◆不定期日記ログ◆
CATEGORY 謎知識
- ■2024-04-08
- 開きかけの幕府
代わりに「
しかし、別に頼朝が「ここを幕府とする!!」と言った年が1192年でなく1185年だったことが判明した訳ではない。
1185年というのは、頼朝が義経追討のため各地に守護・地頭を置くことを許されたタイミングであり、これをもって頼朝の支配体制ができたといえるのではないか……と考える人が多くなった、というだけの話である。
実際、鎌倉幕府と呼ばれる支配体制はじわじわと作られてきたものであろう。どこから鎌倉幕府になったかを決めるのは難しい。この情報化社会において、もはやテストで年号を答えさせるような問題は出題されないので、ゴロ合わせまでして鎌倉幕府=1185年という暗記をする理由もない。
要は「1192作ろう鎌倉幕府」を、鎌倉幕府の成立年ではなく、歴史的事実である頼朝が征夷大将軍に就任した年のことだと認識を改めれば良い。
征夷大将軍になることは、幕府を開くための重要な要素といえる(平清盛や豊臣秀吉の政権は幕府として捉えられていない)ので、「1192作ろう鎌倉幕府」のままでぜんぜん良い。自信を持って生きていきましょう。
ここからはめんどくさい余談になる。
そもそも鎌倉時代における「幕府」とは、主に「霞ヶ関」「ホワイトハウス」みたいに「執政者がいる場所=執政者」を示す言葉にすぎず、これが一般に「武士の作った政治組織」を指すようになったのは江戸中期以降のことらしい。
つまり頼朝も尊氏も家康も誰一人「幕府を開くぞッ!!」とは思っていないということで、我が国の歴史上、幕府を開いた人物というのは存在しないことになる。思った以上にめんどくさいことになったぞ。
さらにめんどくさい情報を追加すると、おなじみの頼朝の肖像画が「実は本人ではないのでは」という説が濃厚となったことで、教科書から消えつつある。
源頼朝像の肖像というと、かつては京都府の神護寺にある国宝「伝源頼朝像」が教科書にも大きく取り扱われる定番でした。(中略) しかし、1995年に美術史家の米倉迪夫氏によって、この「伝源頼朝像」は足利尊氏の弟「足利直義」の肖像であるという説が提起されました。
- 帝国書院 よくある質問
- ■2023-11-14
- 洗ってない米のはなし
店頭で無洗米の「洗わずに炊ける」という表示を見た俺は、米とぎについての認識を新たにせざるをえなかった。なんと一部の家庭科の教科書も「米を洗う」という言い方をしている。
どうやらもう米は「とぐ」ものから「洗う」ものに変わってきているようだ。「米をとぐ」って言う人はもう「チャンネルを回す」とか言うおじいちゃんとなってしまうのだろうか。
原因として一番の心当たりはこの「無洗米」の登場である。
いやまて、だいたい何だよ「無洗米」って……字面だけ見たら「洗ってない米」で意味がまったく逆じゃねえかよォ~~ッ!!
「無人島」はわかる。無人島は人が無い島だ。だが「無洗米」っていうのは洗うという行為がなされていないのか、なさなくてよいのか、これがわからない。
この謎のネーミングのせいで「米を洗う」が発生したのだとしたらちょっと黙ってはいられない。というわけで俺は直ちに無洗米を開発している東洋精米機製作所へと向かった! 電子的に。
そこで俺は無洗米開発者である雜賀慶二氏の想いを知った。
そもそもの発端が「とぐのが面倒だから」でなく「とぎ汁による水質汚染をなくしたい」というモチベーションだったのだ。
それゆえ雜賀氏は最初に開発された「瞬間的に米を水洗いして乾かす」という方法を却下し、最終的に「洗わずにぬかでぬかを削る」という方法をで無洗米を商品化したのである。
じゃあ最初の瞬間的に水洗いするやつは「既洗米」だったのか? ……それはこの資料からはわからない。洗わずにぬかを落としたものを「BG無洗米」と区別していることから、おそらくそれはないだろう。ただ、開発者が「洗ってないこと」に強い意義を見いだしたということは理解できた。それならばもう「無洗米」と呼ぶしかない。
実際のところ、精米技術の発達で、今では無洗米でない米だって、そう念入りにとがずとも数回洗うだけでおいしく食べられるようになってきている。
そのうち無洗米のような炊き方が標準となり、念入りにとぐべき特殊な米だけが「とぐ必要のある米」という意味のレトロニムになるであろう。なので「無洗米」という言葉をどうにかしようという行為も、「米はとぐか洗うか」という議論も無駄である。日進月歩のテクノロジーに振り落とされるな。
- ■2023-11-01
- ちゅぱちゅぱしようぜ!
