Oneside Flat Web

◆不定期日記ログ◆

CATEGORY 妄想

■2016-02-25
親指消耗
 唐突だが、なんでN64のアレは「アナログスティック」じゃなく「3Dスティック」だったんだろうか。

 入力されるものは二次元極まりないのに「3Dスティック」。
 ちなみに公式の読み方は「サンディスティック」なのでこれだけでも覚えて帰ってください。

 当時コントローラーに使うスティックといえばジョイスティックだったはず。それとの違いを明確にするネーミングが「3D」だったのだろうか。
 根元のセンサー部が曲面だったりしたのかな。
 あるいはX・Y軸に加えて傾きで重さをつけて3軸……?いやその場合なおさら「アナログスティック」と呼んだはず。
 やはり3Dゲームを遊ぶためのモノであることを強調するべくこのような名前をつけたのか?

 「……という議論を経て、俺の結論は、『ダディフィンガーへの・ダメージが・でかい』で3D、ということに落ち着いたんだが」

 「ダディフィンガーて」
 
■2016-02-21
魔法商店街
「プリキュアの魔法商店街が期待より全然ヌルかった」

「確かに魔法学校→魔法商店街の流れはハリポタから何年経ってんだって話だな」

「せっかく異世界なんだからもっと斬新な商店街を描いてほしかった」

「Amazonでホウキを注文すると転送魔法で即手元に届くとか?」

「あっAmazonはあるんだ」

「ある。Amazonは魔法」

「Amazonは魔法」
 
■2016-01-16
人類よ世紀を捨てよ
 もう我々は「世紀」という数え方を一切合切捨て去るべきではないだろうか。

 たとえば「1492年」をいう西暦年を与えられて、それが何世紀か直感的にわかる層がどれだけいるというのか。1400年代を15世紀と表記することになんの疑問もなかったのか。いいかげんゼロの存在を認めたらどうか。
 だいたい「世紀がいつから始まるか」すら直感的でないのが大問題だ。うっかり1999年のカレンダーに「END OF THE CENTURY」と書いてしまったロックバンドのことを誰が責められようか。結局みんな2000年をミレニアムだの何だのと理屈をつけて祝ったではないか。2000年が21世紀でないという失態をなぜ放置してきたのか。いったい今まで世紀の境目をいくつ超えてきたと思っているのだ!人類!

世紀の区切りがいつであるかについては、記録によると16世紀末から議論が繰り返されてきた。100年ごとに訪れる区切りが近づくたびに議論が繰り返されるのは、一度議論に参加した当事者は次に議論がなされる100年後にはほとんど生き残っていないからである。

世紀 - Wikipedia
 うるさいよ!なんだよ「生き残っていないから」って!歴史に学べよ!
 ホント歴史から学べることは「人は歴史から学ばない」という1点のみだな!!


 こんな数え方は「数え年」を葬り去ったときに一緒に合葬しておくべきだったのだ。B.C.側はともかくとして、A.C.側は全部「1400年代」とかにしてしまえば何もかもすっきりする。
 ただこの場合「1900年代」と言ったときにそれが「1900~1999」を指すのか「1900~1909」を指すのかがハッキリしないという大問題がある。ここを何とかする方法が見つからないかぎり世紀という数え方を滅ぼすことはできないだろう。

 だが「世紀」を滅ぼす機運は確実に高まっていると感じる。2001年から2015年までの間がまったく21世紀という感じがしないまま過ぎてしまったことで、「世紀」の格はかなり落ちているのではないだろうか。なんだよおそ松とかブラックジャックとか、前世紀の人間にどう釈明すればいいんだよ……。
 これを機に「世紀」という概念を、前世紀に夢想されていた21世紀のイメージとともに撃滅するしかない。早くしないと間に合わなくなる。会社に21世紀生まれの人類が入って来る前に早く――。
 
■2015-10-17
クレーンの語源
「あーあの港にある、ダチョウみたいなでっかいクレーンね」

「ダチョウみたいというか、クレーンの語源はクレイン、つまり鶴なので、鶴みたいといったほうが正確ですね」

「なるほど」

「今のはテキトーに思いついたことなので真に受けないで下さい」

「なんだよ」


 ……と息をするように口から出任せを言っていたのだが、調べてみるとガチで鶴が語源のようだった。なんだよマジかよ鶴が吊るとかオヤジギャグになっちゃうじゃねーかやめろよ。
 
