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◆不定期日記ログ◆

■2020-03-26
進化する品詞
 「屈託のない笑顔」の「屈託」って何?
 出身高校は? 家族構成、恋人は? 調べてみました!

 あー……フゥーム……なるほどね……

 いかがだったでしょうか! ググれば一撃で出てくるので俺は別段その結果をここに書き記したりはしない。それは辞書サイトの仕事であって俺の役割ではない。


 ここで問題にしたいのは、我々は「屈託」のことを「笑顔にないもの」としか認識していないということだ。「屈託がある」という状況を我々は日常で想定していない。存在の否定である。
 我々が屈託の存在を認識してあげないと、屈託は名詞としての意義を失い、「くったくない」という形容詞に成り果ててしまうのではないか。環境省レッドリストで「野生絶滅(EW)」に指定されてしまうのではないか。

 何を大袈裟なと思われるかもしれないが、我々は小野妹子の時代から「つつがなく~」という形容詞を使う。しかし誰も「つつが」の意味を知らない。
 「つつがない」の語源としては「つつが(病気・災難)がない」というのが有力らしい。つまり「つつが」は「つつががある」という状態を否定され、名詞としては絶滅し、いまや形容詞の一部に成り果ててしまったのだ。


 しかしこれは「絶滅」にたとえるべき事態ではないかもしれない。前向きに「進化」だと捉えることもできる。

 我々はよく記憶がおぼつかなかったりするが、この「おぼつかない」は形容詞なので、その逆の状態を「おぼつく」とは言わない。
 国語の授業っぽくいうと、この活用は「おぼつかなかろう/おぼつかなかった/おぼつかない/おぼつかないとき/おぼつかなければ」であって、「おぼつかない/おぼつきます/おぼつくとき/おぼつく/おぼつけば/おぼつけ」ではない。


 だが、おぼつかない状態が解消されたことを「おぼつく」と言ってもなんとなく通じてしまう。
 我々は「~ない」で終わる言葉が形容詞か動詞かを区別する方法として「ぬ」に置換することを習った。「おぼつかぬ」という言い方に違和感を覚える人は何割くらいいるだろうか?
 これはつまり「おぼつかない」が動詞に進化しつつあることにほかならない。「ほかならない」はどうだ? どっちでもいい。「屈託がない」も、そのうち「くったくない」という形容詞になり、「くったく」という動詞に進化するのかもしれない。


 ところで人の夢と書いて「儚い」だが、これは「果敢無い」とも書くらしい。これも勇猛果敢な感じがないことから生まれたのだろうか。だが動詞に進化すると「はく」になってしまうので、これ以上は進化しないでもらいたい。