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◆不定期日記ログ◆

CATEGORY 考察

■2015-12-22
ようかいしりとり攻略法
 子育てクラスタの皆様はご存じだろうか、『おかあさんといっしょ』の歌『ようかいしりとり』を。

 アップテンポでジャジーな音楽に合わせて、妖怪とようかいはかせが妖怪名でしりとりをしていく歌である。軽快なトラックとは裏腹に、出てくる妖怪名はかなりガチで、聞いたこともない奴がさらっと出てくるので驚かされる。

 この歌の中で、妖怪からようかいしりとりを挑まれたようかいはかせは、

■1番(VSろくろっ首)
ろくろっくび→びんぼうがみ→みつめこぞう→うみぼうず→ずんべらぼう→うまつき→きつねび→びじんさま→まくらがえし→しらぬい→いったんもめん(勝利)

■2番(VS座敷わらし)
ざしきわらし→しちほだ→だいだらぼっち→ちょうちんおばけ→けらけらおんな→なきばばあ→あまのじゃく→くらげのひのたま→まめだぬき→きむないぬ→ぬらりひょん(勝利)

(ようかいしりとり//横山だいすけ&三谷たくみ)
 ……と、作詞者のワザマエの光る鮮やかな連勝をおさめている。


 しかし俺は知りたい!
 ようかいはかせや妖怪たちは明らかに手加減をしている。歌の尺に合わせなければならないからだ。
 歌の都合は関係なく、互いに全力で勝ちを狙いにいったなら、はたしてようかいしりとりはどのような競技になるのか!


 まずは基本的なレギュレーションを確認しよう。
  • 使える単語は妖怪名しばり
  • 最初は自分の種族名からスタートする

 それに加えて、歌詞の中からは読み取れない部分を仮に決めておく。
  • 最後のオンビキ(ー)は削除して判定
  • 拗音「ゃ・ゅ・ょ」は「や・ゆ・よ」として判定
  • 「ジ・ヂ」「ズ・ヅ」は区別しない



 次に使える単語をリストアップしてみる。
 これがいちばん大変な作業であるが、俺は妖怪博士ではないので、今回はwikipedia「日本の妖怪一覧」を流用させて頂く。
 これは「wikipediaベースの知識でようかいはかせに勝てるのか?」という指針でもある。
 この一覧をざっとエクセルにコピペして、以下の補正を行う。
  • 読みが複数記載されているものは別々に登録
  • 「山姥(ヤマンバ・ヤマウバ)」など微妙な発音の違いのみで最初と最後の文字が変わらないものは区別せず登録
  • 「婆(ババ・ババア)」の読みが両方あるものは「ババア」に統一して登録

 そして最初の文字と最後の文字を抽出して考察を行う。



 ざっと見てまず目を引いた文字は「プ」である。
 プで始まる妖怪はいないが、プで終わる妖怪がいくつかいることが明らかになった。つまりこれらを使った瞬間、相手は使える言葉がなくなりゲームは終了する。
 
 プで終わる妖怪とは「イシネカプ」「イワコシンプ」「イワメテイェプ」「コシュンプ」「ヤウシケプ」「ルルコシンプ」の6種である。
 全部アイヌ語ではないか、アイヌ妖怪はアリなのか、という声が脳内を満たしたが、結論からいえばアイヌ妖怪の参戦はアリである。ようかいはかせ自らが「キムナイヌ」を使用しているからだ。

 したがって、今年お亡くなりになり見事に妖怪の仲間入りをしたと思われる水木しげる先生が、ようかいはかせの所へ行ってようかいしりとりを挑んだとしても、「ミズキシゲル」→「ルルコシンプ」で即死して終わる。まあ水木先生であれば「プ」で始まる妖怪をご存じである可能性もあるので断言はできないが。
 いずれにせよ我々のレベルでは、このアイヌ6妖怪に連なる「イ・コ・ヤ・ル」の文字で終わったら、次のターンで確殺されることは注意しておく必要がある。


 次に注目したいのは「ズ」だ。
 リストの中に、ズで始まる妖怪は「ズンベラボウ」しかいない。そのくせ、ズで終わる妖怪は歌詞にも出てくる「ウミボウズ」をはじめ、「アカボウズ」だの「クロボウズ」だの坊主系が各種取りそろえられていてかなり手厚い。その数なんと全26種類。ズで攻めるのはかなりお手軽で、かつ攻撃力が非常に高い。
 一度「○○ボウズ」を食らったら「ズンベラボウ」で耐えたとしても即座に「ウミボウズ」か「ウミナリコボウズ」でガードを崩される即死コンボが確定するため、相手に坊主系を使わせないよう立ち回る必要がある。

 となると、先ほどの「イ・コ・ヤ・ル」に加えて「アウオカクグケザシセタトドニヌノ」の16文字が一気に地雷ワードに加わる。
 ようかいはかせが本気なら、二戦目の座敷わらしなど開幕の「ザシキワラシ」を「シロボウズ」のカウンターで取ってからの10割コンボで終了しているのだ。同居人なので気を遣っているのだろう。

