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◆不定期日記ログ◆

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■2007-02-19
株と夢
 株式会社の「株」ってなんで株っていうんだ?
 という謎を探ってみたお話。

 よーするにアメリカでは切り株も株式会社のアレもStockというので、株式会社のアレを日本語訳するときにそのまま「株」としたと。
 おおざっぱにまとめると、それだけのお話のようだ。
 ちなみに在庫もStockというようで、「ストックしておく」みたいな言い方も、入ってくる時期が違ったら「株にしておく」になった可能性も否定できなくてややこしい。

 ところで僕は以前から「将来の夢」「寝て見る夢」の両方がなんで「夢」という同じ言葉で表されているのか疑問に思っていたが、どうやらこの株の話を踏まえると輪郭が見えてきた。

 ひょっとして、昔は「夢」には「寝て見る夢」の意味しかなかったのが、「dream」という単語が入ってきたときに、「dream」に「将来の夢」みたいな使い方があったもんだから、「夢」にもその意味を追加したのではないか?
 調べてもウラが取れなかったので残念ながら妄想だが、なかなか説得力のある妄想だと思う。

 もともと日本では「夢の如し」とか「夢のまた夢」とか、夢はたよりなくはかないものだという使い方が多いではないか。
 人の夢と書いて儚い。アグリアス・オークスだって知っている。
 対してdreamは、調べてみると喜びだとか音楽だとか、そういう楽しいイメージの語源をもっているらしい。

 このへんの日本人のネガティヴさ、アタイ好きだよ。
 
■2007-02-15
カタカナガリレイ
 カタカナ語の乱用問題が取り沙汰されて久しい。
 だいぶ前に国立国語研究所が、わかりにくいカタカナ語を言いかえよう!と立ち上がって、モラルハザードだとかインセンティブだとかインキュベーターだとかを頑張って日本語にした。
 しかし今のところモラルハザードのことを指して「倫理崩壊」とか言っているところは見た覚えがない。

 だいたい「インキュベーター」という単語がイケてたのは、会社を興す手助けのことを孵卵器にたとえたその発想がイケてたからであって、そのままカタカナで使ったりわかりやすく「起業支援機関」と訳したんでは全然イケてないのである。俺はいま憶測でモノを言っている。
 ここは「孵業」とかそういう熟語をあみ出すくらいの気概がほしかった。

 そもそも我々は明治時代にこの種の翻訳を繰り返してきたではないか。
 dutyという言葉にぶち当たっては「義務」という熟語を作り、
 rightという要素に出くわしては「権利」という熟語を作ったのである。
 先人に習って新しい熟語を作ってしまえばよかったのだ。
 わかりやすく言い換えるという目的は達成できてないが構わないのだ。

 わかりにくいのはカタカナ語ばかりではない。
 保証(security)と保障(guarantee)の使い分けを僕は即答できなかった。
 文化と文明の違いは?概念と観念はどうか?
 カタカナであるかどうかに限らず、新たに輸入した言葉の中には、いまだに辞書に頼らなければあやふやなものがあるんじゃあないか?

 真に駆逐すべきは、わかりにくい言葉をあえて使って煙に巻こうという根性なのであって、断じてカタカナ語そのものではない。

「公共事業については、これまでの改革努力を継続する中で、未来への投資となる、真に必要な社会資本の整備を、重点化や効率化を徹底しながら実施します」

 みたいなことをおっしゃる政治家の先生のお話も、これからは、

「ああ温泉にゴーしたい!そしてアフター温泉マッサージをしてビアをドリンクしたい!これがナウのマイスモールドリームです」

 とブログにライトするファニーなナイスガイにキャッチキャッチキャッチされていると思って聞くことにする。
 
■2007-02-12
歓迎セレモニー
 あれは、まだ僕らが、外国といえばアメリカとハワイしかないと思っていたころ…

 僕らのクラスに、イギリスからのお客さんがやってきた。
 短期ALTみたいな扱いだったと思う。

 僕らは自主的に、歓迎の方法を考えた。
 先生が教室に入ってきた瞬間に、向こうの言葉で挨拶をしよう!
 ハローはアメリカの言葉。じゃあイギリスは?

 本で調べていた友達が言った。「ボンジョルノだ!」

 僕らはまだイギリスとイタリアの違いもわからなかった。
 きっと誰でも、イギリスとイタリアの違いを覚えて大きくなり、
 オーストリアとオーストラリアの違いを覚えてまた大きくなる。

 教室に入った瞬間、笑顔の子どもたちから大声で
 「ボンジョルノ!!」
 と叫ばれたイギリス人の先生は、どう思っただろうか…
 きっと今でもこのハイブロウなジョークを忘れてはいまい。
 
■2007-02-07
漢字わるい
 チクショウ!チクショウ!統一しろ!

