◆不定期日記ログ◆
LOG 2020-03
- ■2020-03-19
- 5歳児とMinecraft
ここのところ仕事が忙しく、かつコロナウイルスの惨禍によって『グラップラー刃牙』『らんま1/2』などの文化財が無料公開されていることもあって、まったく日記を記録するヒマがなかった。特にインターネット3大必修科目の一角であった『刃牙』(あと2つはジョジョとカイジ)を履修できたのは明らかに文化レベルが上がる出来事だった。
さて、そんなコロナウイルスの惨禍によって外出が著しく制限されるご時世なので、我が家の5歳児がマインクラフトを始めた。
前にコントローラーを渡したときは、視点変更のための右スティックに指が届きづらく、したがってマトモなプレイもままならない状態だったが、ここに来て急に興味の矢印が向いたのか、それとも敵が出ないクリエイティブ・ピースフルの存在を教えたからか、メキメキと操作が向上し始めた。
クリエイティブモードで空を飛ぶのは非常にラクチンだが、好き勝手に飛んでいってしまって迷子になるので、素材を出すだけ出したらサバイバル・ピースフルにして遊ぶ方針に変更した。
最初は無限に卵を割って大量のニワトリをばらまいて大笑いするだけだった娘氏も、ご両親のアドバイスを受けつつ家らしい家を建てることができるようになっていった。
肝心のベッドが外にあるだろ 現在は建物そのものよりも、額や植木鉢で室内を飾る方にご執心のようだ。それにしても「木は最後まで伐採する」といった基本姿勢を伝えただけで、別に教えてない「そのときジャンプして足元に土を置いて垂直移動すると楽」みたいなこともご両親のプレイから見て盗んでしまう吸収の速さには驚かされている。
ちょっと目を離したらトロッコの乗り方や馬の扱い方も身に付けていた。この調子でいつか敵の出るサバイバルを体験して欲しいが、5歳児は水中で減りゆく空気ゲージすら恐れているのでしばらくは難しいと思う。
さて、そんなコロナウイルスの惨禍によって外出が著しく制限されるご時世なので、我が家の5歳児がマインクラフトを始めた。
前にコントローラーを渡したときは、視点変更のための右スティックに指が届きづらく、したがってマトモなプレイもままならない状態だったが、ここに来て急に興味の矢印が向いたのか、それとも敵が出ないクリエイティブ・ピースフルの存在を教えたからか、メキメキと操作が向上し始めた。
クリエイティブモードで空を飛ぶのは非常にラクチンだが、好き勝手に飛んでいってしまって迷子になるので、素材を出すだけ出したらサバイバル・ピースフルにして遊ぶ方針に変更した。
最初は無限に卵を割って大量のニワトリをばらまいて大笑いするだけだった娘氏も、ご両親のアドバイスを受けつつ家らしい家を建てることができるようになっていった。
肝心のベッドが外にあるだろ
ちょっと目を離したらトロッコの乗り方や馬の扱い方も身に付けていた。この調子でいつか敵の出るサバイバルを体験して欲しいが、5歳児は水中で減りゆく空気ゲージすら恐れているのでしばらくは難しいと思う。
- ■2020-03-26
- 進化する品詞
「屈託のない笑顔」の「屈託」って何?
出身高校は? 家族構成、恋人は? 調べてみました!
