◆不定期日記ログ◆
LOG 2016-05
- ■2016-05-07
- 娘・PSP・新幹線・アンド・ヘル
娘をつれて初めてのシンカンセン移動をした。
ゴール田ウィークの行楽ではなく、残念ながら遠方で不幸があったためである。
とにかく心配なのが「ちゃんと座っていられるか」「大声で騒いだりしないか」の2点。特に後者は普段ずーっとしゃべっている我が娘には困難な条件であることが予想される。
発車してすぐ、静かな車内に「はやいねェー……あっ!はやいねェー」という娘の率直な感想が響く。一度何かの気づきを得たのにまた同じことを繰り返すあたりに語彙の貧弱さを感じるが、そんなことは今はどうでもいい。口に指をあてて「静かに」のジェスチャーをしたところ、それを『こぶたぬきつねこ』の「こぶた」と解釈し「こぶた♪たぬき♪」と歌い出してしまいあわや大惨事となるところであった。
この困難な状況でなんとか娘の大人しさを引き出したのは、押し入れで眠っていたPSP goであった。これにPS3のTorneで録画したアンパンマンを書き出して喪服のポケットに携帯し、いつでも再生可能なようにしておいたのである。ありがとうPSP go……こんな素晴らしいハードのサポートを打ちきるメーカーがあるらしい。
というかそもそも書き出せる機器に制限がありすぎるTorneさんサイドおよび地上波デジタル放送さんサイドに問題があるんだが、まあ使えたので今回は文句を言わないでおこう。
アンパンマン再生中 それにしてもPSP goを持つ2歳児というのはなかなかパンチの効いた画だな。
そんなこんなでなんとか到着。弔事の最中も抱っこした胸元に無音PSP goを忍ばせてアンパンマンを再生するチートによってなんとか御焼香までの時間をかせぐことができた。ありがとうPSP go…こんな素晴らしいハードのサポートを打ちきるメーカーがあるらしい。
帰路は疲れからかややぐずり気味だったものの、オヤツなどで気を引いてなんとか間を持たせた。もうすぐ降車駅に到着という段になって、背もたれ越しに後ろの席のおばちゃんに「もうねむくないよ?」と謎のアピールを始めたり、そのおばちゃんに「ぱぱいるねェー」などと自慢げに俺を大紹介したりしたのはさすがに想定外であったが、これでまた遠出するための心理的ハードルを一つ越えた気がする。
ゴール田ウィークの行楽ではなく、残念ながら遠方で不幸があったためである。
とにかく心配なのが「ちゃんと座っていられるか」「大声で騒いだりしないか」の2点。特に後者は普段ずーっとしゃべっている我が娘には困難な条件であることが予想される。
発車してすぐ、静かな車内に「はやいねェー……あっ!はやいねェー」という娘の率直な感想が響く。一度何かの気づきを得たのにまた同じことを繰り返すあたりに語彙の貧弱さを感じるが、そんなことは今はどうでもいい。口に指をあてて「静かに」のジェスチャーをしたところ、それを『こぶたぬきつねこ』の「こぶた」と解釈し「こぶた♪たぬき♪」と歌い出してしまいあわや大惨事となるところであった。
この困難な状況でなんとか娘の大人しさを引き出したのは、押し入れで眠っていたPSP goであった。これにPS3のTorneで録画したアンパンマンを書き出して喪服のポケットに携帯し、いつでも再生可能なようにしておいたのである。ありがとうPSP go……こんな素晴らしいハードのサポートを打ちきるメーカーがあるらしい。
というかそもそも書き出せる機器に制限がありすぎるTorneさんサイドおよび地上波デジタル放送さんサイドに問題があるんだが、まあ使えたので今回は文句を言わないでおこう。
アンパンマン再生中
そんなこんなでなんとか到着。弔事の最中も抱っこした胸元に無音PSP goを忍ばせてアンパンマンを再生するチートによってなんとか御焼香までの時間をかせぐことができた。ありがとうPSP go…こんな素晴らしいハードのサポートを打ちきるメーカーがあるらしい。
帰路は疲れからかややぐずり気味だったものの、オヤツなどで気を引いてなんとか間を持たせた。もうすぐ降車駅に到着という段になって、背もたれ越しに後ろの席のおばちゃんに「もうねむくないよ?」と謎のアピールを始めたり、そのおばちゃんに「ぱぱいるねェー」などと自慢げに俺を大紹介したりしたのはさすがに想定外であったが、これでまた遠出するための心理的ハードルを一つ越えた気がする。
- ■2016-05-09
- BRA★BRA FINAL FANTASY
娘を預けて吹奏楽のコンサートに行ってきた。
もちろん普通のコンサートでなくてこれ。
BRA★BRA FINAL FANTASY BRASS de BRAVO
何度も述べている通り、俺には「ゲーム音楽単体で泣ける」という不可解な性質がある。そこに目をつけたあんどう君がチケットを押さえてきた。なんということだ。このままではコンサートホールでガチ泣きする不審な男になってしまう。
身の危険を感じた俺はすぐにCDを手に入れて予習を始めた!
