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◆不定期日記ログ◆

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■2007-12-19
うずたかく
 「うずたかく積み上がった~」って言うけど、「渦」の語感のせいで、どうしても、こう、アラレちゃんがよくつついているようなタイプの、ああいう形のヤツを連想してしまう。
 
■2007-12-04
カタカナガリレイその4
 スイーツ(笑)って言ってる人たちは、
 当然「コーヒー牛乳」に対して
  • ミルクコーヒー(笑)
  • カフェオレ(爆笑)
  • カフェラテ(核爆)
 って言うべきだ。

 この流れをふまえると、そろそろフロマージュ(仏)が幅をきかせてきたチーズ界隈は、将来的にはホルマジオ(伊)になってくると思う。
 しょーがねぇなあー…
 これからはもっと…しんどくなるぜ…外来語はよ…
 
■2007-11-06
アメーラトマト
 「アメーラ」というトマトの品種をご存知だろうか。
 糖度が高いのが特徴で、その品種名も静岡弁で「甘いだろ?」を意味する「甘ぇら」から来ている。

 なので、俺は「デラウェア」は名古屋の名産だと信じている。
 「すごい甘い」とか「すごい種がない」とか、そういう意味だと信じている。
 
■2007-10-08
いいえそれはトムです
 日本語はとにかくおくゆかしい言語で、直接的に申し上げることを避ける傾向がある。
 島国で農耕をしていたからだろうか、みなまで言わないことが美徳とされる。
 あうんの呼吸である。ツーカーの仲である。
 「どんだけー」で止めて、具体的なツッコミ内容は申し上げないのが良いのである。

 テーブルの向かい側の人のところにある塩を取って欲しいときも、
 「Pass me the salt, please.」などと無粋なことを言ってはならぬ。
 「すみません、それはお塩ですか?」と遠まわしにモノ欲しそうにするのが日本的なのである。
 相手は必ず行間を読んで「あ、スミマセン、どうぞ」と塩を取ってくれるだろう。

 だから、中学生諸君。
 よく聞いて欲しい。


 問1 次の質問に英語で答えなさい

  A:Is this an apple?  B:              .


 という問題に出くわして、「リンゴかどうかなんて見ればわかるだろアホウが」と思っているようでは、まだまだ空気を読めていない。
 日本人ならば、迷わずに

  A:Is this an apple?  B: Here   you   are .

 と解答すべき問題なのである。
 この問題は君たちに「世界に通用する日本人となるには、まず和の心を鍛えよ」と、そう申しているのだ。遠まわしに。
 
■2007-08-29
ことわざジェローデル
 【甘いものはベルばら】

 甘苦~いショコラをとりあえず前にいる男の顔面にぶっかけて、「そのショコラが熱くなかったのをさいわいに思え!!」と言い放つ攻撃的な姿勢のこと。
 
■2007-07-25
ゲシュタルト構築
 という字が、
 満面の笑みを浮かべたメガネ人間にしか見えなくなってきた。

 \薔/
 
■2007-07-04
わかりかねる
 「わかりかねる」という言葉は、意味も直感的にわかりかねるし、パッと見だと字面もわかりかねるし、連呼すると舌の動きもわかりかねる。
 
■2007-07-01
重複表現
 英語で「Mt.Fujisan」という表記を見ると悲しくなるが、
 手元の地図帳に「モンブラン山」と書かれていたので痛みわけとする。
 
■2007-05-24
楽都どウィーン
 前の日記で、「ウィンナーソーセージをウィンナーと略してしまったことによって、日本人はウィンナーコーヒーを受け入れがたい土壌を作ってしまった」というところまで書き進めようとして、ふと気がついた話。
 問題はハンバーグである。

 ハンバーグとはハンブルク(Hamburg)のことらしい。
 日本には、英語的に読んだものがカタカナ語として入ってきたのだろう。

 これはよくない。
 富士宮焼きそばを「フジノミヤ」と呼ぶくらいよくない。

 …そんな略し方もご当地料理的でよいという考え方もあろう。
 だがウィーンのソーセージはウィンナーだ。
 ナポリのスパゲティはナポリタンだ。
  
 したがってハンブルクのステーキはハンバーガーであるべき
 あ、ダメだ。


 挫折したところで冒頭の話題に戻るが、この話は結局「二種類も名物スタイルを抱え込んだウィーンが欲張りなだけであって、我々日本人にはなんの落ち度もない」という主張にまとまっていく予定であった。
 あと、フランクフルトはフランクフルトのままなのに、ウィーンのソーセージがウィンナーになるのも気に入らない。
 ウィーンに会ったら言ってやりたいことがいっぱいある。
 
■2007-05-15
てう気になる
 「元始女性は太陽であった」で有名な、フェミニストのパイオニアである平塚らいてう。
 果たして現代の男女平等論は、彼女の時代から一歩でも前進をしたのだろうか…という話ではない。

 なぜゆえ「らいてう」なのだ。
 ほかに歴史的仮名遣いで登場する偉人がいるか。
 「らいちょう」と書いたらいいではないか。

 ここまで頑なに現代仮名遣いを拒むということは、実は本当に「らいてう」だった可能性を考えなければならない。
 「らいてう」と書いて「らいてう」と読む!
 かなり前衛的な名前だが、なにしろ戦前の話だ。何があったかわかったもんじゃあない。

 僕らだって100年後、世界が一旦滅びてしまっていて、生き残りの学者が史料を発見したときに、

 「このユニセフというのは何だ」
 「これはユニセフと書いてユニショウと読むのだ」
 「そうか」

 みたいな会話を交わされたら成仏できないだろう。
 できないだろう!
 もう平塚らいてうのことが気になって眠れない!