あー……フゥーム……なるほどね……
いかがだったでしょうか! ググれば一撃で出てくるので俺は別段その結果をここに書き記したりはしない。それは辞書サイトの仕事であって俺の役割ではない。
ここで問題にしたいのは、我々は「屈託」のことを「笑顔にないもの」としか認識していないということだ。「屈託がある」という状況を我々は日常で想定していない。存在の否定である。
我々が屈託の存在を認識してあげないと、屈託は名詞としての意義を失い、「くったくない」という形容詞に成り果ててしまうのではないか。環境省レッドリストで「野生絶滅(EW)」に指定されてしまうのではないか。
何を大袈裟なと思われるかもしれないが、我々は小野妹子の時代から「つつがなく~」という形容詞を使う。しかし誰も「つつが」の意味を知らない。
「つつがない」の語源としては「つつが(病気・災難)がない」というのが有力らしい。つまり「つつが」は「つつががある」という状態を否定され、名詞としては絶滅し、いまや形容詞の一部に成り果ててしまったのだ。
しかしこれは「絶滅」にたとえるべき事態ではないかもしれない。前向きに「進化」だと捉えることもできる。
我々はよく記憶がおぼつかなかったりするが、この「おぼつかない」は形容詞なので、その逆の状態を「おぼつく」とは言わない。
国語の授業っぽくいうと、この活用は「おぼつかなかろう/おぼつかなかった/おぼつかない/おぼつかないとき/おぼつかなければ」であって、「おぼつかない/おぼつきます/おぼつくとき/おぼつく/おぼつけば/おぼつけ」ではない。
だが、おぼつかない状態が解消されたことを「おぼつく」と言ってもなんとなく通じてしまう。
我々は「~ない」で終わる言葉が形容詞か動詞かを区別する方法として「ぬ」に置換することを習った。「おぼつかぬ」という言い方に違和感を覚える人は何割くらいいるだろうか?
これはつまり「おぼつかない」が動詞に進化しつつあることにほかならない。「ほかならない」はどうだ? どっちでもいい。「屈託がない」も、そのうち「くったくない」という形容詞になり、「くったく」という動詞に進化するのかもしれない。
ところで人の夢と書いて「儚い」だが、これは「果敢無い」とも書くらしい。これも勇猛果敢な感じがないことから生まれたのだろうか。だが動詞に進化すると「はく」になってしまうので、これ以上は進化しないでもらいたい。
出身高校は? 家族構成、恋人は? 調べてみました!
あー……フゥーム……なるほどね……
いかがだったでしょうか! ググれば一撃で出てくるので俺は別段その結果をここに書き記したりはしない。それは辞書サイトの仕事であって俺の役割ではない。
ここで問題にしたいのは、我々は「屈託」のことを「笑顔にないもの」としか認識していないということだ。「屈託がある」という状況を我々は日常で想定していない。存在の否定である。
我々が屈託の存在を認識してあげないと、屈託は名詞としての意義を失い、「くったくない」という形容詞に成り果ててしまうのではないか。環境省レッドリストで「野生絶滅(EW)」に指定されてしまうのではないか。
何を大袈裟なと思われるかもしれないが、我々は小野妹子の時代から「つつがなく~」という形容詞を使う。しかし誰も「つつが」の意味を知らない。
「つつがない」の語源としては「つつが(病気・災難)がない」というのが有力らしい。つまり「つつが」は「つつががある」という状態を否定され、名詞としては絶滅し、いまや形容詞の一部に成り果ててしまったのだ。
しかしこれは「絶滅」にたとえるべき事態ではないかもしれない。前向きに「進化」だと捉えることもできる。
我々はよく記憶がおぼつかなかったりするが、この「おぼつかない」は形容詞なので、その逆の状態を「おぼつく」とは言わない。
国語の授業っぽくいうと、この活用は「おぼつかなかろう/おぼつかなかった/おぼつかない/おぼつかないとき/おぼつかなければ」であって、「おぼつかない/おぼつきます/おぼつくとき/おぼつく/おぼつけば/おぼつけ」ではない。
だが、おぼつかない状態が解消されたことを「おぼつく」と言ってもなんとなく通じてしまう。
我々は「~ない」で終わる言葉が形容詞か動詞かを区別する方法として「ぬ」に置換することを習った。「おぼつかぬ」という言い方に違和感を覚える人は何割くらいいるだろうか?
