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◆不定期日記ログ◆

CATEGORY 考察

■2010-02-27
空間図形
 ちょっとドラクエ3の世界を思い描いていただきたい。

 ドラクエ3に限ったことではないが、RPGのワールドマップは四角いことが多い。
 そして、その四角の上下左右の縁は、それぞれ逆側につながってループしている。
 いったいこの世界は、どういう立体になっているんだろう?

  • 正方形のマップを用意する
  • 半分に折ってのり付けする
  • それを筒状に巻いて完成

トーラス
できたァーッ!!

 上下の縁と左右の縁をそれぞれ合わせれば良いのだから簡単だ。
 これだと地面がペラペラだが、実際はもうちょっと厚みがあるんだろう。
 地図にある程度の誤差があるのは当然だ。
 断面が細長ーい楕円形の、巨大なドーナツ、って感じだろうか?


 「これだと筒の中に陽が当たらなくね?」という疑問も当然ある。
 が、ドラクエ3では南北の位置にかかわらず、昼夜の時間が一緒だ。
 このような立体で、それを実現するには、太陽は筒の内側になければいけない。
 筒の内側が昼で、外側が夜になる。

 そしてこの立体は自転しているわけではなく、キャタピラのようにじわじわと地表が動いて、外側になったり内側になったりしているのだ。
 うわっ……キモい……。
 俺、この世界、守りたくない……!
 
■2010-02-21
陸上競技
 中学校のとき、陸上部だった。
 だが、中学1年の英語の授業で、いきなり違和感を抱くことになった。

 野球:Baseball
 サッカー:Soccer
 陸上:Track and field athletics

 そう、陸上部だけ自分の所属部をマトモに書けなかったのだ。
 これは最初の英語の定期テストにおいて非常に不利であった。

 そもそも「陸上競技」って名前は何なんだ!
 「水泳」以外のほとんどのスポーツは陸の上だろ!
 なんでお前が総称しちゃってんだよ!
 1500m走と幅跳びが同じ部活なのも変だろ!


 気になって調べてみたが、答えはつかめなかった。
 ただし、やはり、というか、多くのスポーツがそうであるように、陸上競技は、兵士の軍事訓練として広く行われていたようだ。

 となると、「陸上競技」に対するのは、水泳ではなく「馬上競技」だったのか?
 歩兵の訓練とに対して、騎兵の訓練。ありそうな話ではある。
 兵器の発達で、馬術はもう軍事訓練ではなくなってしまった。
 いまや軍事は陸・海・空の3種である。

 おや、そういえば、2年に1度行われているじゃあないか。
 「世界陸上」も、「世界水泳」も。
 なんということだ!
 これはもう「世界航空」が開かれるのも時間の問題だ!
 いよいよアフガン航空相撲の世界選手権が見られるのか!


 そして宇宙世紀0079年……ついに人類は「宇宙競技」を生み出すことになるのだ。
 主にニュータイプ的な能力が問われる競技が行われるのだろう。
 スポーツの発展には無限の可能性があるな!
 
■2010-02-20
カタカナ既得利権
 本来、一般的な言葉だったはずなのに、日本に輸入されてカタカナ語になると意味の限定がされてしまう言葉がある。
 カタカナ語の浸透する経路を考えれば、まあ起こりうる事態ではあると思う。



 たとえば「アドレス」と言えば、もう我々はe-mailアドレスかURLのことだと理解する。
 「メール」と聞いても郵便を思い浮かべる人は少ないだろう。
 「ムービー」は主にデジタル機器で撮る動画のことを指し、
 「ヘルパー」といえば訪問介護員のことを指す。
 不思議な刷り込みだ。

 よく考えてみると、「デート」「セックス」「プロポーズ」なんて、意味がアレな方向に限定されてすぎている。
 とくにセックスはダメだろ、すげー不便するじゃないか、ピストルズとかが。
 デートも「あのコとイチャイチャする日付」だけに限定するなんて、どんだけリア充なんだお前ら、全員爆発しろ!

 フランス語もひどい。
 アベック(avec)は英語のwithに相当するだけの単語だったハズだ。
 ランデブー(rendez-vous:会う約束)も男女か宇宙船くらいしか使わない。
 アバンチュール(aventure:アドベンチャー)だって火遊び扱いだ。
 フランス語……いやらしいな!