■2015-10-05
1000と千尋のマイナンバー
ハク「これは隠しておきな、帰るときにいるだろう?」
千尋「これ、10月にもらったカード?『************』?……私のマイナンバーだわ!」
ハク「湯婆婆は相手のマイナンバーを奪って支配するんだ。いつもは1000でいて、本当のマイナンバーはしっかり隠しておくんだよ」
千尋「私、もう取られかけてた。1000になりかけてたもん」
ハク「マイナンバーを奪われると、帰り道が分からなくなるんだよ。私はどうしても思い出せないんだ」
千尋「ハクのマイナンバー……?」

 ……みたいなCMを総務省は即刻作って放送し周知をはかるべきだと思います。
 
■2015-08-20
なぜ我が子は可愛いのか
 我が子が可愛くて困る。
 生まれる前は絶対に「ああ~~我が子可愛いんじゃ~~」系の親御さんにはなるまい、俺は外面だけは常にクールでいる、と思っていたが可愛いんじゃ~~……
 去年年賀状をつくったときも「ヘッ!年賀状に子どもの写真なんて使ったってダセェだけだぜ!」みたいな構えでいたのに結局我が子の可愛さに負けた。


 なぜ我が子は可愛いのか?
 いや、あえて主語を広く言い換えれば、なぜ世間の親御さんは我が子がいちばん可愛いと思ってしまうのか?
 悔しいのでそれを考えてみた。
 血を分けた子だからか?DNAがそうさせるのか?生物的な本能なのか?……たぶんそうなんだろうが、そこに着地点を定めてしまうと「アッハイ」で終了してしまうので、まず我々が「可愛い」、つまり容姿が整っていると思うのはどんな個体なのかを考えよう。

 容姿が整っている、いわゆる「美人」「イケメン」といわれる顔は、ざっくり言えば「平均値」だ。……と俺はたびたびざっくり言ってるんだけど、まずここが理解されない場合があって困る。
 まず俺に地球人の顔を見分ける能力が欠如していることを認めなければならない。日頃から「髪の色と目の色と髪形が一緒だったらあとC.V.くらいしかキャラクターを区別する手段がないだろ」と思っていて、仕事で支障が出るくらい三次元人の顔が覚えられない。だがこの前批判覚悟で「能年玲奈と広瀬すずは同個体では?」とワイフに言ったところ意外にも共感を得られたので、自信を取り戻して持論を推していこうと思う。

 容姿の評価方法は減点方式である。平均値から大きく外れた要素、たとえば他人と比べて離れすぎた目、大きすぎる鼻などは、各個人の好みはあっても、集合として評価すればマイナスポイントとなる。鼻筋が通ってるとか、目が大きいとかの好みは、あくまでその平均値の周辺レベルでの話である。
 したがって、多くの人が「美人」「イケメン」と思う顔というのは減点要素のない顔であるはずで、これがつまり最初にざっくり言った「平均値」ということなのだ。

 アカチャンの話に戻る。
 我々は生活している限り、職場でも出かけた先でも居間のテレビでもいろいろな顔を見ることになる。しかし、そのなかにアカチャンの顔のサンプルはそう多くはない。乳児ともなるとほぼない。
そうなると外部にサンプルを求められないため、我が子の顔がアカチャンの標準と化し、よその子を見ても我が子と異なる部分が目についてしまうようになり、その結果よその子よりも我が子のほうが可愛く見えてしまうんじゃ~~……


 このようなメカニズムがあるので我が子が可愛いのはしかたないのだ。
 よその子も可愛いけどうちの子が別格なのはそういう理由なのだ。
 現場からは以上です。
 
■2015-04-01
おむつの語源に迫る過程
 おしめは「御湿」で、アカチャンが湿らせるもの、という意味がある。
 では「おむつ」はなぜ「おむつ」というのか?
 育児中に非常に気になったので調べてみた。