 ここまで地雷ワードが増えると、そこから芋づる式に地雷が増えていく。
 たとえば「ベ」で始まる妖怪3種はいずれも「ウ」か「ン」で終わるためこれも即死ルートへの道を開いてしまう。
 同様に「ラ」で始まる妖怪4種も末尾が「ウ・ニ・ル」なので致死である。
 「ベ」で終わる妖怪は6種しかないが、「ラ」で終わる妖怪は26種もいるので誘い出されないよう注意が必要だ。


 もう少し研究すればさらにコンボルートが増えると思われるが、この段階ですでに「ン」を含めて23文字が地雷と化した。用意した全データ1171種のうち571体、ゆうに49%が「使用した瞬間に死ぬ」ワードである。別の言い方をすれば、ようかいはかせにとってみれば約半数の妖怪が「戦った瞬間に勝ち確」というわけだ。
 さすがにそれは可哀相だろう、せめて最初の妖怪名くらいは選ばせてやるべきでは、とも考えたが、そうなると「じゃんけんで先攻を取ってルルコシンプをぶつけたほうが勝ち」というゲームになるのは確定的に明らか。妖怪図鑑を丸呑みするよりじゃんけんの腕を鍛えるべき、という結論になってしまう。


 よって、ようかいしりとりでようかいはかせに勝ちたいのならば、いきなり即死コンボをたたき込める妖怪と化して挑むのがベストである。
 先ほどの座敷童も、座敷童のままでは開幕即死だが、別名義の「お倉坊主」で参戦すれば逆に開幕10割をたたき込んで圧勝できる。
 もしあなたが妖怪と化してようかいしりとりの覇者となりたいのであれば、「瀬坊主」か「黒坊主」あたりがてっとり早い。
 瀬坊主は阿武隈川に身を投げればワンチャンあるし、黒坊主は夜な夜な女性の寝室に忍び込んで口を嘗めるただの変質者だった可能性がある。
 ただし前者は死ぬし、後者は社会的に死ぬ。


 こうなる予感はしていたものの、なんとも味気ない結果になってしまった。
 唯一の救いは、今回使った語群がwikipedia準拠だということで、wikipedia先生の知らない「プ」や「ズ」で始まる妖怪がまだいる可能性が十分あるということだ。
 今後の妖怪研究に期待したい。
 
■2015-03-17
ぼうけんのしょとは一体何か
 ドラクエの「ぼうけんのしょ」はいったいどのように実装されているのか?
 先に断っておくがゲームプログラミングの話ではない。
 遠くの町に一瞬で移動したり、死者を蘇らせたりする「じゅもん」があるドラクエの世界で、あの「ぼうけんのしょ」はどういう位置づけなのだろうかという疑問である。


 最初は、勇者たちが持っている不思議な本だと思っていた。
 神父さんや王様など、特殊な技能を持っている人のところへ持っていき、自分たちの情報を書き込んでもらう仕組みだと思っていた。だが説明書には機能の説明だけで、そんなことは書かれていない。

 この設定だと、書き込みはともかくとして、読み出し……特に全滅後の処理に無理が生じる。
 勇者が持ち歩いている設定だと、全滅したときに死体と一緒にぼうけんのしょが野ざらしになってしまう。これはいけない。死亡したときに所定の場所まで死体を運び蘇生させる呪文(いわゆるデスルーラ。利用料は所持金の半分)が込められているのかもしれないが、そんな複雑な処理ができるならもっと他に活用されているのではないか。

 倒れたパーティの死体とぼうけんのしょを教会まで運ぶサルベージ業者(報酬は所持金の半分)がいるのでは、と妄想したこともあったが、これも微妙に違和感がある。全滅すると、勇者のパーティは最後に記録した場所に戻されるが、それは必ずしも「最寄りのセーブポイント」ではない。サルベージ業者ならこんなことにはならないはずだ。


 となるともう、ぼうけんのしょを勇者が持ち歩いている設定は捨てるしかない。
 ぼうけんのしょは、神父さんや王様がそれぞれ持っているのだ。記録のときのセリフを見てみよう。

「そなたらの たびのせいかを この ぼうけんのしょに きろくしても よいかな?」(DQ3)
「そして このぼうけんのしょに きろくしても いいですかな?」(DQ4)

 どちらも「この」と言っている。手元にあるのだ。
 どこの教会でも読み出せて、書き込めるということは、ぼうけんのしょはiCloudやDropboxのような、クラウドストレージ上に存在すると考えるほかないだろう。それを彼らは「神」と呼んでアクセスしているのだ。勇者のバイタルサインが消えたときには最後に立ち寄った教会になんらかの連絡が行く仕組みになっていて、読み出しの儀式を行うのであろう。


 さて、ぼうけんのしょといえば無慈悲にロストすることでも有名だ。
 我々が便利に使っているクラウドストレージの数々が、突如サービスを停止してもうろたえぬよう、日々備えておくべしとの思いを新たにした。
 
■2013-09-21
歪んだ客観性
 たまに「あくまで自分の主観だけど」と前置きして話すことがある。
 相手の話に「でもそれってオマエの主観だろ?」と返すこともある。



 「自分の主観だけど」は、相手に自分の意見を強制しない奥ゆかしさを示すコトダマとして、便利に使われている。しかし、ふと、これを便利に使っていることで、逆に「主観では、相手に意見が通らない」という意識が生まれているのではないか?……と考えた。
 