 ここに「ポット」という言葉がある。
 壺、瓶、鉢などを指す言葉だ。
 しかし、園芸分野を除き、これは長らく「電気ポット」が権利を独占してきた。
 英語のpotにはそもそもそんな意味はないというのに、である。

 だが、そんな既得利権を果敢にも切り崩す勇者がいる。
 「消臭ポット」である。
 少なくとも我々は、この商品をみたとき、電気ポットを思い出したりしなかった。
 電気ポットの牙城に一撃を加えた商品だと言えるだろう。
 消臭ポットにはぜひ頑張っていただきたい。

 そのうち、核家族化が進んで電気ポットが電気ケトルに駆逐され、こんどはケトルという言葉が電気魔法瓶を総称する……そんな日がくるかもしれない。
 
■2010-02-19
n進法
 人類はふだん10進法でモノを数えていて、たいして意識しないけど、世の中、10進法以外を採用しているものはけっこう多い。

 たとえば(これは厳密にはn進法とは違うけど)なぜ時間(hour)は12進法なのか。
 12は割りやすいから、というのが真っ先に思いついたが、半分→半分→半分というふうに8分割できないのは大きな弱点ではないか?
 割りやすさが理由なら、もっと割りやすい数にできるだろう。いったいなぜ?



 調べてみると、めそ…ゲフンゲフン!
 めそぽタミヤ文明までさかのぼった。
 さすが静岡が誇る世界のタミヤ。

 めそぽタミヤの人は、月が12回まるくなるとだいたい季節が一巡することを知って、暦を作った。
 そのときどうやら「12ってのは何かスゴイらしい」と悟ったようだ。
 それで、昼間を12分割して時刻を表すことにして、夜は夜でまた12分割した。
 これがAM/PMの始まり、らしい。

 この場合の昼・夜は「日の出~日没」を基準に考えられていたので、最初は「1時間」の示す長さが季節によって違っていた。
 これを昼夜ぶっ通しにひきのばして、24時間を平均的にならしたのが、ギリシャの天文学者・ひっぱるコスという人のようだ。

 月がだいたい30日でまるくなって、それが12回で季節が一巡するとなると、一年がだいたい360日。角度が360進法なのは偶然の一致ではあるまい。
 英語でも11と12はガッツで単語を作っている。
 elevenの語源は「10と残り(lve)1つ(e)」、twelveの語源は「残り(lve)2つ(twe)」らしいので、英語圏の人も「俺、指10本しかないけど、それはそれとして12スゲー」と思っていたのだろう。

 こうしてみると、10進法のほうがむしろ不自然な行いのような気がする。
 我々が10本指でなかったら、誰がこんな不便な底を使うか!



 つまり、何気ないことに思えるかもしれないが、
 「ひぐらし」の世界はおそらく8進法で回っていて、
 あの世界には8・9という数字はないのだ。
 呪いよりなにより、俺はそのほうが「異世界」を感じる。
 
■2010-02-17
ひみつのたからばこ
 JRPGという、ゲームとしてはちょっと歪んだジャンルにふさわしいのは、いったいどんなシナリオだろうか?

 RPGに凝ったシナリオをのっけようとすると、どうにも邪魔くさい。
 場合によってはゲームの阻害にしかならんこともある。
 「コイツはシナリオ上ここで離脱するので、ここまで育てた人はご愁傷様」
 みたいな状況、みんな覚えがあることだろう。
 いくらテーマが「命」だからってここでコイツを殺すなよ!

 制作者が何らかのテーマを発信したい場合、小説や映画のほうがよっぽど向いている。
 どうしてもゲームにしたいならノベルゲーにすればよい。
 間に迷宮だとか戦闘だとかを挟んだら、テーマを語る上で邪魔でしかない。



 ここでふと、一冊の攻略本を思い出した。
 ご存じの人はいるだろうか、MOTHER2の『ひみつのたからばこ』を。

 この攻略本は、最初から最後まで、「冒険から帰ってきた僕のネスが、僕に語った冒険談」という形式の小説になっている。
 MAPはネスの手書きという設定だし、お店や敵の情報も小説の欄外に書かれている。
 こういう本が出るということ自体が素晴らしい。

 ここに、JRPGのシナリオのあるべき姿の1つが見えてきた。
 RPGは「自ら操作して進める」という点で、小説や映画と大きく異なる。

 小説や映画では、出逢い、戦い、傷付き、成長するのは主人公であり、主人公は、作中でその成長を言葉や行動で示さなければならない。
 だがゲームの場合は、必ずしもそうではない。
 励まされても、感謝されても、ネスはノーリアクションでよい。その励ましを受けるのは、これから十字キーを前に入れるプレイヤー自身であればよく、その感謝を受けるのは、時間を割いて多くの戦闘をこなしたプレイヤー自身であればよい。