 まずはこの「錆」っていう漢字を見るんだ。
 次に国語辞典か漢字字典で「さび」を引くんだ。
 右っ側の「青」の下の月みたいな部分が「円」になってるんだよ。
 環境によっては表示できないかもしれないけど「靑」な。

 でも変換しよーとするとさっきみたいに「青」のほうしか出ねぇんだよ!
 「燗」(閒・間)とか、こういう字は他にもけっこうあるっぽい。※追記:MS明朝やMSゴシックの字体はいつのまにか変わったようです
字体の違い
おわかり頂けるだろうか
 これはよーするに、もともと「あお」の下の「円」だった部分が、旧字体から標準の字体に変わるにあたって「月みたいなもの」に直されたんだよね。
 でも、「さび」は常用漢字じゃないので放置されたと。
 チクショウ、漢字なんてパーツの集まりなんだから全部の「青」に適用しとけよ!
 フォント作るひとが直してどうすんだよ!

 そもそも、この直し方が最悪だ。
 「円」の部分を「月みたいなもの」にしたところで画数減ってねえよ!
 むしろ線をひっぱる距離はわずかに増えてるよ!
 「円」に統一すりゃよかったんじゃねえか!
 だいたい「月みたいなもの」ってこれ何だ!?
 どうせ語源がわからなくなるなら「月」でいいだろ!はらえよ左端!
 そんなところで「月」との差別化をはかるなよ!どんなプライドだ!



 18世紀の中国では、時の皇帝が「康熙字典」っていうものを作って、泣きたくなるくらい足並みが揃っていない漢字5万字弱をカテゴライズした。この字典は今でも全ての漢字字典に影響を与えている。
 それに比べれば、JIS規格の漢字をまとめて統一を取りなおすくらいなんてことない作業のように思えるが、いかんせん康熙帝レベルの権力がないっぽいので残念だ。
 
■2007-02-01
でこぼこ
 凹凸という漢字を見ると、漢字ってのは象形文字なんだなあということを思い出さざるを得ない。
 こういう象形文字に囲まれて生活しているから、日本人はケータイの絵文字だってどんどん増やしちゃうんだ。
 (という主張をするには中国など他の象形文字文化の国の人々のケータイ事情を調査すべきだが、中国人のケータイメールなんてどうやって打ってるのかすら想像できないので断念しておく。)

 ところでこの凹や凸、ちゃんと正しい書き順が定められている。
 掲載したところでなんの豆知識にもならないというか、そもそも手書きをすること自体が極端に少ないと思われるので掲載はしないが、とにかく決まった書き順がある。
 仕事で話題になって、練習したから覚えた。
凸凹凸
練習のあと
 おかしい…真面目に仕事をした痕跡のはずなのに、テトリスで遊んでいるようにしか見えない。

 ううっ!これはッ!

 …新手のスタンド使いかァーッ!!(今度は本当に遊んでます)
 
■2007-01-25
言文一致
 ほっぺたの「頬」を「ほお」と読むか「ほほ」と読むか?
 最初はそんな疑問から始まった。

 コイツは、かつて「あはれ」と書いて「あわれ」と読んでいたような時代に、同じように「ほほ」と書いて「ほお」と読んでいたらしい。なので「ほお」が正統なんだと思う。
 それが、言文一致の流れの中でなぜか見落とされ、そのまま「ほほ」と読んでしまう流派が、いつのまにか市民権を獲得したのだ、たぶん。
 だからといってスピッツの名曲をいまさら「冷たいほお」と言うわけにはいかないので統一はしない。

 似たような言葉に「かたわら」がある。
 「かたはら」という表記が、発音に従って「かたわら」に直されたのだろうが、「かたはらいたし」だけは「片腹」という当て字の陰に見落とされた。
 本来は「はたから見ていてアイタタタ」という意味なので、「かたわらいたし」と読んでいたのだろう。
 こうなるともう、かたはらいたしかゆし状態である。

 宮沢賢治が童話で描いた理想郷は「イーハトーヴ」と呼ばれているが、たぶんこれも同様だ。
 ベースモデルが「岩手」であるということを踏まえると、きっと発音は「イーワトーヴ」であったのだろう。宮沢賢治が喋ってるところを見たことがないので自信はないが。

