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◆不定期日記ログ◆

■2006-12-29
やりたい邦題
 結局観てはいないのだが、「パイレーツオブカリビアン デッドマンズ・チェスト」というタイトルが気に入らない。

 映画の解説にでたいてい「デッドマンズ・チェスト(死者の宝箱)を手に入れる~」みたいにカッコつきで説明されている。とても不恰好だ。最初から「死者の宝箱」という副題にしておけばこんな無粋な解説は要らない。だいたい、「ちぇすと」という語感から箱のようなものを想像できる日本人がどれくらいいるだろうか?

 「スターウォーズ」も見よ!「ファントム・メナス」の浮きっぷりを!他5作は「シスの復讐」とかそんなんばっかだぞ!
 もし「ハリーポッター」の5作目が「ハリーポッター ジ・オーダー・オブ・ザ・フェニックス」とかだったらどうか?
 「不死鳥の騎士団」のほうが、ファンタジー感も親しみやすさもわかりやすさも格上だ。

 しかし、タイトルを変える、というのは非常に大変で、重い責任のかかる作業だ。
 「Half-Blood Prince」がなんで「謎のプリンス」なんだよ!みたいなツッコミにも晒されるし、作品の看板たる題名をいじるということは作品全体に影響を及ぼすことになるからである。

 大量の輸入作品が流れ込んでくるこの時代、この重大な責任を持つ「邦題をつける」という作業を、確実に責任をもって遂行することはできなくなった。
 しかし、原題をそのままカタカナ英語化することで、その責任を回避できたと思うのは間違っている。
 なぜなら、使う言語が違えば、語感の受け取り方も変わってくるからである。

 ポケットモンスターが英語版になったとき、ピカチュウはそのまま「Pikachu」となった。たいへんわかりやすくてよい。
 だがおそらく、英語圏の人は「PikaPika」という響きに光ってる感じを求めることはできないだろうし、「Chu」にもネズミの鳴き声を感じることはないであろう。
 「Meowth」に変更されたニャースはその点幸せである。

 訳して邦題をつけるにせよ、カタカナ表記にするにせよ、その決定には作品全体に関する責任があるのであり、カタカナ表記は決して逃げの手段ではない。
 「Pocket monster」が性器を示す隠語であるため「Pokemon」になった、という話は有名だが、そういった辞書外の意味や、不都合な単語との類似、言葉から受けるイメージの違いなども考慮した上でカタカナ表記しなければならないのである。
 それは新たに邦題をつけるのと同じくらい大変なことではないだろうか。

 ……。
 だから、僕が「エラゴン」のことを「エロゴン」と言ってしまったのは、僕がエロいからじゃなくてそういう点に無頓着なスタッフの側に全面的に責任があるんだよ。