 極端な話、「あの時のお前の言葉に勇気を貰ったんだ」と主人公が喋るのはナンセンスで、クリア後にプレイヤーが「あのセリフはテンションあがったなー」と思うのが本来なのだ。
 これは難しいことだ。エンタ芸人がテロップなしで人を笑わせるくらい難しい。
 だが全員が全員、同じシーンで同じ感想を抱く必要はない。
 むしろバラバラであってよい。

 クリア後に、それぞれ違う「ひみつのたからばこ」が書けるようなシナリオこそ、RPGのシナリオが力を入れていくべき方向だろう。
 そこを忘れてしまっては、映画には一生かなわない不遇なエンターテイメントになる。



 以前まったく無自覚に書いた、サガみそプレイ日記
 必要条件でも十分条件でもないが、フリーシナリオは一つの根本的手段かもしれない。
 たとえばサガフロ裏解体新書のヒューズ捜査日記は、あれにマップなどの情報をくっつけたら立派に「ひみつのたからばこ」ができよう。

 ……誰でもwikiから攻略情報を引き出せるこの時代、「ひみつのたからばこ」みたいな攻略本を同人で作る奴、いないのかな?
 世界樹とか、けっこー合いそうな気がするけど。
 
■2010-02-12
スズメの涙
 よく「スズメの涙ほど」って言うけど、実際どの程度なんだ?
 そう思った俺はすぐに電卓とブラウザを立ち上げた。

 まずスズメの全長と体重を調べる。
 成鳥で15センチ、25グラムってとこらしい。

 次に横から撮ったスズメの写真を使って、全長と目の大きさの比率を測る。
 全長を15センチとすると、目の直径はおよそ0.4センチ。4ミリだ。

 目は球体だが、露出してる部分をだいたい円形の平面と見なすと、その面積はおよそ12.6平方ミリ。両目あわせて25平方ミリでよかろう。
 これでスズメの目の大きさが概算できた。

 さて次に涙の量だが、スズメは涙を流さない。
 ロボットじゃないけど。マシーンじゃないけど。ダダッダー。
 だけどわかるぜ、涙の厚み。

 人間の目に張られている涙の厚さを調べると、7マイクロメートル程度とのこと。
 7マイクロ!0.007ミリの驚きの薄さ!
 これがスズメの目にもあると仮定すると、さきほどの目の面積から、涙の体積はおよそ0.175立方ミリ。
 これがスズメ1羽の目に常時存在するおおよその涙の量。

 この体積から涙の重さを計算する。涙は90%以上が水だ。
 1立方ミリメートルの水の質量をおおよそ1ミリグラムとすると、スズメの涙の重さは、概算に概算を重ねて、0.175ミリグラムだ!
 砂粒1個がおよそ1ミリグラムなので相当な少なさと言える。

 スズメ本体を25グラムとすると、本体:涙=143000:1 の重量比となる。
 本体に対しておよそ0.0007%だ。
 凄まじい小ささだぞスズメの涙!定期預金の利息なんてこの100倍近くあるぞ!



 しかし文系脳で考えると、この場合の涙は「雫となってこぼれた涙」を指すのではないかと解釈できる。
 スズメは涙を流さないので、これは測定できない。
 誰か、スズメとスズメの涙の界面張力を知ってる人、計算してくれ。
 
■2010-02-08
テンパリング
 昨日ラジオできいて初めて知ったんだけど、チョコレートを溶かしてカカオバターの成分を安定させる作業のことを「テンパリング」と言うらしい。

 テンパりんぐ……
 あまりにも余裕がなく聞こえる。
 検索するとたくさんネタがひっかかるので、みんな同じように思ったんだろう。
 この作業は、その名の通りわりとテンパっちゃうものらしく、
 こうなってくると「テンパる」と「テンパリング」はもう偶然の一致とは思えない。


 考えてみると、「テンパる」は「聴牌テンパイした」、つまりあと一歩で麻雀の役が完成するという状態だ。
 つまり「フフン、俺の手は高いぜ、振り込め愚民ども」という状態であってしかるべきだが、実際の用法は「まだ慌てるようなあわわあわわわ……」である。
 少なくとも俺はテンパイしたときにそうなるので仕方がない。
 日本人は基本的に麻雀初心者なのだろうか。

 ひょっとして、「煮詰まる」も同じことなのではなかろうか。
 これも本来、煮詰めるという料理の工程がまさに済み、完成間近だという状態だ。
 しかし実際は、会議などが袋小路に入り込んでこれ以上やってもダメだ、というときに誤用されている。
 煮込み料理で最後にふたをあけて絶望する、そんな光景が浮かんでくる。
 日本人は基本的に料理が得意ではないのだろうか。


