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◆不定期日記ログ◆

LOG 2010-01

 バッ謹賀ム新年!

 スゲーッ爽やかな気分だぜ。
 噴上裕也を病室からブッ飛ばしたばかりの東方仗助のよーによォ~~ッ!
ぼくはタイガー!
今年の年賀状
 今年はタイガーボードのように、堅牢な体と生活を目指したいです。
 
■2010-01-05
親不知掃討作戦
 仕事始めと同時に、三不知さんしらずの最後の一本を抜歯してきた。
 これにて親不知掃討作戦は完了である。

 右上を倒した時は、真っ赤な唾液が気持ち悪くてオロオロしていた。
 左上を倒した時は、ふくれあがる口内のカサブタが気持ち悪くてオロオロしていた。
 右下を倒した今、わりと平然とウィダーインゼリーを飲んでいる。

 慣れって奴は凄いな。こんな状況にも慣れてしまう。
 眠れる獅子である左下が悪さをしない限り、もう使うこともない慣れだが。

 あとは睡眠中に無意識にヨダレを溜めてしまい、朝、布団に乾いた血痕を発見して、「かあさん赤飯ッ!!赤飯だッ!!」とうろたえないように気をつけるだけだ。

 ここに ねむるは ネスの ゆうき。よくたたかい きずつきたおれた。ここにねむるは さらなる ネスの ゆうき。じゃあくなるものに おおきなだげきをあたえ ついに たおれた。ここにねむるは・・・・いそがしくて はかにもじを きざむひまもなかった。

 だれかの はか。
 歯か。
 
■2010-01-07
まにあってます
 薬局で買い物をしたら、試供品をもらった。

 「試供品バンドエイド これまでにない快適体験を今すぐ!

 今すぐ!はちょっと困る。
 
■2010-01-08
立法員制度
 政権交代したのに、やってることが自民と変わらない。
 政治なんてどこがやっても同じなのか?
 ようやくそういうムードがマスコミ各社から感じられるようになってきた時節柄、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 さて以前「選挙運動いらなくね?」という思考実験をしましたが、 今回はさらに踏み込んで「選挙いらなくね?」を考えていきます。

■議員と国民の「意識のズレ」

 すべての国会議員は、選挙というエクストリームスポーツをクリアしています。
 あれだけ不毛なルールで戦ってるんですから変人偏屈の類であることは間違いなく、決して「俺たちの代表」と言えるものではありません。
 白昼堂々、自分の名前のみを連呼しながら市街を走れる時点で相当レアな人です。

 そんなレアな人々が全国から集うのが国会です。
 ですから、国会議員の意識が国民の意識と大きく乖離してるのはアタリマエなのです。
 そして議員の意識が国民の意識の平均からえらいズレてるから、だーれも望んでない空港が、地元にできたりするんです。

 ハコモノだけでなく、古くから、人権擁護法だとか、児童ポルノ法だとか、まるで対バイオロン法みたいな法案が平然と出てくる国会。
 裁判員制度みたいな誰が望んだのかわからない法律が、いつの間にか通ってる世界なのです。

■国民の意思を反映するには?

 投票で国民の代表を国会に送る?
 んなもんは無理だ!!

 もういい、選挙いらん。
 ソクラテスは「政治は賢人がやるもの。愚民は来んな」といったようです。
 国は、英才教育を受けたエリートが動かせばよくて、国民投票なぞ衆愚政治だと。
 なんかイラッとする意見ですがまずこれを採用します。

 政治家は全員、厳しい選抜に合格した政治のスペシャリストとします。
 選抜方法は、普通選挙をさらに狭き門にしたようなものを新たに考えます。
 今以上にレアな人が集まることになりますがとりあえずオッケーです。
 法案提出数からいえば官僚で代用してもいいかもしれません。
 で、そのエリートたちで参議院を形成し、国会(ひいては内閣)を運営します。

 これだけだとただの少数独裁なんで、衆議院のほうを改造します。
 議員を全削除して、ランダムに選ばれた一般国民に差し替えます。
 完全に知識のない我々愚民でオッケーです。

 この上に、エリートが衆愚を納得させない限り、議決が通らない仕組みを作るのです。
 さしあたって「法律の制定」と「予算の議決」、すなわち通常国会だけでいいでしょう。
 内閣が予算を通すにも、一般人に納得のいく説明をしなけりゃいかんわけです。
 法律の制定も、わかりやすく説明しなけりゃ通りません。
 去年「プレゼンが下手だと学術予算も容赦なく仕分けされる」という事を役所は学びました。
 今度は国会が学ぶ番です。
 エリートが作った本当に必要な法案ならできるはずです。

■どうやって代表を選ぶのさ

 くじです。

 今、日本では、いつの間にか裁判員制度が運営されています。
 「有権者の中からくじで選ばれた6人に、3日ほど判決に関わってもらう」制度です。

 裁判を身近に感じてもらうために直接参加の制度まで作ったのですから、行政・立法で同じ理屈が適用できないわけがありません。
 これを「裁判員」になぞらえて「立法員制度」とでもしましょう。
 厳密には立法してませんが、そこは議員さんも同じ体たらくなのでよしとします。

