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◆不定期日記ログ◆

■2025-05-29
岸辺露伴がヴェネツィアに行ったこと
 「時」は今だッ!
 「場所」はここだッ!
 何が起ころうがそれは運命の一部だッ!

 露伴ちゃんが我々の受信料でアワビを密漁したあとしばらくして、「懺悔室」の映画化というニュースが我々の元に届けられました。
 「懺悔室」は岸辺露伴シリーズの全ての始まりで、「動かない」というタイトル通り、露伴ちゃんは教会で謎のイタリア人の懺悔を聞いているだけなんですよ。
 そこで問題です。露伴ちゃん以外の登場人物が全員イタリア人なんだけど言葉はどうする!?
3択――ひとつだけ選びなさい
①露伴ちゃんは以外は普通にイタリア語で演技し、セリフは字幕である
②小林脚本の力で懺悔する人が日本人になる
③高橋一生は荒木先生に「イタリア語がペラペラになる」と書き込まれて撮影に臨んでいる
 答えは②っぽいのですが、果たしてそう上手くいくか? でもまあ安心と信頼の小林脚本なので、なんだかんだで露伴ちゃん本人が呪われてエクストリームポップコーン投げをする羽目になるだろう、誰もがそう思って劇場に行くわけです。
 以降、原作「懺悔室」以上のネタバレは控えますが、一応折りたたんでおきましょう。
 そんな風に思っていたので、意外と早く原作通りの「懺悔室」が始まって面食らいました。それはそれとしてヴェネツィア美しすぎるな……。強いていえば最初に呪われる人が日本人に変更されてるくらいで(呪うほうの人は原作でも東洋人でした)、なんでヴェネツィアにそんなに日本人が……くそっヴェネツィア美しすぎるな……。とにかく「懺悔室」はちゃんと露伴ちゃんなしでやりきりました。

 なのでこの映画は「その後」を語る話になります。確かに原作では呪いそのものは何も解決していなかった……そこに露伴ちゃんが介入する余地がかなりあり、それに小林脚本が目をつけないわけがないのです。言われてみれば当たり前です。俺たちはポップコーンを喰う高橋一生の集団幻覚に囚われてそんな簡単なことにも気づいていなかった。

 「懺悔室」本体のダイナミックなトリックと比べると、この映画のオチはややシンプルではあります。しかし、「何でヴェネツィアで次々と日本人に会うんだ……?」という当然の疑問がねじ伏せられたことに対して俺は白旗を挙げた形です。最初に呪われたのが日本人だったのは悪霊が東洋人だったからで、そこに露伴ちゃんが絡んだのも偶然ではなかった。「上手く行きすぎている」ことには「理由がある」ッ!! ズルだろそれは……!
 それはそれとして、高橋一生は荒木先生に「イタリア語がペラペラになる」と書き込まれているのではないかというくらいなめらかにイタリア語をしゃべっていました。いやネイティブの発音とか知らんけど。つまり冒頭の3択はすべて正解です。完全――敗北だ――。

 なんかルーヴルのとき以上に「足音」が印象的な映画でした。プレステ1の頃のバイオハザードかっていうくらい足音が響きます。いい靴がいい床を踏んでいる音がする。くそっヴェネツィア美しすぎるな……。なんで「呪いの館と呼ばれ家賃が格安のアパート」が美術館みたいな内装なんだよ……。