 基本的に料理が得意でない日本人なら、テンパリングの際にあわあわしてしまうのは当然だ。
 あまりにあわあわする人が多いため、その状態を「テンパる」と言い始めた……
 という新説を今編み出したが、普及しないだろう。
 
■2010-01-30
カタカナ表記のジレンマ
 「Twitter」のカタカナ表記は「ツイッター」「トゥイッター」か?
 これはもうほぼ前者で統一されており、公式もそうしている。
 以前、一部マスコミで「トゥ」の表記が使われ、にわかに議論が巻き起こった。

 発音記号からアプローチしてみる。
 調べると「Twitter」の「twi」の発音は、「twin」「twist」のそれと同じとされている。
 「ツイン」「ツイスト」という表記が浸透している以上、「ツイッター」という表記は妥当といえよう。

 これだけなら問題はない。
 だが、同じルールを適用していくと、「twinkle」が「ツインクル」になる。
 認めたくないが仕方ない。
 正しいかどうかより、統一されているかどうかのほうが編集者にとっては重要だ。
 「ツイッター」の優位性を立証するために、大きな代償を払うハメになった。

 同じアプローチをしてみると、
 YouTubeの「Tube」もiTunesの「Tune」も、「チューリップ」の「チュ」なので、
 「ユートゥーブ」「アイトゥーン」という表記にはならないことがわかる。
 発音記号で判断する方法は、お手軽でそれなりに説得力があって良い。


 さて、うっかり「desktop」を「ディスクトップ」と言ってしまう人を高齢者を中心に見かけることがある。
 発音記号を見るまでもなく、「デスク(desk)」の「デ」なので、誤りである。
 しかしこの問題、そう単純ではなさそうだ。

 「desk」とは違う発音になるが、「デジタル(digital)」の「デ」が諸悪の根源ではないかと思う。
 この「デ」、一見「ディ」でよさそうだが、発音記号が同じ単語をほかに調べると、「デリシャス」「デリバリー」「デメリット」などそうそうたるメンバーが並ぶ。
 完全に「デ」の勢力下に入っているように思われた。

 だが、あきらめずに同じ発音の単語を探していくと、
 「ディナー」「ディスペンサー」の「ディ」がひっかかってきた。
 「デジタル」に倣うなら、「デナー」「デスペンサー」になるところだ。
 さらに「ウォルト・ディズニー」の「ディ」までもが同じ発音だった。
 つまり「デズニーランド」を駆逐すると「デリシャス」「デリバリー」などを巻き添えにしてしまう。これはかなりのディメリットだ。←駆逐

 したがって「デ」と「ディ」の統一をはかるのは難しく、まったく関係ない「デスクトップ」がそのあおりを受けてしまう事態は、簡単には改善されないと言える。
 このジレンマはしばらく続くだろう。


 余談だが、この「ジレンマ(dilemma)」がちょっと不思議だ。
 これも「digital」と同じ発音の「デ」だが、「デレンマ」でなく「ジレンマ」になっている。
 これの語源は「ふたつの仮定や前提(di-lemma)」らしい。
 ラテン語の2(ジクロロベンゼンの「ジ」)を示すときは「ジ」になったのだろうか?
 さらなる表記の揺れを見つけてしまった。
 
■2010-01-18
アバターと不気味の谷
 ウワサの『アバター』(3D)を観てきたよ。

 入り口ででかい3Dメガネを渡された。
 係員いわく「予告編も3Dになりますので、メガネをかけてお待ち下さい」と。
 それじゃ、あの名作『STOP映画泥棒』も飛び出して見えるのか!?
 ……と、かつてない期待を抱いたが、残念ながらまったく飛び出さなかった。
 というか冷静に考えたらこの映画、盗撮しても意味が無い。メガネを守るべきであろう。

 CGは精巧緻密。だが不思議なことに気がついた。
 最初のほうの宇宙船や、人類の基地のシーンでは「すごいCGだなあ」と思うのだが、惑星パンドラの大自然と先住民の青い人たちが出てくるシーンになると、とたんにCG感が無くなり「すごい景色だなあ」という印象に変わる。
 人工物のCGだけクオリティが低いとか、そういうことは無いと思う。
 なぜだろうか?

