……ここまで久石汁を最後の一滴まで絞りつくしていいんだ……ってくらい全編久石譲でしたね……。満月のシーンで「月光」みたいな旋律が出てきたときは「真面目か!」ってなりました。

 総じて、これが2時間4分の尺に収まっていることが奇跡であるように思いました。これを観て、我々にどう生きよというのでしょうね。昔は「生きろ。」「生きねば。」で済んだのに、今やどう生きるかを考えなければならない。難しい世の中になったものです。
 
■2023-05-27
岸辺露伴がルーヴルに行ったこと
 映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』を観てきました。

 年末に岸辺露伴ドラマの新作が来るたびに「来年は俺たちの受信料でルーヴルへ行け!もしくはアワビを密漁しろ」と言われ続けてきた露伴ちゃん。まさか製作委員会方式でルーヴルに行くとはね……
 そもそもNHKのドラマが映画になるっていうのが特異な例なんじゃないの?

「タイムスクープハンターとか……」
「タイムスクープハンターはドラマにカウントしないでしょ!」
「ドキュメンタリー……ってコト!?」
「要潤は実際にタイムトラベルしていた……ってコト!?」
「ピュアNHK民きたな」

 この作品はNHK発というだけでなく「ジョジョのスピンオフの漫画の実写ドラマの映画化」ということで、もうフィルターが何重にもかかっていて、いったいどんな層が劇場に来るんだって思ってたんですが、老若男女でほぼ満席でした。


 ところで満を持して映画館に来たんですけど、朝から謎の腹痛に襲われていて、上映前にトイレに籠もるはめになりました。
 変なもん食べてないのに……なんだか急にムカついてきたッ!

 なぜ下痢腹のためにぼくがビクビク後悔して『お願い神様助けて』って感じに公衆トイレを探さなくっちゃあならないんだ?
 『逆』じゃあないか?

 どうして『上映中に腹痛に襲われるならシアーハートアタックに襲われるほうがズッと幸せ』って願わなくちゃあならないんだ………?
 ちがうんじゃあないか?

 おびえて逃げ回るのは『下痢腹』ッ!
 きさまの方だァ――ッ!


 こうして俺は『黄金の精神』で腹痛をねじふせ、無事に時間前に指定席につくことができました。以下、あまり多くは語ってませんが、まだ観てなくて観る予定のある人のために畳んでおきます。
 ドラマシリーズ同様、安心と信頼の小林靖子脚本なので、とうぜん原作漫画に肉付けをするだけじゃあなくって、そこに謎の犯罪組織を生やしてサスペンスとしてなじませる。その手腕に舌を巻きました。
 そして俺は原作をぼんやりとしか理解していなかったことを知りました。奈々瀬さんから生活感をまるごと剥奪することでものすごいわかりやすくなっている。奈々瀬さんの生活感がなくなると露伴ちゃんの慕情の味が薄くなるんですけど、そのへんはトレードオフですよね。離婚の話とかするとわけわかんなくなるからね。

 そしてやっぱりルーヴルは美しい。せっかくのルーヴルなんだから、大画面で観たいじゃない……と思って映画館に行く決断をしたんですけどとても良かった。特にいちいち編集の泉さんのリアクションがうるさいのが良かったです。テレビで観たらただの世界ふしぎ発見になってしまうのではないかというくらいうるさいし、それが原作の犠牲者を一人救う形になってるのは「真面目!」って思いました。泉編集の怪異耐性が高すぎる。あとタイトル回収が雑過ぎる。

 さすがに露伴ちゃんが「自分が黒い絵を見たらどうなるんだ」って自分で試しにいくのは笑いました。露伴ちゃんが怪異に首を突っ込んで酷い目にあう姿を毎年観てきたので、もう伝統芸能のような安心感で見守ることができます。そのうちアワビを密漁してほしい。

 これ、岸部露伴を知らない人でも万全に楽しめる作品だと思うんですけどどうなんでしょう。露伴ちゃんはもうジョジョというより「世にも奇妙な物語」みたいなポジションになっているので、ジョジョや原作漫画、テレビドラマシリーズについての知識はまったく必要ありません。
 この映画化がゴールではなく、今後も年末恒例イベントとして末永く展開していって頂きたい。紅白の幕間に寸劇が入るレベルまで行ってほしいです。
 
■2023-04-30
マリオ・ザ・ムービー
 映画館で『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』を観てきました。「ザ」の位置そこなんだ。

 いやまあ、そうはいってもマリオはアクション主体なんで、場合によっちゃあ有名な1-1の音楽あたりが使用される程度で、ワンチャン勝てる見込みがあるかな~~って思って挑みましたけどまあすごい勢いで泣きましたね。俺がゲーム音楽で泣くことはもうネタバレにもなにもならないと思うのでここで書いてしまっていますが、まあ泣きました。なのでマリオのゲームを遊んだことのあるみなさんは、全員ただちに映画館に行ってください。それだけで10億人くらいいるな。そして行ったらここに帰ってきてください。分かち合いましょう。

 以下がネタバレ感想です。
 この映画を作ったIlluminationとか、ピクサーとか、昔からアニメーションの展開に合わせた曲を作って劇伴にする手法がめちゃ得意じゃないですか。で、今回スクリーンで大暴れしてる人たちって、その劇伴の素材になりうるメロディの引き出しが無数にあるんですよね。なので択の数が多すぎて脳が対衝撃姿勢をとれないんですよ。