 もちろん、大人の社会では、たいてい主観だけでは意見は通らない。「めんどくさいから、やりたくない」というのが本音でも、なんとか「人手が足りない」「予算がない」などの理由を探して拒否するのが大人なのだ。相手を説得するためには、主観を殺し、客観的な理由であたるのが理知的な人のありかたである。

 だが、世の中、主観でしか示せないことは多々ある。「私はお腹が痛い」ということを客観的に伝えることはできない。伝えなければならないときは、やむなく医師の診断書などで替えることになるが、それで自分の腹の痛さが伝わるわけではない。我々はもう少し、主観というやつを重んじてやるべきではないだろうか。あまりに主観を排除していくと、それはそれでおかしな歪みを生む。



 たとえば、「電車内での携帯電話の使用はお控え下さい」というマナーから、そんな匂いを感じる。もともとは「うるさいから喋るな」と言いたいだけだったのではなかろうか。それに客観性を持たせるために「ペースメーカー使用者への配慮を」という要素を付け加えてしまったのだとしたら、それが歪みの始まりだ。

 この大携帯時代に、ペースメーカー使用者が携帯電話を使えないのだとしたら大変なデジタル村八分だ。最初は本当に危険性があったのかもしれない。だが、今はただ、ペースメーカー使用者に呪いのように恐怖感を植え付けただけの文句となっており、優先席付近では電源を切らなければならないという謎のマナーだけが残った。優先席には病院のハイテク装置も航空機のハイテク装置もないというのに。

 タバコもそうだ。アレは密室で吸われるとたしかにケムい。あとクサい。ケムいのはそこまで嫌いじゃないが、帰宅したら即ファブ必須なあの匂いは困る。……って感じの軽い嫌煙者は俺以外にもいると思うのだが、嫌いとか困るとかは個人の主観である。そして、これを社会的に押し通すために作られた根拠が「副流煙の害」なのではないか。

 昔、養老孟司先生が「タバコの害に科学的根拠はない」と主張していたのを読んだ。「そんなわけねえだろ」とは思ったが、少なくとも副流煙の害の根拠とされる平山論文には疑問点が多い、というのは意に留めておく必要がある。仮に副流煙が排気ガス等と比べて圧倒的に無害だったとすると、喫煙者がガンになるのは個人の嗜好ということになる。そして、喫煙でガンにならずとも、日本人の3人に1人はいつかガンで死ぬ定め。医療費の総額は減らぬ。よって嫌煙家の主張対象は「くせえ」などの主観的だが肝心なものへ集約されていく。となると、匂いや煙の出ないかぎたばこ等が許容され、喫煙者と非喫煙者の妥協点にたどり着けた可能性もある。だが実際は、副流煙の害がろくに精査されないまま恐怖感として嫌煙家に広がり、両者は完全に断絶してしまった。



 捏造とまでは言わないが、このように妙な「客観性」を持たせることで、新たな歪みが生まれてしまった例は他にもあるのではないか。それもこれも、「客観性」を持たせないと主観を通せないからだ。我々はもうちょっと主観を出してもいいし、他人の主観を汲む姿勢も必要だと思う。まあこれも自分の主観だけど。
 
■2013-06-29
地球防衛軍と難易度選択
 ここんとこ、中古で買ってきた『The 地球防衛軍2』をプレイしていた。

 プレステ2のゲームに戻ると、ワイヤレスでないコントローラーの不便さを思い知ると同時に、ゲーム機の電源を入れるとすぐゲームが始まるという、かつては当たり前だったことの良さを実感する。トロフィーデータを読みに行ったりダウンロードコンテンツをチェックしたりネットワークにログインしたりする時間が一切ないというのは、やはり快適というほかない。

 特にこのソフトはメーカーロゴも一瞬で飛ばせるので素晴らしい。タイトル画面の次はもう装備選択とミッション選択だし、なんの説明もなく戦場に送り込まれて「とにかく敵を撃て!」という姿勢は清々しいほどだ。低価格ソフトだから、という理由もあろうが、こういう「始める(再開する)までの敷居をうんと下げる」というのは、スマフォに押されつつある家庭用ゲーム機が見習うべき点であろう。


 で、『地球防衛軍』に目をつけたのは、最新作の発売が迫っているということと、『無双』『バイオ』と同じく2プレイヤーで協力できるアクションである、ということが主な理由である。オンライン環境の普及で、ローカルで2人プレイできるゲームはめっきり減ってしまった。我々は2人でできるゲームに飢えていたのかもしれない。

 実際にプレイしてみると、『無双』に似た楽しみがある。内容は無双するより蹂躙されるほうが多いけど、新しい武器がドロップされたときの嬉しみは『無双』のそれと同じだ。もちろん難易度を上げるとそれだけ強い武器がドロップしやすくなるので、どのレベルで武器集めをするか悩むのも共通している。

 難易度が「EASY-NORMAL-HARD」とだけあったら、だいたい「EASY」か「NORMAL」を選び、最後までその難易度で進めてしまうことがほとんどだ。『バイオ6』も『バトライド・ウォー』もそうしていた。バイオはまだ、クリアメダルが難易度ごとに存在したので「他の難易度も埋めてみるか」と思わないでもなかったけれど、バトライドの場合はクリアランクが全難易度共通だったのでNORMAL以外をプレイする理由がなかった。
 『無双』や3DSの『パルテナの鏡』の場合、ドロップアイテムが良くなるというエサがあるので、最終的には難しいレベルを安定してクリアすることを目標にプレイすることになる。『地球防衛軍』も基本的にはそれだ。EASYでやってたらぜんぜんお目にかかれない種類の武器とかがゴロゴロしているので、難易度を上げる動機付けになる。
 このエサがあるかないかでゲームの寿命がえらく変わると思うんだけど、けっこうテキトーに難易度レベルだけを提示して、プレイヤーの意地に賭けているだけのゲームが多いのは残念である。