 人工物のシーンは、生身の役者が合成されている。
 どこからどこまでがCGなのか解らないくらい精密に作られている。
 だから「リアルだな、すごい丁寧に合成してあるな」という印象を持つ。
 それに対し、大自然のシーンは、青い人を含めて、全部CGだ。
 生身の役者が混ざっていないため、素直にCGの世界に入ってしまう。
 だから、青い人が生身の役者を抱きかかえるシーンになってはじめて、「おお、この青い人すごい緻密なCGだな」と感心する。

 CGと実物の間には「不気味の谷」が横たわっている。
 どうやら、谷に落ちずとも、無意識のレベルで谷の存在は感じられるらしい。
 そんなことを思った。
 
■2010-01-08
立法員制度
 政権交代したのに、やってることが自民と変わらない。
 政治なんてどこがやっても同じなのか?
 ようやくそういうムードがマスコミ各社から感じられるようになってきた時節柄、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 さて以前「選挙運動いらなくね?」という思考実験をしましたが、 今回はさらに踏み込んで「選挙いらなくね?」を考えていきます。

■議員と国民の「意識のズレ」

 すべての国会議員は、選挙というエクストリームスポーツをクリアしています。
 あれだけ不毛なルールで戦ってるんですから変人偏屈の類であることは間違いなく、決して「俺たちの代表」と言えるものではありません。
 白昼堂々、自分の名前のみを連呼しながら市街を走れる時点で相当レアな人です。

 そんなレアな人々が全国から集うのが国会です。
 ですから、国会議員の意識が国民の意識と大きく乖離してるのはアタリマエなのです。
 そして議員の意識が国民の意識の平均からえらいズレてるから、だーれも望んでない空港が、地元にできたりするんです。

 ハコモノだけでなく、古くから、人権擁護法だとか、児童ポルノ法だとか、まるで対バイオロン法みたいな法案が平然と出てくる国会。
 裁判員制度みたいな誰が望んだのかわからない法律が、いつの間にか通ってる世界なのです。

■国民の意思を反映するには?

 投票で国民の代表を国会に送る?
 んなもんは無理だ!!

 もういい、選挙いらん。
 ソクラテスは「政治は賢人がやるもの。愚民は来んな」といったようです。
 国は、英才教育を受けたエリートが動かせばよくて、国民投票なぞ衆愚政治だと。
 なんかイラッとする意見ですがまずこれを採用します。

 政治家は全員、厳しい選抜に合格した政治のスペシャリストとします。
 選抜方法は、普通選挙をさらに狭き門にしたようなものを新たに考えます。
 今以上にレアな人が集まることになりますがとりあえずオッケーです。
 法案提出数からいえば官僚で代用してもいいかもしれません。
 で、そのエリートたちで参議院を形成し、国会(ひいては内閣)を運営します。

 これだけだとただの少数独裁なんで、衆議院のほうを改造します。
 議員を全削除して、ランダムに選ばれた一般国民に差し替えます。
 完全に知識のない我々愚民でオッケーです。

 この上に、エリートが衆愚を納得させない限り、議決が通らない仕組みを作るのです。
 さしあたって「法律の制定」と「予算の議決」、すなわち通常国会だけでいいでしょう。
 内閣が予算を通すにも、一般人に納得のいく説明をしなけりゃいかんわけです。
 法律の制定も、わかりやすく説明しなけりゃ通りません。
 去年「プレゼンが下手だと学術予算も容赦なく仕分けされる」という事を役所は学びました。
 今度は国会が学ぶ番です。
 エリートが作った本当に必要な法案ならできるはずです。

■どうやって代表を選ぶのさ

 くじです。

 今、日本では、いつの間にか裁判員制度が運営されています。
 「有権者の中からくじで選ばれた6人に、3日ほど判決に関わってもらう」制度です。

 裁判を身近に感じてもらうために直接参加の制度まで作ったのですから、行政・立法で同じ理屈が適用できないわけがありません。
 これを「裁判員」になぞらえて「立法員制度」とでもしましょう。
 厳密には立法してませんが、そこは議員さんも同じ体たらくなのでよしとします。

 さて、裁判員関係の裁判は、年間3,000件ほどあるそうです。
 3,000件×6人×3日で、国民全体から年間54,000日を徴収しているわけです。
 一方、通常国会は延長がなければ年間150日。
 参議院議員が242名いるので、240名を集めても合計36,000日分の消費ですみます。
 150日も拘束できませんから、案件ごとに立法員のメンバーは交代します。

 「どこに集まるの?」とか「どうやって質問するの?」とかいろいろ問題はありますが、国民の負担としては裁判員制度程度ですむはずです。
 システムも流用できます。


 確かに専門知識を持たぬ我々は衆愚。
 聞きかじりの知識で知らない人に投票するだけの無駄な存在です。
 しかし衆愚ならば教育を受ければよいだけです。
 1つの法案について、様々な立場のエリートが説明してくれるわけですから、その法案の是非についてだけは、必要か不要かの判断は有効にできるでしょう。

