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◆不定期日記ログ◆

LOG 2017-11

■2017-11-04
娘氏と753
 娘氏、七五三のご祈祷にいくの巻。

 夏に前撮りだけは済ませていたので、今日はお和服をレンタルしてジンジャに詣でて、ワイフ実家の人々とともに祈祷を行い祝福を受けるのだ。そしてその後すみやかに俺の実家へ向かいご報告をする運びである。

 こちらの風習では満年齢で七五三をやるケースが多いようだ。満年齢でなく数え年で三歳のお祝いをやるとたいていオムツが外れていないため、逆に助かるという話を聞いた。娘氏はかなりトイレをコントロールできるようになっているのでなんとかなりそうだが、三歳だとこのへんはまだ微妙なことが多かろうし、親御さんの判断力が求められている。

 ジンジャ・カテドラルでのご祈祷はしめやかに行われた。娘氏はよくわかっていないので堂内のなにかを熱心に数えていたりして不安があったが、カンヌシさんの話からするとおおむね大人しく祈祷を受けることができたようだ。

 破魔矢と絵馬を貰った娘氏であったが、「願い事を書く」と言われても困る。娘氏はただ「キッティーちゃんになりたい」「ソフィアになりたい」というばかりなので、筆記を請け負ったワイフが最大限クライアントの気持ちを汲み取って「キティちゃんのようなやさしい子になりたい」として起案した。キティさんは仕事を選ばない広い心をお持ちなのだ。

 その後ワイフのおじいちゃんに報告をして、あとはお山の実家に向かうわけだが、そろそろ娘氏がお和服ギブアップに近づいていた。やはりこのコスチュームで1時間ちかく車に乗るのは無理だ。いったんお着換えするしかない。ちょっと構造がよくわからないので、一枚はぎとるたびに写真に記録し、実家の人がうまく着付けられることを祈ってお着換えをした。

 その甲斐あって、お山の実家では問題なくちゃんともう一回着られたので本当によかった。せっかくなので、おらが村の川上にあるさびれた氏神様のオヤシロへ行った。ここは当然無人で、お祭りのときと年越しの時にしか人が近づかない。祈祷を受けたジンジャとはまったく違うが、こういうところにこそシンピテキとセイシンテキがある。

 娘氏は行く先々でちやほやされて楽しかったようだし、お和服を脱ぎ捨てて髪型だけばっちりセットされた状態でお山の畑に繰り出したりして最高に不釣り合いだったのでとてもよかった。
 
■2017-11-13
大浮世絵物語
 ウキヨエで有名な東洲斎写楽の活動期間が、たったの10ヶ月しかないことを知って驚いた。なお静岡県民は「写楽」と聞くとウキヨエより先にスシ屋の「東海道写楽」が出てくるため、今「東洲斎写楽」と入力することに大変な違和感をもっている。

 開幕から話がずれたので戻す。
 概容はWikipediaにも記載されているが、写楽の作品はすべて1794年の5月から翌年2月にかけて、4期にわけて発表されたらしい。この短い期間に150作近い作品を一気に発表してそのまま消えてしまった謎の絵師が、海外でも有名になり、200年たっても教科書にその名を刻んでいるのだから驚嘆というほかない。

 ところでWikipediaの記述で特に興味を引いたのがこれ。

役者絵は基本的に画中に描かれた役者の定紋や役柄役処などからその役者がその役で出ていた芝居の上演時期が月単位で特定できることから、これにより作画時期を検証することが現在の写楽研究の主流をなしている。

東洲斎写楽 - Wikipedia
 ウキヨエは常に流行の先端、つまりそのとき上映していた芝居を題材にして描くもの。考えてみれば当然である。江戸時代には動画配信サービスもDVD-BOXもない。そのような環境であれば二次創作は自然と「今期の覇権芝居」に集中するであろう。
 写楽が同人作家だとしたら、猛スピードで春アニメの同人誌を描き上げて5月のイベントに持ち込み、その独特な画風で一躍神絵師となった後3回のイベントで夏アニメ、秋アニメ、冬アニメの同人誌をさばくと忽然と姿を消した、という感覚だろうか。

 こうなると、写楽がたった10ヶ月で筆を折った理由もなんとなく想像できる。職場バレであろう。売れっ子同人作家だったことが職場に見つかってしまったのだ。実際、正体は阿波藩の武士階級の人物であるという説が濃厚のようだ。役者と交流していることが職場バレしたら厳罰は免れないと思われる。武士のオタク生活は大変なのだ。
 
■2017-11-19
重複表現祭りその2
 結婚式のスピーチと同様、弔辞にもさまざまな「忌み言葉」がある。特に「不幸を二度くり返さない」という意味で、「重ね重ね」「たびたび」「しばしば」「ますます」などの重ね言葉は一般的に禁句とされている。

 故人への思いを素直に伝えたい気持ちにくだらない制限をかけやがって……と思う。「それは不幸を繰り返すタイヘン・シツレイな言葉だ! ケジメしろ! いやセプクだ!」みたいなことをいう古代中国の暴君のような奴がいたのだろう。こういうのが「マナー」として、アクセス数稼ぎが目的のコピペサイトによって大量に複製され、検索すると同じものがどっさり引っかかってくるため、いつまでも廃れるということがない仕組みだ。こういう奴には極端な例をつきつけて、境界の認識をバグらせて目を覚ましてもらうしかない。

 ところで重ね言葉といえば、日本語には重言(冗語)というやっかいな技法がある。いわゆる「馬から落馬」「頭痛が痛い」みたいな奴だ。これは別に日本語として間違っているのではなく、「あえて二度言う」ことの賛否が問われる案件だと認識している。無知から重ねたのか大事だから重ねたのかは表面上はわからないからだ。
 そして「あえて二度くり返す」ことは弔辞においてはマナーに反するという理屈なのだから、当然、重言もマナー違反となるべきで、弔辞に膨大な数のNGワードが追加される形になる。このマナーを考えた奴は正気か? これは大変困ったことだ。たとえば以下のような弔辞はどこまでが許されるのか?