 基本難易度をNORMALに定め、ペイルウイングで立体機動しつつ進撃の巨人ごっこをしていたが、あんどう陸戦兵にたびたびバズーカを誤射されて反省したため、最終的には遠距離戦向きでないペイルで狙撃を担うというよくわからないプレイスタイルになっていた。

 このゲーム、中古価格1000円で30時間以上遊んでしまったわけだけど、あまりにコスパがよすぎてフルプライスである『4』がこの6倍遊べるか自信がなくなってきた。たぶん買うけど。
 
■2013-05-05
学園モノ3大あるある
 「学園モノ3大あるあ……ねーよwww」として、「生徒に解放された屋上」「権力のある生徒会」「全生徒の成績を発表」を挙げておく。異論は積極的に認めたい。

 このうち成績発表については、全員発表→上位者のみ発表→個人にのみ伝達→完全秘匿という時代の流れがあるような気がする。自分が中高生だったころは上位者のみの発表が廃止されようとしていたので、無慈悲に全員発表していた時代があったかどうかは想像するしかない。
 本当にそんな時代があったのか想像しにくいが、学園モノのアニメやゲームで定期テストがあるとだいたい下位の者まで発表されるので、やはりあったのだろう。
 夏休みの件もあるし、学園モノはこれからどんどんファンタジーになっていくに違いない。さらなる「あるあ……ねーよwww」が生まれる日も近い。
 
■2013-03-31
説教するものされるもの
 四月からようやく同じ部署に後輩が入ることになったので、考えていたことをまとめておく。


 わりとどの部署でも、でかい声で説教する上司がいる。
 俺はいままでの下っ端生活で数々の説教を見てきたし、されてきた。
 これから、自分はどのような上司になっていくだろうか?
 誰かに説教をしなければならないような状況になるだろうか?
 そのためには説教というものの原理を考え、把握しておかなければならない。

 説教というモノは基本的に「知っている話」だ。「知っている話」を懇々とされる、こんな無駄なコトは無い。おそらく説教で重要なのは内容ではない、コミュニケーションそのものだ。「諭す側」「諭される側」の関係性を強固にするための交流儀式、それが説教の本質!

(『え!?絵が下手なのに漫画家に?』施川ユウキ より)
 説教は、問題解決の方法として無駄なことこの上ない。それでもでかい声でどなりちらす上司がいるというのは、何か必要性があるからだろう。
 単純に「そいつが性格破綻者だから」というケースが多いような気がするが、それだと考えても実益がないので除外する。


 引用したように、説教とは「諭す側」「諭される側」の関係性を強固にするための交流儀式である。
 それはサル山のリーダーがマウンティングで上下関係を再確認するのと同じ事だ。
 上下関係の再確認。集団で動くことが必要不可欠な業種、縦社会の組織では必要な行為だろう。

 「お前より俺の方がえらい」ということを教え込むなら、一昔前はブン殴るのが早かった。今はそうもいかないので、長時間の恫喝によって精神的にブン殴る。
 だが「上下関係を再確認しないといけない」というのは要するにナメられているということであり、尊敬を勝ち得る仕事をしていないということでもある。
 この場合、下っ端にナメられた末にサル山のマウンティングめいた行動をしなければならない己を悔いるべきだろう。
 なお稀に大勢の前で長々と説教している人がいるが、これはメンバー全員からナメられているパターンであり残念な上司といえよう。こうならないよう身の程はわきまえたい。


 もう一つ、逆に相手(部下)がサル山のサル程度の精神状態であった場合が考えられる。「精神状態」といったのは、ふだん有能な人であっても、仕事と環境によってはそういう状態になっていることがあるのではないか、という観察による。

 言っても聞かない相手に言うことを聞かせるのなら、一昔前はブン殴るのが早かった。今はそうもいかないので、長時間の恫喝によって精神的にブン殴る。
 そこまでいかなくても、冷静に状況を伝え反省を促すより「私は怒っている」という姿勢を見せたほうが効果的な相手というのは存在するので、伝達の手段としてはまあ、ありえなくはない。
 納期にたびたび遅れる取引先の営業を恫喝することで、次回から「あそこの部長は怒らせるとめんどくさいから優先的に仕事をしよう」みたいな状態になるのを狙っているのかもしれない。それより取引先を変えた方が早いと思うけど。
 ただ「怒り」のカードは切るたびに切れ味が落ちるので、これを使うのは最終手段にしないと、ただの人格破綻者になってしまう危険性がある。


 ここまで説教する側のことを考えてきたけれど、自分はまだまだ説教されることのほうが多い。
 だが説教される側は大して頭を使うことはない。
 冒頭の引用部だけ見ても、説教を食らう側のとるべき選択肢はたった一つである。
 ただ「怒られたぁー」という顔をしていれば良い。