 くじで選ばれた立法員は、地方ごと公共施設にあつまって、議員の「必要だ」「不要だ」という生放送ディベート&勉強会を経て、最終的に可決か否決かのボタンを押して帰るわけです。
 各党の担当者が現場にいるといいですね。どうせ地方議員余ってるし。

■オコトワリ

 国会議員が自ら自分のイスを減らすような仕組みを作るわけがないので、このお話は思考実験にすぎません。
 シロウトが中学校レベルの資料で「できるんじゃね?」と思っただけです。
 できてない、ってことは何かしら問題があるんでしょう。
 衆議院の半分が立法員になるだけでも革命だと思うんだけどな。
 
■2009-12-11
年末ジャンボ!
 僕自身はめったに買わないが、年末になると宝くじ売り場が盛況だ。

 宝くじの賞金の期待値は、価格のおよそ半分。
 300円で買った宝くじは、1枚あたり150円弱の賞金が期待できる。
 これは法律で「半分を超えちゃ駄目」と決められているから。

 だが、この期待値を見て「買う人は愚かだ」と結論づけるのは早計だ。
 期待値を利用するときは、かならず分散をチェックしなければならない。
 宝くじの賞金は0から3億まであるから、分散はかなり大きい。
 期待値と違って具体的な数字にならないため忘れられがちだが、「結果がどの程度バラつくか」は我々の行動に大きな影響を与えている。

 みんな期待値が150円弱であることを承知して「宝くじは夢を買うものだ」と言う。
 夢という曖昧なワードを排除すると、これは分散を買っているということだ。
 嫌な分散を小さくするために、保険会社に金を払う人がたくさんいる。
 良い分散を大きくするために、150円を払ってもよかろう。

 僕はこの分散を評価していないわけではない。
 今年に限っては、期待値・分散以外の「買わない理由」があるのだ。
 ここまでしてきた論理的な話では全くない。

 今年、プロゴルファーの小田龍一選手が、賞品として宝くじ3000枚を獲得した。
 これは要するに、3枚だけ買った人に比べて、小田選手は1000倍も当たりやすい、という事だ。
 気合を入れて30枚買ったとしても、まだその100倍も当たりやすい人がいるという事実。
 この圧倒的な開き。どう考えても太刀打ちできそうにない。
 バッファローマンに「わたしの超人強度は1000万パワーだ!」と言われたウォーズマンの気分だ。
 もはや白旗、完全降伏である。


 同じ確率的アプローチでもこれほど印象に差が出ることがある、と身をもって知った。
 
■2009-10-17
有休の風
 先月「観光地域経営フォーラム」という団体が「『休暇』から『休活』へ~有給休暇の活用による内需拡大・雇用創出」という提言を出した。
 これによると、日本の労働者が毎年捨てている有給休暇は、全部合わせると約4億3000万日になるらしい。

 毎年4億3000万日!
 この出だしの部分だけで相当なインパクトだ。
 提言によると、この休暇を使用すれば、現在検討されている主な政策の10倍くらいの経済効果・雇用創出が生み出せるという。ただ、収入が増えるわけじゃあないのに休暇があってもカネを使うか?と思ったので、後半はあくまで試みの計算として読み流した。
 とにかく4億3000万日というケタが凄い。想像もつかない。

 毎年、4億3000万日ぶんの有給休暇が捨てられている……ということは、
 たとえば悟空が「日本のみんな!オラに有休を分けてくれ!」という技をあみだしたら、それだけで向こう118万年の間、どこかの企業からお金をもらって、働かないで暮らせるわけだ。
 もしくは、年度ごとに重清くんがハーヴェストで日本中の有給休暇を集めて配ったら、それだけで118万人が遊んで暮らせる計算になる。
 くそう!いいな!118万人!

 ……ん?待てよ?
 ということは、我々労働者が完全に有給休暇をもれなく行使したら、どこかで118万人の暮らしが立ちゆかなくなるということか?


 なるほど、いろいろ端折って勝手に納得したが、少なくとも経済効果はなさそうだ。
 
■2009-09-14
月に吠える
 月の表面を覆う砂は、太陽光をでたらめに反射させてしまうらしい。
 そのため、夜空に見える満月は、球形であるにも関わらず、平面的に、円形に見える。

 ふと「竹取物語は凄いんじゃないか?」と思いあたった。
 日本最古の物語が、教科書に載るくらいの完成度を誇っているとか、そういう視点では言うまでもなく凄いのだが、今回はそういう話ではない。

 平安時代の半ばごろに、この作者は、月に都があることを想像している。
 つまり月には地球と同じ大地(大地の定義は曖昧)があると認識していたわけだ。
 これは凄いんじゃないか?