 謎を解くには18世紀初頭まで時をさかのぼる必要がある。
 仙台藩第5代藩主に着任した伊達吉村は、危機的状況に陥っていた仙台藩の財政を立て直す策として、鉱山開発、馬産、そして織物の生産を奨励した。その際「仙台平」として有名な絹織物と並んで、仙台藩の特産品として大いに財政を潤わせたのが、赤子のおしめに特化した綿織物であった。
 仙台藩の職人は、吸水力に特化した綿布の紡ぎ方を開発し、高品質なおしめを生産して出荷した。その評判は江戸の上流階級にまで届き、多くの武家屋敷でさかんに利用されたという。このおしめが、武家の奥方の間で、伊達吉村が陸奥守であることになぞらえて「むつのかみ」と呼ばれるようになった。これが「おむつ」の発祥である。

 聡明なる読者諸兄はお気づきと思うが、今日は4月1日なので上記のことは完全にでたらめであることに留意してほしい。実際は「おやつ」と同様、「明け六ツ(朝6時)」にまっさきに取り替えることから「おむつ」と呼ばれるようになった、というのをまた今まさに俺が考えたので各自検証せよ。エイプリルフールはメディアリテラシーの重要性を確認する日なのだ。
 
■2015-02-26
年号の影響力
 すでにすっかり使いつくされた感はあるが、もう「平成」に「新しいもの」のイメージを乗せるのはよしたほうがいい。
 
 有珠山に昭和新山ができたのは昭和19年。まだ十分に昭和が「新しいもの」だった時代だ。しかし平成新山も存在する今の世の中、昭和とはもはや歴史を感じさせる名前ですらある。
 平成ももう27年。そろそろ「新しいもの」のイメージを引き上げさせるときだ。
 
 平成19年に結成されたHey! Say! JUMPはいまのところ無事に活動を続けているが、もし天皇陛下が崩御されるような事態を迎えたときに、いったいどうするというのか。
 そのとき年号は新しいものに変わり、「平成生まれ」の称号はすべて過去のものとなるのだ。アイデンティティの崩壊。彼らの命運は天皇陛下の両肩にかかっているといっても過言ではない。

 仮面ライダーも最近「昭和ライダーVS平成ライダー!」みたいな世代間対立を煽るコピーで劇場版を作っているけれど、これも天皇陛下が御壮健でいらっしゃるからこそできることだ。このままいくと、おそらく平成仮面ライダーの歴史に幕を下ろすのは天皇陛下であろう。今のうちに東映さんはこういった括り方を改めておくべきだ。

 年号だけでもこれほどの影響力。天皇陛下がいつまでも御健在であることを祈るしかない。
 
■2014-08-26
むすんでひらいて
(日米和親条約を)むすんで
(下田と函館の2港を)ひらいて
(食料などの補給をするという条件で)手を打って
(日米修好通商条約を)むすんで
(追加で5港を)またひらいて
(不平等な内容だったが)手を打って
 その「手(内容)」を「上(朝廷)」に……


 朝廷の許可を得ずに条約を結んだ井伊直弼は、尊王派の激しい怒りを買い、最終的に桜田門外の変で暗殺されてしまうのであった。この政治の混乱はこのように童謡として今に歌いつがれているのである(真顔)。
 
■2014-07-13
アイアイ
甲「アイアイ アイアイ」
甲「おさるさんだよ」(Google画像検索)

乙「ひっ」

甲「南の島の……しっぽの長い……」
甲「おさるさんだよ」

乙「えっ……あっ……(尾の長さとかは問題じゃない……!)」

~2番~

甲「アイアイ アイアイ」
甲「おさるさんだね?」

乙「ひっ(念を押された……!)」

甲「木の葉のおうち……おめめの丸い……」
甲「おさるさんだね?」

乙「アッハイ……おさるさんです……」
 
■2014-04-01
伊達者
 ファッションにこだわりを持ち、日本最古の伊達男として知られる伊達政宗公の話をしていたところ、末弟から「なぜ最古とわかるのか?」とボケなのかマジなのかわからない反応をされた。
 仮に伊達政宗よりも前に伊達男がいたとなると、我々はなぜアルフレッド・ノーベルがノーベル賞を受賞していないのかを考える必要があるし、サンドウィッチ伯爵が偶然にもサンドウィッチを好んだことについても考える必要がある。あまりあらゆる因果関係を疑うのはよしたほうがいい。