そして確信した!
ダメだ……これダメなやつしかない……!
ダンジョンメドレーとかいう地味~な奴にすら俺の涙腺が反応している……!
もはや顔面鼻水まみれになる悲愴な覚悟を決めて俺は当日を迎えた。
物販コーナーで限定版のCDを買ったあと、アンケートに記入する。なんでも「思い出の一曲」について書くと、コンサートの途中のMCでラジオのお葉書のように読まれるらしい。一曲なんて無理だろと思ったが、昔バイエルに載っていて初めて両手で弾けた「迷いの森」を書いておいた。
開演後さっそく植松伸夫本人による前説が始まる。「題名のない音楽会」で見たノリのよさがそのままこの静岡の地で至近距離で拝めるとはすごいイベントに来てしまったぞ。ここより先は当日のセットリストに一部言及するので注意してほしい。セットリストは地域によって変わるらしいけれど。
まずは予告されていたFFバトル2メドレーでスタート。FF4のボス戦闘曲、FF5のボス戦闘曲と続いて、いったん木管楽器のつなぎの部分が入ったあとFF6の三闘神戦が一気に展開してくるところが特に涙腺に来るわけだけど、こうして余裕を持って構えていられるのも予習してさんざん部屋の隅で感涙にむせびながら天井を見上げていたからで、そうでなければ一撃死まちがいなし。危ないところだったぜ(顎まで伝った涙を拭いながら)。
星降る峡谷(FF7コスモキャニオン)は、静かな序盤を心地よく聞いていると終盤の急激な盛り上がりに涙腺が対応できず死ぬ。この曲で太鼓だけじゃなくてシンバルとか打ってくるの壮大すぎてずるい。なによりFF7の曲はプレイステーション登場時の郷愁と分かちがたいのでずるい。同じ理由でFF4もずるい。
大部分が退場して、木管系の小編成で演奏されるFF1/2/3 フィールド・メドレーは同行したあんどう君の涙腺も破壊した。予習が足りないからだぜ(鼻に入りそうになった涙を拭いながら)。静かな展開ながら最後に1/2/3のメロディーが渾然一体となって脳にデルタアタックを仕掛けてくるので初見だと涙腺が即死するのである。
「題名のない音楽会」で見たのでたぶん来るだろうなと思っていたのがFFモーグリのテーマで、これは観客が手拍子などのボディパーカッションで参加する演目。ティンパニ奏者のモーグリお兄さんによる破天荒なレクチャーが行われ、存分に手を叩き足を踏みならした。参加するタイミングになると植松さんや指揮者の栗田さんが笑顔で促してくるのが心地よい。
ゴールドソーサーは全員リコーダーでの演奏。童心あふれる楽器で絢爛な曲を演奏するという変化球の編曲ながら、これがなぜか賛美歌のような謎の荘厳さを生むのである。「題名のない音楽会」でFFメインテーマをリコーダー演奏したときはオモチャ感あふれるクリアボディのリコーダーだったが、今回はちゃんとしたリコーダーだった。なおFFメインテーマはこのあと参加企画として演奏され、会場からもリコーダー所持者による演奏が加えられた。音量調整していたけどどうやってバランスとってんだすげえな。
前半戦最後はハンターチャンスで、これはFF9の曲が「時忘れの迷宮」のサントラにアレンジで入っていたのをよく聴いていたので感慨深さがある。問題はFF9も時忘れの迷宮もどちらも1ミリもプレイしていないのでこの涙が何を根拠に流れてくるのかがわからないことだ。
休憩を挟んで後半戦はMCもなしに突然のビッグブリッヂの死闘から始まる。これについてはもう原曲からして緩急のつけどころがハッキリしていてずるい。特にこの編曲では最後にグッと沈んでグッと持ち上げてからまたタメを入れて、ティンパニが「デン!ドデン!デデドン!」って打ち鳴らされるところが涙腺に大ダメージ来るんだけど、そういえばこの人さっきモーグリお兄さんやってたなと思ったらなんとか正気を保てた。