宇宙を漂うChupa Chups by BingAI
だからきっとチュッパチャップスという名前は日本らしく和訳されたもので、原産国では全然ちがう名前で売られているに違いないぞ。しらべてみよう!
Q:「チュッパチャプス」の名前の由来を教えてください。
A:“チュッパ”はスペイン語で“なめる”という意味です。“チャプス”はスペインで最初にロリポップキャンディに付けられたブランド名です。- クラシエ株式会社 よくあるご質問
本場はスペインであり、「なめる」はChupaであり、なめるときの擬音はChupsであった。ちゅぱちゅぱする音がChupaではなくChupsの方だったのは意外だったが、飴をなめるのに唇の厚さは関係ないことが明らかになった。
あと我々は「チュッパチャップス」って言いがちだけど、公式はみんな「チュッパチャプス」で統一されていることに気がついた。さらに言えばスペイン語では「チュプス」のほうが近いようだ。ChupaもChupsも似た言葉なのだから、「チュ」なら「チュ」、「チャ」なら「チャ」で統一して欲しかった。
- ■2023-07-11
- 音便オルタナティブ
こういうテストが湧いたら どーしよ?(どーする?)
びっくりびっくりBIN BIN!!
残さず全部がマルでも いーでしょ!(いーよね?)
……いいのか?
常用漢字表では「角」の読みは「カク・かど・つの」であり、「カッ」はない。
同様に「六」の読みも「ロク・む・むつ・むっつ・むい」としか書かれておらず、「ロッ」は含まれていない。
ちなみにほかの数字を見てみると、「十」の読みには「ジッ」のところに「ジュッ」という注釈が示されている。「十角形」は「ジュッ」と読むことが許されている……逆に言えば「ロッ」は許されていない!?
つまり「ろくかくけい」こそがマルで、他の答案はバツになってしまうのか!?
だが待ってほしい。常用漢字表には使用例が併記されており、「ロク」の例として「六法」が挙げられている。さすがにこれが「ロクホウ」であるとは考えにくいので、おそらくここに「ロッ」の読みを含めたいのだろう。
常用漢字表は冒頭で「他の字と結び付く場合に音韻上の変化を起こす例は、全ての例を尽くしているわけではない」とブン投げている。つまり全部マルで良いッ!!
……いいのか?
これを認めてしまうと、「学校」の読みを「ガクコウ」と書いた答案をバツにできなくなるが……本当にいいのか?
当然「せんたっき」などの表記も認めなくてはいけなくなるし、そうなると「満足感」は「まんぞっかん」、「保育器」は「ほいっき」でOKになってしまう。これが本当におまえの望んだ世界か……?
こういったカオスに突入することを防ぐためか、教科書では独自に「学 ガク(ガッ)」のように読みを追加している。
教科書会社ごとにこの判断は異なる可能性があるが、ある教科書を例にとると「六 ロク(ロッ)」は示されているが「角 カク(カッ)」は示されていない。
したがってこの教科書を使っている学校では、冒頭のテストの正解は「ろくかくけい」と「ろっかくけい」の2つとなる。教科書に従っておけば間違いないッ!! 鳥もそう思うよな!!
PIPI
- ■2023-02-19
- おれはグレート
それで幕末の我が国では、そのへんの経緯を理解せず、日英和親条約を翻訳するときに「あっちが大英帝国ならこっちは大日本帝国でござるな!」みたいな感じで国名をつけてしまったのではないかと疑っているんだけど、ここについてきちんと調べてウラが取れてしまうと「じゃあ今も大韓民国って名乗ってる国は何なんだよ」ってところに話が行くので、やめておこう。
しかし、そんなイギリス人が入植したオーストラリアにはやたらグレートな地名が頻出する。グレートビクトリア砂漠、グレートバリアリーフ、地図を見ているだけでもだいぶ目立つ。イギリス人、実はいばってたのか? やっぱりグレートが大好きだったのか? 調べてみました!
