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◆不定期日記ログ◆

LOG 2021-03

■2021-03-06
ファイナルファンタジー15
 ここんとこめちゃめちゃ長文を書いていたので、全4回に分けて放出していこうと思います。
FF15日記
http://one.cside.to/flat/docs/ffxv01.html
 関係ないけど、仮面ライダーエグゼイドにおいて「なぜ宝生永夢が適合手術を受けずにエグゼイドに変身できたのか」というのは序盤の結構重大な謎なんですけど、それが明かされるシーンの役者さんの怪演および過剰な演出によってネタとして広まってしまい、未視聴者でもその理由を知っているというのはけっこう酷い事故だと思うんですよね。
 全然関係ないけどそんなことを思いながらプレイしました。
 
■2021-03-13
デトロイトビカムヒューマン
 FF15と平行して、2038年のデトロイトに行っていました。
#DetroitBecomeHuman #PS4share
Detroit: Become Human

 これは機械と人間の共存を描いた『仮面ライダーゼロワン』の放送時にその名前を聞いてちょっと気になっていたゲームで、このたびワイフが廉価版を買ってきたので内容もよく知らずに手を出してしまったのでした。

 どんなお話なのかPVの範囲で説明すると、人工知能搭載人型ロボ「アンドロイド」が様々な仕事をサポートする新時代に、にわかにシンギュラリティして仕様にないことを行う「変異体」が現れ始め、そういった変異体の犯罪に対して、AIテクノロジー企業に作られた若き刑事アンドロイドが、人々の安全を守るため、今飛び立つ! というところからスタートします。

 操作できる主人公は3人で、全員がアンドロイドであることが最大の特徴です。アンドロイドなのでクエスト目標とかをARでそのへんの景色に投影できてしまうんだ。便利。
  • コナー:アンドロイド犯罪を捜査するためのアンドロイド。公務に就いているため死んでもバックアップから復活する。アンドロイド嫌いの不良警部補ハンクと濃厚なバディ関係を築いていく。冷徹に任務をこなす機械でいくか、シンギュラリティするかは選択次第。
  • マーカス:老画家の介護をしていたアンドロイド。全てを失いシンギュラッたのち、アンドロイドの人権を求める運動を開始する。平和的デモの指導者となるか、滅亡迅雷netのようなテロリストになるかは選択次第。
  • カーラ:家政婦アンドロイド。父親に虐待される娘アリスを想うあまりシンギュラリティに達し、アリスとともに家を出て逃避行を始める。選択次第であっさり死んで終わりになるので注意が必要。さすがに子どもは撃たれないでしょと思ったら普通に撃たれて死んだときは真顔になったよね。
 これら3人がデトロイトで何をしたかが時系列順に語られていきます。シナリオは選択肢や行動によってバリバリに分岐していき、キャラクターの生死や好感度によって様々な結末が用意されています。
 章や各チェックポイントに戻ってやり直す機能はありますが、公式はやり直しを推奨していません。とはいえ、たとえ主人公が死んでもお話が進んでしまうので、そういう事態のときはさすがにやり直したほうが良いと思います(復活できるコナーを除く)。
 クリアしたあとワイフと結末について話した際に、同じゲームをしたはずなのに「なんでそいつ生きてんの!?」「逆に何で死んでんの!?」みたいにまったく話が合わなくて笑いました。俺が再序盤で死なせたキャラに最終話にポッと出番があったらしいとかマジかよ。
 AIが真の意味で人工知能となり、権利を主張し始めたら……という話は『ゼロワン』でも描かれましたし、それを黒人の奴隷解放運動と重ね合わせる形は『Fallout4』でやったのでなじみ深くてよかったです。


#DetroitBecomeHuman #PS4share
 ゲームとしては上記のマルチシナリオを軸としたアドベンチャーです。そしてそれは旧世代のテキストと選択肢を軸としたものと異なり、ほぼ海外ドラマなグラフィックの中で、行動と選択肢によって進んでいきます。そのためアドベンチャーゲームに必須な「バックログ」とか「次の選択肢までスキップ」とかが存在しません。このへんも公式がやり直しを推奨していない理由ではないかと思います。