開演前に書いたアンケートは、そのうち5つほどが読まれたわけだけど、この間BGMとしてハープの人がソロでエアリスのテーマとかバラムガーデンとかを爪弾いていてめちゃくちゃ贅沢だった。「思い出の一曲」は別にFF関係でなくても読まれるのね。普通にクラシックの曲を挙げてる人もいた。そして突如読まれる「あんどう」さんのアンケート。思い出の一曲はFFメインテーマ。なんだこれ……植松伸夫本人の口からあんどう君とお父様との思い出が読まれているぞ……ハープの生演奏をバックに……どういうことだよ……ここがヴァルハラかよ……。
失神しそうになってたらいつのまにか演奏者が減っていたので、これは予告されてた魔導士ケフカが来るぞと防御態勢を固めていたら、そのままザナルカンドにて→Fragments of Memoriesと少人数アンサンブル3連戦が来た。ジャジーなアレンジの効いたケフカの後に、ゲームでは一切心を動かされなかったくせに「題名のない音楽会」でガチ泣きしたザナルカンドで、弱った涙腺にFF8のウィンヒルが来るのがたまらない。特にウィンヒルは油断していた。FF8はラグナの物語。
もはや髪型しか覚えていないレベルのシーモアバトルも、生演奏となると金管木管の各パートが押し合いへし合いしてくるような編曲のせいでかなり攻撃力が高い。そしてプログラム最後が片翼の天使。グワーッ!CDにない!!だが「題名のない音楽会」でやった曲だしたぶん来るだろと思っていたので何とか耐えた!「セフィロス!」の部分の叩きつけるかのような迫力には参ったが、会場にセットされた鐘はこの「カーン…」のためだけにあったんだと思うとちょっとじわじわ笑えてきた。
アンコールは、楽器持ち込み可の参加企画であるマンボdeチョコボであることはわかっていたので、じっくりみんなで拍手をしていたところ、指揮者の栗田さんがヒョコッと戻ってきてタクトを振り上げた。おい待てこのイントロはThe Man with the Machine Gunだ!不意打ちでこれはずるい。CD聞いて10秒で涙腺のことを諦めた曲はほかにない。しかもこれ生演奏だとドラムの迫力がすごい。もうスネアひっぱたきまくりですごい。すごいよこれ(語彙も死亡)。
最後の最後のマンボdeチョコボは、観客の吹奏楽部ガチ勢からマラカス部隊までが舞台に上がってえらいことになる。
壇上に上がる参加者 すげえ人数なのがおわかりいただけるだろうか。シエナのメンバーの隙間にもみっちり。このマンボdeチョコボだけは写真撮影可で、SNS等に掲載することも可、というか推奨されていた。聴くだけでなく演奏する楽しさも知ってほしい、広めたいというブレない姿勢を感じる。
ところで会場で鼻をすする音がたまに聞こえたので「やい~~!俺以上に泣いてる奴がいるぞ!見てやろう!」とチラ見したらあからさまに花粉症の人だった。あ……そうですよね……花粉症……アレルギー……まさかこの意味不明な涙と鼻水はアレルギー反応……?
ゲーム音楽のコンサートは世界的に増えているようで(参考記事)、崇高なるクラシック愛好家の間では苦言も出ているようだけど、今まさに一般の民衆にオーケストラの新曲を提供しているのはベートーヴェンやモーツァルトでなくゲームや映画なわけで、その点において異端でもなければ低俗なものであるはずがないのである。もっともっとこういう音楽に触れる機会が増えて欲しいと願う。
もちろん普通のコンサートでなくてこれ。
BRA★BRA FINAL FANTASY BRASS de BRAVO
何度も述べている通り、俺には「ゲーム音楽単体で泣ける」という不可解な性質がある。そこに目をつけたあんどう君がチケットを押さえてきた。なんということだ。このままではコンサートホールでガチ泣きする不審な男になってしまう。
身の危険を感じた俺はすぐにCDを手に入れて予習を始めた!
そして確信した!
ダメだ……これダメなやつしかない……!
ダンジョンメドレーとかいう地味~な奴にすら俺の涙腺が反応している……!
