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◆不定期日記ログ◆

LOG 2011-01

■2011-01-01
新年と猫竜巻と長老
 バッ謹賀ム新年!!
 スゲーッ爽やかな気分だぜ。
 やっぱ正月元旦の朝は新しいパンツに限るな。
 初日の出から貰ったエネルギーが、今年のパンツの活力になるんだ。


 さて、せっかく実家にいるのでねこ様の写真でも掲載しておこう。
 Pさんは基本的にストーブの前でゴロゴロしている。
 体毛が黒いのでものすごい暖かくなる。
 本人も最高に気持ちいいらしく、どんどん寝相が悪くなっていき、最終的には、
ねこたつまき
だいたいこうなる。
 おかしい、上半身と下半身の接続が間違っている。
 自然にこうなるということは、こっちが自然体なんだ。
 おそらく神様がまちがえてこういうふうに作ってしまったんだろう。

 一方、Pさんにストーブ前を奪われてしまったえも子は、
チェシャ猫
樹上にいた。
 おまえはチェシャ猫か。

 こんなねこ様と当サイトをよろしくお願いいたします。
 
■2011-01-04
出勤したが職場が開いてなかった件
┌────────────┐
.| 4日から             |
└────────────┘
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 もしかして: 4日まで
 
■2011-01-07
何とか戦隊何とかジャー
 次の戦隊モノは「ゴーカイジャー」というらしい。
 今はゴセイジャーで、その前はシンケンジャーだ。

 ちょっとまて、「レンジャー」という言葉はもう使われないのか?
 その「ジャー」は何なんだ!?
 と、浅はかなツッコミをしかかったので、過去の戦隊名を少し調べてみた。
 関係ないが、知らない戦隊の主題歌を覚えてカラオケで歌うことは俺の趣味の一つだ。


 1975年のゴレンジャーが有名なので意外な感じがするが、1989年のターボレンジャーまで「~レンジャー」という戦隊は登場せず、戦隊名といえばダイナマンやチェンジマンのように「~マン」が主流だった。
 ジュウレンジャーやカクレンジャーなどがボコボコ出てくるのは90年代になってから。
 戦隊モノといえば○○レンジャー、というイメージは、けっこう最近になって植え付けられたものなのだ。 

 だが、こうして定番になった「レンジャー」は、早くも2002年にハリケンジャーによって「エンジャー」となり、2008年のゴーオンジャーで「ンジャー」に、そして2010年のゴセイジャーによって「ジャー」まで削られ、現在に至る。

 ではこの「ジャー」には何の意味があるのか。
 絞りカスになってしまった「ジャー」を不憫に思ったか、ゴセイジャーには「護星者」と漢字が当てられている。
 「ジャー→ジャ→者」ということらしい。
 英語の「~er」(この場合は~ger)と日本語の「○○者」の語感と意味が似ているのは、語感原理主義の考え方としては当然のことなので、納得するしかない。

 こうなると、遡って「真剣者」や「冒険者」という表記も考えられるので、ひとまずツッコミに対する防衛は可能だ。
 漢字のルーツを持たないハリケンジャーを集中的に批判すべきだろう。 


 それにしてもシンケンジャーの人気はいまだ根強いと聞く。
 東映のもつ時代劇のノウハウが生きたのだろうか。
 いっそのこと国民的時代劇・水戸黄門をモデルにして「最強戦隊ダイオウジャー」とかを作れば……

 と思ったが「最強ロボダイオージャ」はサンライズであった。
 無念である。
 
■2011-01-12
ユニバーサルパーキング
 「前向駐車」と書かれた看板のある駐車場に入った。
 駐車場にある車の向きは、バラバラだった。

 いつも困るのだが、この看板、何に対して前向きに駐車するのかが指示されていない。
 「近隣家庭のため~」「植栽保護のため~」などの前置きがあれば、「ああ、あちらに排気ガスを向けてはいかんのだな」と納得して、頭からつっこむ。
 そうでない場合は「バックして駐車場に入れるのが上手くなりたいという気持ち」に対して前向きな駐車をすることにしている。
 頭から駐車場に入るのは楽ちんだが、バックして駐車場から出るのは面倒なうえ危ないからだ。