 たとえばレインボーロードが出てくることは予告で知ってたので余裕ぶっこいてたんですけど、いざ出た瞬間に「音楽は64か!? 8か!?」って備えたらまさかの初代で、側頭部に強い衝撃を受けてダウンしてしまったんですよね。これが矢継ぎ早に来る。
 キノピオが出たら「旅立ちのひっこぬき峠」のイントロのアレが出るし、タヌキマリオが出たらマリオ3のメインテーマが出るし、そしてそのどれもがアクションの尺の関係で数秒だけの衝撃で俺の涙腺を殴りぬけていくんですね。
 それで俺のガードがすっかり下がりっぱなしになったあと、エンドロールの尺で存分にメドレーぶち込んでくる。これはもうガードできないのでライフで受けることになります。ズルです。勝てるわけがない。

 で、主体のアクションですが、隅々までゲームっぽいのはもちろん、ただゲームっぽいだけじゃなくって、「マリオメーカーのクソステージで死に続ける」とか「マリオカートで下に見える道に飛び降りてショートカット」とか、俺たちがやってきたことを話の流れに織り込んでくれているのが信頼感あってよかったです。
 そんなゲームっぽい動きをしてくれている中で、「マリオとドンキーが殴り合ってるのにスマッシュブラザーズっぽくない」というのが特に感心したポイントでした。だってスマブラっぽい動きができるシーンはいっぱいあったでしょ。でもスマブラはマリオシリーズではないので、そこには線を引いてくれているんだなって思いました。
 なのでピーチ城に垂直にマグナムキラーが落ちてくるシーンで「やっぱりスマブラじゃねえか!!」って力いっぱい思いました。ピーチ城に垂直にマグナムキラーが落ちてきたらそれはもうスマブラなんよ。

 シナリオについては、よく考えると「ニューヨークでの移民生活でバカにされてきた俺が異世界へ行ってプリンセスから貰った謎のキノコで無双!?」っていうイマドキのお話なんですね。観ている最中はぜんぜんそれに気づきませんでした。これマリオがスーパーマリオになるまでのお話なんだよな。俺は「ちゃんと最後は現実に帰ってくる異世界モノ」が好きなんですけど、まさかこの映画がそれに該当するとは。
 マリオだけでなくて、キノコ王国とピーチ姫についての「王様がいないのに姫だけいる、しかも姫だけ人間」という謎が今作で明かされた……というか、インタビューによると今作の脚本を作る中でようやく答えができた……ということらしいんですが、説得力のある答えでよかったです。そういうことなら女王でなくて姫だよなあ。
 つまり、まあ、ネタバレ抜きだと「宮野真守の声帯から例のマリオの掛け声が出ているということがにわかには信じられない……」くらいしか書けないんですよ。これサブスクとかには配信されるのかなあ。心配な人は絶対映画館行ったほうがいいです。骨を拾ってください。
 
■2022-05-31
Better Days
 ワイフが突然ベタを買ってきました。
 ベタというと読者諸兄は「バナナを踏んで滑る」とか「横から何か言われてコーヒーを吹く」とか「ミステリアスな転校生がやってきてなぜか自分の隣の席が空いている」とかそういうことを連想すると思いますが、ベタは観賞魚です。ベタからベタなことを連想すること自体がすでにベタな展開なので、このくらいにしておくのがベターでしょう。

 ベタについて調ベタのですが、ベタは観賞魚である前に闘魚であり、その源流はタイにあるそうです。したがってオスのその美しいフォルムは、華やかな社交界で花開いたものではなく、ギラギラに鍛え上げたムエタイ闘士のそれなのであります。
 品種についてはよくわかりません。ケースには「トライディショナル・ベタ」と書かれていました。つまりそれってベタなベタ……ってコト?
bettafish
ベタなベタ
 ベタはつがいでやってきました。あわよくば繁殖のようすが見られるかなと期待をしていますが、しかし繁殖モードに入るより先に、ムエタイファイトによってメスが死んでしまうのは避けたいところです。
 そのためワイフが暫定措置(ベータ版)として水槽を仕切りました。オスはガラスの向こうのメスの姿を見て、鍛え上げられた肉体を誇示し、そして水面にたくさんの泡を生成しています。よくわかりませんが、この泡がベタ社会での求愛行動のようです。


 そして話は突然『シン・ウルトラマン』のネタバレに踏み込みます。
 実はこの『シン・ウルトラマン』、どういうことか多種多様な性癖が過積載されておりまして、巨大女フェチ、体臭フェチ、長澤まさみにケツをひっぱたかれたいフェチなどの強力な欲望がスクリーンに結実しています。巨大女とかだいぶ尖ったところを攻めてきたな……と思ってたらこれは原作再現要素だったらしく、これらの描写の是非については混迷を極めています。

 そして、作中で屈指の存在感を放つ山本メフィラス耕史のセリフの中に、「女性の体臭を嗅ぐという変態行為」を糾弾するというものがあり、今回ネタバレを書いてまでお話したいのはこの部分についてなのです。


 なぜおまえが人類の「変態行為」を理解しているのか?
 おまえたち上位存在にとって、我々人類の知性など取るに足らないものなのではないのか?
 ウルトラマンが現生人類の体臭を嗅いだとして、それは我々人類がネコを吸ってキマっちまってるようなもので、そこに変態性を見いだして煽るのはおかしいのではないのか?
 俺がベタの作った泡の層を見て「よくわからんけどこれが彼らの愛の形なのだなあ」と思っているように、IQ10000の外星人も現生人類の性愛を、その中でも特に尖った例を理解することは……