- グレートビクトリア砂漠
女王陛下由来であることを示すためグレートは必要。 - グレートサンディ砂漠
リトルサンディ砂漠もあるらしいのでグレートは必要。 - グレートアーテジアン盆地
ばかでかい鑽井盆地→大鑽井盆地なので固有名詞化のためグレートは必要。 - グレートディバイディング山脈
ばかでかい分水嶺→大分水嶺山脈なので固有名詞化のためグレートは必要。 - グレートバリアリーフ
ばかでかい堡礁→大堡礁なので固有名詞化のためグレートは必要。 - グレートオーストラリア湾
オーストラリア最大の湾であることを示すためグレートは必要。
なんてこった……ただいばってるだけの無駄なグレートなんて一つもないじゃないか……!
すまんイギリス人、オーストラリア人、俺は君たちのことを誤解していた。やはりあのとき「大日本帝国」と名乗ってしまった我々が浅はかだったのだ。大韓民国は……紀元前の馬韓・辰韓・弁韓を合わせて大韓ってことでなんとか切り抜けてくれ。では解散!!
- ■2021-02-05
- 日本の首都は千葉滋賀佐賀
- アメリカの首都はニューヨークではない。
- オーストラリアの首都はシドニーでもメルボルンでもない。
- ブラジルの首都はリオデジャネイロでもサンパウロでもない。
- スイスの首都はジュネーブでもチューリヒでもない。
- モロッコの首都はカサブランカでもマラケシュでもない。
- 南アフリカ共和国の首都はヨハネスブルグではない。
- アラブ首長国連邦の首都はドバイではない。
- トルコの首都はイスタンブールではない。
- ミャンマーの首都はヤンゴンではない。
- 日本の首都を東京と定める法令はない。
最後のが特に怖いところで、法令で定められていない以上、明治時代に政治機構が移っただけで、まだ首都は京都である可能性がある。法令で定めておくのは大事だ。
どれくらい大事かというと、コートジボワールの首都はヤムスクロと定められているんだけど、Wikipediaの記述を見ると、
国際会議場や、世界最大の大聖堂である平和の聖母聖堂など数施設を除いて首都らしいものはなく、首都機能は現在もアビジャンに残ったままである。 経済的にも特にめぼしい産業はなく、行政都市としての機能も持っていない。
- ヤムスクロ - Wikipedia
政治を行う人のトップがいる場所を首都だとするのならば、江戸時代の初めに大御所が政権を握っていた時期は我が静岡が日本の首都だったということになる。
もし神奈川県が「かつて政権があった」という理由で再び「神奈川府」を名乗り出すようなことがあったら、我々静岡県民はわずか10年ほどの駿府政権を掲げて打って出る覚悟であります。
- ■2020-05-20
- このキー何のキー気になるキー
まずCapsLockキーだ。こいつがなぜキーボードにあるのかは明白だ。パスワードの入力を阻むためである。あまりに邪悪なのでパソコンを換えるたびに殺している。なおキーを殺すときには昔から「KeySwap」というフリーウェアを使っている。
NumLockキーについても同様、PC-9801の時代からカーソルキーのないキーボードを使ったことがないので殺している。俺はテンキーがカーソルキーを兼ねていた時代のことを何も知らない。切り替えるならまだWASD操作のほうが効率が良さそうに思える。
ScrLkキーはこうしてまじまじとキーボードを見るまで存在を認識していなかった。スクロールロックって School of Rock みたいでカッコいいよね。こういうトグルスイッチは、いまロックされてるのかどうなのかのLED表示が絶対に必要だと思うが、ノートパソコンとかではそれを平然と省略するために邪悪さが生まれている。
Pause/Breakキーはギリギリ昔のBASICで使った覚えがある。マウスどころか複数ウィンドウすらない古の時代、人々は多くのキーを求めたのだろう。ここまで殺してきた数々のキーに想いを馳せる。
Insertキーはたまに使う。主にうっかり触ってしまって上書きモードになってしまったのを直すために使う。使用頻度の高いBackSpaceに無駄に近いためよく事故る。よく考えたらこれも邪悪なので今殺すことにした。No More トグルスイッチ。我々日本人は全角/半角のトグルだけで手一杯であり、これ以上トグることは許されない。
PrintScreenキーはよく使うが、それに同居しているSysRqキーは意味がわからない。一応アクティブウィンドウをPrintScreenしてくれるということは知っているけど、じゃあいったい何の略なんだよ、と調べてみてもピンとこない。少なくともWindowsを使う上では、本来の意味でシステムリクエストすることは未来永劫なさそうだ。
こうしてキーボードのことを見直してみると、こんな手元にコンピューターの歴史がザクザク眠っていたことに驚く。
我々はShiftキーが何をシフトしていたのか知らないし、Enterキーが何を何にエンターしていたのかも知らない。えっリターンキーでいいじゃん何でエンターになったんだ? 改行だけでなくログインのときとかにも使うからか?
