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◆不定期日記ログ◆

■2013-03-31
説教するものされるもの
 四月からようやく同じ部署に後輩が入ることになったので、考えていたことをまとめておく。


 わりとどの部署でも、でかい声で説教する上司がいる。
 俺はいままでの下っ端生活で数々の説教を見てきたし、されてきた。
 これから、自分はどのような上司になっていくだろうか?
 誰かに説教をしなければならないような状況になるだろうか?
 そのためには説教というものの原理を考え、把握しておかなければならない。

 説教というモノは基本的に「知っている話」だ。「知っている話」を懇々とされる、こんな無駄なコトは無い。おそらく説教で重要なのは内容ではない、コミュニケーションそのものだ。「諭す側」「諭される側」の関係性を強固にするための交流儀式、それが説教の本質!

(『え!?絵が下手なのに漫画家に?』施川ユウキ より)
 説教は、問題解決の方法として無駄なことこの上ない。それでもでかい声でどなりちらす上司がいるというのは、何か必要性があるからだろう。
 単純に「そいつが性格破綻者だから」というケースが多いような気がするが、それだと考えても実益がないので除外する。


 引用したように、説教とは「諭す側」「諭される側」の関係性を強固にするための交流儀式である。
 それはサル山のリーダーがマウンティングで上下関係を再確認するのと同じ事だ。
 上下関係の再確認。集団で動くことが必要不可欠な業種、縦社会の組織では必要な行為だろう。

 「お前より俺の方がえらい」ということを教え込むなら、一昔前はブン殴るのが早かった。今はそうもいかないので、長時間の恫喝によって精神的にブン殴る。
 だが「上下関係を再確認しないといけない」というのは要するにナメられているということであり、尊敬を勝ち得る仕事をしていないということでもある。
 この場合、下っ端にナメられた末にサル山のマウンティングめいた行動をしなければならない己を悔いるべきだろう。
 なお稀に大勢の前で長々と説教している人がいるが、これはメンバー全員からナメられているパターンであり残念な上司といえよう。こうならないよう身の程はわきまえたい。


 もう一つ、逆に相手(部下)がサル山のサル程度の精神状態であった場合が考えられる。「精神状態」といったのは、ふだん有能な人であっても、仕事と環境によってはそういう状態になっていることがあるのではないか、という観察による。

 言っても聞かない相手に言うことを聞かせるのなら、一昔前はブン殴るのが早かった。今はそうもいかないので、長時間の恫喝によって精神的にブン殴る。
 そこまでいかなくても、冷静に状況を伝え反省を促すより「私は怒っている」という姿勢を見せたほうが効果的な相手というのは存在するので、伝達の手段としてはまあ、ありえなくはない。
 納期にたびたび遅れる取引先の営業を恫喝することで、次回から「あそこの部長は怒らせるとめんどくさいから優先的に仕事をしよう」みたいな状態になるのを狙っているのかもしれない。それより取引先を変えた方が早いと思うけど。
 ただ「怒り」のカードは切るたびに切れ味が落ちるので、これを使うのは最終手段にしないと、ただの人格破綻者になってしまう危険性がある。


 ここまで説教する側のことを考えてきたけれど、自分はまだまだ説教されることのほうが多い。
 だが説教される側は大して頭を使うことはない。
 冒頭の引用部だけ見ても、説教を食らう側のとるべき選択肢はたった一つである。
 ただ「怒られたぁー」という顔をしていれば良い。

 説教の内容は「どう考えても反論できない当たり前のこと」である。
 「お前はちゃんと仕事をしていない」と言えば、常時フルスロットルで仕事している人はいないのだから、反論は不可能。
 これはもはやゼンだ。禅問答だ。
 答えを求めよう、認められよう、という考えを捨て、反省している態度だけを見せて嵐が過ぎるのを待つのだ。
 受けたストレスはどこか別の場所で投棄するがいい。そもそもそうやって投棄されたストレスなのかもしれないのだから。


 ……まあ、今の職場にはどなりちらす上司はいないので、当面は説教する必要がない立派な上司となれるよう精進することに力を注ごう。
 明日から新年度である。