 だって夜空に出てる月なんて、お盆にしか見えないし、毎日ゴリゴリ欠けるし、うさぎの模様は描いてあるし、とうてい大地があるように見えないじゃないか。
 「円い」と「丸い」の区別もできない日本語話者が、どうやってそんな発想をしたのか?
 満ち欠けの様子から、球形であることが推測できた……のかもしれない。するとしかし、朔望の仕組みを知っていて、我々のいる大地のほうも球形をしているという事実をあっさり受け入れていたということになる。
 地球が丸いこと自体は、紀元前から知られていたようだけれど、そのうえ月も球状で、そこに都がある、なんてことがフィクションの下地として平然と受け入れられていたのが凄い。
 
 「いや、別に凄くない。地『球』というからには球形なのは確定的に明らか」
 
 お前マジ頭いいな。
 
■2009-08-21
続・不統一なカタカナ
 前回の日記で、語末の「ー」の有無による言葉の使い分けの可能性を考えた。
 だが「ー」の表記が揺れているのは、なにも語末だけではない。

 2005年末の流行語大賞で「萌え」がノミネートされたとき、報道各社が「メードさん」という表記をしたのに違和感を覚えた人も多いはずだ。
 なんで「メイド」って書かないんだよダセェな、と。

 もちろんこれにも基準がある。共同通信の新聞用字用語集によると、

原音で二重母音の「エイ、オウ」は、原則として長音と見なす。
[例] ショーウインドー デーゲーム データベース

 とされている。もちろん「ノウハウ」などの例外も挙げられている。

 今まで「オーダーメード」などと表記していた報道各社は、当然「メイド」と書く不統一を避け、「メード」という表記にしたわけだ。
 だが、今では本来の「女中」という意味を離れ、固有名詞として認識されてきたのか、「メイド」と表記することが増えたようだ。


 さて、そうなるとここからが戦国時代となる。
 他の全ての「エイ、オウ」に対して、同じ経路でアタックが可能なわけだ。
 「メード」をダサいと思うのに「ホーム」はそのままでいいのか?

 たとえば「make」はどうだろう?
 「メーク」なんて表記は古くさい。「メイク」が完全に主流だろう。
 だが「maker」になると、まだみんな「メーカー」という。
 いまのところ、ここにアタックを仕掛けたのは、BUMP OF CHICKENの「ラフメイカー」しか知らない。

 「ページ」は「ペイジ」になるべきだろうか?(血管針攻撃!)
 Googleの「ページランク」は実は「頁ランク」ではなく「ペイジさんが作った」という意味らしい。「ペイジランク」と表記してくれれば区別ができたわけだ。
 となると、やはり無下に統一するわけにはいかない。

 我々は無意識に、曖昧に、これを利用して言葉を区別している。
 同じ「chain mail」でも、不幸の手紙は「チェーンメール」、鎖かたびらは「チェインメイル」として認識しているはずだ。
 球技の「ボウリング」と掘削の「ボーリング」など、微妙な発音の違いを汲み取っている例もある。

 どちらでも良いときは、どちらを支持するべきだろうか。
 全体の傾向としては、「ー」を使った表記は、かつて報道各社によって大量に広められた感じがするため、モノによっては古くさい。マニアックな、狭い範囲で流通する、新しい言葉ほど「エイ、オウ」を採用することが多いように思う。
 原語の発音に近いこともあり、後者が徐々に勢力を伸ばしていくのではなかろうか。

 Xboxの「ヘイロー」シリーズも、カタカナ表記を「ヘイロウ」にしてはどうだろう。
 そんな事を思った。
 
■2009-08-20
不統一なカタカナ
 カタカナ語の表記を統一するとき、いつも困るのが「ー」の扱いである。
 たとえば「コンピュータ」か「コンピューター」か、という問題だ。

 これが正解、という基準は存在しないので、よりどころになりそうなものを探す。
 内閣告示の「外来語の表記」によると、

英語の語末の-er、-or、-arなどに当たるものは、原則としてア列の長音とし長音符号「ー」を用いて書き表す。

 となっている。原則として「ー」は付けよう、ということらしい。

 一方、現状で「ー」を省いている用語は、日本工業規格(JIS)の原則であった、

a)その言葉が3音以上の場合には、語尾に長音符号を付けない。
b)その言葉が2音以下の場合には、語尾に長音符号を付ける。

 という様式から生まれたものがほとんどなようだ。
 パソコン用語を始め、工学的なものが「ー」を省略するのはこの理由による。
 この様式を知らない人が「パソコン用語は最後の長音を省いている」と機械的に認識し、Dataを「データー」と発音してしまったりする被害が出ている。