 幼年期に片目を失明したことから「独眼竜」として有名な伊達政宗だが、これには面白い俗説が残っている。
 先月、耳の聞こえないフリをしていた作曲家がお茶の間に適度な話題を提供していたが、それと同様、政宗の右目も実は見えており、周囲を油断させるために眼帯をしていた、という話である。
 これによって、必ず右側から襲ってくる暗殺者をバッタバッタと返り討ちにする姿が江戸時代末期の講談師によってカッコよく伝えられており、後世の人々がファッションとしての眼鏡のことを「伊達眼鏡」というようになったのはこれに端を発する。

 もちろん今日は四月一日なので以上のことはほぼ嘘である。実際のところは伊達家はほぼ関係なく、戦後になってから「恋人とデートするときにかける」という意味で「Date眼鏡」として発売されたものがローマ字読みされた、という説が有力である。あえて断る必要もないと思うがこれも嘘である。今日は何を書いてもウラを取らなくて良いのでとてもいい日だと思った。
 
■2014-02-09
ロボのプリンスさまっ
 ワイフから、『うたのプリンスさまっ』に出てくるあるキャラがロボだと聞いて驚いた。
 猫が人間になったと聞いたとき以上の衝撃であった。

 猫はまあ、驚きはすれども、ああ、そーゆーのアリな世界なのね、と理解することができる。
 だがロボとなると話は違ってくる。ロボは工業製品だ。コストの問題はあるが、一体あるのなら同じものを作ることができる。これは大変な問題だ。
 以下、ニンジャスレイヤー「メリー・クリスマス・ネオサイタマ」の一節を引く。

別な二機のマグロツェッペリンは、NSTV社のものだ。片方の大型液晶モニタでは、オイランドロイド・デュオ「ネコネコカワイイ」の2人が、サイバーサングラスで目元を隠しながら歌っている。もう一機のモニタでは、彼女たち二人を模した廉価版オイランドロイドのコマーシャルが流れていた。

アンドロイド技術の実用化により真っ先に発展したのは、医療でも介護でも軍事でもなく、大衆の脳を麻痺状態に陥らせ狡猾なエクスプロイテーションを続ける、ショウビズ産業と性産業であった。彼女らの出現によって数十万人単位の女子が夢を諦め、オイラン専門学校への転校を余儀なくされたという。

NJSLYR 2010/11/12 23:28:53
 おお!見よ!機械のアイドルが出現すると、生身のアイドルは不要とされ、数十万人のアイドル志望者が風俗業へ身を落とすマッポーの世になるのだ!
 ……すうじゅうまん??まあ細かいことはいい。
 このロボは人間である他のメンバーの中で、問題なく歌ったり踊ったり演技したりできる。そのうえ金銭や色恋沙汰によるブルシットなスキャンダルがない。労働基準法がないので休暇もない。このロボが量産されたら、人間には太刀打ちできない速度でアイドルカツドウを始め、そのうち生身のプリンスさまたちを駆逐してしまう可能性がある。もはや待ったなしか。

 さらに驚くべきことに、このロボは歌って踊れるだけでなく、作詞作曲をも行うという。これはもうミクさんとかとは次元が違う。ただでさえ天使のミクさんが、自ら歌う曲を作り始めたら……もはやプロデューサーも不要!芸能プロダクションにはメーカーから派遣された保守エンジニアが勤めるのみ!なんたるディストピア!ショウビズ界は自らその首を絞め、ネオサイタマ以上のアビ・インフェルノ・ジゴクを引き起こすことは疑いようもない。

 このような退廃的未来を招かないためにも、このロボには「暴走して人を殺してしまったことがある」とか、「実は小型原子炉で動いている」とか、どうあっても量産できない設定をASAPで付け加えるべきであろう。スゴイヤバイぜ!
 