 歴史的仮名遣いとはちょっと違うが、「ウォッカ」も見逃せない。
 本来の発音に近いのは「ウォツカ」(あるいはウォトカ)らしいが、大文字小文字に頓着がなかった時代は「ウオツカ」と書かれていたのだろう。なにしろ「キヤノン」や「キユーピー」などで社名を登録してしまう時代である。
 それが、小文字を意識するにあたって過剰に反応し、「ウォッカ」と修正してしまったものと思われる。
 他には「カムチャッカ」なんかも同様の仕打ちを受けている。

 ここまで考察が及んだところで、
 「希有と書いて『けう』と読ませるのも似たような仕組みではないか?本当は『きゆう』でいいのでは?」
 と思いついたのだが、「けう」を「きゆう」と発音するのは、かなり希有な例ではないかと思いなおして棄却した。
 
■2007-01-12
自己解決
「中華料理の『餃子』ってよォ~…

 『チャオズ』って読みはわかる…スゲーよくわかる。
 中華料理は普通『チンジャオロースー』とか『バンバンジー』とか中国語読みで読むからな…

 だが『ギョウザ』ってのはどういう事だああ~っ!?
 『餃』はいいとして日本語で『子』を『ザ』って読むかっつーのよーッ!

 ナメやがってこの言葉超イラつくぜぇ~ッ!!
 『ギョウザ』ってぜんぜん日本語読みじゃねーじゃあねーか!
 読めるもんなら読んでみやがれってんだ!
 チクショーッどういう事だ!どういう事だよッ!クソッ!
 『ギョウザ』って何語だッ!ナメやがってクソッ!クソッ!」


 歴史があり国土も広い中国では、時代と地域によって途方もない数の方言が存在する。日本に餃子を伝えたのは、『餃子』を『ギャオズ』と発音する地域・時代の人であったという説が有力である。『チャオズ』が『ギャオズ』となって伝わり『ギョウザ』として定着したというのは妥当な説明であろう。


「知ってんだよオオォォッ!!
 国語の教師か、うう…うう…うおお、おっ、おっ、オメーはよォォォォ!!」
 
■2006-12-29
やりたい邦題
 結局観てはいないのだが、「パイレーツオブカリビアン デッドマンズ・チェスト」というタイトルが気に入らない。

 映画の解説にでたいてい「デッドマンズ・チェスト(死者の宝箱)を手に入れる~」みたいにカッコつきで説明されている。とても不恰好だ。最初から「死者の宝箱」という副題にしておけばこんな無粋な解説は要らない。だいたい、「ちぇすと」という語感から箱のようなものを想像できる日本人がどれくらいいるだろうか?

 「スターウォーズ」も見よ!「ファントム・メナス」の浮きっぷりを!他5作は「シスの復讐」とかそんなんばっかだぞ!
 もし「ハリーポッター」の5作目が「ハリーポッター ジ・オーダー・オブ・ザ・フェニックス」とかだったらどうか?
 「不死鳥の騎士団」のほうが、ファンタジー感も親しみやすさもわかりやすさも格上だ。

 しかし、タイトルを変える、というのは非常に大変で、重い責任のかかる作業だ。
 「Half-Blood Prince」がなんで「謎のプリンス」なんだよ!みたいなツッコミにも晒されるし、作品の看板たる題名をいじるということは作品全体に影響を及ぼすことになるからである。

 大量の輸入作品が流れ込んでくるこの時代、この重大な責任を持つ「邦題をつける」という作業を、確実に責任をもって遂行することはできなくなった。
 しかし、原題をそのままカタカナ英語化することで、その責任を回避できたと思うのは間違っている。
 なぜなら、使う言語が違えば、語感の受け取り方も変わってくるからである。

 ポケットモンスターが英語版になったとき、ピカチュウはそのまま「Pikachu」となった。たいへんわかりやすくてよい。
 だがおそらく、英語圏の人は「PikaPika」という響きに光ってる感じを求めることはできないだろうし、「Chu」にもネズミの鳴き声を感じることはないであろう。
 「Meowth」に変更されたニャースはその点幸せである。

 訳して邦題をつけるにせよ、カタカナ表記にするにせよ、その決定には作品全体に関する責任があるのであり、カタカナ表記は決して逃げの手段ではない。
 「Pocket monster」が性器を示す隠語であるため「Pokemon」になった、という話は有名だが、そういった辞書外の意味や、不都合な単語との類似、言葉から受けるイメージの違いなども考慮した上でカタカナ表記しなければならないのである。
 それは新たに邦題をつけるのと同じくらい大変なことではないだろうか。