こういった歴史を知っておくことで、有事の際に役立つかもしれない。有事って具体的にどんなのだ? 殺人ウイルスの蔓延する洋館に迷い込んでセーブしたいのにタイプライターでの小文字の打ち方がわからないよォ!「やれやれ……任せな若造」「ジジイ!」「ここのシフトレバーでシフトして……タイプしてみろ」「すげェ!」みたいな状況か??
そんな状況であったらきっと「このキーはもう必要ないようだ。捨てますか?」みたいな謎の予言ダイアログが出て、ScrLkやSysRqはポロポロと捨てられていったことだろう。だが現実には、もう使うことのないキーがわかる神的存在はいない。こうして我々はキーボードの上にコンピューターの歴史を積み上げてタイピングをしているのである。
というわけで、今回は
- OSレベルでKeySwapを標準装備してくれ
- トグルスイッチになっているキーは現在の状態を表示してくれ
- ところでなんでキーボードはキーボードって言うんだぜ?
- ■2019-02-14
- 日本銀行券のなぞ
それで初めて知ったのだが、夏目漱石のひとつ前、伊藤博文だったころのお札の裏には、日本銀行本店が堂々と描かれている。
日本銀行webサイトより
考えてみれば不思議なことだ。発行者の本店の建物が堂々と描かれているのは手前味噌ではないか。nanacoカードにセブンアンドアイホールディングス本社ビルが描かれていたらさすがに「ストロング自意識かよ」って言うと思う。
しかし歴史ある建物ではあるし、きっと何か話題になったタイミングだったのかも、と思って調べてみた。
- 1896年 日本銀行本店竣工
- 1963年 伊藤博文の千円券発行
- 1957年 聖徳太子の五千円券発行
- 1974年 日銀本店が国の重要文化財に登録
もういっそスーパーマーケットの地産地消コーナーみたいに「私が作りました」的なノリで書いておけばいい。
どうせならスカシも造幣局……じゃなかった国立印刷局のえらい人の顔にしておくと生産者の顔が見えてあたたかみがある。電子決済が進む今こそ人の顔が見える製品を作るべきではないか(彼は狂っていた)。
- ■2018-07-01
- 来年の上半期こそ本気出す
ところで月の英語名は古代ローマの呼び方を継承している。由来を調べたところ、ざっと以下の通りである。
- 1月 January
ローマ神話の出入り口と扉の守護神ヤーヌス(Janus)より。 - 2月 February
ローマ神話に登場する月の神フェブルウス(Februus)より。 - 3月 March
ローマ神話における戦と農耕の神マールス(Mars)より。 - 4月 April
ギリシア神話における愛と美と性の女神アプロディーテー(Aphrodite)より。 - 5月 May
ローマ神話における豊穣の女神マイア(Maia)より。 - 6月 June
ローマ神話における結婚・出産を守護する女神ユーノー(Juno)より。 - 7月 July
ユリウス暦を作ったユリウス・カエサルより。 - 8月 August
初代ローマ皇帝アウグストゥスより。 - 9月 September
7番目の月の意。なぜ9月が7番目なのかは以前ふれたので略。 - 10月 October
8番目の月の意。 - 11月 November
9番目の月の意。 - 12月 December
10番目の月の意。
- ■2018-02-05
- 午前0時の交差点
気象庁の分類では、「夜明け」は「日の出の前の空が薄明るくなる頃」とされており、0時から3時を「未明」、3時から6時を「夜明け前→明け方」と呼んでいるようだ。これについてはdawnの持つ意味合いが日本語のそれとはちょっと違うのだろうと判断するしかない。
では真に暗いのはいつになるのだろうか。深夜0時だろうか。日没から日の出までのちょうど真ん中だろうか。あれッひょっとして日没から日の出までのちょうど真ん中の時刻を1年間で平均すると0時になるのか? 0時ってなんなんだ?
