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◆不定期日記ログ◆

■2012-06-04
高齢者の文章
 以前の日記から引き続き、高齢者の文章を読んで気付いたこと。


■失われつつある日本語が生きている
 たとえば「こだわり」を悪い意味で使っている文章を見るとハッとさせられる。
 「拘る」という字面は決して良い物ではない。もともとは「こだわり」は面倒なモノだったんだろう。
 また、「募金に応じる」とちゃんと書いている人もいた。
 募金は「金を募る」のだから、お金を入れる側は募金はしていない。
 僕らが当たり前のように使っている言葉が誤用だった時代があった、と感じた。

■国語的に正しくない文を書く人が意外にも多い
 時代による日本語の変化とかではなく、小学校2年生レベルのミスが多々あったので驚いた。
 たとえば主述のねじれ(例:僕の夢は、パイロットになりたいです)や文章のねじれ、てにをはの誤りなど。
 定年退職する前は職場で報告文なども作っていたであろう人々が、このようなミスをするとは考えにくい。年をとるとメタ認知能力が低下して、推敲しても客観的に読めなくなるのかもしれない。怖い。

■句読点の位置を気にしない
 「、」も「。」もつけずに、原稿用紙にズラーっと文章を続けていく人が多い。
 ようやく読点が出てきたと思ったら、「80歳を過ぎ足腰が思うように動かず何事も、大変になりました」みたいな感じで、「そこじゃないでしょ!」と言いたくなる位置に打ってあったりする。
 そもそも句読点というシステムが日本語に根付いたのはいつ頃なのだろう?
 少なくとも公用文で使われるようになったのは戦後のようだ。いまだに賞状には句読点をつけないし、高齢者が句読点を使わない理由は単純に「そういう時代に育った」というだけだろう。

■送り仮名も気にしない
 これも「そういう時代に育った」というだけだろうし、今も一部に影響を引きずっている。
 「おわる」が「終わる」か「終る」かが決まったのはつい最近のことだろうし、それだって「おこなった」と「いった」の区別すらつかない不完全なモノだ。
 「くらす」については「暮す」と書いているお年寄りが圧倒的に多数だった。
 くらします・くらさない・くらす……と活用する上ではとりあえず不自由はないからだろう。
 送り仮名は、日本語が文字を借用する課程で使った裏ワザのようなもの。なかなか統一はできないものだ。

■単語の途中で改行したがらない
 これはたぶん、わりと筆まめな人というか、手紙をよくやりとりする人だと思う。
 原稿用紙とか、ワープロとか、「一行の文字数が決められてるフォーム」に慣れていない人は、単語の途中で改行することに抵抗があるっぽい。
 そりゃあそうだ。手書きだったらちょっとアキを調整すれば、文節のキリのいいとこで改行できるんだから。
 前述のように句読点はつかわず、アキの幅と改行位置で文章の区切りを表現するのが古来の日本語なのだろう。
 改行は、web上では紙上より明らかに多用されている。今後の日本語のありかたを変えていくに違いない。


 ……若さが吸い取られるとか言っちゃったけど、意外にも勉強になってます。