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◆不定期日記ログ◆

CATEGORY 実家伝説

■2020-01-01
これが新年の夜明け
 バッ謹賀ム新年!!
 今年も甘いチョコレートのような、チャック・ノリスのせな毛のような感じでお願いします。

Pさん
 帰省のたびに娘氏にコワイと言われる実家の猫ことPさんですが、実家では「猫が1匹になっちゃったけどPは可愛くないねえ」と相対値ではなく絶対値で可愛くないと安定の評判です。


 あまり娘氏が怖がり続けるのもどうかと思ったので、俺は「なんとか写真を可愛く盛ることで親近感を持たせることはできないだろうか」と思い立ちました。
 そして大晦日の夜、闇夜のように黒い体毛に四苦八苦しつつ、なんとかやっつけたのがこちらになります。

Pさん
ひねこポケモン ニャビー

 娘氏「かわいい」
 ぼく「右上を見ながら言ってない?」
 
 えも子、大往生をするの巻。
小帽院慎柔忍恵大姉
去年の様子

 なんと享年ほぼ20歳という実家の老猫ですが、7月9日、永眠したとの知らせが入りました。
 膀胱に腫瘍ができており、先週それが破裂して大量出血したのが直接の死因となりました。とはいえ病院で血液検査をしてもらったところ、出血以外には臓器にまったく異常がみられず、とうてい20歳とは思えぬ健康体だったとのこと。
 手術に耐えうる若い猫であれば手術するところですが、人間に換算して100歳近い高齢者なので、点滴と止血剤で処置して寝かせておくことしか手はありませんでした。

 先週お見舞いをしたときは、薬を飲ませてもおむつを被せても低いうなり声で「遺憾の意」を表明するだけの従順な患者でしたが、これは高齢や病気のせいではなく、えも子はもともとこういう猫だったのです。何をされても決して武力を行使しない猫でした。
 そのせいで人生の前半は先輩であるりんりんさんに威張られ、後半は後輩であるPさんに威張られて過ごしました。ただPさんについてはとにかく何かと牙を振りかざすので、母者が「こいつが病気になっても病院に連れていけない」と嘆いていました。

 しかし……えも子が崩御したということは、つまり次はこのPさんが実家の女王として即位するということ。もはやPさんは「家に入ることを許可された野良猫」のような扱いを受けており、今後を不安視する声が大きくなることは避けられません。政情が不安定な時期は続きそうです。

えも子2013
 お疲れさま。もう誰もお前に威張ったりはしない。
 
■2015-11-15
ねこにっき
 娘を連れて実家に行った。

Pさん
にょき
 なぜPさんはこのようなときでも可愛くないのか。
 ふつう「テーブルの上に何かあるかな?」って顔をピョコって出したらどんな猫でも可愛いだろ。
 その一貫した可愛くなさには感動すら覚える。
 だが娘が触っても怒らなかったので許す。

 一方、えも子は娘を見ただけで外から見てもわかるくらい心臓バックンバックンさせて固まっていた。
 可哀想なので最寄りの押し入れに解放しておいた。
 
■2014-01-15
猫事情
母「Pさんがどこかで腰を打ってきたみたいで」

僕「はぁ」

母「外傷はないけどここ数日元気がないのよ」

僕「あらまあ」

母「だから、えも子がすっごい生き生きしてる!(嬉)」


 いや病院つれてけよ!
 
■2013-12-30
正しい接続
 実家のストーブの前で、Pさんが珍しく正しい接続になっていた。
 (正しくないのはこちら
正しい
■正しい接続■
 この少し前、えも子がおもむろに背後から接近し「ストーブ前を開けろキシャー!」と言ったがまったく退かずにこの姿勢である。えも子は諦めておこたに入った。
 なお頭上の棒は実家では「にゃんにゃん棒」と呼ばれており、悪さをしたPさんを打擲する際にこれを使うことで毒牙の反撃を防ぐという役目がある。実家でPさんがどのような扱いを受けているのか窺い知れよう。

 このようにして2013年も暮れてゆく。オタッシャデー!
 
■2013-11-01
スタア街道
 可愛くないことに定評がある実家のPさんが、広報誌に載った。というか、ペット紹介のコーナーを立ち上げるにあたって、最初のネタとして身内から選ばれた。
 最初がこんな可愛くない奴でいいのだろうかと思ったが、可愛くないからこそ投稿のハードルが下がるのだ、と思い直した。
 写真はいつもどおりねじれてる奴を選んだ。

 それから半月後。
 後日届いた感想のおハガキの中に、そのコーナーに触れたものがあった。
 曰く、「可愛い猫ちゃんが載っていて癒されました」と。

 騙されるな!可愛くないぞ!


 さっそく親父に、そのおハガキを写メールで送ったところ、
 「今日眼科を受診します。目がおかしい」
 と珍しくハイブロウな返信が来た。
 ここまでかたくなに可愛くないと思われているPさんがやや不憫だ。

 ……と思ったら、後日、親父はガチで眼科を受診していた。
 本当に目がおかしくてメールがよく見えなかったらしい。
 なんだよ紛らわしいタイミングで報告するなよな。
 
■2013-10-14
ねこかわいい
 ただでさえ天使のかわいらしさを誇るねこを飼っているお宅に、さらにかわいいねこが追加された。

かわいい
かわいい(確信)

 ずるい。
 うちの実家を見よ!

