Oneside Flat Web

◆不定期日記ログ◆

CATEGORY 悲惨な日常

■2007-04-25
大丈夫か
 志村けんが「変なおじさん」の時に歌う歌が、「ハイサイおじさん」の替え歌であることに今ごろ気づいた。

 俺の20年間は空白だった。
 
■2007-04-12
だめ出し
 発注したイラストカットができあがってきた。
 それを見た係長いわく

「ちょっと幼すぎて中学生に見えないな。
 最近の中学生ってもっと大人っぽいだろ。
 テニプリの連中がアレ中学生だぜ

 それ基準にしたら大変だよー!!
 
■2007-03-10
ファイナンス幻想
 経済系のニュースを見ると、
 「任天堂(7974)」と書いてあるので、
 いつも「任天堂泣くなよ」と読んでしまう。
 
■2007-02-23
カッコイイ通勤
 通勤ルートにちょっとした地下道があるんだが、
 その出口のところの照明がいくつか故障したっぽい。
 出口から差し込む太陽光が頼りで、ちょっとだけ暗い。

 朝、そこを通勤途中の人々と一緒に光に向かって歩いていくと、脳内に『地上の星』のイントロが流れるのを止めることができない。
 
■2007-01-04
新春初詣
 初詣は久能山東照宮に参拝してきたよ。
 ていうか初詣って意識的に行くのは初めてだな。
 初初詣か。

 久能山東照宮はその名のとおり山の上にあるので、参拝にはスゴイ石段を攻略しなければならない。
 その数1159段。
 地元の人は「いちいちご苦労さん」と覚えているが、それだと115963段になってしまい宇宙的な悲惨さである。1192296鎌倉幕府。

 だいたい8割がた登っただろ!と思っていたら、上から降りてきた参拝帰りの人が、
 「あーやっと下が見えてきた」
 とか絶望的な事をおっしゃるのでもうダメだと思った。
 日本平からロープウェーで渡ってくればよかった!

 だが荒涼とした砂浜を一望できるロケーションはなかなかのものだな。
 これはもう日本のモンサンミッシェルといって差し支えあるまい。
 いや…差し支えるか。
 静岡のモンサンミッシェルだな(だいぶ親しみのもてる称号)。

 門をくぐってなお階段を登りきると、拝殿。
 お賽銭を百円、賽銭箱に投げて、願い事を言う。

(ニューヨークの『マンハッタン島』…
 なぁいいだろう!家康殿!
 取り引きしようぜ!オレにマンハッタン島をくれッ!!

 「…声出てますよ」

 同行人の小声ツッコミにも動じず、百円でこれ以上ない図々しい願いごとを済ませると、おみくじで中吉を引いて引き返した。
 この階段、登るときより降りるときのほうがダメージがでかい。
 せっかく得た位置エネルギーが運動エネルギーとなり、膝をいたずらに攻撃する。
 俺は膝に衝撃を与えるために位置エネルギーを得たというのか!?

 終わりが見えてきたころには膝が勝手にがくがくしていた。
 悔しいので、すれ違う登り行く人に、

 「あーやっと下見えてきた」
 「これで200個目のカーブだぜ」
 「久能の石段は53万です。
  そして久能の石段は門をくぐるたびに段数がはるかに増す。
  その門を久能はあと2回残している。この意味が分かるか?」

 などと心ない絶望的なつぶやきを聞かせてきた。
 
■2006-12-13
ブラックリスト
 漢字テストの例文を作るのは意外と神経を使う作業である。
 出題すべき漢字が出ていればどんな例文でもいいわけだが、逆に言うと出題すべき漢字はなんとしても押さえなければならないのである。

 その上で邪魔になるのが同音異義語の存在だ。
 たとえば小学校三年生で「しん」「りょく」を出題したかったとして、問題文を「森のしんりょくが美しい」なんてやってしまうと、「深緑」「新緑」のどちらも正解になってしまい、しん」を書かせる目的は達成できない。