 説教の内容は「どう考えても反論できない当たり前のこと」である。
 「お前はちゃんと仕事をしていない」と言えば、常時フルスロットルで仕事している人はいないのだから、反論は不可能。
 これはもはやゼンだ。禅問答だ。
 答えを求めよう、認められよう、という考えを捨て、反省している態度だけを見せて嵐が過ぎるのを待つのだ。
 受けたストレスはどこか別の場所で投棄するがいい。そもそもそうやって投棄されたストレスなのかもしれないのだから。


 ……まあ、今の職場にはどなりちらす上司はいないので、当面は説教する必要がない立派な上司となれるよう精進することに力を注ごう。
 明日から新年度である。
 
 あなたは重い荷物を載せた台車を押すことになった。
 進もうとすると、かなりの力が要る。
 そのうち台車はゆっくりと動きだし、滑らかな床を進んでいく。
 こうなると慣性のおかげで、それほど気張らなくても台車は進む。
 だが、そのとき目の前にボールが転がってきた。
 すぐに止まろうと思うと、またかなりの力が要る。
 これも慣性によるものだ。


 夜間の照明に苦労しなくなった現代においても「早起き」が美徳とされる理由の一つがここにある。
 すなわち、冒頭の慣性の法則めいた「起きるという決断にも寝るという決断にもかなりのエネルギーが要る」という理屈で、決断的に早起き、ひいては早寝できる精神はすばらしい、ということである。
 これが、一時間早く出社して仕事を始める奴のほうが、一時間遅くまで残って仕事をする奴より偉いという価値観となる。

 だが実際は、多くの場合、追加の報酬は「遅くまで残った奴」のほうに支払われる。
 朝早く出てくる奴は、あくまで個人の判断で出てきているのだと判断される。
 先ほどの価値観からすれば、どう考えても逆でないとおかしい。
 最近、仕事の関係者の口からいまさら「朝活」という言葉を聞いて辟易した。管理職の立場からそれを勧めたら、要するに「無賃労働せよ」と言っているようなものではないか。
 無賃労働させられるから早起きが美徳とされているのか?
 だとしたらずいぶん露骨なプロパガンダだと思う。残業同様の厳格さで時間外手当を適用すべきだ。

 「早起きは三文の得」と言うが、それで得をするのは誰か、しっかり考えておきたい。
 まあ残業代が存在しない俺にとってはどっちでも同じなんだけどね。
 
■2012-12-23
ヒーローと魔法少女
 突然だが、『スマイルプリキュア!』のメンバーは、ものすごく「プリキュアであること」をエンジョイしているなーと思った。

 プリキュアは過去二作しか知らないが、これほどエンジョイしまくっているのはスマイルが随一ではないのか。
 確かに今までも、プリキュアになったことで精神的成長とか人間関係改善とかの利点はあった。
 しかしそれは戦う運命を背負うリスクを考えると圧倒的にリターンが少なすぎる。
 その点スマプリの面々は、本棚ワープの能力を利用して異次元に秘密基地をつくるわ、世界中にワープして観光旅行はするわ、映画村では映画を撮られるわ、キュアデコルは好き放題使うわで、鬱回の分を差し引いても実生活が充実しまくっている。


 ヒーローもの(バトルヒロインもの)において、主人公が得た異能の力を私的利用する場面はあまり見ない。
 戦う目的そのものが私的であるズバットみたいな例はややこしいので除くけれど……

 仮面ライダーフォーゼでは、ペンとかウォーターとか明らかに戦闘用でないモジュールがあったものの、それらを戦闘以外に使おうとするとKENGOさんに「フォーゼの力を下らない事に使うな」と怒られていた。
 ゴーカイジャーの面々は、最初は「宇宙最大のお宝を手にいれる」ためにおもいっきりレンジャーキーを私的利用していたが、やはりそれはアウトローゆえ。最終的には「地球を守る」という歴代戦隊の意志を受け継ぐに至った。

 ヒーローものだと、そもそも得た力が戦闘用でプライベートに活用できない、という例も多そうだけど、例えば「遅刻しそうなので超加速」とかそういう使い方は全然されない。
 魔法戦隊であるマジレンジャーを観てみたら、案の定ピンクのお姉さんが私的に能力を使いまくって怒られていたので、私的利用はギャグシーン以外ではされない、と言ったほうがいいかもしれない。


 その点、魔法少女はどうだ。
 ちゃんと観たことがないので憶測だが、ひみつのアッコさんとか、エスパー魔美さんとか、ほぼ個人的な目的ないしは身内を対象に能力を使っているイメージがある。
 そもそも「平和を乱す存在」がいなければ公的な目的が存在しえない。
 ドラえもんだって大長編でない限りは基本的に私的利用だし。

 このへんが、セーラームーンに代表されるバトルヒロイン(ヒーローもの)と、魔法少女ものの大きな違いだと思われる。
 ヒーローは異能の力を私的利用してはいけないのだ。
 あんなこといいな、できたらいいな、のノリで「子どもに夢を与える」のが伝統的魔法少女であり、平和を乱す存在から「子どもの夢を守る」のがヒーローである、とざっくり断定できよう。

