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◆不定期日記ログ◆

■2010-12-23
間違い間違えて生きるのさ
 ととのう → ととのえる

 文法的には「自動詞→他動詞」の変換だが、細かいことはいい。
 他にもこういう変換ができる言葉はたくさんある。

 かなう → かなえる

 したがう → したがえる

 まちがう → まちがえる

 ……なんか「まちがえる」だけおかしくないか?
 「整う」のと「整える」のとでは、主語が違う。
 「叶う」と「叶える」なども、同じ理由で、使える文脈が違う。
 だが「間違う」だけは「間違える」と入れ替えることができる。


 一部の動詞は、そのまま名詞化することができる。
 「考える」とは、「考え」を出している状態だ。
 「構える」とは、「構え」の姿勢をとっている状態だ。

 ならば「間違える」とは、「間違え」を犯した状態であるべきなのに、
 実際は「間違え」ではなく「間違い」が使われる。
 これだと元の動詞が「待ちガイル」になってしまいかねない。


 なぜ「間違う」「間違える」だけ、こんな不思議な扱いなのか。
 俺たちはひょっとして、間違えるという言葉の使い方を、どっかで間違えて生きてきたんじゃないだろうか? 
 「間違った日本語」という場合は「間違えた日本語」とは言わないので、このあたりに本来の使い分けの名残があるような気がする。

 個人的には「さまよう人」と「さまよえる人」の関係であってほしい。
 全ての間違える人々よ……われ言葉を間違えり。
 その間違えし言葉を改めるのだ。