これはつまり「おぼつかない」が動詞に進化しつつあることにほかならない。「ほかならない」はどうだ? どっちでもいい。「屈託がない」も、そのうち「くったくない」という形容詞になり、「くったく」という動詞に進化するのかもしれない。
ところで人の夢と書いて「儚い」だが、これは「果敢無い」とも書くらしい。これも勇猛果敢な感じがないことから生まれたのだろうか。だが動詞に進化すると「はく」になってしまうので、これ以上は進化しないでもらいたい。
- ■2020-03-29
- 娘氏語録年度末
- 娘氏「たべすぎに注意よ。たべすぎるとお腹がふんぱつしてハレツしちゃう。」
- 娘氏「画家になりきって絵をかくことを、どしゃっていう。」
ぼく「……模写?」
娘氏「そう。もしゃっていう。」 - 娘氏「テレビがすなじごくにかかると、ビリビリってなっちゃう」
ぼく「砂嵐ね。……どこで見たんだ砂嵐!?」 - お絵かきを終え、「アイチャンの絵だいすき勢は、こちらにご覧くださーい」とご案内する娘氏。
- 娘氏「おかあさんがおでかけのあいだ、おうちでレジンしようよ」
ぼく「えーでもパパだけじゃレジンの固め方がわからないよ」
娘氏「だいじょうぶ。おしえてあげるから。わたしはレジンの神よ」
ぼく「レジンの神か」 - ぼく「石のベンチあったかいな」
娘氏「太陽系のちからね」 - お山の実家周辺のアップダウンの激しい道を見て「ここの道路エキサイトバイクみたい」とたいへんシツレイなことを言う娘氏。
- ポケモントレーナーぼく「公園によってくよ」
娘氏「またロケット団?」
ぼく「そういうこと」
娘氏「しつこいやつらめ~~」 - 娘氏「右手と左手、どっちに入ってるでしょうか!」
ぼく「左手だな」
娘氏「見抜くの禁止ってルールなんだけど」
ぼく「禁止なのか……」 - 娘氏「パパー調子がわるいならわたしがヨーグルト食べてるとこ見る?」
- 一人で勝手に紅茶のティーバッグを取り出してコップに水道水を注ぎ、水出し紅茶をご両親にふるまう娘氏。そしてコップ1杯につきティーバッグを1つ使い捨てるので紅茶をふるまうのを禁止される娘氏。
- 娘氏「シャンプーとリンスにはせいかくがあるんだって」
ぼく「どんな性格?」
娘氏「シャンプーは元気でごはんもいっぱい食べる。リンスはいつもリラックスタイム」
ぼく「じゃあパパのリンスインシャンプーは?」
娘氏「リンスインシャンプーはずっと持ってると幸せになれる」
ぼく「やったぜ」 - 娘氏「ガムはガムでもべたべたするガムはなーんだ!」
ぼく「??」
娘氏「答えはチューインガム」
ぼく「???」 - 娘氏「わたしは昔、圧倒的なレディーだった」
ぼく「そうだったのか」
娘氏「そしてロシア人でした」
ぼく「……? ハラショー……」 - ぼく「朝ごはん何食べたい?」
娘氏「なんでもいいけどおすすめはお海苔巻」
ぼく「そうか」
[すくすくのおもいで]
娘氏が突然「わたしゲーム考えたの。メイクオブオナーっていうんだけど」というので詳しくヒアリングした。
「主人公はおんななんだけど、なまえがつけられる。でも自分のなまえはつけられない。」
「メイクオブオナー・オープン! っていうと箱からメイクのおみせが出てくる。」
「あとお洋服をかえたり、いろいろアクセサリーがあるの。マニキュアとか香り玉も。」
「お客さんがきて、メイクのものを売ってくださいって言ったら、どうぞって言ってとうろくしないといけない。」
「レベルが100まである。」
「1000になると……ゲームがおわる。」
いちばん謎だったタイトルの由来については、『グレーテルのかまど』でメイズオブオナーというタルトを扱っていたことに影響されたという説が有力です。