 ……いや、そういえばあったな。
 メフィラス星人は、巨大女パートのあと、地球に「巨大女フェチ」というジャンルがあることを学んでいました。そこからの流れで彼は現生人類のもつあまねく変態行為を学習していた……ということに違いありません。ちゃんと作中で説明されていた。そのための巨大女だったのか。

 「異文化を愛する」……言うはたやすいことですが、その文化のもつおぞましい性癖まで含めて理解しようという態度をとれる人がどれだけいるでしょうか。メフィラス星人、なんてガッツのあるやつなんだ。

 ベタがうまいこと繁殖するかどうかはわかりません。仮に増えたとしても、我々はすでにねずみ5倍増える事態を乗り越えています。そういう覚悟をもって観賞魚飼育にあたっていきたいと思います。
 
■2021-11-03
ハートキャッチビクトリー!
 娘氏がプリキュア映画を観たいって言うのはおそらく最後だと思うので『映画トロピカル~ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪!』を観てきました。
 これはレジェンド先輩であるハートキャッチプリキュアのメンバーが出ることで話題になっており、娘氏の最後のプリキュア映画にパパチャンが最初に観たプリキュアが出てくることのエモさを噛みしめています。


 映画のお話のネタバレに踏み込まないよう、主にハートキャッチの話をします。
 思い返すにハートキャッチはお話の枠組みというか、パターンがすごくしっかり決まっていて、それは簡単にいうと「問題発生→落ち込む人→敵幹部の干渉→怪人化→プリキュア変身→苦悩する怪人の叫び→敵幹部の煽り→堪忍袋切断→必殺技→撃退→便意→排泄→花言葉」という美しい一連の所作でした。
 この枠組みの中に毎回どんなお話を入れ込むか、あるいはあえて外していくか……というのが、水戸黄門とモンタナジョーンズを観て育った俺の好みにガッチリとはまったのであり、それゆえこれが俺をニチアサ実況民へと変えていく起点となったわけです。

 そして今回の客演の素晴らしいのはこの枠組みがしっかり活きているというところで、敵幹部が出現しなくても、落ち込んで怪人化する人がいれば堪忍袋が切断できるし、花言葉で追い打ちもできてしまうということなのです。排泄……排泄はありませんでしたね。排泄……?
 この仕組みによって、いままでのオールスター映画とは全く違う、クロスオーバー作品としてのお話になったんじゃないかと思います。

 しかしこのクロスオーバー、「最もシリアスな作品と最も明るい作品」とか言われていて心外でした。いやトロプリのメンバーが頭トロピカッちまってるのはわかります。しかしあんなに破天荒なキュアマリンさん率いるハートキャッチが最もシリアスなはずは……そりゃプリキュアの身内が死んだり妖精が死んだりする展開はあるけど……いや死んでるわダメだ。確かにぶっちぎりで一番シリアスだわ。

 今うっかり「キュアマリンさん率いる」って言っちゃいましたけど、たぶんトロプリのメンバーはハートキャッチのセンターのことマリンさんだと思ってますね。「コミュ力全振りのトラブルメーカー……こいつが主人公か……」って思ったはず。まああっちもローラが主人公だと思っていそうなのでこの件は手打ちにしましょう。


 そういうわけで、ハートキャッチ履修済みかつトロプリを追っている人は、「シリアスなハートキャッチ文脈」と「雪のシャンティア王国」によって徹底的に抑え込まれたトロピカル成分と、それでもかまわずところどころ溢れてくるトロピカル汁を味わいに劇場へ行くといいと思います。……アッそういえばミラクルライトなかったな!? コロナでやめたんだ!? なんか物足りないと思った!
 
■2021-02-15
ポケットモンスター ココ
 遅ればせながら昨年末に公開された『劇場版ポケットモンスター ココ』を観てきました。

 実はアニポケの映画を観るのは初めてで、『ミュウツーの逆襲』すら履修せずに実写版名探偵ピカチュウで大喜びしていたニワカだったのですが、特に予備知識を要求される映画ではないので安心して観られました。
 ていうか昨年末ポケモンGOに色違いセレビィと探検家ピカチュウが追加されたのはコレつながりだったんですね。あまりにも無知だった。

 日曜朝のCMで得られた情報として「ポケモンに育てられた野生児」「父と息子の絆」などがあり、そこから当然「種族のアイデンティティ」だとか「子育てを通して変わっていく無頼漢」みたいなオイシイ展開があることを期待して観ましたが完全に期待通りでした。「カツカレー屋にカツカレーを食べに行ったらカツカレーが出てきた」とたとえたら本当にCoCo壱番屋とコラボしていたらしく、周到に先まわりされていた感があります。
 特に、「ポケモンに育てられたのでポケモンと話せるが人語がわからない野生児」に対して「普段からピカ様と意思疎通しているので特に問題ない」という態度で対抗してくるサトシ氏のパワープレイには驚かされました。

 強いて言えば「父と息子の絆」がテーマなせいで、長年の謎であるサトシ氏の父親のエピソードが無からポッと出てきて、すぐにどこかにいったのが気になりました。まあこれは「サトシ氏の父親が何してるのかぜんぜん触れられていない」というアニポケの歴史を知らなければ全く気にならない部分ではあります。


 ところでこの映画、入場者特典として、劇中と同じスカーフを巻いたザルードがポケモン剣盾で使える「とうちゃんザルード引き換えコード」が貰えます。しかし我々はポケモン剣盾をプレイしていません。
 なので剣盾のポケモントレーナーである実家の末弟に送りつけました。末弟はこの映画を見ていないので、このザルードが何なのか、その概要を知りません。「モリブデンと名付けてくれ、理由は聞くな」とだけ伝えました。