■2014-01-24
日本版ジョジョ5部
 『ジョジョ』5部のキャラクターの名前は「リゾット・ネエロ」とかだけど、これはイタリア人からみたら「イカスミ・オカユ」みたいな名前になってしまってカッコ悪いのではないか?……という積年の疑問に対して、「逆にコードネームみたいで違和感がない」という意見を耳にした。
 そういえばそうだ。そもそも主人公のジョルノからして偽名じゃないか。暗殺チームのメンバーなんて特にコードネームくさい。どうして俺はその発想に至らなかったのか。


 こうなってくると、もう一つの懸念である「ギャングが観光名所ばっかり巡ってる点はどう写るのか?」が気になってくる。
 現地のひとに聞きたいものだが、そんな人脈も語学力もないので、ここは自分に置き換えて考えてみよう。
 異論はあろうが強引に舞台を日本に移してみると……
  • 福岡の町でヤクザの抗争に巻き込まれる
  • 沖縄に幹部の隠し財産を探しに行く
  • 九州へ戻って吉野ヶ里遺跡で「鍵」をゲット
  • キョート行きシンカンセンを途中下車
  • 神戸ポートランドまで「娘」を連れていく
  • 関西国際空港から伊豆大島へ
  • ボートで東京に上陸、かちどき橋で最終決戦

 おもしろそうじゃないか……。
 これでメンバーの名前がみんなマスオとかカツオとかなんだろ……?
 完全にサザエさんじゃないか!
 
■2013-11-25
二次元殺法
 「○○の点から考える」「○○の面から考える」と比べて「○○のセンで考える」の俗っぽさは何なのだろう。
 二次元はそんなにダメだというのか。

 主に刑事ドラマで使用されている言葉だからだろうな、とは思う。
 刑事さんたちはよく怨恨のセンで調べていく。このときの「線」には、ガイシャを恨んでいた奴がゴールだ、というおぼろげな方向がある。
 つまりこの線は、線というよりはベクトルに近く、方向を持っているという意味で他の2つとは異なる使い方をされるのだろう。
 二次元だけ馬鹿にされているわけではなかったのだ。
 
■2013-11-15
東映とバンダイがAEDを作ったら
 とりあえず一年でモデルチェンジする。つらい。
  • 蓋を開けると「シャバドゥビタッチヘンシーン シャバドゥビタッチヘンシーン」と待機音が鳴る
  • 電極を取り外すと「ソイヤッ!」と威勢のいいかけ声が出る
  • 「3!2!1!ズッオーン!」と千葉繁の極まったシャウトで通電
  • 別売りの獣電池を3本直列でセット可能!
  • 別売りのソウガンブレードと合体させることでマシンガン形態に!
  • 別売りの(以下略

 女の子向けもあって、そっちは「心拍をなくした悲しい患者さん!このキュアAEDが、音声ガイダンスに従って、あなたのドキドキ取り戻してあげる!」とか言われる。
 
■2012-05-23
レベル2オールド
 業務上の秘密に当たるのでぼかして書くけれど、ここのところ数日、同窓会のようなものの広報誌みたいなものを編集している。
 その会のメンバーはほぼ全員が高齢者なので、要するに今俺は、年寄りの書いた近況報告文みたいなものを大量に読んでいるのだ。

 かなりの割合の人が「以前ほど体が動かない」とか、「○○を患い手術をした」とか、体力の衰えや健康状態について嘆いている。
 読んでいるこちらまで若さを吸い取られる気持ちだ。


 さすがにきれいな字を書く人が多いが、中には握力が衰え、震えた文字しか書けなくなった人もいる。
 我々もいつかはそうなる可能性が高い。
 さらに我々の場合は、社会保障が期待できないため、経済的にも贅沢はできないだろうことが予想される。
 感覚が衰え、体力も衰えたとき、いったい我々は何をするのか?
 いま行っている趣味の中で、そんな老後まで続けられるモノがあるのか?

 鈴木史朗先生のプレイを見る限り、ゲームはいけるかもしれない。
 しかし文章や絵や音楽やプログラミングなどのアウトプットを伴うもの、つまり創作は、どれも困難になっていくように思う。
 俺はアウトプットが出来なくなることがとても恐ろしい。
 ……まあ、キーボードもたたけなくなる頃には、いろいろ諦めきってるレベルの超高齢マインドになっていてどーでもいいのかもしれないけど。


 だが大丈夫だ。
 俺たちが後期高齢者になるころには、たぶんTVゲームやTRPGやボードゲームを各種取りそろえた同好の士による特殊老人ホームが出来ているはずだ。
 出来ていてくれ。
 SAN値チェックをする40年後の我々を想像したら、ちょっとだけ若さが帰ってきた。