かわいくない
かわいくない(絶句)

 これ母さんのPCの壁紙にしたら「うわっ…」って言われた。
 Pさんかわいくない。
 えも子はかわいいが、かしこくて写真うつりがよいだけであって見た目は野良猫と区別がつかぬ。Pさんに至ってはもはや室内にいる野良猫だ。
 なぜだ!なぜよその家にはかわいいねこばかりが来るのだ!

 「課金ユーザーだからじゃない?」

 えも子やPさんを無料ガチャみたいに言うな!
 いや確かに無料には違いないが!
 
 アクセントは地方によってかなり違う。
 以下、俺(長兄)と末弟と、東京からきた学生(以下、東京)の会話である。

 長兄「つ(靴)、でしょ?」
 末弟「つだよね」
 東京「…くですね」
 長兄「えっ」
 末弟「えっ」

 長兄「じゃあ、く(服)、でしょ?」
 末弟「くだよね」
 東京「…ふですね」
 長兄「えっ」
 末弟「えっ」

 長兄「じゃあ、じゃあ、タテ(帆立)、でしょ?」
 末弟「いや、ホタテだろ」
 東京「それはホタテですね」
 長兄「えっ」
 母者「ホタテでしょ」
 祖母「ホタテだねえ」
 長兄「えっ」

 俺の故郷はどこにあるんだ……!!
 
■2009-10-12
Pさんと写真
 先月買ったGF1だが、薄型レンズLUMIX G 20mmがようやく届いた。
 装着するとちょっとでっかいコンパクトデジカメのような風貌になる。

 なんていうかスゴいレンズだ。
 定価5万ってオイ、新しいカメラ買えるだろ!とちょっと思ったものだが、なるほど、これは新しいカメラに匹敵する変貌ぶりだ。
 これがレンズ交換型カメラの力か!

 最初についていたズームレンズと比べて、とにかく暗いところに強い。
 夜中の、蛍光灯がひとつついてるだけの薄暗い部屋だというのに……
 ふるえひとつおこしておらんッ!
 手ブレ補正以前に、正確に力強くとらえていくッ!

Pさん
目の丸さが暗さを物語る

 というわけで、実家で喜んでPさんの写真を撮っていたわけだが、
 うまれて半年になるPさんは、平然と「お手」をマスターしていた。

 なんということだ。
 これにより、「えも子が変な猫」なのではなく、
 「この家が変な家」なのだということが立証されてしまった。

 ていうかどうやって仕込んでるんだ!毎度毎度!!
 
■2009-07-17
ヒメサマ成長記
 ヒメサマはだんだん落ち着いてきた。
 名前は「ピコ」で確定したらしいが、だいたい「Pさん」と呼ばれている。
 なぜイニシャルトークなのか?
P
転がるヒメサマ
 えも子はまだこの黒いちっこい奴が怖いらしく、完全に怯えモードになっている。
 えも子よ、お前もりんりんさん相手にそうして大きくなったのだよ。


 近所に、「ふくちゃん」と呼ばれるブチの野良猫がいる。
 先日、そいつが庭先を闊歩しているのをヒメサマが見つけ、果敢にも外に飛び出していった。どうなることかと思ったが、ふくちゃんは平然としており、むしろ遊び相手になっているようだ。

 ……まだ生後2ヶ月なので避妊手術前だが……児童ポルノに対してヒステリックなまでのバッシングをしているこのご時勢だし、ふくちゃんも自重しているだろう。
 ノミや病気を貰ってこないか心配ではあるが、その程度を気にする実家ではないのだった。
 
■2009-06-03
達人の来訪
 芸術の頂点を極めたパティシエ!
 世界に認められた才能!

 スイーツ好きの日本人でその名を知らぬものはない。Wikipediaの記述だけでもこれだけの輝かしさを誇るフランス人パティシエ、ピエール・エルメ
 PIERRE HERME PARIS公式サイト

 そのピエール・エルメが、静岡に来るらしい。
 静岡にっていうか、


 俺の実家に。


 え?誰が?


 ムッシュ・ピエール・エルメが。


 ちょっと待てー!!
 どういう事だー!!



 オヤジの知り合いのYさんっていう人がいてその友達のKさんが料理雑誌の編集をやっていて以前にもエルメ氏の「和素材の生産現場を見たい」というオファーに応えて生産農家を紹介したことがあり今回は日本茶ということでYさん経由でお話が……
 
 ……もういいわかった、とにかくいろんなミラクルがあったんだな!
 この時点で俺は完全に部外者にもかかわらず、野次馬根性で取材の様子を見にいくことを決意していた。

 
 あいにくの曇天の中、取材班が大きな車で到着。
肖像権に配慮して遠目から
ほ、本当に取材している!
 あれがエルメさんか、と思った人影は通訳の人だった。
 だがこの通訳の人の正体はピエール・エルメ・パリ日本支社のリシャール・ルデュ代表であり、本家トップと日本のトップが揃ってやってきたことになる。
 いつもならここで気の利いた比喩を探すところだが、それすら全く不可能な筆舌に尽くしがたい状況である。

 エルメさんはメチャクチャでっかい人だった。
 このでっかい体があの繊細なマカロンを作っているのか。想像できん。
 
 オヤジと次兄が彼らを畑へ連れて行き、茶づくりのいろはを講義した。
 講義ってお前。
 “現代パティスリーの王”ピエール・エルメに講義って。
 どういう状況かわかってんのかよオヤジ! 