0時を考えるということは、その反対である12時(正午)を考えることでもある。前に考えたこととはちょっと違う。まず俺はざっくりした説明を求めてWikipediaを開いた。
正午(しょうご)とは、地方時において、天球上を一定の速さで動くと考えた平均太陽が地平線より上で子午線を通過(正中:南中または北中)する時刻をいう。
- 正午 - Wikipedia
平均太陽というのがよくわからなかったが、1年間の太陽の動きを平均化したような仮想の概念と理解しておく。そしてこの場合の「子午線」とは、我が国では兵庫県明石市の東経135度線をさす。えっとつまり、正午というのはこの平均太陽が135度線を通過する瞬間と定義されているわけだ。
ということは、明石市では、太陽が南中する時間を1年で平均するとだいたい12時ちょうどになる理屈だ。明石市の南中時間は解らないが、国立天文台の暦計算室に神戸市の南中時間がまとめられている。このデータを使って神戸市の南中時間を1年間でざっくり平均すると11時59分15秒となった。
神戸市の経度は135.1833度。時刻は15度で1時間(3600秒)ずれるので、0.18度では43秒くらいずれる計算になる。東経135度ぴったりの地点では平均南中時間はほぼ正午になると考えてよさそうだ。誤差が2秒ほど出ているのは小数点以下を端折ったガバガバ計算だからだろうか。天文学に自信ニキは教えて欲しい。
というわけで結論!
- 「夜明け前がいちばん暗い」というが、夜明け前(明け方)は実際明るい
- いちばん暗いのは日の入りから日の出までの中間地点
- 東経135度上ではその時刻を年平均するとほぼ0時
……ということがわかったが何を調べていたんだっけ。
- ■2017-11-13
- 大浮世絵物語
開幕から話がずれたので戻す。
概容はWikipediaにも記載されているが、写楽の作品はすべて1794年の5月から翌年2月にかけて、4期にわけて発表されたらしい。この短い期間に150作近い作品を一気に発表してそのまま消えてしまった謎の絵師が、海外でも有名になり、200年たっても教科書にその名を刻んでいるのだから驚嘆というほかない。
ところでWikipediaの記述で特に興味を引いたのがこれ。
役者絵は基本的に画中に描かれた役者の定紋や役柄役処などからその役者がその役で出ていた芝居の上演時期が月単位で特定できることから、これにより作画時期を検証することが現在の写楽研究の主流をなしている。
- 東洲斎写楽 - Wikipedia
写楽が同人作家だとしたら、猛スピードで春アニメの同人誌を描き上げて5月のイベントに持ち込み、その独特な画風で一躍神絵師となった後3回のイベントで夏アニメ、秋アニメ、冬アニメの同人誌をさばくと忽然と姿を消した、という感覚だろうか。
こうなると、写楽がたった10ヶ月で筆を折った理由もなんとなく想像できる。職場バレであろう。売れっ子同人作家だったことが職場に見つかってしまったのだ。実際、正体は阿波藩の武士階級の人物であるという説が濃厚のようだ。役者と交流していることが職場バレしたら厳罰は免れないと思われる。武士のオタク生活は大変なのだ。
- ■2017-07-05
- テディ倍安
テディベアの名前の由来は、第26代アメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトの有名なエピーソードから生まれました。
1902年の秋、ルーズベルト大統領は趣味である熊狩りに出掛け、瀕死のクマに出くわしました。しかし大統領は「瀕死の熊を撃つのはスポーツマン精神に反する」として、その熊を撃ちませんでした。
このことがワシントンポスト紙に掲載され、それを見たお菓子屋さんが、一体の熊のぬいぐるみを作ました。
そのぬいぐるみには、セオドア・ルーズベルトのニックネーム”テディ”をもらって”テディベア”と名付けたのがはじまりと言われています。- シュタイフ社webサイトより