もはや顔面鼻水まみれになる悲愴な覚悟を決めて俺は当日を迎えた。
物販コーナーで限定版のCDを買ったあと、アンケートに記入する。なんでも「思い出の一曲」について書くと、コンサートの途中のMCでラジオのお葉書のように読まれるらしい。一曲なんて無理だろと思ったが、昔バイエルに載っていて初めて両手で弾けた「迷いの森」を書いておいた。
開演後さっそく植松伸夫本人による前説が始まる。「題名のない音楽会」で見たノリのよさがそのままこの静岡の地で至近距離で拝めるとはすごいイベントに来てしまったぞ。ここより先は当日のセットリストに一部言及するので注意してほしい。セットリストは地域によって変わるらしいけれど。
まずは予告されていたFFバトル2メドレーでスタート。FF4のボス戦闘曲、FF5のボス戦闘曲と続いて、いったん木管楽器のつなぎの部分が入ったあとFF6の三闘神戦が一気に展開してくるところが特に涙腺に来るわけだけど、こうして余裕を持って構えていられるのも予習してさんざん部屋の隅で感涙にむせびながら天井を見上げていたからで、そうでなければ一撃死まちがいなし。危ないところだったぜ(顎まで伝った涙を拭いながら)。
星降る峡谷(FF7コスモキャニオン)は、静かな序盤を心地よく聞いていると終盤の急激な盛り上がりに涙腺が対応できず死ぬ。この曲で太鼓だけじゃなくてシンバルとか打ってくるの壮大すぎてずるい。なによりFF7の曲はプレイステーション登場時の郷愁と分かちがたいのでずるい。同じ理由でFF4もずるい。
大部分が退場して、木管系の小編成で演奏されるFF1/2/3 フィールド・メドレーは同行したあんどう君の涙腺も破壊した。予習が足りないからだぜ(鼻に入りそうになった涙を拭いながら)。静かな展開ながら最後に1/2/3のメロディーが渾然一体となって脳にデルタアタックを仕掛けてくるので初見だと涙腺が即死するのである。
「題名のない音楽会」で見たのでたぶん来るだろうなと思っていたのがFFモーグリのテーマで、これは観客が手拍子などのボディパーカッションで参加する演目。ティンパニ奏者のモーグリお兄さんによる破天荒なレクチャーが行われ、存分に手を叩き足を踏みならした。参加するタイミングになると植松さんや指揮者の栗田さんが笑顔で促してくるのが心地よい。
ゴールドソーサーは全員リコーダーでの演奏。童心あふれる楽器で絢爛な曲を演奏するという変化球の編曲ながら、これがなぜか賛美歌のような謎の荘厳さを生むのである。「題名のない音楽会」でFFメインテーマをリコーダー演奏したときはオモチャ感あふれるクリアボディのリコーダーだったが、今回はちゃんとしたリコーダーだった。なおFFメインテーマはこのあと参加企画として演奏され、会場からもリコーダー所持者による演奏が加えられた。音量調整していたけどどうやってバランスとってんだすげえな。
前半戦最後はハンターチャンスで、これはFF9の曲が「時忘れの迷宮」のサントラにアレンジで入っていたのをよく聴いていたので感慨深さがある。問題はFF9も時忘れの迷宮もどちらも1ミリもプレイしていないのでこの涙が何を根拠に流れてくるのかがわからないことだ。
休憩を挟んで後半戦はMCもなしに突然のビッグブリッヂの死闘から始まる。これについてはもう原曲からして緩急のつけどころがハッキリしていてずるい。特にこの編曲では最後にグッと沈んでグッと持ち上げてからまたタメを入れて、ティンパニが「デン!ドデン!デデドン!」って打ち鳴らされるところが涙腺に大ダメージ来るんだけど、そういえばこの人さっきモーグリお兄さんやってたなと思ったらなんとか正気を保てた。
開演前に書いたアンケートは、そのうち5つほどが読まれたわけだけど、この間BGMとしてハープの人がソロでエアリスのテーマとかバラムガーデンとかを爪弾いていてめちゃくちゃ贅沢だった。「思い出の一曲」は別にFF関係でなくても読まれるのね。普通にクラシックの曲を挙げてる人もいた。そして突如読まれる「あんどう」さんのアンケート。思い出の一曲はFFメインテーマ。なんだこれ……植松伸夫本人の口からあんどう君とお父様との思い出が読まれているぞ……ハープの生演奏をバックに……どういうことだよ……ここがヴァルハラかよ……。
失神しそうになってたらいつのまにか演奏者が減っていたので、これは予告されてた魔導士ケフカが来るぞと防御態勢を固めていたら、そのままザナルカンドにて→Fragments of Memoriesと少人数アンサンブル3連戦が来た。ジャジーなアレンジの効いたケフカの後に、ゲームでは一切心を動かされなかったくせに「題名のない音楽会」でガチ泣きしたザナルカンドで、弱った涙腺にFF8のウィンヒルが来るのがたまらない。特にウィンヒルは油断していた。FF8はラグナの物語。
もはや髪型しか覚えていないレベルのシーモアバトルも、生演奏となると金管木管の各パートが押し合いへし合いしてくるような編曲のせいでかなり攻撃力が高い。そしてプログラム最後が片翼の天使。グワーッ!CDにない!!だが「題名のない音楽会」でやった曲だしたぶん来るだろと思っていたので何とか耐えた!「セフィロス!」の部分の叩きつけるかのような迫力には参ったが、会場にセットされた鐘はこの「カーン…」のためだけにあったんだと思うとちょっとじわじわ笑えてきた。
アンコールは、楽器持ち込み可の参加企画であるマンボdeチョコボであることはわかっていたので、じっくりみんなで拍手をしていたところ、指揮者の栗田さんがヒョコッと戻ってきてタクトを振り上げた。おい待てこのイントロはThe Man with the Machine Gunだ!不意打ちでこれはずるい。CD聞いて10秒で涙腺のことを諦めた曲はほかにない。しかもこれ生演奏だとドラムの迫力がすごい。もうスネアひっぱたきまくりですごい。すごいよこれ(語彙も死亡)。
最後の最後のマンボdeチョコボは、観客の吹奏楽部ガチ勢からマラカス部隊までが舞台に上がってえらいことになる。
壇上に上がる参加者
ところで会場で鼻をすする音がたまに聞こえたので「やい~~!俺以上に泣いてる奴がいるぞ!見てやろう!」とチラ見したらあからさまに花粉症の人だった。あ……そうですよね……花粉症……アレルギー……まさかこの意味不明な涙と鼻水はアレルギー反応……?