 ……。
 だから、僕が「エラゴン」のことを「エロゴン」と言ってしまったのは、僕がエロいからじゃなくてそういう点に無頓着なスタッフの側に全面的に責任があるんだよ。
 
■2006-12-18
今いくよゆくよ
 「行く」の読み方は「いく」なのか「ゆく」なのか?
 普段たいして気にも留めないが、どちらが正しいのかを決めるとなると困り果てる。

 小学校の国語教科書を参照すると、「行」という漢字はまず「いく」の読みを習う。
 しかし国語辞典で「いく」を調べると、「ゆく」へ飛ばされる。
 「いく」が慣用で、「ゆく」のほうが正式なのか?
 たしかに「ゆく」のほうがカッコイイというか詩的文学的な響きがある。
 我はゆく。さらば昴よ。

 とりあえず広辞苑を参照すると、「いく」と「ゆく」は奈良平安の時代から併存していたということが書いてある。どうやらどっちが古いとか正しいとか古式ゆかしいとかそういう問題ではないらしい。

 しかしこの二つ、完全にコンパチなわけではなく、どちらかしか使えない文脈がある。
 「ゆくてをはばむ」とか「ゆくゆくは」なんてのは「ゆく」しか使えないし、
 「たいぶ歳がいってる」とか「~とまではいかないが」なんてのは「いく」の文脈だ。
 というか「いく」は「いった」にできるが「ゆく」は「ゆった」にはできない。
 そう考えるとどうも「ゆく」の正当さが怪しく思えてきた。

 漢字テストや作文で「言う」のことを「ゆう」と書いたらバツだ。
 実際の発音ではしばしば「ゆう」になるので、子どもはかなり間違うらしい。ここは国語では徹底的に指導する。
 だが「ゆく」をカッコイイと思うならば、「ゆう」も容認してやるくらいの気概を持たねばダブルスタンダードではないのか?

 よく考えたら「良い」も「よい」と「いい」が併存する。
 こちらも「いく」と同じく、ア行のほうが口語的という認識だ。
 だが漢字で書いた場合はたいてい「よい」と読むので、「いい」が「良い」の中から独立戦争を仕掛けたような状態だろうか。

 ヤ行とア行の分離独立が進む「良い」
 ヤ行とア行のにらみ合いが続く「行く」
 完全にア行の支配下となった「言う」

 冒頭のつまらない疑問から、意外な領土問題に発展した。
 とりあえず「ゆう」が逆転勝訴を勝ち取るかどうか、静観したい。
 
■2006-12-13
ブラックリスト
 漢字テストの例文を作るのは意外と神経を使う作業である。
 出題すべき漢字が出ていればどんな例文でもいいわけだが、逆に言うと出題すべき漢字はなんとしても押さえなければならないのである。

 その上で邪魔になるのが同音異義語の存在だ。
 たとえば小学校三年生で「しん」「りょく」を出題したかったとして、問題文を「森のしんりょくが美しい」なんてやってしまうと、「深緑」「新緑」のどちらも正解になってしまい、しん」を書かせる目的は達成できない。

 短い問題文のなかでこの二つの違いを明らかにするのはとても大変なことなので、「しんりょく」とまとめることをあきらめてバラバラに出題するわけだが、そうなると今度は「りょく」を含む言葉がなかなか見つからなくて困ったりする。(小三レベルの言葉がない。「緑化」でギリギリ)
 似たような罠に「玉・球」「意思・意志」「辞典・字典」「競争・競走」などがあり、これらも短い問題文のなかで最大限に工夫しなければ出題がままならない熟語である。
 「たま」なんて「はやいたまをなげる」くらいしか適当な例文が見当たらないぞ。

 さらに出題者を悩ませるのが、「探検・探険」のような二通りの書き方のある熟語だ。
 これはひどい。あなたは説明できるか!?「探検」と「探険」の違いを!
 意味の違いはない。手持ちの辞書でも説明はできないのだ!
 というわけでこちらもしかたなくバラすことになるわけだが、「険」もまた平易な熟語がなくて困ったりするのだ。
 似たような罠に「容体・容態」「交代・交替」「根本・根元」「河原・川原」などがある。どれもうっかり問題文として出してしまいがちな熟語である。

