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◆不定期日記ログ◆

■2009-07-15
続・だめな選挙
 前回の日記の中で、選挙運動の無駄の多さについてひとしきり絶望した。
 が、調べてみると、昭和28年にすでに「選挙運動をシンプルにしよう」という試みを実践した候補者がいたことがわかった。

 「トラックもマイクも使わず、運動の主力をハガキとポスターに置く」という方針で見事当選したのは、婦人運動家として有名な市川房枝であった。
 平塚らいてうと並んで教科書に載ってるレベルの大物じゃないか。
 ネームバリューがあったからこそできた作戦かもしれない。だが、定められた選挙費用上限額のわずか16%の出費で済んだという、そのコストパフォーマンスは驚きである。


 話は変わるが、与野党ともに政治家の「不透明な収入」が問題に上がることが多い。
 マスコミは「政治とカネの問題」と名付けて解決した気になっている感がある。
 この類の問題が持ち上がったとき、(秘書が)帳簿をごまかしただの、(秘書が)帳簿の詳細を把握していなかっただのと、「どのような方法で不正に金を手に入れたか」が追求されるのが常である。

 この構図がまずおかしい。
 国民が知りたいのは「どうしてその金が必要だったのか」ではないのか?
 親の財布から金を抜いた子どもを叱責するとき、「どうやって抜いた!」と聞いて何が解決するのか。「何に使った!」が自然だろう。
 不正な金の出所を明らかにしても意味がないじゃあないか。金の用途を明らかにし、そんな大金を使わなければならないシステムを改めない限り、どんな規制を作っても抜け出す人間が現れるだろう、というのは悲観的な人間でなくても予想するところである。

 しかし本当に、オザワさんやハトヤマさんは何に金を使ったのか?
 まさか漢検理事長みたいに、豪邸や石碑を建てるのに使ったのではあるまい。そんなマヌケが党首をやってるハズはない。

 素人の考えでまっさきに出てくるのは「選挙」である。これ以上ディープな事例になるとたいてい妄言扱いされてしまうので、妥当なところではないだろうか。
 実際、党の公認を得ない完全無所属の候補者は、選挙資金の捻出に苦労するらしい。逆に考えれば、党の公認候補は、党から資金を貰っていることになる。
 候補者全員が合理化に動けば、相当な節約の余地が出るのではないか?


 大事だと思うのでもう一度書く。
 もし政治が腐ってるとしたら、それは選挙が腐ってるからだ。

 古いやり方の選挙では、古い考え方の人間しか国会に送り込めない。
 だが、そんな絶望的なルールの中で、少しでも効率を考えている候補者がいないか、次の選挙では注視してみるつもりだ。
 立候補の際に委員会から渡された選挙七つ道具(事務所や選挙カーや拡声器の表示板など)をつき返して、
 「必要ない、この脚のみで選挙区を横断して優勝する」
 などというサンドマンみたいな奴が居ないものか(たぶんリタイアするけど)。