 こうして、とうちゃんザルードは、映画の最後に旅立ったココを探してジャングルを出て、テキトーなトレーナー(末弟だ)にあえて捕獲されて文明社会を見て回ることになったのです。トレーナーはその背景を知らず「なぜ伝説のポケモンであるザルードがジャングルの外に……? このスカーフは何……?」と思いながらスカーフに書かれていたであろう「モリブデン」の文字をそのまま愛称にして旅を続けるのです。そういう第二部が俺の中で始まりました。特典を有効活用できて満足しています。
 
■2020-11-04
鬼滅の刃 無限列車編
 『鬼滅の刃 無限列車編』の興行収入に貢献してきた。

 ケタ外れの興行収入を叩き出すことが明らかな作品なので、そのそびえ立つ塔のてっぺんにひとつ石を積む行為に快感が発生する仕組みだ。俺は『君の名は。』のときにそれができなかった。「俺向きじゃないから」と言って見送ったのだ。今回やってみてそれが快感を産むと知った。皆が熱狂しているなら熱いうちに乗ってみたほうが人生は楽しくなる。

 とはいえ、つまり、初めに申し上げておくと、俺は鬼滅ニワカである。
 めちゃ流行ってると聞いたときの俺のリアクションが「鬼滅ってあの……年号が変わっている! の鬼と、ムキムキねずみの漫画が!??」だったことからも俺のTwitterタイムラインの偏りは明らかであり、主人公が誰かさえも知らなかった。連載終了が見えたあたりから「鬼舞辻無惨」という単語が頻出するようになったが、読めなかった。
 そしてコロナ休みの時期くらいに「幼稚園児にもリーチしてきているらしい」という話を聞いて、これは他人事ではいられないと悟り、この夏に単行本を15巻まで読んだ。あとアニメを最初と最後だけ観た。俺の鬼滅知識はその程度である。


 そんな態度で劇場に足を運んだので、俺はまず完全にアニメ26話の続きであることをわからされることになった。始まったのは完全に「第二十七話」であり、いつ紅蓮花のOPが挟まってもおかしくなかった。
 大丈夫なのか……!? この映画を観に来た3億人(推定)の人々がみんなアニメを完走していると思っているのか!? 説明が……説明が足りないのでは!? そんな心配ばかりをしていた。
 しかし、それについては心配いらなかった。この「無限列車編」は比較的そのあたりのカバーがしやすい話であることを俺は徐々に思い出した。夢の中の回想で「こいつはこういう奴です」という説明ができる。単品でお出しするにはうってつけだった。


 しかし、そうなると今度はこの続きのことが心配になってきた。劇場版を観ずにアニメ3期を観た人は、いきなり煉獄さんの刀の鍔を所持していることになってしまう! 今までのニチアサの記憶がソーマト・リコールめいて思い出される……。なぜか手に入れたことになっていたレンジャーキー、最終決戦に出てくる知らないロボ、いつの間にか知り合いになっていたプリキュア……。そういった劇場版スルーによって生まれたいくつもの違和感体験が、この作品でも繰り返されてしまうのか!?
 ……冷静に考えてみれば、そもそもこの続きがテレビアニメとして作られると決まっているわけではない。今作がこれだけの人に観られたのなら、続きも「ムキムキねずみ遊郭編」として劇場公開される可能性がある。いまや深夜アニメとして作るより、そのほうが収益モデルが立てやすいのかもしれない。門外漢なのでまったくわからないが。


 以降、原作未読者のネタバレに踏み込まない範囲の感想を残しておく。とはいえ俺も16巻以降は未読なのであまり偉そうな顔はできない。はやく読まなければ。
 漫画原作のアニメ映画を観るのは久しぶりだったので、やっぱり劇場の大スクリーンおよび超絶技巧作画には圧倒された。こうまで美しいと白黒のコミックスとは違う印象を感じさせてくる場面も多々出てくる。炭治郎の無意識風景などはほぼウユニ塩湖であり、あまりの解像度に「世界観大丈夫か!?」と思ってしまった。

 世界の解像度が上がったことで、無限列車の仕様についても気になってしまう。冒頭で煉獄さんが駅弁を食べており、終盤で朝日が昇る。その間に列車はノンストップで走っているので、これが血鬼術の幻覚でなければ、この列車は長距離を走る夜行列車である。だが寝台などがなく、乗客はみな普通の座席に座っている。
 大正時代にはこういう車両が存在したのか? と思って調べてみたが、寝台車は明治の時代からあるらしく……そうなるとこれは「鬼滅の世界ではこれが当たり前」ということなのだろう。つまりネオサイタマのシンカンセンである。

「残りのお客様、ゲートが開きましたので、10分以内の乗車に御協力ドスエ……」無表情な電子マイコ音声が流れる。フジキドは乗車し、72号車B2番席を探した。床の升目を頼りにB2の位置を探し、その升目からはみ出さないように、天井から垂れた吊り革を握る。マケグミ・クラスに座席は無いのだ。

NJSLYR 午後10:59 · 2011年9月4日
 もしこれが「連載中にそこまで設定を固めていなかった」という話であれば、劇場アニメにするときに変更があってもおかしくない。制作会社が原作者に確認を取ったかもしれない。そして「原作の描写を尊重する」という結論になったのだろう。桜餅を食べ過ぎて髪の色が変わる人がいる世界にツッコミは無力である。鬼滅のそういう「あえて細かいところを詰めない姿勢」は嫌いじゃあない。