 短い問題文のなかでこの二つの違いを明らかにするのはとても大変なことなので、「しんりょく」とまとめることをあきらめてバラバラに出題するわけだが、そうなると今度は「りょく」を含む言葉がなかなか見つからなくて困ったりする。(小三レベルの言葉がない。「緑化」でギリギリ)
 似たような罠に「玉・球」「意思・意志」「辞典・字典」「競争・競走」などがあり、これらも短い問題文のなかで最大限に工夫しなければ出題がままならない熟語である。
 「たま」なんて「はやいたまをなげる」くらいしか適当な例文が見当たらないぞ。

 さらに出題者を悩ませるのが、「探検・探険」のような二通りの書き方のある熟語だ。
 これはひどい。あなたは説明できるか!?「探検」と「探険」の違いを!
 意味の違いはない。手持ちの辞書でも説明はできないのだ!
 というわけでこちらもしかたなくバラすことになるわけだが、「険」もまた平易な熟語がなくて困ったりするのだ。
 似たような罠に「容体・容態」「交代・交替」「根本・根元」「河原・川原」などがある。どれもうっかり問題文として出してしまいがちな熟語である。

 そして、裏の裏というべきか、ここまでの罠を注意深くつぶしてきた出題者を餌食にする罠も存在する。
 「収める」「修める」「納める」「治める」などは、当然使い分けに注意すべき漢字として学ばせていくわけだが、こういった言葉のなかにも定義があやふやなものがあり、それらには決して触れてはいけない。
 たとえば「測る」と「量る」
 測定器を使ってはかる場合は「測」、升やはかりを使ってはかる場合は「量」、なんて説明をしている辞書もある。
 距離や面積は「測」、容積や体積は「量」、なんて説明をしている辞書もある。

 じゃあテメー肺活量をはかる場合はどっちなんだ!
 ありゃccだから体積だが、測定器を使って測るじゃあねーかッ!!

 「相手の真意をはかる」なんかも、辞書によって「量」だったり「測」だったりするから困る。IMEは「どっちでもいいよ」って言ってる。

 こういった単語は全てブラックリストに入れて隔離し、新出漢字などでどうしても出題しなければならないときだけ保護観察つきで出所させるべきだろう。
 漢字テストを作る側こそがもっとも漢字に悩まされているのだ。
 
■2006-11-30
かわいそうなぞう
 漢字テストの例文を作るのは意外と神経を使う作業である。
 出題すべき漢字が出ていればどんな例文でもいいわけだが、それゆえにベストの選択肢がない。

 「傷…『きずついた犬』っていうのは印象が悪くないか」
 「犬が身近すぎるからかな」
 「もっと身近にいない動物にしたらどうでしょう、野生動物的な」
 「オカピとか?(世界三大珍獣の一)」


 ……「きずついた オカピ」。
 これはもう漢字テストどころか、童話が一本書けそうだ。
 
■2006-11-21
版画家の家に遊びに行こう!
 今日は、出張帰りに、近所に住む版画家の先生に作品使用料を届けにいった。
 遅い時間にお邪魔したのにとても親切にしてもらった。


 別に日記に特筆すべきことではない。
 日記に特筆すべきことではないが、このタイトルを使いたかったので書いた。
 ジョジョ4部ファンでなければ理解できないネタである欠点を承知してなお、このタイトルを使いたかったので書いた。後悔はない。
 
■2006-10-24
シナぷス
 今日は10月24日じゃあないか。
 1024、それは1と0しか理解しないスイッチングデバイスと十本指の人間が編み出した調和の数。人間の頭脳にもいつかきっとインストールされる、そんな約束の数字。

 しかし頭脳の情報伝達経路は日々劣化中だ。
 そんな今日の発言。

 「まったく、警察にアレをされてる気分だったよ。
 とりしまり…じゃなくて、しばりくび…じゃなくて
 そう、とりしらべ。」

 二番目のはどこで出てきたの?
 