 そして、裏の裏というべきか、ここまでの罠を注意深くつぶしてきた出題者を餌食にする罠も存在する。
 「収める」「修める」「納める」「治める」などは、当然使い分けに注意すべき漢字として学ばせていくわけだが、こういった言葉のなかにも定義があやふやなものがあり、それらには決して触れてはいけない。
 たとえば「測る」と「量る」
 測定器を使ってはかる場合は「測」、升やはかりを使ってはかる場合は「量」、なんて説明をしている辞書もある。
 距離や面積は「測」、容積や体積は「量」、なんて説明をしている辞書もある。

 じゃあテメー肺活量をはかる場合はどっちなんだ!
 ありゃccだから体積だが、測定器を使って測るじゃあねーかッ!!

 「相手の真意をはかる」なんかも、辞書によって「量」だったり「測」だったりするから困る。IMEは「どっちでもいいよ」って言ってる。

 こういった単語は全てブラックリストに入れて隔離し、新出漢字などでどうしても出題しなければならないときだけ保護観察つきで出所させるべきだろう。
 漢字テストを作る側こそがもっとも漢字に悩まされているのだ。
 
■2006-12-05
言葉の射程外
 言葉にも射程距離がある。
 そして、なんらかの力によって言葉が急に射程距離の外に飛び出した場合、その言葉の意味が変容してしまうことが多々ある。

 たとえば「まったり」
 方言という射程距離を飛び出したこの言葉から、「薄味のまろやかさ」を感じ取ることはもはやできまい。
 一般化により、味覚の世界だけでなくマルチに活躍している言葉である。

 たとえば「ホームページ」
 もともと、一部のインターネット野郎までが射程距離だったこの言葉は、パソコンとインターネットの急激な普及によりその射程距離をオーバーした。
 その結果現在では、webサイト一般のことを示す言葉として定着している。

 たとえば「イナバウアー」
 僕らは金メダルフィーバーの中で、あっという間に「イナバウアー=反る」の等式が成り立っていったのを体験している。
 これはもともとの射程距離が極端に狭かったせいもあろう。

 たとえば「萌え」
 これはもともと定義があやふやしていたが、「『萌え』を三次元の女に対して使うなんて理解不能」という主張を見ると、どうやら射程距離を突き抜けたようだ。
 もっとも最近は「萌え=メイドさん」という大づかみ極まりない認識になりつつあるのが心配ではある。
 これはサブカル界隈から一般化されたせいで射程距離を突き抜けた例だが、そんなサブカル界隈の中ですら「ツンデレ」の拡散・変容に対する苦言がある。
 こうなるともう一種の入れ子構造だ。

 ところで、さきほどの「『萌え』を三次元の女に対して使うなんて理解不能」というような主張は、「『鳥肌が立つ』を感動の表現に使うなんて理解不能」というような年配の方の苦言に似ている。
 年代の経過による言葉の変容と、大衆化による言葉の変容は、「言葉を使う人間の性質が多様化する」という点で、同質である。
 年代経過による変容を「言葉の乱れ」とするのに反対の立場である僕としては、大衆化による変容も認めなければなるまい。
 言葉の意味は常に多数決。
 真逆の意味になるのは困るが、多少の変容は許容していきたい。

 しかしッ!
 「確信犯」は許可しないィィィーッ!!

 どこかのblogで言っていた…
 (考えてみれば「blog」も大衆化によって変容しつつあるな)
 「確信犯」の代表は「プッチ神父」であると!
 プッチ神父は倒される瞬間まで自分の「正義」を疑わなかった!
 ただの開き直ったルール違反者にはない…覚悟と凄みがあるッ!!
 プッチ神父と並ぶ自信があるヤツだけが「確信犯」を名乗れェーッ!!

 …と思ったが、これで「あっ!理解『可』能」と「納得」してくれるのはジョジョ紳士だけなので、別に「確信犯」の誤用をいまさら気に留めたりはしない。
 むしろ誤用された確信犯に、想像を超えた正義があると脳内で解釈しよう。

 確信犯で傘を盗んだ奴は…
 じつは「傘の自由化」を掲げて戦う革命家である!!