 しかしこの看板、わかりにくいとの声も多かろうに、よく見かける。
 そしてたいてい守られていない。
 見やすく漢字4文字にまとめたつもりなんだろうけど、エレベータの「開/閉」ですら記号化されて意味不明になるこの大国際時代に何を考えているのか。

 記号を併用すべきだ。
 外国人にもわかる「こちらを向いて駐車せよ」という看板をつくらなければいけない。 
 そしてそれは日本人にとっても明確なものでなければならない。

 そんなユニバーサルな「前向駐車」の看板を考えてみた。
コッチヲ見ロォ
後ろ向き厳禁
 これなら入れる方向を間違う奴はいるまいよ。
 
■2011-01-13
サガ3時空の覇者
 「サガ3」のリメイク版が発売されて、
 店頭でトレーラームービーを観てた、というか聴いてたんだけど、
 音楽が当然のようにラスボス戦だった。

  シリューは電撃ムチでソールをこうげき
  ソール「もっと!もっとダメージを与えるのだ!」

  シリューは電撃ムチでソールをこうげき
  ソール「もっと!もっとだー!グヘッ……いかん、意識が……」

 みたいな風景が脳内によみがえってきた。
 ちょっ……やめてよネタバレ!

 しかし公式サイトで聴ける音楽のアレンジが予想以上に良い。
 笹井さんの楽曲は「ルドラ」みたいにハードになってるし、かなりロックよりにイトケンの手が入っていて、GFDMのイトケン曲みたいだ。
 03とか21のルドラっぽさがたまらん。本当はこういう曲だったんだなあ!
 そして22のドラムがどえらいことになってる。もはや手が付けられない。

 ……じゃ、CDだけでも買ってくるか!!(ゲームはやるヒマありません)
 
■2011-01-20
これだから田舎は
 3時に早退した僕と、5時に退社した先輩と、8時まで残業した上司が、
 9時にファミレスで顔を合わせるという事件が起こりました。

 何がファミリーレストランだ、これじゃ職場じゃねーか。
 
■2011-01-25
虚偽記憶
 まったく物忘れがひどくて困る。
 注意力も3万だ。(標準は53万)
 毎日、メガネや鍵や財布やケータイが俺の時間を奪うのだ。
 自分の脳に絶望して、つい記憶についての本を手にとっていた。

 読んだのは「なぜ、『あれ』が思い出せなくなるのか」(日本経済新聞社)と「記憶はウソをつく」(祥伝社)の二冊。
 人間の記憶のメカニズムについて、おぼろげながら輪郭を見せてくれる本だ。


 脳は、すごくおおざっぱにデータを蓄えている。
 記憶に残っている鮮明な風景も、それは決してハードディスクに保存された画像のようなものではなくて、追想するたびに脳内のコラ職人が素材を寄せ集めて作り出しているのだ。
 使わない素材はどんどん存在が薄れていくし、そのときの気分によって使われる素材が違ったりもする。定番の素材でもどこに保存したかわからなくなることがあるし、そもそも素材を保存しそこねてたりする。
 ……このコラ職人のたとえは今俺が勝手に作ったので不正確かもしれない。
 とにかく記憶は、脳が、つじつまが合うように作ってるのだ。
 そのアバウトなコラ技術が、数々のエラーを生んでいる。

 「記憶はウソをつく」のほうでは、この脳のエラーがどれだけの冤罪(偽の目撃情報、偽の自白)を作り出したかが語られており、恐ろしいことこの上ない。
 捜査官との会話の中で犯行の状況を想像すると、それが素材となって虚偽記憶がすくすく成長するのだ。
 詳しくは「虚偽記憶」などで検索するといいけど、他人に「幼いころ自分はショッピングモールで迷子になった」という偽の記憶を植えつけてみる実験が、25%の人で成功したとのこと。
 誘導尋問的に攻めれば、記憶すら捏造されてしまうこんな脳みそじゃポイズン!