 このように考えると、まどマギのあんこの「魔法ってのはね、徹頭徹尾自分だけの望みを叶えるためのもんなんだよ」という台詞は魔法少女としてむしろ当たり前の感覚であり、QBが「確かにマミみたいなタイプは珍しかった」というのも頷ける。
 マミさんやさやかちゃんがやりたかったのは「ヒーロー」であって「魔法少女」ではない。
 「だって魔法少女はさ、夢と希望を叶えるんだから」とまどか神の仰る通りである。


 スマイルプリキュアでの能力の私的利用は、ヒーローものの文法の中で魔法少女的な要素を復権させようという動きなのかもしれない。
 彼女らを見習って、「魔法」を全面に押し出している仮面ライダーウィザードさんはもっと指輪の力を私的に使うべき。
 まずはプレーンシュガードーナツを毎回店舗からコネクトで取り寄せることから始めよう。
 
■2012-10-16
俺なりのサモンナイト
 先日サモンナイト2をクリアして、初めてサモンナイトシリーズに触れたわけだが、どうもあれが「サモンナイト」であるということがしっくりこない。
 なんとなくあれは俺の考えていたサモンナイトとは違う。
 どういうことだ、じゃあお前の持っていたサモンナイトのイメージとはどういうゲームなんだ、という流れになったので、真面目にまとめてみた。


 まず戦場に出すユニットは、自分以外は全員召喚獣であるべきだ。
 実際、住んでる世界が違うなら人間だって召喚獣扱いなんだから不可能ではあるまい。
 「サモンナイト」をシリーズ名として名乗る以上、遠距離攻撃を撃って帰るだけ、みたいな名ばかりの召喚魔法は不要。すべてがユニット召喚で、戦場にいる召喚師は敵と自分の二人のみ!みたいな感じであってほしい。

 そして召喚師は、自分の最大MPと相談して行使する召喚獣を編成する。
 回復魔法が無い代わりに、死んだ召喚獣はMPさえ支払えば再召喚可能。
 低コストの盾役をバラまいて身を守りつつ、攻撃に優れる召喚獣で相手召喚師へのダイレクトアタックを狙う。
 相手召喚師のHPをゼロにすれば勝利。
 戦闘は純ターン制よりは行動ポイント制のほうが面白いかも。


 ここまで考えて、「これSRPG版ガチャフォースないしはガンダムvs.シリーズじゃん」という結論に達した。
 もうすでにどこかのメーカーが作ってそうだ。
 
■2012-09-12
味わわわせる
 ふと「ちまたを賑わせるニュース」みたいな言い回しが気になった。
 賑わせる……賑わわせる?
 どちらでも変換はできる。

「味わわせる」は「わわ」の部分で
違和感を味わわされる……

(『サナギさん(1)』施川ユウキ)
 中学国語の復習になるが、「賑わう」「味わう」はともに「ワ行五段活用」の動詞だ。
 ワ行なのでなじみが薄く、ア行と誤認してしまうことがある。
 「味わう」の活用を、ちゃんと「ゐ」「ゑ」を動員して書くと、
 「味わわない、味わゐます、味わう、味わうとき、味わゑば、味わゑ」
 ……となる。
 これに従うと「賑わう」の未然形は「賑わわない」となる。
 「そのイベントは思ったより賑わわなかった」?
 なんかすでに違和感があるが、文法的にはこうなるようだ。

 使役の助動詞「せる・させる」は、「やらない→やらせる」のように未然形に付く。
 となるとルール上は「賑わわせる」が正しいのだろうか?
 確かに「味わせる」とは言わない。違和感は味わわされるけど。


 では「賑わせる」はどこから来たのか?
 これは「賑わう」とは別に「賑わす」という動詞があると考えれば良い。
 活用はサ行に変わるので、
 「賑わさない、賑わします、賑わす、賑わすとき、賑わせば、賑わせ」
 ……となる。
 これが使役になれば「賑わせる」であり、いくぶんか違和感が減った!


 「賑わう→賑わす」のような自動詞・他動詞変換は、他にも奇妙な不条理を呼んでいる。
 同じ理屈で「味わす」という他動詞を作れば、もう「わわ」の部分で違和感を味わわされることは無くなるのだろうか……
 
■2012-06-04
高齢者の文章
 以前の日記から引き続き、高齢者の文章を読んで気付いたこと。


■失われつつある日本語が生きている
 たとえば「こだわり」を悪い意味で使っている文章を見るとハッとさせられる。
 「拘る」という字面は決して良い物ではない。もともとは「こだわり」は面倒なモノだったんだろう。
 また、「募金に応じる」とちゃんと書いている人もいた。
 募金は「金を募る」のだから、お金を入れる側は募金はしていない。
 僕らが当たり前のように使っている言葉が誤用だった時代があった、と感じた。

■国語的に正しくない文を書く人が意外にも多い
 時代による日本語の変化とかではなく、小学校2年生レベルのミスが多々あったので驚いた。
 たとえば主述のねじれ(例:僕の夢は、パイロットになりたいです)や文章のねじれ、てにをはの誤りなど。
 定年退職する前は職場で報告文なども作っていたであろう人々が、このようなミスをするとは考えにくい。年をとるとメタ認知能力が低下して、推敲しても客観的に読めなくなるのかもしれない。怖い。

