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◆不定期日記ログ◆

■2010-02-17
ひみつのたからばこ
 JRPGという、ゲームとしてはちょっと歪んだジャンルにふさわしいのは、いったいどんなシナリオだろうか?

 RPGに凝ったシナリオをのっけようとすると、どうにも邪魔くさい。
 場合によってはゲームの阻害にしかならんこともある。
 「コイツはシナリオ上ここで離脱するので、ここまで育てた人はご愁傷様」
 みたいな状況、みんな覚えがあることだろう。
 いくらテーマが「命」だからってここでコイツを殺すなよ!

 制作者が何らかのテーマを発信したい場合、小説や映画のほうがよっぽど向いている。
 どうしてもゲームにしたいならノベルゲーにすればよい。
 間に迷宮だとか戦闘だとかを挟んだら、テーマを語る上で邪魔でしかない。



 ここでふと、一冊の攻略本を思い出した。
 ご存じの人はいるだろうか、MOTHER2の『ひみつのたからばこ』を。

 この攻略本は、最初から最後まで、「冒険から帰ってきた僕のネスが、僕に語った冒険談」という形式の小説になっている。
 MAPはネスの手書きという設定だし、お店や敵の情報も小説の欄外に書かれている。
 こういう本が出るということ自体が素晴らしい。

 ここに、JRPGのシナリオのあるべき姿の1つが見えてきた。
 RPGは「自ら操作して進める」という点で、小説や映画と大きく異なる。

 小説や映画では、出逢い、戦い、傷付き、成長するのは主人公であり、主人公は、作中でその成長を言葉や行動で示さなければならない。
 だがゲームの場合は、必ずしもそうではない。
 励まされても、感謝されても、ネスはノーリアクションでよい。その励ましを受けるのは、これから十字キーを前に入れるプレイヤー自身であればよく、その感謝を受けるのは、時間を割いて多くの戦闘をこなしたプレイヤー自身であればよい。

 極端な話、「あの時のお前の言葉に勇気を貰ったんだ」と主人公が喋るのはナンセンスで、クリア後にプレイヤーが「あのセリフはテンションあがったなー」と思うのが本来なのだ。
 これは難しいことだ。エンタ芸人がテロップなしで人を笑わせるくらい難しい。
 だが全員が全員、同じシーンで同じ感想を抱く必要はない。
 むしろバラバラであってよい。

 クリア後に、それぞれ違う「ひみつのたからばこ」が書けるようなシナリオこそ、RPGのシナリオが力を入れていくべき方向だろう。
 そこを忘れてしまっては、映画には一生かなわない不遇なエンターテイメントになる。



 以前まったく無自覚に書いた、サガみそプレイ日記
 必要条件でも十分条件でもないが、フリーシナリオは一つの根本的手段かもしれない。
 たとえばサガフロ裏解体新書のヒューズ捜査日記は、あれにマップなどの情報をくっつけたら立派に「ひみつのたからばこ」ができよう。

 ……誰でもwikiから攻略情報を引き出せるこの時代、「ひみつのたからばこ」みたいな攻略本を同人で作る奴、いないのかな?
 世界樹とか、けっこー合いそうな気がするけど。