 つまり、俺が幼少のころ電車に向かって「バスー!!」と叫んだというロックな出来事は、アレは両親から植えつけられた虚偽の記憶である可能性があるな。
 記憶に残っていても記録に残っていなければ大丈夫!
 この調子で自分の黒歴史をなかったことにしていくのだ!
 
■2011-01-27
つかいきろう△◯☓☐
 思い立ってから2週間くらい悩んでたけど、PS3を買ってきました。
ファファファ
意外とでかいな!
 目的は地デジ番組の録画。すなわちトルネです。
 3万ちょいでブウレィ再生環境まで実装できるなんてステキ。
 余ってるHDMI端子もこれでようやく活躍できます。

 さてこのトルネ、録画の機能は最低限ですが、
 インターネットを利用した機能がいろいろついてます。
 特に、Twitter上の#nhkのハッシュタグを表示したりできる機能は驚愕しました。
 これラピュタとか放送してるときはどうなるんだ……!


 えっと、そんなわけで、PS3がいま手元にあるんですが、
 これ、なんか録画しながらゲームができるらしいんですよ。
 ……何もやる予定ないんですが、どーしたらいいんですかね。
 
■2011-01-30
ぶっちゃけありえない
 ワイフが観始めたので共に観ていた『ハートキャッチプリキュア!』が最終回を迎えた。
 ひとつのアニメを最後まで観るのは何年ぶりだろう? おそらくモンタナジョーンズ以来だから15~16年ぶりか。
 たいへん面白いアニメであった。

 ヒーロ-的パターンシナリオと、青い子のウザカワっぷりと、なぜかDB改より緻密な格闘描写に惹かれて観続けていたわけだけれど、普段から少年漫画的価値観にどっぷりだった俺にとっては新鮮な世界だった。


 主人公のピンクの子は、初変身時から「最弱のプリキュア」と呼ばれ、第3話で変身した青い子と比較しても圧倒的に戦力で劣っており、第4話で早くも「足手まとい」と自覚するほどであった。

 こういう主人公はすごい潜在能力を持ってるのが常識だ。
 普段守られる立場にいる奴がもっとも大きな力を秘めている。
 たしかセーラームーンも最初のころは格闘がからっきしだった気がする。

 しかしピンクの子は一向に覚醒しなかった。
 そもそもメガネの園芸部がスポーツ万能の青い子に勝てるはずがないのだ。
 さらに3人目の黄色い子はガチ武道家のインファイターだし、4人目のゆりさんは3歳年上のベテランプリキュアだ。こいつらの中で最弱から抜け出すにはそうとうの説得力が必要だろう。

 終盤、ひとりひとりに与えられた「自分の影と戦う」修行においても、ピンクの子は影に「あなたは変われない」とさんざんネガティブ突っ込みを受け、制限時間いっぱいでのクリアであった。
 一方青い子は「基本的に自分大好きだから」という理由で一抜けしていた。

 そんなんだから最後の戦いでも、他の3人が幹部をソロ撃破する中で、ピンクの子は妖精を囮に使ってまでしても幹部に一撃ぶちこむので精一杯だったのだ。
 明らかに最弱として描かれている。
 「わたしはチェンジしたんです!」とは言うものの、最弱は揺るがなかった。

 そこで最終話が「みんなの心をひとつに! 私は最強のプリキュア!!」ときた。
 なんだなんだ、最終話にしてチート能力覚醒か? と思っていたら、何のことはない、「私は」ではなく「私たちは」の間違いであった。
 ピンクの子は結局、単体の戦力としては最弱のまま終わったのだ。
 少年漫画的にはありえない話でありすごいカルチャーショックだ。


 ひょっとしたら「私たちは」を「私は」と言っちゃう図々しさこそが、「自分を変える」と言い続けてきたピンクの子の得たものなのかもしれない。間違いなく青い子から感染したものだと思うけど。