 心配するまでもなくオヤジは平常運転だったし、極めて特殊な状況でありながら、他の連中も平常運転な実家だった。部外者である俺は、カメラマンの人を茶園に案内したり、山里の風景を撮るのに協力したりと暗躍した。

 こんな俺にも、エルメさんは最後にMerciと言って握手をしてくれた。
 驚くほど柔らかい手だった。
 荒木飛呂彦が「達人ていうのは、柔らかい手をしていなければならない」と書いていたが、食材の生産過程まで理解しようというお菓子の達人の手は、なるほど赤子のように柔らかだった。

 最後に、下宿に帰るついでに、この山奥から高速道路のインターまでの近道を通って取材班を先導。
 部外者なりになんとか役目を果たしたぞ、という満足感とともに下宿へ。
まかろん
頂いたマカロン
 ああああ!!俺マカロン喰い忘れた―――!!!
 
■2009-05-24
ようこそプリンセス
 俺の実家を支配していた女王・りんりんさん。
 りんりんさんが崩御してからもう1年半が過ぎ、
 プリンセス・えも子ももう10歳になる。

 そろそろ、えも子には女王として即位してもらって、
 新たにプリンセスを迎えようという話が頻出するようになった。
 実家ではそういう決まりになっている。

 近所で餌付けしている半ノラ猫が、子猫を産んだという話が飛び込んできたのは、そんなときだった。
 様子を見に行くと、シャム系のお母さんが5匹の子猫を連れていた。
こねこたち
折り重なる子猫
 一匹だけ、黒い奴がこっちを見つめている。
 どうやらこの子はメスらしいので、この子を迎えることに決めた。
こねこたち
ヒメサマ
 親兄弟との別れは辛かろうが、シェーンブルンからヴェルサイユに嫁いできたマリー・アントワネットの気概で頑張ってほしい。

 フフフフフ。名前がほしいな。
 このシュトロハイムが名づけ親(ゴッドファーザー)になってやるッ!
 そうだな……「シャムの中にいた黒い奴!」という意味の
 「シャムシェイド」というのはどうかな!


 案の定、呼び名が安定しない。
 
■2008-11-03
SUKIYAKI
 実家で、松坂牛のすき焼きパーティが行われた。

 だが、けっして多くはないその鍋の中身の3分の1ほどを残して、なぜか家族一同、箸が進まなくなってしまっていた。
 「なんかお腹いっぱい」とかそんな理由で。

 あのなあ、松坂牛だぞ!
 しかもすき焼きだぞ!
 なんで取り皿1杯でリタイアしてんだよ!
 もっとガッつくだろ普通!
 奪い合えよ!肉!

 そういう俺も、美味ぇ美味ぇ言いながら食っていたが、
 取り皿2杯くらい喰ったらちょっとお腹いっぱいになってきていた。

 なんか、うちの家系がみな痩せている理由がわかった気がした。
 
■2008-10-28
練乳忌
 10月28日はりんりんさんの一周忌です。
 練乳をこよなく愛した故人にちなんで、この日を「練乳忌」と定めます。
 各自、練乳を使用したスイーツやドリンクをペロペロ舐めて、故人を忍びましょう。

 えも子には、まだりんりんさんが居るのが見えるらしく、
 ごはんを食べるときには、お皿からキャットフードを2・3粒くわえては部屋の隅に歩いていって、そこで食べます。
 遠慮しているのです。
 
■2008-06-01
実家の状況
 実家では、「もじぴったん」のことを「ヤスヨさん」と呼んでいる。
 わけを話すと長くなるが、そう呼んでいる。
 ちなみに「ヤスヨさん」とはお隣の奥さんの名前だ。

 また、祖母は新聞のクロスワードを解くためのチートツールとして「もじぴったんDS」のワードサーチを大活用している。
 そういう訓練を施した。
 
■2008-02-19
親父決断
 親父(HN茶葉王)が骨髄バンクのドナーに選出されたらしい。

 どこかの移植希望患者と骨髄のタイプが一致する「可能性が高い」、というお知らせがきたそうだ。
 4日くらい入院のうえさらに検査をして、万事オッケーならいよいよドナーとなる。

 「一応お前にも許可をもらっとかねえと」

 という電話が残業中に来た。
 親父は55歳、提供者としての年齢制限はギリギリである。

 「最後の年だから、やってみようと思う」

 そんなコンテストに応募する高校三年生みたいなことを言われると、俺としても、「あ、ああ、頑張ってこい」くらいしか言えない。
 えっと、悔いのないように頑張ってこい。