 だが、JISに関係あるかどうかで「ー」の有無を判断すればいいかというと、そう単純ではないので困る。
 履物は「スリッパー」ではないし、ぬいぐるみは「テディーベアー」ではない。
 「モーター」はよく見かけるが「プロペラー」は見かけない。
 基準はサッパリわからないが、慣用化した例外がたくさんある。

 これらを統一しようと思っても、そう上手くいくものではない。
 我々は無意識に、曖昧に、これを利用して言葉を区別しているからだ。

 たとえば、モニタと言えば画面だが、モニターと言えば試用者だ。
 ドライバーといえば運転者だが、ドライバと言えば周辺機器だ。
 フリーザと言えばポロリだが、フリーザーと言えば伝説のポケモンだ。
 ローラーと言えば重いコンダラだが、ローラと言えばヒデキだ。

 カタカナ語の発音なんて、もともと原語とかけ離れているのだから、開き直ってこの種の使い分けをもっと広げてもいいと思う。
 lighterとwriterのどちらかに「ライタ」という表記が定着していれば、我々はZippoについての記事を書くときに駄洒落をいくつも思いつかずに済んだはずだ。
 rockerとlockerのどちらかに「ロッカ」という表記が定着していれば、我々はコインロッカーと間違えてパンクロッカーに荷物を預けたりしないで済んだはずだ。

 しかしキャリア(carrier/career 職歴・官僚・運輸・通信・病気)のように、すでに意味が爆裂している例もあるので、あまり効果はないだろうし、定着もしないだろう。
 まことに言語は複雑である。
 
■2009-07-15
続・だめな選挙
 前回の日記の中で、選挙運動の無駄の多さについてひとしきり絶望した。
 が、調べてみると、昭和28年にすでに「選挙運動をシンプルにしよう」という試みを実践した候補者がいたことがわかった。

 「トラックもマイクも使わず、運動の主力をハガキとポスターに置く」という方針で見事当選したのは、婦人運動家として有名な市川房枝であった。
 平塚らいてうと並んで教科書に載ってるレベルの大物じゃないか。
 ネームバリューがあったからこそできた作戦かもしれない。だが、定められた選挙費用上限額のわずか16%の出費で済んだという、そのコストパフォーマンスは驚きである。


 話は変わるが、与野党ともに政治家の「不透明な収入」が問題に上がることが多い。
 マスコミは「政治とカネの問題」と名付けて解決した気になっている感がある。
 この類の問題が持ち上がったとき、(秘書が)帳簿をごまかしただの、(秘書が)帳簿の詳細を把握していなかっただのと、「どのような方法で不正に金を手に入れたか」が追求されるのが常である。

 この構図がまずおかしい。
 国民が知りたいのは「どうしてその金が必要だったのか」ではないのか?
 親の財布から金を抜いた子どもを叱責するとき、「どうやって抜いた!」と聞いて何が解決するのか。「何に使った!」が自然だろう。
 不正な金の出所を明らかにしても意味がないじゃあないか。金の用途を明らかにし、そんな大金を使わなければならないシステムを改めない限り、どんな規制を作っても抜け出す人間が現れるだろう、というのは悲観的な人間でなくても予想するところである。

 しかし本当に、オザワさんやハトヤマさんは何に金を使ったのか?
 まさか漢検理事長みたいに、豪邸や石碑を建てるのに使ったのではあるまい。そんなマヌケが党首をやってるハズはない。

 素人の考えでまっさきに出てくるのは「選挙」である。これ以上ディープな事例になるとたいてい妄言扱いされてしまうので、妥当なところではないだろうか。
 実際、党の公認を得ない完全無所属の候補者は、選挙資金の捻出に苦労するらしい。逆に考えれば、党の公認候補は、党から資金を貰っていることになる。
 候補者全員が合理化に動けば、相当な節約の余地が出るのではないか?


 大事だと思うのでもう一度書く。
 もし政治が腐ってるとしたら、それは選挙が腐ってるからだ。

 古いやり方の選挙では、古い考え方の人間しか国会に送り込めない。
 だが、そんな絶望的なルールの中で、少しでも効率を考えている候補者がいないか、次の選挙では注視してみるつもりだ。
 立候補の際に委員会から渡された選挙七つ道具(事務所や選挙カーや拡声器の表示板など)をつき返して、
 「必要ない、この脚のみで選挙区を横断して優勝する」
 などというサンドマンみたいな奴が居ないものか(たぶんリタイアするけど)。