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◆不定期日記ログ◆

■2015-08-20
なぜ我が子は可愛いのか
 我が子が可愛くて困る。
 生まれる前は絶対に「ああ~~我が子可愛いんじゃ~~」系の親御さんにはなるまい、俺は外面だけは常にクールでいる、と思っていたが可愛いんじゃ~~……
 去年年賀状をつくったときも「ヘッ!年賀状に子どもの写真なんて使ったってダセェだけだぜ!」みたいな構えでいたのに結局我が子の可愛さに負けた。


 なぜ我が子は可愛いのか?
 いや、あえて主語を広く言い換えれば、なぜ世間の親御さんは我が子がいちばん可愛いと思ってしまうのか?
 悔しいのでそれを考えてみた。
 血を分けた子だからか?DNAがそうさせるのか?生物的な本能なのか?……たぶんそうなんだろうが、そこに着地点を定めてしまうと「アッハイ」で終了してしまうので、まず我々が「可愛い」、つまり容姿が整っていると思うのはどんな個体なのかを考えよう。

 容姿が整っている、いわゆる「美人」「イケメン」といわれる顔は、ざっくり言えば「平均値」だ。……と俺はたびたびざっくり言ってるんだけど、まずここが理解されない場合があって困る。
 まず俺に地球人の顔を見分ける能力が欠如していることを認めなければならない。日頃から「髪の色と目の色と髪形が一緒だったらあとC.V.くらいしかキャラクターを区別する手段がないだろ」と思っていて、仕事で支障が出るくらい三次元人の顔が覚えられない。だがこの前批判覚悟で「能年玲奈と広瀬すずは同個体では?」とワイフに言ったところ意外にも共感を得られたので、自信を取り戻して持論を推していこうと思う。

 容姿の評価方法は減点方式である。平均値から大きく外れた要素、たとえば他人と比べて離れすぎた目、大きすぎる鼻などは、各個人の好みはあっても、集合として評価すればマイナスポイントとなる。鼻筋が通ってるとか、目が大きいとかの好みは、あくまでその平均値の周辺レベルでの話である。
 したがって、多くの人が「美人」「イケメン」と思う顔というのは減点要素のない顔であるはずで、これがつまり最初にざっくり言った「平均値」ということなのだ。

 アカチャンの話に戻る。
 我々は生活している限り、職場でも出かけた先でも居間のテレビでもいろいろな顔を見ることになる。しかし、そのなかにアカチャンの顔のサンプルはそう多くはない。乳児ともなるとほぼない。
そうなると外部にサンプルを求められないため、我が子の顔がアカチャンの標準と化し、よその子を見ても我が子と異なる部分が目についてしまうようになり、その結果よその子よりも我が子のほうが可愛く見えてしまうんじゃ~~……


 このようなメカニズムがあるので我が子が可愛いのはしかたないのだ。
 よその子も可愛いけどうちの子が別格なのはそういう理由なのだ。
 現場からは以上です。