 突然の訃報の知らせを受け、予期せぬ不測の事態にびっくり仰天しています。

 いちばん最後に会ったとき、「神経痛が痛む」と言うあなたに、後で後悔しても遅いからと、損保ジャパン日本興亜のチラシを渡したのが、つい今しがたのことのように思われ、頭をうなだれています。私のマイミクや、あなたのYoutubeチャンネルのファンも同じ気持ちと思います。

 あなたは食べ物を食べるのが何より好きな人でした。臨時収入が入ったと、あらかじめ予約していた店に私を誘い、一杯のラム酒と、酒の肴にチゲ鍋やえんどう豆のポタージュスープを注文していた姿を思い出します。

 あのとき交わした、余分な贅肉を落とし、あなたよりもBMI指数の数値を減らすという約束は、いまだに未完了のままです。あなたに笑われないよう、ここに減量をはっきり明言いたします。
 それが私のmy graduation……

「重言がどうこう言う前に弔辞としてオーケーな部分がない」
「だよな」
 
■2017-11-25
まちにまった発表会
 娘氏、初めての発表会。

 娘氏はまだ3歳のクラスなので、運動会同様に年少さんのクラスに混じって歌や劇を行う。それじゃあ運動会のときのようにお手伝いに志願するか……とまたお手伝いアンケートに全部マルをつけて提出しようと思ったが、カレンダーの関係上、前日に仕事を休むことが難しかったのでおとなしくバツにした。経験が生きたな。


 そして当日!
中ホール
ハコがデカァァァァァいッ!
 いくらなんでも幼稚園の発表会にこのホールは……と思ったけどだいたい1階席がぎっしり埋まったので、ド田舎育ちの俺の物差しで測ってはいけない案件だった。おまちには人がいるのだ。このホールは奇しくも10年前、俺が大変な辱めを受けた場所である。代役として発見された細メガネによる中ホールの惨劇から10年……このステージに娘氏が立つとなるとその混迷はいかほどのものか察するにあまりある。


 まずは園児全員でおうたを歌って、次に3歳&年少さんのクラスが舞台に立った。おうたはすごい頑張っていた。娘氏は台の一番端で、隣のおともだちの横揺れが非常に元気で大きかったので、そのまま肩にGEKITOTZして落ちてしまうのではとハラハラしながら見守った。

 年少さん以上のクラスではメロディオン(登録商標)の演奏も行われた。さらに上のクラスになると木琴・鉄琴、太鼓なども増えて合奏となる。いったい娘氏はあと数年を経てどの楽器を担当するのだろうか。シンバルが花形だと思う。


 そして劇ッ! これも「3歳+年少」「年中」「年長」で3種類のおしばいが行われる! ひとつの役を2人~6人くらいに分割し、セリフ量を平均化して、かつ全員に舞台中央に出る機会を担保して……という工夫があらゆる教育現場で行われているのだろう。その苦労に敬意を抱かざるをえないし、「学芸会で木の役だった」みたいな学園モノでよく出るネタはどこからやってきたのか不思議だ。

 こうやって観る立場になるとこれホントすごいことだと思う。だってイルカの知能が5歳児くらいなんでしょう? イルカにこんなことできますか? できませんできませんイルカにはこんなこと絶対にできません。しかし子どもたちはピアノの演奏に合わせてすばやく所定の位置に移動し、ピアノが止むとセリフを順に言っていくワザを見せた。あれ……これなんかピアノの先生がピアノの音色で子どもたちを操ってないか? ハーメルンのピアノひき先生かよ。


 で、娘氏ですが、3歳児は年少さんクラスのおまけなので、出番もセリフも1つしかない。(まるであのときの俺のようだ)
 劇の最中に突然カンコンカンコンとウッドブロックの音色が鳴り響いたかと思ったら、舞台のすそからりすさんに扮した3歳さんが複数人現れて、

「「「にゃんにゃんにゃん ねこさんは やさしいな」」」

 と言ってまたカンコンカンコンという音色に操られるように退場していった。あっアイチャン出てきた出てきた……あっ行っちゃう行っちゃう……娘氏の仕事終了―――!!

 最後にまたみんなで壇上に上がり、園歌を合唱して発表会は幕を閉じた。この園歌は娘氏がときおり口ずさんでいたが歌詞がまったくもって不明だったので(音程はそれなり)ようやくフルサイズで聴くことができ感無量である。


 来年は娘氏は3歳児クラスのお手本になれるだろうか……全然心配はいらないと思うが歌うときの体の動かし方は教えないとなって思うパパチャンであった。