ゲーム音楽のコンサートは世界的に増えているようで(参考記事)、崇高なるクラシック愛好家の間では苦言も出ているようだけど、今まさに一般の民衆にオーケストラの新曲を提供しているのはベートーヴェンやモーツァルトでなくゲームや映画なわけで、その点において異端でもなければ低俗なものであるはずがないのである。もっともっとこういう音楽に触れる機会が増えて欲しいと願う。
- ■2016-05-18
- 右も左もわからない
「左右盲」という言葉があることを知り安心した。
別に名前がついていようがいなかろうが、俺がとっさに左右の方向がわからないことに対してなんの利もないんだが、名前があると多少は安心感が生まれるのは不思議だ。「多くの人に共有されている事象なのだなあ」と感じることができるからだろうか。
学生のころ、視力検査で左右を全部キレイに間違って答えたことがある。幸い、全部キレイに間違ったために判定者が気を利かせて直してくれたので視力は落ちなかった。今は視力検査のマシーンはジョイスティックめいたもので解答するので、左右の名称を気にすることなく検査できるようになった。
だが胃部エックス線検査はダメだ。バリウムと発泡剤でいっぱいいっぱいのところに「右向きになってください」と言われても「いつの時点の誰から見て右だ!?」と困惑するしかない。
俺が偉大なる11次元宇宙からこの3次元宇宙にやってきて30年余が過ぎたが、いまだに「左右」という概念はうまく飲み込めていない。だいたい左右というのは2次元世界の概念ではなかったのか。なぜ自由にカメラアングルの変わる3次元世界でメインストリームになっているのか。あなたがたは初代バイオハザードのラジコン操作を煩わしく思わなかったのか。
こういうことを訴えても「左右盲」でないこの宇宙の人間には伝わらないだろう。それを承知で言わせてもらえば、検査室の中でもっとも激しく動き回り回転する俺を基準にして「右/左」の号令をかけるのは、どう考えてもおかしい。部屋の中で固定されているもの、たとえば「入口」「奥」「窓」といったものを基準に「扉の方を向いて」などと指示を出すほうが道理に適っているのではないか。
たとえば対面で会話しているとき、左右の概念は何の役にもたたない。「右の……あっ俺から見て右の」と補足しなければならない欠陥のせいで、方向を指定するためだけに視点の主導権を奪い合う必要がある。なぜこんなことで人間どうし争わなければならないのか。通路や窓などもっと中立で適切なものが他にいくらでもあるのに。
おそらく俺は自分の内側に左右という概念を持っていないんだろう。小さいころから「お茶碗を持つほう、お箸を持つほう」という覚え方には疑問を呈していた。左利きの人の人権を踏みにじっているからというだけでなく、そもそも食事の場面を脳内で描いたとき、そのカメラは一人称視点とは限らないからだ。普通の人は、不自然に手が写りこんだFPSの画面みたいな視点を思い描くんだろうか?それでなくとも、左右の判断を迫られるたびに「そういえばあのとき……」と回想シーンが入るのは、演出のテンポが悪すぎるのではないだろうか?