■句読点の位置を気にしない
 「、」も「。」もつけずに、原稿用紙にズラーっと文章を続けていく人が多い。
 ようやく読点が出てきたと思ったら、「80歳を過ぎ足腰が思うように動かず何事も、大変になりました」みたいな感じで、「そこじゃないでしょ!」と言いたくなる位置に打ってあったりする。
 そもそも句読点というシステムが日本語に根付いたのはいつ頃なのだろう?
 少なくとも公用文で使われるようになったのは戦後のようだ。いまだに賞状には句読点をつけないし、高齢者が句読点を使わない理由は単純に「そういう時代に育った」というだけだろう。

■送り仮名も気にしない
 これも「そういう時代に育った」というだけだろうし、今も一部に影響を引きずっている。
 「おわる」が「終わる」か「終る」かが決まったのはつい最近のことだろうし、それだって「おこなった」と「いった」の区別すらつかない不完全なモノだ。
 「くらす」については「暮す」と書いているお年寄りが圧倒的に多数だった。
 くらします・くらさない・くらす……と活用する上ではとりあえず不自由はないからだろう。
 送り仮名は、日本語が文字を借用する課程で使った裏ワザのようなもの。なかなか統一はできないものだ。

■単語の途中で改行したがらない
 これはたぶん、わりと筆まめな人というか、手紙をよくやりとりする人だと思う。
 原稿用紙とか、ワープロとか、「一行の文字数が決められてるフォーム」に慣れていない人は、単語の途中で改行することに抵抗があるっぽい。
 そりゃあそうだ。手書きだったらちょっとアキを調整すれば、文節のキリのいいとこで改行できるんだから。
 前述のように句読点はつかわず、アキの幅と改行位置で文章の区切りを表現するのが古来の日本語なのだろう。
 改行は、web上では紙上より明らかに多用されている。今後の日本語のありかたを変えていくに違いない。


 ……若さが吸い取られるとか言っちゃったけど、意外にも勉強になってます。
 
■2012-02-29
12k年前から愛してる
 「1億2,806万人」とか「92兆4,116億円」みたいなコンマの入れ方が気に入らない。


 別に三桁区切りであることは良いのだ。
 会計での数字の扱いは、完全に欧米式がデファクトスタンダード。「区切り方なんてExcelに自動翻訳させて、日本人が読みやすいように四桁区切りにしようぜ!」と思わなくもないが、今あえて逆らうことじゃあないだろう。

 気に入らないのは「万・億・兆」という四桁区切りで表記しておきながら、意味もわからず三桁目にコンマを入れてしまっている点なのだ。
 これこそ四桁区切りの敗北と言わずしてなんと言う!


 とはいえ、四桁区切りの数え方を持つ我々にとって、欧米式のミリオン・ビリオン・トリリオンはいまいちなじみにくいのも事実。
 貿易額とかの統計で単位が「十億円」とかになってるのもちょっと悔しい。
 兆になるとトリリオンと一致するのでやや助かるが、そもそもトリリオンにあまり馴染みがないのでありがたみが薄い。


 このギャップを埋めるため、未来の我々は「キロ・メガ・ギガ」等のSI接頭辞を利用しているのではないか、と想像した。
 ネット上ではいつからか、千円のことを「1K」、一万円のことを「10K」などと隠語めいてSI接頭辞が使われてきた。 
 この用法は三桁区切りなので、これに慣れると欧米式の三桁区切りが感覚的に扱えるようになる。冒頭のような奇妙な位取りが使われることもなくなるだろう。

 英語教育のせいで、ミリオンやらビリオンやらに苦手意識を持っている人も少なくないはず。ぜひ脳内にメガ円やらギガ円を採用し、三桁区切りに慣れていきたい。
 何よりこれを採用すると、宝くじの当選金が100メガショック!とかになる。なかなか悪くない響きだ。
 
■2012-02-07
戦闘力と接頭辞
 ドラゴンボールを代表する名ゼリフの中に、

 「戦闘力たったの5か……ゴミめ」

 というのがある。
 これは地球にやってきたフリーザ軍の末端戦闘員ラディッツさんの言葉で、ラディッツさん自身の戦闘力は1,500である。
 また、フリーザ軍の主力戦士の皆さんは、おおむね20,000前後から120,000の戦闘力を持っていらっしゃる。フリーザさんに至っては530,000もある。
 地球で大魔王と恐れられたピッコロさんですら戦闘力322だったのだから、地球など取るに足らない惑星だと思われるのは当然だ。


 ……戦闘力322?
 ちょっと待って欲しい。なんで1刻みなんだ?
 お前らのスカウター、精度が高すぎないか?
 インスタント戦力であるサイバイマンですら1,200なのに、なぜそんな細かい数字がいるんだ!?