#DetroitBecomeHuman #PS4share
 そしてアンドロイドである主人公たちに我々が感情移入するため、「行動と選択肢」は大量のQTEによって行われます。QTEのオバケみたいなゲームです。まあ入力を待ってくれるQuickでないものがほとんどではありますが、待ってくれないやつほど成否が重要な分岐につながりがちなので気が抜けません。
 QTEで要求されるものは各ボタンのみならず右スティックやタッチパッド、ジャイロまで多彩であり、難易度の高いものはメチャ高いです。苦手な人は素直に簡易モードに切り替えましょう。無茶な格闘戦でも負けなくなります。

 しかしこのマシマシに盛られたQTEで主人公に感情移入していると、思わぬ不都合が生じます。主人公同士が顔を合わせる機会が何度かあるからです。
 たとえば、逃亡するカーラを逮捕しようとするコナーがいて、この両者を交互に操作するような事態になったら、プレイヤーはどっちに感情移入すればいいのでしょう。混乱した俺はそのうち「この役はこういう受け答えをしたほうが視聴者のウケがいいだろう」という、監督ないしは脚本の立場で選択肢を選ぶようになりました。
 最終的にカーラは凍りつく河で悲劇的なラストシーンを迎えましたが、観客が「泣ける!」と言ってくれそうなのでこれはこれで良しとしています。


 余談ですが俺はカーラ編の序盤で「L1」と「R1」のQTEを間違えたせいで人間でないことを見破られ、逃走の末ハイウェイに追い詰められて轢殺されました。デトロイトでは左右の区別がつかない者は人間扱いされないのです。左右盲だって生きている! 左右盲を差別するな! 左右盲に権利を! 左右盲に自由と平等を!
 
■2021-03-17
テキストサイトの亡霊
 ふとしたはずみでピース又吉氏の『第2図書係補佐』を読んだ。芥川賞の『火花』も以前読んだが、初めての単著ということなのでそれより古い文章なのだろう。

 内容は本の紹介・解説と見せかけて、その本の内容に触発された自分の話を2ページほど綴り、最後に一段落だけ本の内容に触れるという形式のエッセイ集になっている。夏休みの読書感想文としてこういう文を書いて提出してやりたかった。しかし人生経験の少ない小中学生がこの形式を真似するのは難しいだろう。

 そういうわけでこれはほぼエッセイなのだが、読んでいるうちにとても懐かしい気持ちがこみ上げてきた。
 それは10年前に出版された本だからという理由ではない。
 又吉氏の少年時代の話が多数出てくるからという理由でもない。
 うまく表現できないが、内容ではなく、文体というか、語り口そのものが猛烈に懐かしい。なぜか実家のような安心感がある。この感覚は……出版された10年前よりもっと前……。


 20年くらい前、こういうエッセイを綴るタイプの日記サイトが確かにあった。白背景にグレーの文字で、フォントサイズは小さかった。画面の端にワンポイントでオシャレな画像が固定されていたりした。テキストサイトを雑に「白」と「黒」に分けるとすると「白」のほうのサイトだ。この説明でこの感覚を理解できる人はそれほどいないだろう。ちょっと待って欲しい。いま脳内に浮かんでいる画像を生成するから……こんな感じで……。
コジャレ系テキストサイト
こういう感じのサイト
 これで「あったあった~!」と思ってくれる人がいるのだろうか。情報量はあまり増えていない気がする。

 これは決して又吉氏が素人っぽい文章を書いているということではなく、実際に「白」のタイプのテキストサイト管理人の中からプロの小説家になった人が何人かおり、そのせいで文学的な素養をこういうサイトデザインに結び付けて考えてしまっている俺のほうに異常性がある。(逆に「黒」のほうはライターになる人が多かった? 今とても雑な印象で雑な語りかたをしている。真に受けないで欲しい。)
 実際、サイトデザインと文章はまったく関連がないはずだ。だがなぜか、文化人の短いエッセイを読んでいるとき、俺の脳裏にはこういうレイアウトが浮かんでくる。テキストサイトの亡霊だろう。成仏してほしい。