 でも最近の中学校の教科書には普通に「平塚雷鳥」と書いてあったのでよく眠れます。
 
■2007-05-10
あげだまボンバー!
 Bomberはボマーなのかボンバーなのか?

 ちょっと調べると本来の英語の発音ではボンバーにはならないことがわかる。まあ疑う余地はあるまい。

 だがボンバーという語感に強烈な魅力を感じるのもまた事実。
 もしm.c.A.T.が「Bomb A Head!」で「ボンアヘッ」って叫んでいたら君だってがっかりするだろう。
 いくらBombの最後のbを発音しないのが正確であるといっても、それを破ってみたくなるだけの魅力がこの響きにはある。

 我々がフランス人から「Hotelのことオテルって言えよ」と言われてもなかなか頷くことはできないように、bを発音しないなんていうのは英語圏で勝手に決めた流儀なんであって、僕ら極東の人間がそれに従わなければならないという理由はあるまい。
 しかしそのスタンスを取ってしまうと、最終的にモンブランのことをモントブランクとか言わなければならなくなってしまう可能性があるのでかなり辛い。

 いま俺に提言できることがあるとすれば…
 「ボンバーマン」は~erとmanで意味が重なってね?
 …ということだけだぜ。

 ランナーマン。ギタリストマン。なんかゆでの香り。
 
■2007-05-02
春の憂い
 語感が良くなくては言葉を略す意味がないし、略語そのものに意味を求める必要はないことは重々承知だ。

 だが我々日本人はこれまで、スーパーマーケットのことを「スーパー」と略す派閥や、ホモセクシャルのことを「ホモ」と略す派閥に実権を譲り渡すという大失態をくり返してきた。
 結果、スーパーマンやホモサピエンスの人々には多大な迷惑をかけているに違いない。

 今我々にできることは、せめてwikipediaのことを「ウィキ」と略す派閥が実権を握らないように、と祈ることだけだ。
 
■2007-04-04
歯黒、ご期待下さい
 
 「おはグロ」と書くと、不気味さ倍増。
 
 
■2007-03-30
カタカナガリレイその3
 御託はその2でさんざん並べたので結論だけ言うと、

 「オンブズマン・オンブズパーソン」に対する理解が得られないのは、
 どうしても赤子を背負っている人にしか思えないこのカタカナ語を日本語に翻訳できる人が現れなかったからであり、
 仮想世界ゲーム「セカンドライフ」が日本で全然話題にならないのは、
 定年退職後のことを指すカタカナ語とまるかぶりしているというのに、邦題をつけなかった日本のスタッフのせいなのだ。
 
■2007-03-13
カタカナガリレイその2
 パネルディスカッション【panel discussion】
 討議する問題について、通例数人の対立意見の代表者(パネリスト)が、聴衆の前で論議をかわすこと。

 不要なカタカナ語の代表のようなこの単語が、いまや国語の教科書でも一つの単元として扱われている現状に絶望する。

 「パネルディスカッションはパネルを使って議論するものだと思ってた」と過去を恥じる人々よ!
 あなたたちは間違っていない。
 パネルディスカッションにパネルが出てこなかったなら、それはそっちのほうが間違っている。
 参加者のことをパネリストというからといって、日本語ですでに「板」として定着しきったパネルという単語を安直に流用するほうが間違っている。
 あなたたちを笑う者こそが、パネルディスカッションという言葉を紛らわしくない日本語に言い換えることのできなかった語彙の少ない連中の信奉者であり、逆に一笑に付されるべき存在なのだ。

 そもそもパネルディスカッションはシンポジウムと何が違うのか?
 違わせる意味はあるのか?
 ほぼ同義で浸透率の高い言葉があるのに、わざわざ「パネルディスカッション」の呼称での浸透をはかるということは、「えーマジ?パネルディスカッションにパネルが出てくると思ってていいのは小学生までだよねー」と他人を嘲笑し、「お、俺、panelの意味、知ってるんだぜ」と英語力を自慢する意図があるに違いない。
 なんという思いあがり…妄想が加速して、もうパネルディスカッションという言葉を見ただけでイライラしてきたぞ。

 このまま一足飛びに「カットソーがノコギリでないのはおかしい」というところまで攻撃を加えようと思ったが、どうやら今日はここまでのようだ。
 命拾いしたな!
 
■2007-02-21
エトセトラにまつわる妄想
 "にまつわるエトセトラ" の検索結果のうち 日本語 のページ 約 1,060,000 件

 最初に「~にまつわるエトセトラ」という言葉をあみ出した者を尊敬する。
 僕らは「まつわる」や「et cetera」の詳しい意味なんか知らないのに、何かに関連したよもやま話をするときの定型文として「~にまつわるエトセトラ」というタイトルを許容している。
 ひょっとして、ことわざや慣用句の類は、こうして生まれて認知されていくのではないかというような予感すら感じさせる(重複表現)。

 「などなど」のちょっと気取った代用(etc.)でしかない「エトセトラ」を、華々しく題名に使ったのはいったい誰だったのだろう。
 最初にやったのは誰なのか知るよしもないが、これが世に広まったのはPuffyの『渚にまつわるエトセトラ』(97年)からではないか?

 僕の世代のせいでバイアスがかかっているだけかもしれない。
 しかし『これが私の生きる道(私生道→資生堂)』『サーキットの娘(→サーキットの狼)』など、このあたりのPuffyの曲名はかなりひねって作られており、あながち無関係とは言い切れない凄みがある。

 もし97年以前に「~にまつわるエトセトラ」という定型文を使った例を見た覚えがある人がこれを見ていたらコメントを下さい。
 それまでは井上陽水を尊敬することに決めた。