 おお、なんだか日本中が戦国時代に突入したような感じだ。
 
■2006-12-01
ネアンデジタール人
 買い替えが追いつかないだの受信地域に差があるだの、いろんな不安が取りざたされた地上デジタル放送だが、どうやら全国区でスタートしたらしい。

 そんな不安の中でもたびたび言われるのが認知度の低さだ。
 これはもう完全に略称の問題だと思う。
 「地デジ」だぞ「地デジ」
 地上デジタル放送がどんなに素晴らしいモノだったとしても、また各メディアを総動員して広報したとしても、この「ちでじ」という美しくない響きが日常会話に浸透しきることはないだろう!と断言できるくらい響きが汚い。
 変換すると「血で痔」とかになってしまうからさらに印象が悪い。
 そんなんだから流行語大賞候補にすら挙がらないのだ。

 他に略しようがないので仕方ないが、略しようがないのを変に略すこともあるまい。
 略せないのなら、周知のために愛称や通称を用意すればいいだけのことだ。

 もしこれが最強に響きのいい、耳にすっと入ってきて聞き逃さないような言葉で置き換えられていたら、ガンガン周知されていったはずである。
 たとえば…
 おっぱいとか。

 「おっぱい放送、1日より全国スタート」

 これはすごい勢いでテレビの買い替えが進むぞ!
 だがこれでは周知というより羞恥だ。無念。
 
■2006-11-30
かわいそうなぞう
 漢字テストの例文を作るのは意外と神経を使う作業である。
 出題すべき漢字が出ていればどんな例文でもいいわけだが、それゆえにベストの選択肢がない。

 「傷…『きずついた犬』っていうのは印象が悪くないか」
 「犬が身近すぎるからかな」
 「もっと身近にいない動物にしたらどうでしょう、野生動物的な」
 「オカピとか?(世界三大珍獣の一)」


 ……「きずついた オカピ」。
 これはもう漢字テストどころか、童話が一本書けそうだ。
 
■2006-11-27
声に出したいアレ
 数ある美しい日本語のなかでも、最も美しいと思うのが「まろび出る」だ。
 何でもかんでも雅な感じ、まろび出る。
 終電もオナラも自衛隊派遣も、全て「まろび出る」とすれば雅な感じ。

 しかしカタカナで書くと大迫力。
 「マロビデル」だ。これはもう邪悪な神の類に違いない。
 降臨!魔攻破邪神マロビデル!!
 ドラクエのトリを飾らんばかりの迫力だ。そう思うだろ!?

 「マロの部分のせいで、公家のイメージが離れない」

 言われてみれば確かに!
 
■2006-11-17
ウンテルデンリンデン
 ウンテルデンリンデン。
 『舞姫』に登場する地名で、全国の高校生のハートをガッチリつかむその単語。
 声に出して読みたいドイツ語。ウンテルデンリンデン。

 実際のところこれはUnter Den Lindenであり、ようは「アンダー☆ザ☆菩提樹」ってことなんだけど、とにかくその響きがインパクト大なウンテルデンリンデン。
 そこでこの単語を、日常会話に取り入れることを提案する。

 「最近便秘気味で…」というところを、
 「最近ウンテルがデンリンデン」と言い換えるのはどうだろう。

 「ウンテルがデンリンデン」。なんとジャーマニックな便秘告白!
 これは是非使っていきたい。声に出していきたい。

 もう台無し。ウンテルデンリンデン。


 なお、コンピュータ野郎を自負する猛者は、「ウンテル・インサイド」もしくは「ウンテル入ってる」にすべきだろう。
 
■2006-11-08
ママっ子ウェイトレス
 最近ファミレスに行ってないせいか、いまいちピンとこないのだが、マニュアル敬語の例としてよく「メニューお下げしてよろしかったでしょうか」が挙げられる。

 これに関しては、筑摩新書『ありえない日本語』の中で、相手の心中がわからない状態で「相手に断りもなくメニューを下げるリスク」と「自明な判断をわざわざ相手にさせるリスク」という相反するリスクを、両方最低限回避しようと生まれてきた言い回しだ、というような解釈がされていて、非常に正鵠を射ているなぁと思った。

 で、今度はこれが「なぜゆえ過去形にするのか?」という反感を買ってしまっているわけだ。
 「お下げしてよろしいでしょうか」でよいではないかと。

 だが、てめー、そういう言葉はファミレスの世界にはねーんだぜ…
 「下げてよいか」…そんな言葉は使う必要がねーんだ。
 なぜなら、ウェイターや、ウェイトレスの仲間は、その質問を頭の中に思い浮かべた時には!実際にメニューを下げちまって、もうすでに終わってるからだッ!
 「下げてよかったか」なら聞いてもいいッ!

 「下げてよいか」と心の中で思ったならッ!
 その時スデに行動は終わっているんだッ!!



 …という接客教育をされる妄想をしたよ。