■2006-10-15
決着!
 僕の部屋のテレビは、アンテナ不調のため映らない。
 別にそれで不自由はしていない。
 どうせゲームとDVDのために買ったテレビだ。

 しかし、僕はNHKの受信料を払っている。
 テレビが映らないのに、払っている。
 最近ではテレビ放送は様々な方法で受信できる。
 「テレビを観ていない」と証明するのは「悪魔の証明」に等しい。
 なので、納得がいかないまま払っている。

 このまま放っておくのもしゃくなので、またアンテナを繋いでみた。
 次兄が部屋に来ていたので、勢いで試みてみたのだ。

 やっぱりテレビは映らない。
 僕と次兄はアンテナのケーブルを放り投げた。

 すると、突然映りが良くなった。



 今、アンテナケーブルは部屋の隅に放り投げられたまま、
 テレビには日曜洋画劇場の『ポセイドン』が映っている。

 チクショウ、部屋のアンテナなんてチクショウ。



 ところでこの『ポセイドン』だが、実は今週DVDで観たばかりなのだ。チクショウ。なんて先見の明のなさだ…!と思ったが、テレビでやってるのはそれとはまた別の『ポセイドン』だった。
 リメイク元の『ポセイドンアドベンチャー』も幼いころ見たが、ぼんやりとした僕の記憶とはずいぶん変わっていて、新鮮に楽しめた。

 『タイタニック』の沈没シーンになると俄然元気になるタイプの僕には真向きのパニック映画だ。
 もうあっさり速やかにとっとと船は転覆するし、ホラー・パニック映画で「何かに閉じこもる」選択をした人間はあっさり死ぬ、という定石が再確認できたのでよかった。
 
■2006-10-11
ひらがなのれんしゅう
 今回は学校の先生から聞いた実話である。
実際は縦書きだけど
問題
 小学一年生のテスト問題を作るのは大変な苦労があるようだ。
 なにしろひらがなの読み書きからテスト範囲になるのである。
 だいたい、上のような感じでイラストを使ったり、音声を使ったりして、テストというかワークシートのような感じでひらがなを書かせていく。

 「これは、ざりがにですねー?」

 「それじゃあみんなで、よこのマスに、一緒に"ざりがに"って書きましょうねー」

 「ざ、【さ】じゃないよ、点々に気をつけてね」

 「り」

 「が」

 「に」

 「書けたかなー?先生にみせてごらん」
いせえび
回答
 うおおーい!!今「ざりがに」って言ってやったじゃねーかよォォー!!
 っていうかいいモン食ってんな最近の小学生ー!!
 
■2006-09-24
ややこしいです
 
 女の子が7人います。男の子は女の子より3人少ないです。
 男の子は何人いるでしょう。


 仕事で「『少ないです』という言い方は間違っている」という指摘があった。

 「形容詞の言い切り」と「です」。間違った日本語なのか?
 「北海道は寒いです」はダメなのか?
 「今日は富士山が美しいです」はダメなのか?
 確かに、である調に直したときに「寒いだ」とか「美しいだ」とは言わない!

 確認したが、国語教科書の文法事項には記載されていない。
 だがたしかに教科書はこの言い回しを徹底的に避けているように見える。
 一部の参考書には「形容詞に接続する」と書いてあるが、用例はわざわざ省略されていた。

 これが間違っているとして、「3人少ない」という言い方を、どうやってですます調にすればいいんだ!?
 「3人少ないのです」か?
 まさかアレか!?「3人少のうございます」まで言わないといかんのか!?

