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◆不定期日記ログ◆

■2009-07-14
だめな選挙
 選挙が近いので、普段思っていることを真面目に書く。

 もし政治が腐ってるとしたら、それは選挙が腐ってるからだ。
 すべての政治家は選挙をクリアしている。
 そういう意味では、政治批判の大半は、エアコンからクッセエ風がガンガン出てるのに「ファブリーズしろ!」なんて言ってるようなもので、まずはそのカビたフィルタを交換すべき、という意見が出ないのはおかしい。


 選挙がダメなのは、選挙側と被選挙側の「選挙」に対する認識のズレが大きすぎるのが原因だと思う。
 選挙運動の大半は、我々が自分たちの代表を選ぶにあたって役に立たない。
 たとえば選挙カーや街頭演説は「私は夜勤に従事する人の生活を想像できません」と公言しているようなもので、そういう人々が全国から集まるのが国会である。どう考えても国民の代表とは言えない、レアな人々の集まりだ。

 選挙カーは何がしたいのか?
 街頭演説は誰にむかって叫んでいるのか?
 アレにさく時間、エネルギー、人件費を考えると、どう考えても元がとれるだけの効果はなかろう。
 だいたい公職選挙法で「選挙カーの上では、名前とかしか叫んじゃダメ」などと定められているわけで、これはもう遠まわしに「選挙カーを使うな」と言ってるも同然だろう。空気を読んで欲しい。
 「選挙カーがうるさいから、来た奴には投票しない」という意見も、決して子どもっぽいワガママではなく、むしろ極めて常識的な判断ではないかと思える。こんな無駄な行為を行う人間が、税金の無駄遣いを抑えられるわけがない。

 費用対効果を考えると、現在の選挙活動は無駄ばかりである。無駄な努力というのは、当人以外にとっては多かれ少なかれ「害悪」だ。
 なぜ無駄にしかみえない行為を続けるのか?


 選挙は一種のエクストリーム・スポーツではないだろうか。
 汗だくで街頭演説を続ける候補者の姿を放送するマスコミの姿勢は、スポーツ選手に対するそれに近い。考えてみれば出陣式みたいなことをやるのもスポーツっぽいし、開票速報なんてもう完全にスポーツ中継だと思う。
 はたから見て「なぜこんな事をしているんだ?」と不思議に思うのも、「そういうスポーツだから」ということなら納得できる。

 選挙がスポーツだとしたら、ルールブック(公職選挙法)はアレも反則、コレも反則でなにひとつ盛り上がる要素のないマイナー格闘技だ。
 それなのに「観客動員数が予定の6割に満たない」などといってオロオロするのはまったく馬鹿馬鹿しい話だと感じる。

 選挙はスポーツなんかではない、代表を選ぶ大切な民主主義活動だ、というのなら、もっと実のある活動をしてほしい。
 たとえば、せっかく候補者を一覧できるポスターボードがあるのに、顔と名前しか書かれていないというのはおかしい。当選したら何に力を入れるのか、そして(特にこれを書く人が誰もいないのが信じられないが)何に力を入れないのか、を記載しておくべきではないのか。


 選挙運動は、ポスターと、許可された分のダイレクトメールと、マスコミで演説する機会だけ有効に活用すれば、実質的には十分ではないかと思う。
 ていうかこれなら、少ない資金で誰でも立候補できそうな気がする。
 お、いっそのこと公職選挙法の全面改正を掲げて立候補するか?

 ……とチラッと思ったが、どうやら一定割合の票を獲得できなければ預けておいた大金をボッシュートされるという制度があるらしい。
 なるほど、二世議員ばかりになるわけだ。