 原作尊重と言えば、少年漫画らしいモノローグの多さがとても懐かしい感覚だった。この懐かしさは8年前にジョジョのアニメを観たときに感じたものだ。
 ぶっちゃけこれだけ渾身の作画と声優さんの演技力があれば「煉獄さんが重傷を負ってなお一分の隙のない構えを取っていること」なんてわざわざ言わなくても見ればわかるのである。原作は漫画で、しかも少年漫画なので、これをモノローグや敵の独り言として入れているだけなのだ。そういったものを省略して、画力と演技力を叩きつけて観客にわからせることができるのがアニメなのではないか……しかしそのモノローグを入れずにはいられない! なぜなら原作にあるから!! 信頼のおける制作会社である。

 そういった姿勢でつくられた劇場版アニメが邦画界のハイスコアボードに刻まれるというのは、かなり奇特な事態なのではないか。というかこの作品を男児も女児も老いも若きも観に行ってる事態がまず奇特なんだよな。映倫PG-12(小学生以下のお子様が視聴する際、保護者の助言・指導が必要)なので娘氏の視聴は心配だったけど、「れんごくが『うまい!』っていうのがおもしろかった」と言っていたので良かった。
 
■2020-01-04
いまさらアナ雪2
 今日は娘氏といっしょに『アナと雪の女王2』を観てきました。しかしこれ以上のことをネットに書くと「ディズニーともあろうものがここまで拡散力ない奴にステマ依頼をするとは落ちたものよ」とか誤解される可能性があるので、ウォルトディズニー社に配慮して「観た」という事実だけしか記録することができません。おわり。


 それにしてもイオンの株主優待はつよい。イオンシネマが大人1000円、中学生以下800円になるという破格の特典がついている。つまり大人一人分の価格で娘氏が同伴できるうえポップコーンもついてくる。私はイオングループから一切の金銭を受け取らずにこれを書いています。このような注意書きをしても本当に受け取っていないかは証明することができない。本当に罪深いことをしてくれた。

 この優待のつよさはまず第一にはその破格の安さだが、これが重要なのは「最安値(映画の日)の割引と同じ」ということである。つまり「今日はメンズデーじゃないから映画館に行くのをやめよう」とか「1日だったら安く観れたのに」とかいうくだらない理由で一喜一憂する必要がまったくないということだ。

 以前「モノを買う時はね、誰にも邪魔されず、自由で、なんというか救われてなきゃあダメなんだ」という旨の主張(過去日記参照)をした。それは当然モノだけでなく映画というサービスの購入にもあてはまる。特定の日なら1200円、そうでなければ1800円などという価格設定では、ただでさえ映画を観に行くタイミングが難しくなっているこの情報化社会において、さらに価格という点での無駄な判断を強いることになる。金額的にはわずかだが、こういった小さな判断力の摩耗が積み重なることで、我が国の一人当たりGDPがどんどん転落していくという仕組みだ。
 その点、優待つきのイオンシネマはいい。「観に行こう」と思ったときに価格のことを考えずすぐに行動に移せる。消費はこうでないといけない。

 しかしこれでもまだ不足がある。上映作品の関係で「イオンシネマか他の映画館か」を判断しなければならないシーンが出てくるからだ。理想を言えばこのような割引などすべて廃止して、あらゆる映画館であまねく人がすべからく1500円で映画を観られるようになるべきなのだ。それならば料金の多寡が心にくだらない負荷をかけることがない。
 だが資本主義社会ではそうでないほうが都合がいいのだろう。あえて料金に差をつけることで「今日は安いから何か観るか」という需要を喚起したほうがよいからこうなっているのだろう。そして我々は同じ映画を違う料金で観ることになったのだ。バベルの塔の労働者のように、散り散りに。ちくしょう神にでもなったつもりか。めんどくせえ料金設定しやがって。


 ところでイオンシネマのロビーに「ハコカラ」が置いてあって驚いた。去年台湾に行ったときに台北駅の地下で見て驚いて以来のことだ。1曲100円とのことなので上映時間待ちの人を狙っているのだろう。しかし電話ボックス内で熱唱してるみたいな見た目になってしまうので、これに単独で入るのはかなりハードルが高く感じた。台北の人はけっこーカジュアルに使っていたが日本に定着するだろうか。
 
■2019-07-03
アラジンすぎるだろ
 ワイフが実写『アラジン』を観たいというのでついていったんですよ。
 でも俺は原作アニメのほうのアラジン(1992)を観ていないんですよ。

 さすがにあの有名な主題歌とか、魔法の絨毯や魔法のランプなどのアラビアンナイト由来の要素は知識としてありますが、その他に事前情報で知ってることといえば「青すぎるウィル・スミスが出る」ということと、「その青すぎるウィル・スミスは100%CG製」ということくらいです。


 そんな脆弱な姿勢で観に行ったので、アラジンとジャスミンが魔法の絨毯で飛ぶシーンで主題歌「A Whole New World(PV)」が流れ出したときにめっちゃ笑いました。

 「アラジンすぎるだろwww」と思いました。
 アラジンなので当たり前です。

 「こんな状況でホールニューワールド歌ったら完全にアラジンになっちゃうじゃんwww」と思いました。
 完全にアラジンなので何も問題ありません。

 とても言語化が難しい珍しい感情だったので記しておこうと思います。
 脳内反省会では、俺がアラジンの原作アニメを観ていなかったことと、そのうえで主題歌だけがアラジンを象徴する曲として反復的に刻み込まれていたことが要因の8割、残りの2割は青すぎるウィル・スミスによって今自分が何を観ているのか忘れていたこと、ということになりました。
 以上で脳内反省会を終わります。ありがとうございました。
 
