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◆不定期日記ログ◆

CATEGORY 映画

 やや遅れて「レッドクリフ Part I」を観てきたよ。
 Part Iは赤壁の戦いの直前までのお話なんで、シナリオ的なネタバレは無いと思っていろいろ書くことにする。

 主役として据えられているのは、たぶん周瑜なんだろう。
 周瑜と諸葛亮との友情がテーマの一つらしいので、Part IIでも原作みたいに嫉妬・反目したりはせずに赤壁を乗り切るのかもしれない。

 だが俺は敢えて呉の皇帝・孫権に注目した。
 曹操に立ち向かう決意をする前、彼は父と兄の位牌の前で弱音を吐く。
 父・孫堅も兄・孫策も若くして偉業を成した、だが自分はもう永遠に彼らを越えられない、と。

 そして、戸田奈津子は気を利かせて訳さなかったが、彼がその後に続けて「あげく日本じゃソンケンといえばパパのほう、俺なんて『堅くないほうのソンケン』呼ばわりだ」と呟いたのが俺の心にだけ届いた。

 アリtoキリギリスのアリさんじゃないほう、とか。
 DonDokoDonのぐっさんじゃないほう、とか。
 そんな扱いを受けているのがこの俺、(堅くないほうの)ソンケンだ、と。

 スマン!孫権!
 だが誤解だ!
 俺はそんな、消去法みたいな失礼な呼び方はしていない!

 ちゃんと「軟らかいほうのソンケン」って呼んでる。


 …あとは雑多な感想。
  • 関羽と張飛がビジュアル的にわかりやす過ぎて助かる
  • 趙雲は馬に乗っててくれないと誰だかわからなくなる
  • 仔馬の名前吹いた
  • 諸葛亮!それ合奏やない!バトルモードや!
  • いま周瑜が「ピンフ」って言った
  • 戦戈ってこうやって使うんだ!
  • いま曹操が「トイメン」って言った
  • そんな妖艶な手当てをしたら負傷兵死ぬぞ!
  • 関羽と曹操の関係に踏み込まなかったけど最後どうするのかな?
 
■2008-09-10
ソラミミモード
 映画『セックス・アンド・ザ・シティ』は、タイトルが恥ずかしいのでチケット売り場で買いにくい、という意見が、清純派の人から寄せられた。

 卑猥にすぎる。日本はどうなってしまうのか。
 かつて日清の人は「カップヌードル」を売り出すときに、「ぬぬぬヌード!?破廉恥である!」という懸念をして「ド」を控えめにデザインしたロゴで売り出した。その清純な心はいまなおロゴに現れている。
 そんな世の中である。このようなタイトルで映画を公開すれば、大和撫子たちがチケット売り場で頬を染めてうつむいてしまうではないか!けしからん!もっとやれ

 とはいえ、複数の国や地域で同時に封切りされることも多い昨今の映画事情を考えると、日本らしい気の利いた邦題をつけろと要求するのも酷だろう。
 なにか、この状況を打破するアイデアはないのか!?

 英語の「sex」と日本語の「セックス」には意味に差がある。
 映画の内容からして今回の場合は差はなさそうだが、字面は重要だ。

 ここで提唱したいのがソラミミである。
 この場合のソラミミとは幻聴などのことではなく、外国語を強引に日本語五十音とみなす(ききなす)ことだ。

 現代の日本人にはソラミミが足りない。
 先祖代々受け継がれてきたソラミミックパワーを、今こそ引き出すときだ!
 南蛮人の「Ingles」を「えげれす」と聞き取った祖先を思い出せ!
 「American」を「メリケン」と表記した人々のことを思い出せ!
 裁縫マシンの「Machine」の部分だけで「ミシン」と判断した大和魂を思い出せ!
 ヘップバーンさんが作ったローマ字表記を「ヘボン式」と定めた人々の力を思い出せ!

 つまり、押井守監督の『スカイ・クロラ』と同時期でもあることだし、
 邦題は『セクサ・ナシリ』にすれば万事OK!!


 バイリンガルの人からの異論は認める。
 
■2008-08-09
The Sky Crawlers
 映画『スカイ・クロラ』を観にいった。
 意外と上演してるとこが少なくて困ったけど。

 原作の小説は、森博嗣がよく使う短文での連続状況描写が生きていて、観念的で、退廃的で、映画にしたらピッタリだろうなと思ってはいた。
 しかし実際観てみると想像以上にしっくりくる作品だった。

 一番驚異的だったのは、舞台となる兵舎や街や店が、小説を読んでいたときに脳内に描いた風景とことごとく一致することだ。
 森博嗣の建築知識から来る描写が優れているのか、押井守の表現力がスゴイのか、俺の想像力が平凡なのか、それはわからないが、これほど違和感なく見られた原作つき映画は初めてだ。

 原作に忠実といえば忠実、でも原作とは微妙に違う物語。
 どのくらい忠実かというと、敵機を撃墜したカンナミ君が、トキノ君に褒められて謙遜するときに「相手がビギナだったから」とはっきり発音するくらい忠実。
 おおおこれが森ワールドだよ!
 (注:森博嗣の小説では、不要なオンビキ[ー]は全て排除されています)
 でも森作品を知らない人は「ビギナ?ギナ?」ってなると思うよ!

