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◆不定期日記ログ◆

CATEGORY 考察

■2005-03-22
人間は必ず死ぬとは限らない
 …学生生活で最後に「スッゲ」と思ったこと。

 80歳の人間が死ぬ確率は何パーセント、
 81歳の人間が死ぬ確率は何パーセント、
 というようなことは統計から計算できる。
 そしてそのパーセンテージの推移は、ゼロに限りなく近づいていく漸近線となる。
 年齢があがるにつれゼロに限りなく近づくが、ゼロにはならない。

 つまり、人間が例えば600歳まで生きる確率も、計算上ではゼロではない。
 人類誕生からの累計人数がもっともっと増えたら、それくらい長生きする人が出現するかもしれない。

 ぶっちゃけ生物学的に考えると、細胞は300年から400年でヤバイらしいので絶対無理だけど、あえて目をつぶる。ひたすら数学的に考えた場合「人間はいつか必ず死ぬ」とは言い切れないのだ。
 数学はスゴイ。まさに青春マスマティックスだ。
 そしてさよなら、僕の学生生活。
 
■2004-10-03
トイレをきれいに
 女性はわからないであろう話で申し訳ない。

 男性用の公衆トイレには、よく便器の前に「一歩前へ」とか張り紙がされている。
 要するに、便器に接近して射撃することによって便器周辺を汚さないように使ってください、という意味の張り紙なのである。たぶん。しかしこの張り紙の健闘もむなしくすっかり汚れてしまっているトイレもしばしば見受けられる。
 そんなある日、公衆トイレを利用した俺の脳裏に稲妻のようにアイデアが閃いた。

 あの、プッシュ式ならプッシュボタンのある位置、センサー式なら赤外線センサーのある位置に、偽のビデオカメラを設置するのだ。
 こうすることによって、「ヤッベ、もう少し便器に接近しないと俺のマグナムが撮影されて全世界に配信されてしまうぜ」と思って近接射撃に移る紳士が続出。トイレの清潔は保たれるのである。

 何言ってるかわからないかもしれないが、皆もためしにあの赤外線センサーをビデオカメラだと思うといい。とたんに落ち着かなくなって便器にもう一歩接近したくなるだろう。
 これは公衆トイレを清潔に使うために最良の心構えだと思うのである。
 
■2004-03-22
ドッペルゲンガー
 この世の中には、自分とそっくりな人が三人だか五人だかいて、
 そいつに会うと死んでしまうらしい。

 酔った勢いでこの説に関して考察してみた。
 自分とそっくりな人に会っただけで、なぜ死んでしまうのか。
 きっとこの話は、以下の様な顛末があって生まれたに違いない。

 比較的近い未来から、タイムマシンでやってきた一人の男。
 彼は、わけあって過去の自分に会いにきたのだ。
 紆余曲折のすえ出会う、二人の自分。
 だがタイムパラドックスが発生し、あえなく二人とも消滅する。

 で、それを見ていた通行人Aが、
 「自分そっくりな奴に会ってた奴が消えた」
 と言いふらし、時とともに形を変えて冒頭の話となったのである。

 …この推論の非常に残念なところは、
 2004年現在、まだタイムマシンが開発されていないということだ。
 
■2002-06-27
なぜ最初から印籠を出さないのか
 定番時代劇「水戸黄門」において、懲らしめるシーンというのは言うまでもなく、

 「助さん、格さん、懲らしめてやりなさい」→「この印篭が目に入らぬか!」

 というパターンであると相場が決まっている。
 もはやこれ無しでは「水戸黄門」は語れまい。

 しかし、毎回繰り返されるパターンであるがゆえに、「なぜこの行為が必要なのか」という点に疑問が生じてくる。いつまでも身分を明かさず悪党を挑発し、乱闘によって事態が悪化してから印籠を出す。なぜ先に身分を明かさないのか疑問に思っている方もいるのではないだろうか。
 そのような疑問に対し、「最初から印篭出しまくりじゃ爽快感がないじゃん」などと答えるのはあまりにも無粋であるので、ひとつ冷静に考えてみることにした。

 たとえば、御老公が悪人の屋敷へと乗り込んでいって、「水戸光圀です。」と仰せになった上で、様々な悪事の証拠・証人を集めて悪人を問い詰めたとする。最初は悪人たちはひれ伏すだろう。しかし、これで平和的に解決できたかというと、そうではない。

 よくご老公がお裁きの最後に、悪人に「○○公より追って厳しき沙汰あるものと覚悟いたせ」とおっしゃる。この「厳しき沙汰」というのは、ほぼ間違いなく「ハラキリ」と同義である。先の副将軍の前で失態を露呈したのである。あの後悪人らは上司より切腹を申し付けられていると見て間違いない。その割には数が減ら
 すなわち、このときの悪人らの運命は確実に死に向かっているのである。このままおとなしく平伏していれば間違いなく死ぬ。助かる可能性は、この田舎ジジイを闇に葬ってしまうこと以外無い。結果、悪人と助・格の死闘が始まってしまう。そうなると戦闘を印篭によって収拾することができなくなるため、多くの死傷者が出る戦いとなるだろう。いくら悪人とはいえ、これは御老公の望むところではない。

 そこでご老公は、先にある程度殴って敵を威圧してから印篭で収拾させる、という手段をとっているのだ。

 幸いご老公は助・格という圧倒的な武力を保持している。
 助と格によるみね打ち地獄で、悪人は「冗談じゃねえ、あんな思いっきり殴られたら刃の方でなくても死ぬぜ」などと思いはじめ、やられてもやられても立ち上がって戦う部下どもも、徐々に戦いの空しさを痛感しはじめる。
 そこを見計らって「もういいでしょう!」と御老公が叫び、印篭を出す。
 ひれ伏した悪人たちは、さっきのみね打ち地獄を思うと、反撃しようという気はおこすまい。みねうちであれだけ殴られれば骨折の一箇所や二箇所もあろう。さらに、このとき助は刀をおさめずに、むしろ刃の方を向けて立っているのだ。おとなしく裁きを受けるしかない。たまに、それでも反撃する血気盛んな奴がいるが、助や格のみね打ちに沈む運命である。

 こうして考えると、最初に印篭を出すよりもはるかに合理的な方法であることがわかるだろう。悪人たちは、御老公よりもむしろ助と格に対してひれ伏しているといっても過言ではないのだ。