それでも学生のころまでは、左手首にある小さなホクロを意識することでなんとかなっていたのだ。ことあるごとに、時計を見るような仕草で左手首を確認するのは面倒このうえなかったが、それでもこれのおかげでRPGツクールで「左に5歩移動」などのコマンドを打つときに8割がた間違わずに済んでいたのだ(間違わなかったとは言ってない)。
たぶん、このホクロを頼ってしまったのが、自分の内側に左右の概念が育たなかった原因なのだろう。やがて成人し、このホクロが「もう僕の役目は終わったんだよ……」と薄れ消えゆくと、俺は立派な左右盲の人間になってしまった。現在左手には結婚指輪がはまっているが、いまのところ左右の基準としてこれを意識したことはない。
とりあえず現在は、車の運転においては「めんどくさいほうが右折」という認識でなんとか凌いでいる。ただこれは自分自身の自動車学校の記憶に結びついているため、助手席やカーナビの指示で左右が出てくると、とっさには判断しかねる。カーナビがあるなら東西南北のほうがはるかにわかりやすいし、左右で言われるくらいなら「3時」「9時」と言われたほうがまだわかる。
どちらかというと助手席に座ったときが問題で、これについてはもう「あっちに曲がる」「こっちに曲がる」と言うしかなく、まったく運転者の役に立たない。ワイフがゲーム中に敵に狙われていることに気づいても「あっちから襲ってくるぞォォーッ!!」としか言えず、己の無力さにうちひしがれている。左右盲では愛する人を守ることすらできぬのだ。娘にどうやって左右の概念を飲み込ませればいいのかもわからない。
「鏡はなぜ上下反対でなく左右反対に映るのか」を考えたことはあるだろうか。鏡が左右反対に映るように見えるのは、たまたま人間が左右対称っぽくつくられているからで、左右なんていう概念はその程度のものなのだ。シオマネキがうらやましい。たぶんあいつらの語彙に「右/左」はないだろう。動き方も2次元っぽいし。
別に名前がついていようがいなかろうが、俺がとっさに左右の方向がわからないことに対してなんの利もないんだが、名前があると多少は安心感が生まれるのは不思議だ。「多くの人に共有されている事象なのだなあ」と感じることができるからだろうか。
学生のころ、視力検査で左右を全部キレイに間違って答えたことがある。幸い、全部キレイに間違ったために判定者が気を利かせて直してくれたので視力は落ちなかった。今は視力検査のマシーンはジョイスティックめいたもので解答するので、左右の名称を気にすることなく検査できるようになった。
だが胃部エックス線検査はダメだ。バリウムと発泡剤でいっぱいいっぱいのところに「右向きになってください」と言われても「いつの時点の誰から見て右だ!?」と困惑するしかない。
俺が偉大なる11次元宇宙からこの3次元宇宙にやってきて30年余が過ぎたが、いまだに「左右」という概念はうまく飲み込めていない。だいたい左右というのは2次元世界の概念ではなかったのか。なぜ自由にカメラアングルの変わる3次元世界でメインストリームになっているのか。あなたがたは初代バイオハザードのラジコン操作を煩わしく思わなかったのか。
こういうことを訴えても「左右盲」でないこの宇宙の人間には伝わらないだろう。それを承知で言わせてもらえば、検査室の中でもっとも激しく動き回り回転する俺を基準にして「右/左」の号令をかけるのは、どう考えてもおかしい。部屋の中で固定されているもの、たとえば「入口」「奥」「窓」といったものを基準に「扉の方を向いて」などと指示を出すほうが道理に適っているのではないか。
たとえば対面で会話しているとき、左右の概念は何の役にもたたない。「右の……あっ俺から見て右の」と補足しなければならない欠陥のせいで、方向を指定するためだけに視点の主導権を奪い合う必要がある。なぜこんなことで人間どうし争わなければならないのか。通路や窓などもっと中立で適切なものが他にいくらでもあるのに。
おそらく俺は自分の内側に左右という概念を持っていないんだろう。小さいころから「お茶碗を持つほう、お箸を持つほう」という覚え方には疑問を呈していた。左利きの人の人権を踏みにじっているからというだけでなく、そもそも食事の場面を脳内で描いたとき、そのカメラは一人称視点とは限らないからだ。普通の人は、不自然に手が写りこんだFPSの画面みたいな視点を思い描くんだろうか?それでなくとも、左右の判断を迫られるたびに「そういえばあのとき……」と回想シーンが入るのは、演出のテンポが悪すぎるのではないだろうか?