 …よく考えたらタイトルからして「スカイ・クロラ」だから折り込み済みか。
 普通なら「ザ・スカイ★クローラーズ」になってしかるべきところだもんな。
 きっと、これはなんでもカタカナにしちゃう洋画翻訳スタッフに対して疑問符を投げかける映画なんだな。
 
■2008-07-05
スカイクロラ
 映画『スカイ・クロラ』の公開まで一ヶ月を切った。
 森博嗣の原作も、このシリーズ第一作目だけは読んだ。

 この作品は、主要キャラ二人の名前が「クサナギ」「カンナミ」という、静岡県民にとっては他人とは思えない共通点を持っている。

 聞くところによると、映画版監督の押井守は熱海に居住地点をもっているとか。
 これはますます静岡県民としては目が離せない展開になってきた。

 きっと静岡県の駅名にちなんだ、映画オリジナルキャラとかが出てくるに違いない。
 俺は「ナガイズミ・ナメリ」あたりに期待をかけている。
 
 映画「テラビシアにかける橋」のポスターを見て、
 テラシビアと読み間違えたあげく、
 
 テラシビアwwwどんだけギリギリのバランスで架けるんだよwwwwww
 
 と思った僕はダメな大人。
 
■2007-09-23
スキヤキウエスタン
 久しぶりに映画館で映画を観た。

 観終わって「もう一度観たいなぁ!コメントONで
 と思った俺はニコニコ中毒。
 
■2007-06-06
切れてる
 『ロード・オブ・ザ・リング』という言葉を半角カナで書くと、

 ロードオブザリング

 わざわざ「・」で切らなくてもあらかじめ切れているということに気がついた。
 なんて親切なんだ。
 
■2007-01-10
リリィ町長
 なぜか今になって『リリィ・シュシュのすべて』を観た。
 もう6年も前の邦画。
 プレステ2もまだ発売されていない。

 6年もたつのに(そして観てもいないのに)そのタイトルだけはなんか覚えていた『リリィ・シュシュのすべて』。
 当時ギリギリ知っていた「リリィ・シュシュとは歌手の名前である」という知識は失われていたが、そのタイトルだけはギリギリ覚えていた『リリィ・シュシュのすべて』。

 とにかくひたすら鬱な映画です。
 テーマは14歳の心の闇です。リリィ・シュシュの素顔に迫るとかそういうのじゃありません。ていうかリリィ・シュシュは名前と歌しかでてきません。
 窃盗、いじめ、売春、自殺、強姦、殺人ともう心の闇の三倍役満です。

 観念的で説明不足でひたすら音と映像の芸術って感じの映画なわけですが、
 作中のリリィ・シュシュのファンの会話で何度も出てくる「エーテル」というキーワードがあります。
 意味は明言されません。作品の主題にも関わりません。ファンの間でだけ通用する共通の単語、くらいの認識です。

「リリィは宇宙であり、エーテルの具現者」
「私にとって、エーテルだけが生きている証」
「強い光を受ける者の影はまた濃い。強いエーテルもまたしかり」

 すごい中二病っぽい文章ですが、発言者が実際に14歳なのでオッケーです。
 ともかくこんな感じで、この作品の観念的ムードを押し上げています。
 
 僕はしょっぱなからよくわからないキーワードを連発されたので、仕方なく、
 理解しやすいように、脳内で「エーテル」を全て「おっぱい」に置換しました。

 エンドロールまですごく楽しめました。
 
■2006-12-29
やりたい邦題
 結局観てはいないのだが、「パイレーツオブカリビアン デッドマンズ・チェスト」というタイトルが気に入らない。

 映画の解説にでたいてい「デッドマンズ・チェスト(死者の宝箱)を手に入れる~」みたいにカッコつきで説明されている。とても不恰好だ。最初から「死者の宝箱」という副題にしておけばこんな無粋な解説は要らない。だいたい、「ちぇすと」という語感から箱のようなものを想像できる日本人がどれくらいいるだろうか?