仮にこれが日本国の安倍首相だったらマスコミはなんと書くだろうか。「国民が苦しんでいるときにのんびり狩りに出るなど言語道断」「瀕死のクマを放置するとはとんでもない」「ベア放置を許さない」などといった言葉が週刊誌や投書欄に踊る様子が容易に想像できる。さらに言えば「連日安倍首相の熊狩りのニュースばかりで○○法案の審議が報道されない、これは安倍政権による報道操作だ」とか言い出す人まで現れジゴクの様相を呈するであろう。
昔はおおらかだった。昔と何が変わってしまったのかはわからない。ただ、最近の教科書では「ルーズベルト大統領」が「ローズベルト大統領」に変わりつつあるということは覚えて帰って下さい。
- ■2017-04-01
- 走馬燈のふしぎ
しかしこの現代社会に生きる我々は、はたして人生の中で何度「走馬燈」の実物を見るだろうか。それが回っているところを見ずして死ぬ人も多いのではないだろうか。そんなよくわからないものが死の間際に予約されているというのも不思議な話だ。
古代中国・前漢の出来事を記した『西京雑記』には、長安の匠人・丁緩がこの走馬燈のような仕組みをもつ「回り燈籠」を発明したという話が出てくる。おそらくこれが走馬燈の元祖であろう。いわば最古の映写機だったのではなかろうか。
このあと日本に伝わったこの発明が、江戸時代に職人の手によって夏の夜の風物詩「走馬燈」として完成したことは、皆さんご存じの通りである。
そして走馬燈は長崎貿易を経て東南アジアからヨーロッパへと渡り、ヴィクトリア朝全盛期のイギリスで驚きを持って迎えられた。特に回転をもってアニメーションさせるアイデアが注目され、この「ソーマトー」は当時の学者たちの間で、ギリシャ語で「回転」を意味する「trope」と合わせて「ソーマトロープ」と呼ばれるようになった。
今でも英語の語彙の中には“Thaumato-”で「奇跡」「驚異」という意味合いをもつ単語が存在する。たとえばソーマタージュといえば奇術師とか魔術師という意味合いになる。以降、ソーマトロープは回転をもってアニメーションさせる装置の総称として独自の発展を遂げていくのである。
こうして走馬燈の歴史を紐解いてみると、上記のことがほぼ口からでまかせであることがわかる。本日は自らのネットリテラシーを再確認する日であるので、どの部分が本当かは各自で確認してください。私からは以上です。
- ■2017-02-22
- 国語算数理科社会~♪
おそらく「国社数理英」の順序は文科省の学習指導要領の並びに従っているのだろう。第1節国語、第2節社会……と連なり、第5節から音楽とか美術とかの技能教科になって、第9節に外国語が来る。
そして小学校の学習指導要領を見ると、こちらも並びは中学とおなじ「国社算理」になっている。しかし小学校低学年には理科と社会がない。したがってなし崩し的に「こくご・さんすう……」の並びになるのだろうと推察される。あと7・5調で語呂がいいことも、小学生にとってはメリットだろう。なんか歌があったような記憶がうっすらとある。
次の学習指導要領から、小学校の外国語がスタートする。はたして「こくご・さんすう・りか・しゃかい」はいつまで仲良くこの順序を守っていられるだろうか。このあとに単純に「えいご」と加えると7・5調が崩れて語呂がよくない。中学と同じ流れに飲み込まれるか、あるいは英語を主要5教科としてカウントせずに現状を維持するか……。本当にどうでもいい話だと思うが注目している。
- ■2017-02-16
- 10ビット突破記念日
1024、それは1と0しか理解しないスイッチングデバイスと十本指の人間が編み出した調和の数。人間の頭脳にもいつかきっとインストールされる、そんな約束の数字。
十本指……つまり10ビットの情報量でカウントできる数字の限界が1023である。我が娘は本日これを突破し、11ビット目に光が灯った形になる。
桁を繰り上げるのは大変なのだ。次の桁が用意されていないがためにいきなり最小値に戻ってしまったり、3桁目を表示できないがためにレベル99を突破したときに「あ0」になってしまったりするのである。初代聖剣伝説に至ってはゲームが止まる。そのようなバグもなくここまで成長したことを、まずは素直に喜びたい。