それでも学生のころまでは、左手首にある小さなホクロを意識することでなんとかなっていたのだ。ことあるごとに、時計を見るような仕草で左手首を確認するのは面倒このうえなかったが、それでもこれのおかげでRPGツクールで「左に5歩移動」などのコマンドを打つときに8割がた間違わずに済んでいたのだ(間違わなかったとは言ってない)。
たぶん、このホクロを頼ってしまったのが、自分の内側に左右の概念が育たなかった原因なのだろう。やがて成人し、このホクロが「もう僕の役目は終わったんだよ……」と薄れ消えゆくと、俺は立派な左右盲の人間になってしまった。現在左手には結婚指輪がはまっているが、いまのところ左右の基準としてこれを意識したことはない。
とりあえず現在は、車の運転においては「めんどくさいほうが右折」という認識でなんとか凌いでいる。ただこれは自分自身の自動車学校の記憶に結びついているため、助手席やカーナビの指示で左右が出てくると、とっさには判断しかねる。カーナビがあるなら東西南北のほうがはるかにわかりやすいし、左右で言われるくらいなら「3時」「9時」と言われたほうがまだわかる。
どちらかというと助手席に座ったときが問題で、これについてはもう「あっちに曲がる」「こっちに曲がる」と言うしかなく、まったく運転者の役に立たない。ワイフがゲーム中に敵に狙われていることに気づいても「あっちから襲ってくるぞォォーッ!!」としか言えず、己の無力さにうちひしがれている。左右盲では愛する人を守ることすらできぬのだ。娘にどうやって左右の概念を飲み込ませればいいのかもわからない。
「鏡はなぜ上下反対でなく左右反対に映るのか」を考えたことはあるだろうか。鏡が左右反対に映るように見えるのは、たまたま人間が左右対称っぽくつくられているからで、左右なんていう概念はその程度のものなのだ。シオマネキがうらやましい。たぶんあいつらの語彙に「右/左」はないだろう。動き方も2次元っぽいし。
- ■2016-05-22
- ボードゲーム熱2.1
カルカソンヌの拡張セット(宿と大聖堂)がやっと手に入った。(本体については前回参照)
これ再販されてたんだな。イラストが一新された関係で、本体と組み合わせたときに画風や塗りが違うのがちょっと気になる。本体も新デザインのを買っていればよかったか。
これによって新タイルが増えたので、ランダムに何枚か除外して王牌をつくり、下の図を覚えなくてもいいようなローカルルールを提唱したい。
基本+拡張1タイル一覧 なおこの図には紋章や宿屋の有無は描かれていないので注意されたし。
この拡張によって新しいルールが追加された。
大聖堂があると、相乗りしたり邪魔したりしているうちにどうしても都市が大きくなるため、完成したとき得点差が大きくなりすぎる感がある。終了を待たずに60点近い点差がついてしまうので、これについては良し悪しかもしれない。
さてこうなると、やはり1つの箱にまとめたくなる。以前ドミニオンの拡張を買ったときも、ぴったり入る箱を探して百円ショップを巡ったものだ。今回はどんな箱に入るだろうか。
詰めた 見た感じ、アクリルの葉書ボックスがいい感じの容量だったので、それに詰めてみた。
この容器は蓋がカチッとはまるタイプではないので、何かで止めなければならない。
スコアボードを縮小コピーしたものを底面に隠して……
ガチマッチ仕様 完成!カルカソンヌ弁当箱!!
「包む布に得点表をアイロンプリントすればさらにスマートじゃね?」というところまで思いついたけど、ぶっちゃけ使いにくいと思うのでこれでよしとする。
……拡張の箱と大きさがあまり変わらないような気がする……あの箱を魔改造したほうが早いのでは……。
これ再販されてたんだな。イラストが一新された関係で、本体と組み合わせたときに画風や塗りが違うのがちょっと気になる。本体も新デザインのを買っていればよかったか。
これによって新タイルが増えたので、ランダムに何枚か除外して王牌をつくり、下の図を覚えなくてもいいようなローカルルールを提唱したい。
基本+拡張1タイル一覧
この拡張によって新しいルールが追加された。
- 「宿屋」――道路に付属する建物。これがあると道路が1パネル1点から2点になるため、街道の存在感が増した。ただし完成しなかった場合0点扱いになるため、街道建設の邪魔をする場面も出てきた。
- 「大聖堂」――都市に付属する建物。これがあると都市が1パネル2点から3点になるため、莫大な得点が入るようになった。これも完成しなかった場合0点になるので相乗りや邪魔が熱い。
- 「騎士」――通称スーパーひとし君。配下二人分の効果を発揮するので、攻めにも守りにも重要。前述の追加ルールのせいもあって奪い合いが加速するので、いつ使うかが悩みどころ。
大聖堂があると、相乗りしたり邪魔したりしているうちにどうしても都市が大きくなるため、完成したとき得点差が大きくなりすぎる感がある。終了を待たずに60点近い点差がついてしまうので、これについては良し悪しかもしれない。
さてこうなると、やはり1つの箱にまとめたくなる。以前ドミニオンの拡張を買ったときも、ぴったり入る箱を探して百円ショップを巡ったものだ。今回はどんな箱に入るだろうか。
詰めた