 「スターウォーズ」も見よ!「ファントム・メナス」の浮きっぷりを!他5作は「シスの復讐」とかそんなんばっかだぞ!
 もし「ハリーポッター」の5作目が「ハリーポッター ジ・オーダー・オブ・ザ・フェニックス」とかだったらどうか?
 「不死鳥の騎士団」のほうが、ファンタジー感も親しみやすさもわかりやすさも格上だ。

 しかし、タイトルを変える、というのは非常に大変で、重い責任のかかる作業だ。
 「Half-Blood Prince」がなんで「謎のプリンス」なんだよ!みたいなツッコミにも晒されるし、作品の看板たる題名をいじるということは作品全体に影響を及ぼすことになるからである。

 大量の輸入作品が流れ込んでくるこの時代、この重大な責任を持つ「邦題をつける」という作業を、確実に責任をもって遂行することはできなくなった。
 しかし、原題をそのままカタカナ英語化することで、その責任を回避できたと思うのは間違っている。
 なぜなら、使う言語が違えば、語感の受け取り方も変わってくるからである。

 ポケットモンスターが英語版になったとき、ピカチュウはそのまま「Pikachu」となった。たいへんわかりやすくてよい。
 だがおそらく、英語圏の人は「PikaPika」という響きに光ってる感じを求めることはできないだろうし、「Chu」にもネズミの鳴き声を感じることはないであろう。
 「Meowth」に変更されたニャースはその点幸せである。

 訳して邦題をつけるにせよ、カタカナ表記にするにせよ、その決定には作品全体に関する責任があるのであり、カタカナ表記は決して逃げの手段ではない。
 「Pocket monster」が性器を示す隠語であるため「Pokemon」になった、という話は有名だが、そういった辞書外の意味や、不都合な単語との類似、言葉から受けるイメージの違いなども考慮した上でカタカナ表記しなければならないのである。
 それは新たに邦題をつけるのと同じくらい大変なことではないだろうか。

 ……。
 だから、僕が「エラゴン」のことを「エロゴン」と言ってしまったのは、僕がエロいからじゃなくてそういう点に無頓着なスタッフの側に全面的に責任があるんだよ。
 
■2006-10-15
決着!
 僕の部屋のテレビは、アンテナ不調のため映らない。
 別にそれで不自由はしていない。
 どうせゲームとDVDのために買ったテレビだ。

 しかし、僕はNHKの受信料を払っている。
 テレビが映らないのに、払っている。
 最近ではテレビ放送は様々な方法で受信できる。
 「テレビを観ていない」と証明するのは「悪魔の証明」に等しい。
 なので、納得がいかないまま払っている。

 このまま放っておくのもしゃくなので、またアンテナを繋いでみた。
 次兄が部屋に来ていたので、勢いで試みてみたのだ。

 やっぱりテレビは映らない。
 僕と次兄はアンテナのケーブルを放り投げた。

 すると、突然映りが良くなった。



 今、アンテナケーブルは部屋の隅に放り投げられたまま、
 テレビには日曜洋画劇場の『ポセイドン』が映っている。

 チクショウ、部屋のアンテナなんてチクショウ。



 ところでこの『ポセイドン』だが、実は今週DVDで観たばかりなのだ。チクショウ。なんて先見の明のなさだ…!と思ったが、テレビでやってるのはそれとはまた別の『ポセイドン』だった。
 リメイク元の『ポセイドンアドベンチャー』も幼いころ見たが、ぼんやりとした僕の記憶とはずいぶん変わっていて、新鮮に楽しめた。

 『タイタニック』の沈没シーンになると俄然元気になるタイプの僕には真向きのパニック映画だ。
 もうあっさり速やかにとっとと船は転覆するし、ホラー・パニック映画で「何かに閉じこもる」選択をした人間はあっさり死ぬ、という定石が再確認できたのでよかった。
 
■2006-06-11
ダヴィン・チ・コード
 で、映画のほうの「ダ・ヴィンチ・コード」を観てきたよ。
 ネタバレに踏み込むけど暗号で書けばいいよね。
 「我こそはソニエールに暗号解読を叩き込まれた」っていう人は読まないこと。

 でもしまった、暗号なんて書けないや。なんとかぼかして書こう。

 個人的にすっごくもったいない感じがした。
 実際「うまいなぁ」と思った点はいっぱいある。モニョスとかの過去話を映像のフラッシュバックでまとめたり、ムニョムニョのゴニョゴニョ恐怖症の伏線をちゃんと消化してラストシーンにつなげたり、携帯を大活用したり、モリョモーリョとムニーの血縁関係をやめて「まるでスーパーサイヤ人のバーゲンセールだな」状態を解消したりとか、そのへんの工夫は素晴らしかった。

 もったいないと思ったのは、小説で何度か蒸し返して伏線を張った、祖父が伝えたかった「家族にまつわる大切な話」の事がかなり無視されてしまったところだ。そのせいで暗号を解き終わって家族の謎を知るあたりが唐突すぎるんだ。
 あと「導師」が正体を明かすシーンも驚くほどあっさりなのももったいなく感じた。小説のタメてタメてタメてそう来たかー!っていう感じが良かったのに残念。
 もういっそ聖杯の過去話とか省略しちゃえば良かったのに。でもそうするとダ・ヴィンチ関係なくなるので話題性ゼロで残念なことになる。