 さて、裁判員関係の裁判は、年間3,000件ほどあるそうです。
 3,000件×6人×3日で、国民全体から年間54,000日を徴収しているわけです。
 一方、通常国会は延長がなければ年間150日。
 参議院議員が242名いるので、240名を集めても合計36,000日分の消費ですみます。
 150日も拘束できませんから、案件ごとに立法員のメンバーは交代します。

 「どこに集まるの?」とか「どうやって質問するの?」とかいろいろ問題はありますが、国民の負担としては裁判員制度程度ですむはずです。
 システムも流用できます。


 確かに専門知識を持たぬ我々は衆愚。
 聞きかじりの知識で知らない人に投票するだけの無駄な存在です。
 しかし衆愚ならば教育を受ければよいだけです。
 1つの法案について、様々な立場のエリートが説明してくれるわけですから、その法案の是非についてだけは、必要か不要かの判断は有効にできるでしょう。

 くじで選ばれた立法員は、地方ごと公共施設にあつまって、議員の「必要だ」「不要だ」という生放送ディベート&勉強会を経て、最終的に可決か否決かのボタンを押して帰るわけです。
 各党の担当者が現場にいるといいですね。どうせ地方議員余ってるし。

■オコトワリ

 国会議員が自ら自分のイスを減らすような仕組みを作るわけがないので、このお話は思考実験にすぎません。
 シロウトが中学校レベルの資料で「できるんじゃね?」と思っただけです。
 できてない、ってことは何かしら問題があるんでしょう。
 衆議院の半分が立法員になるだけでも革命だと思うんだけどな。
 
■2010-01-13
カリグラフィのアリエッティ
「シャドウ」「書道」と聞き間違えると日本のスピリッツが目覚める。

・書道ボクシング
 →1ラウンドごと、書道と拳闘を繰り返して勝負する知的格闘技。

・アイ書道
 →Appleから発売されたスタイリッシュな書道用具。

・書道オブヴァンパイア
 →美女の生き血を報酬に字を書きまくる吸血書道家の物語。

・書道ゲイト
 →ざんねん!わたしのぼくじゅうはここでおわってしまった!

・書道ムーン
 →来い、ブラックサン!一筆奏上!

・SHODO SKILL ―筆技―
 →見開きの四隅に描かれる文字が荒々しい筆文字になる。

・中央自動書道
 →東京から愛知まで、360km以上にわたって勝手に文字が書かれる。
 
 平成の前が昭和、昭和の前が大正、大正の前が明治。
 そして、歴史の教科書にはあまり出てこないが、その前が慶応である。
 慶応は3年半くらいで終わってしまったため影が薄い。

 Wikipedia先生によると、その慶応の年号を定めるとき、
 候補として「平成」が挙がっていたらしい。

 もしこれが通っていたら、坂本龍馬が平成3年没になる。
 いきなり最近の話っぽくなる。
 そればかりか、慶應義塾も平成義塾になっていたであろう。
 いきなり安っぽい印象になる。
 短いながら、意外と影響力のある年号だと思った。
 
■2010-01-18
アバターと不気味の谷
 ウワサの『アバター』(3D)を観てきたよ。

 入り口ででかい3Dメガネを渡された。
 係員いわく「予告編も3Dになりますので、メガネをかけてお待ち下さい」と。
 それじゃ、あの名作『STOP映画泥棒』も飛び出して見えるのか!?
 ……と、かつてない期待を抱いたが、残念ながらまったく飛び出さなかった。
 というか冷静に考えたらこの映画、盗撮しても意味が無い。メガネを守るべきであろう。

 CGは精巧緻密。だが不思議なことに気がついた。
 最初のほうの宇宙船や、人類の基地のシーンでは「すごいCGだなあ」と思うのだが、惑星パンドラの大自然と先住民の青い人たちが出てくるシーンになると、とたんにCG感が無くなり「すごい景色だなあ」という印象に変わる。
 人工物のCGだけクオリティが低いとか、そういうことは無いと思う。
 なぜだろうか?

