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◆不定期日記ログ◆

■2021-03-17
テキストサイトの亡霊
 ふとしたはずみでピース又吉氏の『第2図書係補佐』を読んだ。芥川賞の『火花』も以前読んだが、初めての単著ということなのでそれより古い文章なのだろう。

 内容は本の紹介・解説と見せかけて、その本の内容に触発された自分の話を2ページほど綴り、最後に一段落だけ本の内容に触れるという形式のエッセイ集になっている。夏休みの読書感想文としてこういう文を書いて提出してやりたかった。しかし人生経験の少ない小中学生がこの形式を真似するのは難しいだろう。

 そういうわけでこれはほぼエッセイなのだが、読んでいるうちにとても懐かしい気持ちがこみ上げてきた。
 それは10年前に出版された本だからという理由ではない。
 又吉氏の少年時代の話が多数出てくるからという理由でもない。
 うまく表現できないが、内容ではなく、文体というか、語り口そのものが猛烈に懐かしい。なぜか実家のような安心感がある。この感覚は……出版された10年前よりもっと前……。


 20年くらい前、こういうエッセイを綴るタイプの日記サイトが確かにあった。白背景にグレーの文字で、フォントサイズは小さかった。画面の端にワンポイントでオシャレな画像が固定されていたりした。テキストサイトを雑に「白」と「黒」に分けるとすると「白」のほうのサイトだ。この説明でこの感覚を理解できる人はそれほどいないだろう。ちょっと待って欲しい。いま脳内に浮かんでいる画像を生成するから……こんな感じで……。
コジャレ系テキストサイト
こういう感じのサイト
 これで「あったあった~!」と思ってくれる人がいるのだろうか。情報量はあまり増えていない気がする。

 これは決して又吉氏が素人っぽい文章を書いているということではなく、実際に「白」のタイプのテキストサイト管理人の中からプロの小説家になった人が何人かおり、そのせいで文学的な素養をこういうサイトデザインに結び付けて考えてしまっている俺のほうに異常性がある。(逆に「黒」のほうはライターになる人が多かった? 今とても雑な印象で雑な語りかたをしている。真に受けないで欲しい。)
 実際、サイトデザインと文章はまったく関連がないはずだ。だがなぜか、文化人の短いエッセイを読んでいるとき、俺の脳裏にはこういうレイアウトが浮かんでくる。テキストサイトの亡霊だろう。成仏してほしい。