 それからオプスデイの人たちが哀れ。この人たちが悔い改めるシーンは、ファーシュがどこまでマジだったのかまったくわからなくなる良い場面だったんだけど案の定削られてた。せっかくのジャンレノがただの駄目な人になってしまってもったいない。
 やっぱり本物のオプスデイの人がマジレスするのはしょうがないかなあとか思った。

 小説のちょっとラブラブだけどバーゲンセールなENDと、映画のゴニョゴニョ恐怖症とからめた神聖な感じのENDと、どっちがいいかはちょっと甲乙つけがたい。
 小説読んでない人は全然違う印象を持つんだろうな、コレ。
 
■2006-01-29
FLIGHT PLAN
 封切り直後のフライトプランを観てきたよ。

 予備知識はほとんどナシ。高度1万メートルの航空機の中で起こる誘拐・ハイジャック事件に、元航空機設計士のおっかさんがたった一人で立ち向かうお話、ってことくらい。
 あと一瞬「FIGHT PLAN」に見えて焦った。
 ファイティング・ニモじゃあるまいし。

 前半の、犯人の巧みな買収工作によって完全な孤立無援状態に置かれるおっかさんの悲壮感と、後半の「航空機の内部の知識」を唯一の武器として犯人と対決するスリリングな展開があいまって、最後までまったく退屈しないで観られました。
 地形を熟知していればどんな劣勢からも逆転できるということと、ピンチのときにはやはり消火器が頼りになるということが、わかりました。

 あとあのアラブ人のひとには謝ってあげたほうがいいと思いました。
 
■2005-07-18
風の笛
 なんとなく「HINOKIO」を観てきたよ。
 べ、別に、ロボに惹かれたわけじゃないぞ!
 ほんとだぞ!

 このお話はロボがメインじゃなくって、ひきこもりの小学生がロボを操って、そのロボを媒体としたヴァーチャルとリアルの人間関係を築いていくさまを描いたドラマなんですが、そこかしこに出てくる小学生ライフの描写がとてもベタでよかったです。
 帰りの会で男子のいたずらを告発するメガネ女子とか。
 リコーダーぺろぺろとか。
 あと…秘密基地とか。
 リコーダーぺろぺろとか。

 個人的にはジュン以外のお友達のポジションが最後までうまく定まらなかったのと、お話がなんかぴっちり詰まってる感じがしたのが気になりましたが、ロボの一挙手一投足が「アイ,ロボット」以上に生活感漂ってたので満足でした。
 お父さんにはツッコミたいことが山ほどありますが省略します。
 
■2005-01-23
Kung Fu Hastle
 とりあえず観ておかないと、と思っていたカンフーハッスルを観たよ。

 今回カンフーハッするにあたって、キャッチコピーの「ありえねー。」っていうのがイマイチ気に食わなかったので、「ありえねーと思ったら負けかなと思っている」くらいの覚悟で観ました。

 スタープラチナ級の技が出てきたときに負けかなと思いました。
 
■2005-01-13
いまさらAI
 昨日は卒論を提出したので、たまたまテレビでやってた「A.I.」を観たよ。

 とりあえず、ジゴロ・ジョーに憧れた。
 テディとは一晩中呑みたい。人生経験豊富そう。
 主人公はいいや。

 このお話はファンタジーSFかと思いきや、基本的なシナリオはおとぎばなしなのね。将来、心のあるメカたちの間でおとぎばなしが生まれたらこんな感じだろうっていう。
 
■2004-12-22
「君だ」ハウル感想
 ほとぼりがさめたので「ハウルの動く城」を観ることにしたよ。

 邦題の「魔法使いハウルと火の悪魔」じゃなくて、わざわざ直訳の「ハウルの動く城」にしたからには、やはりこれでもかというほど城が動くのだろう。
 しかし動くったってアイツは城だよ。城が動いたところでたいした動きができるわけないだろう。だいたい動いて何をする気だよ。主にどこを動かす気だよ。

 …事前にそんな思いを抱くのは当然だろう。
 僕もそう思ってた。
 どれほどの動きか見せてもらおうか、と映画を観ると、開始1分からスクリーンを飛び出さんばかりの勢いでハウルの城が動いていた。

 稀に見るいい動き!
 想像を軽く飛び越えたいい動き!
 開始1分で満足感を得た映画なんて私初めて!
 こりゃおもらし警報発令中やでぇー!

 [[以上、開始1分までの感想。続きはネタバレになるので割愛]]