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◆不定期日記ログ◆

LOG 2007-05

■2007-05-02
春の憂い
 語感が良くなくては言葉を略す意味がないし、略語そのものに意味を求める必要はないことは重々承知だ。

 だが我々日本人はこれまで、スーパーマーケットのことを「スーパー」と略す派閥や、ホモセクシャルのことを「ホモ」と略す派閥に実権を譲り渡すという大失態をくり返してきた。
 結果、スーパーマンやホモサピエンスの人々には多大な迷惑をかけているに違いない。

 今我々にできることは、せめてwikipediaのことを「ウィキ」と略す派閥が実権を握らないように、と祈ることだけだ。
 
■2007-05-04
緑一色
 みどりの日なわけだが…

 そもそもみどりの日っていうのは、昭和天皇の誕生日であった4月29日を、平成になってから「生物学者であり自然を愛した昭和天皇」にちなんで「みどりの日」としたんだったよな…
 その舌の根も乾かぬうちにそれを「昭和の日」に改めるとはけしからん。
 けしからん、が…それはもういい。誰だって間違いはする。

 だがその結果みどりの日を今日に移すっていうのはどういうことだァーッ!?
 間違ったんならきっぱりと「みどりの日は昭和の日になりました」でいいだろーがッ!
 イマイチ名前にひねりと意味がない「国民の休日」と首をすげかえてリサイクルしたつもりとは、あまりにもみどりの日に対して誠意がなさすぎる。
 「はいはい同じ価値のもので弁償すればいいんでしょ」的な投げやりなつじつまあわせが感じられて、運命をいいように弄ばれたみどりの日が不憫でならない。

 一度ミスってポシャったんなら、いさぎよく引退させてやればよいのだ。
 ポシャった規格をデジタル放送の名前としてリサイクルするNHKのようで、美しくない!

 今年もグリーンデイを聞きながら、そういう不満を募らせている。
 
■2007-05-10
あげだまボンバー!
 Bomberはボマーなのかボンバーなのか?

 ちょっと調べると本来の英語の発音ではボンバーにはならないことがわかる。まあ疑う余地はあるまい。

 だがボンバーという語感に強烈な魅力を感じるのもまた事実。
 もしm.c.A.T.が「Bomb A Head!」で「ボンアヘッ」って叫んでいたら君だってがっかりするだろう。
 いくらBombの最後のbを発音しないのが正確であるといっても、それを破ってみたくなるだけの魅力がこの響きにはある。

 我々がフランス人から「Hotelのことオテルって言えよ」と言われてもなかなか頷くことはできないように、bを発音しないなんていうのは英語圏で勝手に決めた流儀なんであって、僕ら極東の人間がそれに従わなければならないという理由はあるまい。
 しかしそのスタンスを取ってしまうと、最終的にモンブランのことをモントブランクとか言わなければならなくなってしまう可能性があるのでかなり辛い。

 いま俺に提言できることがあるとすれば…
 「ボンバーマン」は~erとmanで意味が重なってね?
 …ということだけだぜ。

 ランナーマン。ギタリストマン。なんかゆでの香り。
 
■2007-05-15
てう気になる
 「元始女性は太陽であった」で有名な、フェミニストのパイオニアである平塚らいてう。
 果たして現代の男女平等論は、彼女の時代から一歩でも前進をしたのだろうか…という話ではない。

 なぜゆえ「らいてう」なのだ。
 ほかに歴史的仮名遣いで登場する偉人がいるか。
 「らいちょう」と書いたらいいではないか。

 ここまで頑なに現代仮名遣いを拒むということは、実は本当に「らいてう」だった可能性を考えなければならない。
 「らいてう」と書いて「らいてう」と読む!
 かなり前衛的な名前だが、なにしろ戦前の話だ。何があったかわかったもんじゃあない。

 僕らだって100年後、世界が一旦滅びてしまっていて、生き残りの学者が史料を発見したときに、

 「このユニセフというのは何だ」
 「これはユニセフと書いてユニショウと読むのだ」
 「そうか」

 みたいな会話を交わされたら成仏できないだろう。
 できないだろう!
 もう平塚らいてうのことが気になって眠れない!

 でも最近の中学校の教科書には普通に「平塚雷鳥」と書いてあったのでよく眠れます。
 
■2007-05-19
サルコジ銀座
 「さるコジ」という名前は、
 フランス大統領にしては、
 あまりにもさくらももこ的すぎる。
 
■2007-05-24
楽都どウィーン
 前の日記で、「ウィンナーソーセージをウィンナーと略してしまったことによって、日本人はウィンナーコーヒーを受け入れがたい土壌を作ってしまった」というところまで書き進めようとして、ふと気がついた話。
 問題はハンバーグである。

 ハンバーグとはハンブルク(Hamburg)のことらしい。
 日本には、英語的に読んだものがカタカナ語として入ってきたのだろう。

 これはよくない。
 富士宮焼きそばを「フジノミヤ」と呼ぶくらいよくない。

 …そんな略し方もご当地料理的でよいという考え方もあろう。
 だがウィーンのソーセージはウィンナーだ。
 ナポリのスパゲティはナポリタンだ。
  
 したがってハンブルクのステーキはハンバーガーであるべき
 あ、ダメだ。


 挫折したところで冒頭の話題に戻るが、この話は結局「二種類も名物スタイルを抱え込んだウィーンが欲張りなだけであって、我々日本人にはなんの落ち度もない」という主張にまとまっていく予定であった。
 あと、フランクフルトはフランクフルトのままなのに、ウィーンのソーセージがウィンナーになるのも気に入らない。
 ウィーンに会ったら言ってやりたいことがいっぱいある。
 
■2007-05-30
新世代ギャグ
「この帽子、ドイツんだ?」

「俺のじゃネーデル」
 
■2007-05-31
物欲記録
 先週、Bluetooth対応のヘッドホンとBluetooth対応のデジタルオーディオプレーヤーを買ったよ!
 くやしいけどデジタルオーディオプレーヤーはコリアンに限るな。

 しばらく使ってみたがこれはまさに未知の世界。
 来たるべき時代のパノラマ。
 飛び交わす電磁波で合い言葉はコミュニケーション!
 電波の暮らし!

 なにしろコードレスなのである。ポケットから出したときにイヤホンのコードをほどかなくてすむのだ。
 これだけでもうさようなら20世紀!こんにちは21世紀!だ。
 ヘッドホンから聞こえてくるのがシブがき隊だということを差し引いてもなお21世紀だ。

 強いて20世紀的なところをあげるとすれば、ヘッドホンがちょっと重いってことかナ――小一時間もつけてるとやっぱり耳まわりが疲れる。
 加えて、Bluetoothの宿命として、イヤホンで聴いたときと比べてほんの少し音が遅れる。動画でも再生しない限りは関係ないが。
 あと、帰り道にある呑み屋の前で必ず音が飛ぶのが気になる。朝、営業前では途切れない。いったい何の電波に干渉してるんだ。

 ときどき歯向かう(Toothだけに)こともあるけど、まあおおむね21世紀的なので僕は大満足です。