■2019-05-18
ピカチュウのしわしわ大捜索!
 しわピカこと実写映画版『名探偵ピカチュウ』を観た。
 ポケモンは赤緑・金銀世代、アニポケは履修しておらず、ポケモンGOは初代151匹をそろえて小躍りしている程度の習熟度。もちろん3DSの原作ゲームはプレイしていない。
 以降、物語の本筋とは関係のない程度のネタバレを含む。

 思った以上にしわピカがしわしわで笑った。シリアスな会話ほど眉間にしわが寄るので笑える。ライアン・レイノルズの表情をモーションキャプチャーしているらしい。最初にモーションをピカチュウに適用したスタッフめっちゃ笑ったと思う。羨ましい。メイキングが観たい。

 画面の情報量が多そうだったので吹き替え版を観た。主演が竹内涼真でヒロインが飯豊まりえと聞いて「声優じゃねえのかよクソ」って言ってる人は真面目にスーパーヒーロータイムを観ろ。過去10年分くらい観ろ。ニチアサで鍛えられた俳優をナメてはいけないということが理解できるはずだ。でもさすがに竹内涼真本人がモンスターボールを投げるワンカットでハリウッドデビューしてしまったのは驚いた。お前バトルおにいさんを差し置いて……!

 実際画面は情報量の暴力であり、往来に映り込むリアルポケモンのなじみっぷりがすごかった。なんかやたら個体数多くね? っていう奴もいたけど、たぶん飼いやすいとか流行ってるとかそういうのがあるんだろう、と納得させる程度にはなじんでいた。俺の推しであるコイルが出なかった点は残念。あの子貼るべきテクスチャもわかりやすいしいちばん実写化しやすそうじゃない??

 テクスチャっていうか質感全般なんだけど、元気なときのピカチュウのフッサフサの毛並みと、瀕死のときのボサボサした毛の質感の違いがものすごい説得力をもって描かれていた。我が家で生き、死んでいったハムスターのことを思い出した。死ぬ間際のげっ歯類をよく観察しているなと思った。

 「名探偵」とはいうものの推理モノの要素は薄く、エンディングから逆算すると「黒幕は主人公に何をして欲しかったのか?」とか「ミュウツーは主人公の父親をどうしたかったのか?」とかよくわからん部分がゴロゴロ出てくるんだけど、そんな疑問はエンドロール直前に突然オーケストラでさしこまれる“おなじみのタイトルBGM”にすべて粉砕され、俺は涙で頬をべっちょべちょにしながら滲むエンドロールを眺めているしかなかった。

 つまり、これに端を発しこれで確定的になったマイベスト映画がついに3つになった形になる。
 これで俺は「泣ける映画を3つ挙げて下さい」という問いに対して、
  1. 『名探偵ピカチュウ』…おなじみの音楽がハイクオリティでどーんって来るから
  2. 『ボヘミアンラプソディ』…おなじみの音楽がハイクオリティでどーんって来るから
  3. 『映画プリキュア オールスターメモリーズ』…おなじみの音楽がハイクオリティでどーんって来るから
 と回答することになってしまった。手羽を殺すにゃ刃物はいらぬ、おなじみの音楽がどーんって来ればいい。
 
■2019-01-17
自由人の狂想曲
 映画ボヘミアン・ラプソディを観てきた。
 ネタバレ:主人公が死にます。


 評判は聞いていた。しかし俺はあまりクイーンに思い入れがない。ニワカにもほどがある。
 そう言うと「いやいや別に古参ファンでなくてもいいでしょ」と擁護されそうなので告白すると、俺はジョジョ4部を読んでクイーンのアルバムをTSUTAYAで借り、クロマティ高校でフレディの容姿を知るレベルのニワカである。そんな俺が観衆に混じってはガチのファンの人に対してシツレイにあたるのではないか、そんな要らん尻ごみをしていた。だがその姿勢は完全に間違っていた。


 まず歌が違った。たぶん原曲しか使われないんだろうな~~とタカをくくっていた。実際は原曲も使われていたが、観てる間はそれは完全にR・E・A・Lだった。完全に録りなおしたようにしか聴こえなかった。デジタルリマスターのテックと代役シンガーのすごい何かが完全に調和しておりかなりすごい。

 次にブライアン・メイが違った。いや何一つ違わなかった。正直ブライアン・メイについてはボヘミアンラプソディのPV(あのゆうめいな顔がよっつあるやつだ)とロンドン五輪でしか見たことがないはずなのに、初見で「あっギターのひとだ」と解るレベルの説得力があった。調べたら本人も絶賛していた。フレディについては時代が進むたびに俺の知っているビジュアルに近づいていくのが最高だった。


 そんなシンクロ具合だったので最後のライブシーンでの怒涛のメドレーは泣くしかなかった。俺はドキュメンタリー映画を観ていたはずなのにいつの間にか1985年のライブをパブリックビューイングしていた。ここに We Are The Champions をブチこまれたら誰だって泣く。

 これで晴れて、去年からの懸念点だった「映画館で涙を流す」という目的を達成することができた。もう「泣ける映画といえば何ですか?」という問いに「はい、映画プリキュアオールスターズメモリーズです!」と答えなくて済むのだ。ありがとうクイーン。ありがとうフレディマーキュリー。
 
