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◆不定期日記ログ◆

■2007-03-13
カタカナガリレイその2
 パネルディスカッション【panel discussion】
 討議する問題について、通例数人の対立意見の代表者(パネリスト)が、聴衆の前で論議をかわすこと。

 不要なカタカナ語の代表のようなこの単語が、いまや国語の教科書でも一つの単元として扱われている現状に絶望する。

 「パネルディスカッションはパネルを使って議論するものだと思ってた」と過去を恥じる人々よ!
 あなたたちは間違っていない。
 パネルディスカッションにパネルが出てこなかったなら、それはそっちのほうが間違っている。
 参加者のことをパネリストというからといって、日本語ですでに「板」として定着しきったパネルという単語を安直に流用するほうが間違っている。
 あなたたちを笑う者こそが、パネルディスカッションという言葉を紛らわしくない日本語に言い換えることのできなかった語彙の少ない連中の信奉者であり、逆に一笑に付されるべき存在なのだ。

 そもそもパネルディスカッションはシンポジウムと何が違うのか?
 違わせる意味はあるのか?
 ほぼ同義で浸透率の高い言葉があるのに、わざわざ「パネルディスカッション」の呼称での浸透をはかるということは、「えーマジ?パネルディスカッションにパネルが出てくると思ってていいのは小学生までだよねー」と他人を嘲笑し、「お、俺、panelの意味、知ってるんだぜ」と英語力を自慢する意図があるに違いない。
 なんという思いあがり…妄想が加速して、もうパネルディスカッションという言葉を見ただけでイライラしてきたぞ。

 このまま一足飛びに「カットソーがノコギリでないのはおかしい」というところまで攻撃を加えようと思ったが、どうやら今日はここまでのようだ。
 命拾いしたな!