 人工物のシーンは、生身の役者が合成されている。
 どこからどこまでがCGなのか解らないくらい精密に作られている。
 だから「リアルだな、すごい丁寧に合成してあるな」という印象を持つ。
 それに対し、大自然のシーンは、青い人を含めて、全部CGだ。
 生身の役者が混ざっていないため、素直にCGの世界に入ってしまう。
 だから、青い人が生身の役者を抱きかかえるシーンになってはじめて、「おお、この青い人すごい緻密なCGだな」と感心する。

 CGと実物の間には「不気味の谷」が横たわっている。
 どうやら、谷に落ちずとも、無意識のレベルで谷の存在は感じられるらしい。
 そんなことを思った。
 
■2010-01-25
時差の計算
 中学1年生が挑む最初の定期テストで、社会科の命運を分けるのは「時差」である。
 2国の経度を与えられて、時刻ないしは時差を計算させる、社会科で他に例を見ないジャンルだ。
 これでつまずく中学生は多い。


 地球は24時間で1回転(360度)するので、1時間で15度回る。
 したがって経度15度につき1時間の時差が出る。
 この説明の出だしはどの教科書も同じだが、その後の説明となると「地点が東経と西経に分かれている場合は~」とか「日付変更線をまたぐ場合は~」とか、めちゃくちゃ遠回しになる。

 東経だとか西経だとか言うからワケがわからんのだ。
 教科書が何と言おうが、西経をすべてマイナスにしてしまえばカタがつく。
 ニューヨークは西経75度ではなく、-75度で教えてしまえ。

 あとは基準となる地点の経度をa、目的の地点の経度をbとおけば、
 時差tは t=(a-b)÷15 で求められる。

【例】
 東京とカイロの場合、a=135、b=30を代入してt=7。
 つまり東京の時計はカイロより7時間早い。
 シアトルと東京の場合、a=-120、b=135を代入してt=-17。
 つまりシアトルの時計は東京より17時間遅い。
 サマータイムとか標準時が経度とズレてる国とかは試験に出ないので無視している。

 少なくとも社会の教科書ではこの「公式」を見たことがない。
 公式みたいに暗記の匂いのするものはできるだけ排除したいのだろう。
 だが中学1年の最初だから、数学では正負の数の計算をちょうど習っている最中だ。
 ここでリンクさせないなんて信じられない。

 時差の計算でつまずく中学生が多いのは、社会を教えている先生が、数学嫌いだからではないだろうか?


 本当はイギリスの意向もガン無視して、経度を日付変更線から0→15→30…と並ぶように変更したいところだが、「時差の計算」のためだけにそんな革命を起こす必要はないと思い直した。
 
■2010-01-30
カタカナ表記のジレンマ
 「Twitter」のカタカナ表記は「ツイッター」「トゥイッター」か?
 これはもうほぼ前者で統一されており、公式もそうしている。
 以前、一部マスコミで「トゥ」の表記が使われ、にわかに議論が巻き起こった。

 発音記号からアプローチしてみる。
 調べると「Twitter」の「twi」の発音は、「twin」「twist」のそれと同じとされている。
 「ツイン」「ツイスト」という表記が浸透している以上、「ツイッター」という表記は妥当といえよう。

 これだけなら問題はない。
 だが、同じルールを適用していくと、「twinkle」が「ツインクル」になる。
 認めたくないが仕方ない。
 正しいかどうかより、統一されているかどうかのほうが編集者にとっては重要だ。
 「ツイッター」の優位性を立証するために、大きな代償を払うハメになった。

 同じアプローチをしてみると、
 YouTubeの「Tube」もiTunesの「Tune」も、「チューリップ」の「チュ」なので、
 「ユートゥーブ」「アイトゥーン」という表記にはならないことがわかる。
 発音記号で判断する方法は、お手軽でそれなりに説得力があって良い。


 さて、うっかり「desktop」を「ディスクトップ」と言ってしまう人を高齢者を中心に見かけることがある。
 発音記号を見るまでもなく、「デスク(desk)」の「デ」なので、誤りである。
 しかしこの問題、そう単純ではなさそうだ。

 「desk」とは違う発音になるが、「デジタル(digital)」の「デ」が諸悪の根源ではないかと思う。
 この「デ」、一見「ディ」でよさそうだが、発音記号が同じ単語をほかに調べると、「デリシャス」「デリバリー」「デメリット」などそうそうたるメンバーが並ぶ。
 完全に「デ」の勢力下に入っているように思われた。

 だが、あきらめずに同じ発音の単語を探していくと、
 「ディナー」「ディスペンサー」の「ディ」がひっかかってきた。
 「デジタル」に倣うなら、「デナー」「デスペンサー」になるところだ。
 さらに「ウォルト・ディズニー」の「ディ」までもが同じ発音だった。
 つまり「デズニーランド」を駆逐すると「デリシャス」「デリバリー」などを巻き添えにしてしまう。これはかなりのディメリットだ。←駆逐

 したがって「デ」と「ディ」の統一をはかるのは難しく、まったく関係ない「デスクトップ」がそのあおりを受けてしまう事態は、簡単には改善されないと言える。
 このジレンマはしばらく続くだろう。


 余談だが、この「ジレンマ(dilemma)」がちょっと不思議だ。
 これも「digital」と同じ発音の「デ」だが、「デレンマ」でなく「ジレンマ」になっている。
 これの語源は「ふたつの仮定や前提(di-lemma)」らしい。
 ラテン語の2(ジクロロベンゼンの「ジ」)を示すときは「ジ」になったのだろうか?
 さらなる表記の揺れを見つけてしまった。