喜んでいるだけではアレなので、皆様にもこのシンピテキを感じてもらうべく、誕生日から数えて桁上がりが起こる日を計算する装置を一気呵成に作りあげました。自身やご子息ご息女の、次に桁が上がる日を確認してバグに備えてください。
我々の平均寿命がざっくり30000日くらいだということを改めて実感して震えている。89歳まで生きてやっと16ビット目(32768日)に到達する。
人間のクラスに生存日数のプロパティが用意されていた場合、神はたぶんそれを16ビットのintegerに設定したのではないだろうか。まさか65635日以上生きる個体はいるまい。メモリを節約すべし。そんなふうに我々をプログラミングした可能性がある。
なので、誰かサイバネ機構を駆使して180歳くらいまで生きてみてほしい。生存日数が65536日目に到達した瞬間、算術オーバーフローが発生し、生存0日目に戻るバグがあるかもしれない。やってみる価値はある。なにしろ人間は数学的には必ず死ぬとは限らないのだ。
どうでもいいけど「算術オーバーフロー」という響きがやたら強そうに感じてしまうのはFFタクティクスのせいですよね。
ここから技術的な余談になる。
このプログラムを書いているときに初めて「2038年問題」にぶちあたって多少難儀した。2038年1月19日になると、時刻を扱うときに使われているUNIXTIMEの桁が溢れて、負の数になってしまうというものだ。これも平たく言ってしまえばオーバーフローの問題である。
2038年以降の日数を計算するためにDateTimeクラスというものを初めて触ってみたが、現環境では日付の差を計算するdiffというファンクションが動かず、結局UNIXTIMEの数値を強引に足し算して新しいDateTimeクラスオブジェクトを作るという強引な実装になった。
したがって、このプログラムは入力の段階では2038年問題の影響から抜け出せていない。入力を受け付けないようになっているので、2038年以降生まれの人は諦めてほしい。
- ■2016-10-17
- なぜ鏡は左右反対にうつるのか
たとえば「鏡はどうして左右反対にうつるのか?」だ。
まず俺は以前述べたとおり、左右という概念をまったく信用していない。この3次元宇宙において極めて主観的なこの概念を、他者とのコミュニケーションに常用している惑星があるときいて首を傾げつつ生活している。娘氏にはこのような疎外感を味わって欲しくはないが、左右という概念に大きな欠陥があることは自覚していてほしい。
そのような立場としては「別に左右反対にうつってなどいない」と答えるのが第一であろう。鏡は手前と奥を反転しているのであり左右反転したと思っているのはたまたま左右対称につくられた人類の浅薄なる発想にすぎない。もし人類がシオマネキのごとく巨大な右腕を持つ生物であれば、巨大な右腕のほうを「右」と定義したはずであり、それは鏡を見ても揺るぎない定義であろう。
また、左右反転したと思っているのは地球の重力に引かれ、地上を這うばかりの古い地球人の浅薄なる発想にすぎない。天井に張り付けられた鏡を見上げて、こう、右腕を上に突き出したとき、あれこっち右腕か?えーたぶんそうだな、右腕だ。その場合、天井の鏡の中のお前は左腕を上げているのか?
鏡張りの床の上にミニスカのお嬢さんが立ち、侮蔑的な嘲笑を浮かべてお前を見ながらゆっくりと左足を上げたとき、お前が凝視している床の鏡の中のお嬢さんは右足を上げているのか?そんなわけはない。おい全然娘に説明するシチュエーションじゃねえぞ。
たとえ話はともかく、「鏡が左右を反転したと思っているのは人類の錯覚。左右はその程度の概念」ということがうっすらとでも伝わることを願うばかりだ。
ところで、こういう風にまず「本当に左右が反転しているのか?」と根幹を問い返すパターンはけっこう汎用性があるのではないだろうか。定義を確認しているうちにクレバーな解答を探す時間を稼ぐのだ。「質問を質問で返すなあーっ!!」と言われそうだが、その場合俺のジョジョ教育が成功している世界線なのでそれはそれでいい。