 教科書会社に問い合わせてみたいが、
 「形容詞+ですは日本語として正しいで…正しゅうございますか?」
 「ええ、正しいです」
 みたいな結果になるのもイヤだ。



 いろいろ調べまわった結果、「形容詞+です」は、以前は間違いとされていた日本語で、現在は許容されているという結論に達した。
 逃げ続けてきた教科書も、ガマンできずにいくつかこの言い回しを使っており、この問題は修正をしないこととなった。
 言語は常に変化している。日本語はとても難しいです。
 
■2006-08-18
伊東散策記
 伊東へ行くならハトヤ。ハトヤに決めた。
 …いや、俺は決めない!誰かに決められた道なんてまっぴらだ!

 ここのところなんだかんだで毎月伊豆に出張に行っている俺だが、今回は湯ヶ島出張のついでに伊東まで足をのばしてきた。
 用件は写真撮影。以前中田島砂丘に行ったのと同じ編集物用の写真だ。今回必要なのは「木下杢太郎記念館・外観」。ただし、雑誌部のほうから「駅周辺の風景をついでに何枚か撮ってきて」という要請をうけているため、コインパーキングに車をとめ、伊東の駅前を散策することにした。

 伊豆の街並みというのは、どこでもわりとそうだが、情緒的というか、旅情を感じさせる。古いっていうとアレだが、シブいのは確かだ。
 しかしさっきまでいた中伊豆と比べると明らかに違う。
 何が一番違うってまずギャルが多い。
 どちらを見てもギャルが目に入る。シブい街並みとのコントラストがすごい。
 なぜこんなところにギャルが?
 OH!ギャル!女は誰でもスーパースター?
サマーシーズン到来!
答え:伊東オレンジビーチ
 おお神よ!なぜ木下杢太郎記念館がこんなビーチの近くに!
 神よ!なぜ俺はこんな水着ギャルの溢れる街をカメラ片手に文学散歩しなければならないのですか!しかもスーツで!
 不審!暑い!不審!暑い!
 もういっそ海の底で物言わぬ貝になりたい!
 誰にも邪魔をされずに(水着ギャルに囲まれて)海に帰れたらいいのに!
 あなたをひっそりと思い出させて!諦めて、恋心よ!
杢太郎生家だそうで
杢太郎記念館
 この先の交差点にはビキニギャル。
 帰る帰るもう帰る!!
 
■2006-08-04
夏休み獲得戦
 よしッ連続12日出勤でいよいよ編集者らしくなってきたぜ!
 明日もフルタイムでみっちり仕事するぜ!

 ところで「三千里みっちり」って書くと、なんか果てしなくて絶望する。
 
■2006-08-01
誤読レボリューション
 本をスキャナで取り込んだ画像から、テキストを起こすソフトがある。
 文字を自動で認識していってくれるのは便利だ。
 しかし手元にひどいコピーしかなかったり、うまくスキャンできなかったりして、元の画像が汚くなってしまった場合、ソフトは認識ミスをすることが多くなる。

 【原文】
 「おまえが落としたものは、おれが全部ひろってやるから」
 「………え?」

 【読取】
 「おまえが落としたものは、おれが全部ひろってやるから」
 「………瓦?

 ひろわんよ。
 
■2006-07-25
男フィーバー
 Wingの自炊っぷりは、けっこう貧弱だ。
 なにしろ使う調味料はオリーブオイルと塩がほとんど。
 あとは気まぐれにマヨネーズくらいなもんだ。

「だいたい塩がひとつまみあれば、なんでも喰えるさ」

「もっと、醤油とかお砂糖を使った料理もしたほうがいいですよ」

「いや、でもやっぱり男の料理といえば塩ひとふり」

「栄養が偏っちゃいますよ」

「いや、リンゴォ先生がこう言っていた。
 …『社会的な価値観』がある。そして『男の価値』がある。
 昔は一致していたが、その「2つ」は現代では必ずしも一致はしていない。
 だが『真の料理への道』には『男の価値』が必要だ…と」

「あんなすごいゲイっぽい人の言うことを鵜呑みにしちゃあダメです!
 阿部高和にホイホイついてっちゃうようなものですよ!」

 猛烈に悔しいがなぜか反論できない。