■2018-12-26
聖なる夜の映画事情
 今年中に観ておかなければと思っていた『カメラを止めるな!』を観た。まず観る予定のない人のためにネタバレを含む説明をしておきたい。

 冒頭からいきなりゾンビ映画が始まる。ゾンビ・サメ・ナチスといえばB級映画題材の御三家と言われているが[誰によって?]、そこにさらに「どうやらカットなしの超長回しで撮っているらしい」というトンチキ要素が加わり、さらにカオスになっていく。
 そして「いくらB級映画とはいえこのクオリティはどうなんだ……?」と疑問を抱かれつつ、30分程度のゾンビ映画は終了する。いくつもの不審な点を残して。

 そこからの残り時間で、この「全編ワンカット生放送ゾンビ映画」という企画がどうスタートしてどう撮影されたのか、その壮大なメイキングが明らかになる。さまざまなトラブルがふりかかった末に、冒頭の映画はあのようなクオリティになった。そういう「答え合わせ」の爽快感と、なんとか作品を完成させたメンバーの結束や家族の絆がにじみ出ることで、最終的になんかいい話になっているという不思議なメタ映画だった。

 そして我々は勇気を得た。地雷を踏み抜く勇気である。
 具体的にはクリスマスの深夜にあえてこれを観るという勇気である。

『フランケンジョーズ』2016年
1942年。第二次世界大戦の劣勢を打破する為、ナチスが極秘に開発していた生物兵器が破壊され、この失態でドイツは敗戦した。そして、現代。海辺の小さな町に突如巻き起こった鮫の襲撃騒動。町民は鮫退治に乗り出すが、彼らが見たのは世にもおぞましい人造生命体フランケンジョーズだった!

フランケンジョーズ(Prime Video)
 もう酷い。あらゆる点がB級どころか映像作品としてのクオリティに達していない。
 そのクオリティの低さたるや、観ながら「絵が来た」「バグったHavokでもここまで酷くない」「がんこちゃん動かす人って凄かったんだな」「スパロボ風に殺すな」「役者さんもどこ見てビビッていいかわかんなくなってる」「クライマックスくらい腹から声出せ」と思う存分ツッコむことができる。

 そして『カメラを止めるな!』を観たばかりの俺には、こんな作品でも、その裏側にはさまざまなトラブルや障壁があったことが想像できてしまうのだ。きっとCG班が事故ったんだろう。演技指導の人がハッパでラリっていたのかもしれない。エキストラを現地調達した可能性もある。これだけ酷い作品が、それでも完成してしまったというのだから、よほど酷い状況と、それでも消えない情熱があったのだ。

 『カメラを止めるな!』を観て良かった。おかげで世界が輝いて見える。でもフランケンジョーズ、おまえは臆面もなく続編を匂わすのをやめろ。いくらなんでもそこまで心を広く持てない。
 
■2018-11-09
生涯ベストワン映画制作委員会
 Twitterで #生涯ベストワン映画 というタグがあり、俺は窮地に追い込まれた。

 本来、自分が観てきた映画の頂点を1作に決めることなどできるはずがないのだが、困ったことに俺の場合は明確な基準を設けることによりその1作が決まってしまうのだ。
 その基準とは「映画館で涙を流した」であり、その1作とは先月の『映画 HUGっと!プリキュア ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ』である。
 
 これは大変なことになった。
 映画プリキュアが素晴らしかったことに異論はないが、これが俺の「生涯ベストワン映画」になってしまうのは困る。
 言い訳がましくて申し訳ないが、まず俺の涙腺の配線がおかしなことになっている件についてのご理解を頂きたい[事例1][事例2][事例3]。サントラ即泣きおじさんにとってプリキュア主題歌インストアレンジオールスターメドレーはその文字列だけでも涙腺を破壊する威力があり、仮にそれが流れるのがどうでもいいシーンだったとしても俺は泣いていたであろう。

 これまで映画館で泣いたことはまったくなかったし、DVD等で観たのを含めると唯一実写版『キミとボク』が該当するが、これも原作付きなうえ、序盤にパッヘルベルのカノンが流れ始めた時点でもう泣いていたので完全にパブロフの犬であることがわかる(猫映画なのに)。このような体質で他にどうやって映画館で泣けというのか。しかし泣くことができなければ自動的に映画プリキュアが唯一無二になってしまう。なんとかしなければ。


 俺は一生懸命想像した。劇場で俺が泣きうるシチュエーションを。とにかく良く知っている音楽を唐突にブチこめば俺の涙腺はバカになるのだ。
 そういう意味では現在やってる『ボヘミアン・ラプソディ』なんかは良さそうに見えるが、QUEENにそこまで思い入れが強くないうえ、ブチこまれるのがたぶん原曲なので唐突感も弱い。これでは駄目だ。(※2019-01-17追記あり)

 そういえば『ひるね姫』は涙腺崩壊案件に近かった。あの下村陽子が! 冒頭から聖剣伝説LoMめいた劇伴を! 惜しみなく! さらにはあのゆうめいな Daydream Believer の編曲まで! 完全に事前の作曲者情報に振り回されているが、俺が未プレイのパズドラ曲をイトケンというだけで泣いてる男であることを忘れてはいけない。


 結論として、『風の谷のナウシカ完全版』が製作され、そこに潤沢な予算に支えられたフルオーケストラによるナウシカBGMの数々を23.1chのスピーカーでぶち込まれたら、俺は全方位から押し寄せる久石譲エナジーの前になすすべもなくボロ泣きするであろうことが容易に想像できた。宮崎監督と庵野監督は頑張って下さい。続編とかじゃなく完全版でお願いします。
 