この容器は蓋がカチッとはまるタイプではないので、何かで止めなければならない。
スコアボードを縮小コピーしたものを底面に隠して……
ガチマッチ仕様
「包む布に得点表をアイロンプリントすればさらにスマートじゃね?」というところまで思いついたけど、ぶっちゃけ使いにくいと思うのでこれでよしとする。
……拡張の箱と大きさがあまり変わらないような気がする……あの箱を魔改造したほうが早いのでは……。
- ■2016-05-29
- 娘月報・五月
2歳~2歳1ヶ月の記録。
お出かけしようとすれば「かーたんも公園いこ?」、ベンチに座らせれば「ぱぱもちゃんこして」など要求が精密性を帯びてきた。「ぱぱ見てて~」と要求するさまはかなり幼児らしさが出てきたが、それでいざ注目していると何もしないので、幼児の真似をしているだけなのかもしれない。
- 社交性がすごい。公園等で「おにーちゃん/おねーちゃん」を見つけるととりあえず笑顔で突撃する。園児くらいで、小さい子の扱いに慣れている子だとそのまま遊んでくれたりするが、そうでない子は困惑気味になるので申し訳ない。とりあえずよその子のシャツの柄を指さして「りんご!」っていうのはやめような。
- 初対面の女の子(小学生)に「かわいいねェー」と上から目線の講評。あげくその子に「アカチャン!」って言われたのをラーニングして、その子のお父さんっぽい人の肩をたたきながら「ア・カ・チャン♪」と煽る。俺は他人の振りを試みた。
- ワイフ「昨日の出勤の代休って取れない?」娘「取れない!」ぼく「えっ」娘「ざんねん!」……この煽り性能の高さ……いったい誰に似たというのか……。
- ふいに複数形の主語を使いはじめた。「みんなねんねしてるねェー」などだ。だが電車に乗ったときに「みんなケータイもってるねェー」と情報化社会を斬る鋭い批評を車内に放ったのでご両親はずかしい。
- 会社でもらった甘夏をあげたら「みかんだー!ヤッター!おいししょーだねェーおなかがぺこぺこだー」ととても素直な反応。なおごはんは食べ終わったあとでまったくお腹はぺこぺこでなかった模様。「おいししょーだねェー」→「おなかがぺこぺこだー」が連打コンボで入ってるんだろうな。
- 「おーい!アンパンマーン!」「えっ……ぼ、ぼくアンパンマン!」「おーい!ばいきんまーん!」「ハーヒフーヘホー!」「おーい!ドキンちゃーん!」「ドキンちゃんもいま~す」「おーい!しょくぱんまーん!」「リアクションなしで次々とモノマネ要求するのやめようか」
- 抱っこを嫌がって降りたいときに「おんり」と言うので「ノットおんり」と断っていたら、今度は先んじて「ノットおんり」と言うようになったので「but also」と返すようにしている。これで英語の構文をひとつ覚えましたね?
- 抱っこして帰宅中に公園の近くにさしかかったとき「いったん、おんりしよーか」とかなり譲歩した形での提案があったので逆らえなかった。降ろせば「こうえんだーやったーやったー!」とか言うし逆らえるはずがないのだ……。
- 「アンパンマンみよ?」「今は見ないよ」「じゃあないないばーみようか(提案)」「いや見ないよじゃあって何だ」
- 「バナナ オヤツ クレー! バナナ オヤツ クレー!」とバイオゴリラのようにバナナを要求する事件が発生。かわりにヨーグルトが欲しいときは「どーゆことたべたい!どーゆーことー!」とかなり哲学的になる。
- 普段は「かーたん」「ぱぱ」って言えるのに、よその家などストレス状況下では「おかたやーん!」「パパチャーン!」って呼ぶのでほんと謎。ていねいな言い方だと思ってる可能性ある。
- 食卓の温泉卵を指して「ひよこ」っていうのでご両親の食欲が減退。ゆゆゆ有精卵と無精卵は違うし!しかし何が違う?命はどの段階で命となるのだ?この子だってどの段階からヒトになったのだ?
- なぜか時計が大好きで、時計の絵本を出してきては「とけいいっぱいねェー」と悦に入っている。この様子を見て「とけい捕まってるねェー!」って言ったのには驚いた。確かに捕まってるねェー……。
- お散歩のときに手を繋ぐのを嫌がらなくなった、というか、右手を母に、左手を父に繋いで体重を預けるのが好きなようだ。あからさまに親子っぽいぞ!
- 「おちゃいれた?おちゃいれてみよ?」「なんでお茶を……別に飲みたくないし……ムムッ!ごはん前なのにポットのお湯が切れている!沸かさねば!この子はまるでコナン君のように聡明だなあ!」
- こども音楽教室を初体験。終始わけがわからないという顔をしていたが、家に帰ってきてから「おおきなたいこ♪どん♪どん♪」と言っていたので刺激はあった模様。そうだな大きな太鼓が出てきたときすごい積極性だったもんな。
- アンパンマン描いてって言うのでワイフがさらさらと描いていったが、つい興が乗っておめめパッチリにしたところ、まつげまで描いた段階で「あれ!?あんただれでしゅ!?」と大混乱。
- 明らかにくしゃみのときに「はっくしょん」って言ってる。
お出かけしようとすれば「かーたんも公園いこ?」、ベンチに座らせれば「ぱぱもちゃんこして」など要求が精密性を帯びてきた。「ぱぱ見てて~」と要求するさまはかなり幼児らしさが出てきたが、それでいざ注目していると何もしないので、幼児の真似をしているだけなのかもしれない。