 1刻みで500,000以上まで測れるとしたら、500kgまで測れる重量計で一円玉を測るような状態。とんでもねえ精度だ。
 真面目にこんな精度を実装しているわけがないので、強敵探知用と要人探索用に感度を切り替えられるようになっているんだろう。
 たとえば電流計みたいに、ケタ数を切り替えられるとか、そういう仕組みなのかもしれない。
 戦闘力の急上昇を感知すると爆発するのは、たぶんここの自動切り替えが機械的に上手くいっていないのだと見た。戦闘力を上下できる種族は珍しいらしいし。


 それ以前の問題として、そもそも単位(仮にBP)が裸なのがおかしい。
 戦闘力1BPが何を基準にしているのか知らないけれど、フリーザ軍の中ではみんな1000単位で使っているじゃないか。
 速やかに単位にSI接頭辞をくっつけて、「サイバイマンは1.2キロBP」とかにすべきではないのか。
 これを採用するとベジータさんがスーパーサイヤ人になった段階で、戦闘力は100メガショック!になる。なかなか悪くない響きだ。
 ……まあ、そのくらいの量になっちゃうことがわかってるんなら、デシベルみたいに対数を使った単位にしとけって話だけど。


 無粋な考え方だけど、少年誌なんだし「530キロBP」より「530,000」って言った方が迫力が伝わる、という判断でわざわざ大きな数字をやりとりしているのだろう。タウリンだって1,000ミリグラムだ。
 そういえば去年、シーベルトのミリとマイクロを取り違える話題があった。
 少年誌レベルで生きている我々に安全性を伝えたいのであれば、シーベルトはミリやマイクロでなく無印のまま出せばよいだろう。
 
■2012-01-03
こんにゃく問答
 年末年始にかけて、手首を軽くヤケドした。
 ヤケドしたのは年末なのに、ひりひりかゆくなってきたのが正月とか、筋肉痛かよって感じ。

 ヤケドの原因は、年末にお餅とこんにゃくを蒸していた鍋の蒸気。
 実家ではこんにゃくいもからこんにゃくを作るが、鍋を移動中に不運にも取っ手のところに蒸気が漏れてきて、やられた。
 2~3日してからひりひりする程度なので、たいしたダメージではない。

 悔しいのはこんにゃくの事だ。
 こんなに手間をかけて出来上がったこんにゃくのカロリーを見よ!
 100グラムでたったの5カロリー!
 ヤケドするくらいの熱量を与えて、完成したのがこれっぽっち!
 誰だよこんな植物育てようって言い出したのは!


 まどか、君はエントロピーっていう言葉を知っているかい?
 簡単にたとえると、こんにゃくを食べて得られるエネルギーは、こんにゃくを作る労力と釣り合わないってことさ。エネルギーはこんにゃくを作るごとにロスが生じる。宇宙全体のエネルギーは、目減りしていく一方なんだ。

 こんなことを繰り返していては、QBさんの契約ノルマが圧迫され、たくさんの魔法少女の魂が犠牲になるばかりではないか!助けて円環の理!


 ……まあ、真面目に考えたら、カロリーはないにせよ量はすっげえ膨らむし、コメとは全然違う植物ってことで飢饉対策にはそこそこ意味があったんだろうな。
 エントロピーについてはQBさんにお任せだ。
 
■2011-12-21
ロワイヤル
 2年前、登山用の上着であるヤッケについて調べたことがあった。
 これはもともと「ウィンド(英語)ヤッケ(独語)」というなんとも強引な単語で、そのうち「ヤッケ」の部分だけが浸透し、やがてめったに使われなくなった。

 最近「ロワイヤル」にこれと同じ匂いを感じている。
 そもそも「バトルロイヤル」が後半部分だけフランス読みで「バトルロワイアル」という作品名で広まってしまったのが間違いの始まりなのだ。
 この聞き慣れない「ロワイアル」という言葉が小説のイメージを一手に吸収して「バトル」を取り込んだ結果、今では各種ソーシャルゲームにおいて「ロワイヤル」単体でバトルロイアルを意味するようになってしまっている。
 フランス人が聞いたらどんな反応を示すのだろうか。

 これがヤッケと同様に、浸透しきったら消滅してしまうかどうか……
 どうもソーシャルゲーの勢いと一蓮托生のような気がしている。
 
■2011-10-04
午後12時の交差点
 午後12時とは昼か夜か。
 そんなくだらない疑問から考えた話。

 午前も午後も0時から始まる。
 つまり午後12時は午後の最後の瞬間だ。
 論理的に考えれば、この疑問にはカンタンに片が付く。

 ……だが、よく考えると違和感がある。
 午後12時は「瞬間」なのだ。
 厳密に定義すれば、存在しないと言っても良い。
 12時半、みたいな言い方をよくするけれど、これは24時間記法でない場合はありえない。

 2進法には「2」という数字はない。
 10進法には「10」という数字はない。
 であれば、時計の12進法にも「12」という数字はなくてしかるべきなのだ。

 もし我々が10進法の時間を使っていたとして、かつゼロの存在を知っているとしたら、文字盤のてっぺんにわざわざ2桁使って「10」と書くだろうか?
 普通レベルは99で止まるものだ。それ以上上げるとステータス欄に収まらなくなる。さいだいHPも255で止まるものだ。それ以上上げると8ビットの情報量では扱えなくなる。10進法にしろ16進法にしろ、「桁を上げる」のには相当な労力が要るのだ。 

 10進法用の数字のまま12進法を使ったせいで、我々はその労力を意識することはなかった。
 だがあれはあくまでも12進法。12という数字は桁上がりであることには違いない。そろそろ文字盤の12は退場してもらって、0にその座を譲るべきなのではないのか?



 おそらく、時計の文字盤としてはもっともメジャーなローマ数字にゼロが存在しないことが大きな要因だろう。
 ゼロという概念が広まったのと、12時という概念が広まったのと、どちらが早かったのかはわからない。だが文字盤にローマ数字を使い続ける限り、12の立場は安泰だろうと思われる。残念である。