■2018-04-30
俺はバンギラスで行く
 4歳児をワイフに任せ、『レディ・プレイヤー1』を観てきた。
 ぶっちゃけこの邦題、というかカタカナ表記はだいぶイケてないと思う。久々の「邦題つけろ」案件ではなかろうか。
 映画のオープニングでは、「オアシス」というネットゲームの説明のあと「READY PLAYER ONE」って出るので、ああ、これはゲーム開始前の決まり文句だなと実感できるが、カタカナで書かれるとぜんぜん伝わってこない。
 とはいえそもそも原作小説が『ゲーム・ウォーズ』という2018年にはちょっとつらいタイトルになっているのでこのへんに深入りするのはやめよう。

 とにかく噂に聞いた通り、版権キャラがたびたび映りこんでくるので画面の情報量が半端ない。字幕で見たかったがこれは吹替で正解だったかもしれない。ただ「2D字幕」と「3D吹替」の二択(最近増えてんの?)となるので望まぬ3Dメガネをかけるはめになった。まあ上映時間の関係で選択肢はなかったんだが。

 版権キャラはいわゆるアバターなので、『シュガーラッシュ』みたいにキャラクターとして出てくるわけじゃあない。しかも大半が一瞬しか出てこない。
 それでも、物語から切り離されてもなお残る版権のパワーっていうのは確かにあって、カーチェイスあるあるの「交差点につっこんできたタンクローリーの下を車体を倒して抜けるバイク」みたいなシーンも、そのバイクがAKIRAの金田(さんを付けろよ)のバイクっていうだけでなんか特別に見えてしまう。
 そして、版権要素の登場はキャラクターやマシンがメインだと思っていたので、「第二の鍵」の舞台に突入したときにはめちゃくちゃ笑った。アレの存在を知らずに映画館に行けたことは、この大ネタバレ時代にとっては本当に幸運だったと思う。



 ここから先はストーリーに関する気になった点を記していく流れになるので、ネタバレを避けたい人はこのセクションを読み飛ばして欲しい。

 まず悪の企業として出てくるアイ・オー・アイが、いったいどれほど悪いのか、そこんとこをキッチリ描いてほしかったなあと思う。いきなり主人公の自宅を爆破するヤベー奴なのはわかるんだけど、その前に、一般ユーザーレベルでどのくらいヘイトを買ってるのかが知りたかった。このへんの描写が物足りなかったので、最終決戦で続々と人が集まるシーンがなんかギャグっぽく見えちゃったんだよね。
 でもアイ・オー・アイ社は排出率が不明瞭な青天井ガチャでヒロインの父親を課金沼に引きずり込んで破産させて地下帝国送りにしてるんだよね? ヒロインの坂本真綾がそんなこと言ってたよね? そういう話がもっと欲しかった。
 なので2018年に生きる俺としては、オアシス内に誤タップを誘うオーバーレイ広告を出しまくってるとか、社畜を大量動員して検索順位だけは高い虚無攻略サイトを運営してるとか、そういう描写を勝手に補完して観ていた。くそっアイ・オー・アイ絶対許さねえ!!
 それにしてもアイ・オー・アイ社、地下帝国に落とした債務者を使って地道に人海戦術で鍵の発掘作業をしていて悲しかった。オープニングでMinecraftとか出てくるくらいなのに、なんかMODとか作ってガーッとできないのかよ……

 あと主人公とヒロインが直接会ってからの距離の縮まり方が早すぎる! と思ったけど、これはもうネットで知り合って友達になるのが当たり前の時代の距離感なのかもしれない。でも本名で呼ぶかHNで呼ぶか迷うシーンはもう要らなくない? 俺なんて高校時代の友人とリアルで会うときすらHN呼びだぞ。……よく考えたらこれは俺がおかしいな……?
 ていうかみんな近所に住んでるのかよ! アジア人の人はアジアに住んでてよ! リアルの友人関係って素晴らしいよね、っていうところに持って行きたいのはわかるけどあっさり集結させないで!

 最後に、この物語の結果「オアシス」がどう変わったのかにまったく触れられなかったのも残念。ここに触れてくれなかったせいで、ラストがリアル重視に寄りすぎた印象がある。クソ企業が滅びた結果クソ広告が激減してちょっと明るくなったロビーとか見てみたかった。……と思ったがクソオーバーレイ広告については完全に俺の脳内でのみ行われていた悪行だった。ちくしょう絶対に許さねえ!!

 内容に関しては以上です。
 さしあたって「親指を立てながら溶鉱炉に沈んでいくシーンは涙なしには見られなかった」という慣用句を終わりの言葉に代えさせていただきます。



 さて、そろそろ時間だ。
 ストーリー中で問題になっていた通り、VR(仮想現実)は人と社会とのつながりを薄くしてしまう可能性がある。しかし、今俺が端末で操作しているAR(拡張現実)は、逆に人を外に連れ出すことができる。
 俺は映画館を出て、まっすぐに最寄りのポケモンジムに向かった。

EXレイドパス
果たし状

 そこには先週届いた挑戦状の通り、ミュウツーが君臨していた。
 俺のオアシスはここがクライマックスだぜ!

ミュウツーレイド
俺はバンギラスで行く!!

 最強のポケモンといえど、訓練されたEXレイド挑戦者が20人そろえば撃破はたやすいのだ! やはり絆の力は最強だな! 他の奴どこにいるのか知らんけど!

ミュウツーゲット
勝ったぞ―――!!

 ありがとうスピルバーグ、最高の映画体験だったよ!