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◆不定期日記ログ◆

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■2023-11-01
ちゅぱちゅぱしようぜ!
 チュッパチャップスとかいう飴、あまりにも欧米らしいデザインで売ってるけど、このちゅぱちゅぱした語感はあまりにも日本語の擬音に寄り添いすぎではないだろうか。
宇宙を漂うChupa Chups
宇宙を漂うChupa Chups by BingAI
 だってそうでしょう? アメリカのやつら、唇をチュッてするだけでも Smack! だの Smooooch!! だのいう音が出るんでしょう? 唇が厚すぎんだろ……
 だからきっとチュッパチャップスという名前は日本らしく和訳されたもので、原産国では全然ちがう名前で売られているに違いないぞ。しらべてみよう!

Q:「チュッパチャプス」の名前の由来を教えてください。
A:“チュッパ”はスペイン語で“なめる”という意味です。“チャプス”はスペインで最初にロリポップキャンディに付けられたブランド名です。

クラシエ株式会社 よくあるご質問
 全然違った。
 本場はスペインであり、「なめる」はChupaであり、なめるときの擬音はChupsであった。ちゅぱちゅぱする音がChupaではなくChupsの方だったのは意外だったが、飴をなめるのに唇の厚さは関係ないことが明らかになった。

 あと我々は「チュッパチャップス」って言いがちだけど、公式はみんな「チュッパチャプス」で統一されていることに気がついた。さらに言えばスペイン語では「チュプス」のほうが近いようだ。ChupaもChupsも似た言葉なのだから、「チュ」なら「チュ」、「チャ」なら「チャ」で統一して欲しかった。
 
■2023-07-11
音便オルタナティブ
 どっきりどっきりDON DON!!
 こういうテストが湧いたら どーしよ?(どーする?)
ろくかくけい/ろっかくけい/ろくかっけい/ろっかっけい
 びっくりびっくりBIN BIN!!
 残さず全部がマルでも いーでしょ!(いーよね?)


 ……いいのか?
 常用漢字表では「角」の読みは「カク・かど・つの」であり、「カッ」はない。
 同様に「六」の読みも「ロク・む・むつ・むっつ・むい」としか書かれておらず、「ロッ」は含まれていない。

 ちなみにほかの数字を見てみると、「十」の読みには「ジッ」のところに「ジュッ」という注釈が示されている。「十角形」は「ジュッ」と読むことが許されている……逆に言えば「ロッ」は許されていない!?
 つまり「ろくかくけい」こそがマルで、他の答案はバツになってしまうのか!?


 だが待ってほしい。常用漢字表には使用例が併記されており、「ロク」の例として「六法」が挙げられている。さすがにこれが「ロクホウ」であるとは考えにくいので、おそらくここに「ロッ」の読みを含めたいのだろう。
 常用漢字表は冒頭で「他の字と結び付く場合に音韻上の変化を起こす例は、全ての例を尽くしているわけではない」とブン投げている。つまり全部マルで良いッ!!


 ……いいのか?
 これを認めてしまうと、「学校」の読みを「ガクコウ」と書いた答案をバツにできなくなるが……本当にいいのか?
 当然「せんたっき」などの表記も認めなくてはいけなくなるし、そうなると「満足感」は「まんぞっかん」、「保育器」は「ほいっき」でOKになってしまう。これが本当におまえの望んだ世界か……?


 こういったカオスに突入することを防ぐためか、教科書では独自に「学 ガク(ガッ)」のように読みを追加している。
 教科書会社ごとにこの判断は異なる可能性があるが、ある教科書を例にとると「六 ロク(ロッ)」は示されているが「角 カク(カッ)」は示されていない。

 したがってこの教科書を使っている学校では、冒頭のテストの正解は「ろくかくけい」と「ろっかくけい」の2つとなる。教科書に従っておけば間違いないッ!! 鳥もそう思うよな!!

PIPI
ピピチャン!(そもそも「六角形」は漢字の読みのテストとしては出題されないと思うよ)
 ウワーッそもそも論だ!! 退却!!
 
■2023-04-01
交ぜ書きの謎
 子どものころ、「破綻」のことを長いこと「ハジョウ」だと思っていた。新聞とかには「破たん」としか書いてないし、「綻」という漢字のどこにタンの要素があるのか納得のいく説明が欲しかった。
 とはいえ、「綻」をなぜジョウでなくタンと読むかは考えたってわかるものではない。兵站のタンも蛋白質のタンもなぜタンと読むのかわからないし、「虎視眈々」が「こしちんちん」になってしまうと問題がある。納得するしかない。


 さて、この「破たん」のように熟語の一部を開くことを交ぜ書きという。
 たとえば「まん延防止」なんかは去年よく見た交ぜ書きである。これは字面がボンヤリとしていて良くない。その点「医療ひっ迫」はなんかドン引きしてる顔が目に浮かぶので効果的で良いと思う。

 これらは「蔓」や「逼」が常用漢字表に含まれていないので、こうなっている。
 かつて、常用漢字表が当用漢字表であった時代は、この制限がもっと厳しかった。そのため多様な交ぜ書きが生まれた。

 交ぜ書きは、戦後、「当用漢字表」(昭和21年)が定められたことに伴い、表外字を含む漢語を書き表す一つの便法として行われてきたものである。
 その後、「当用漢字表」に代わって「常用漢字表」(昭和56年)が定められたが、これは字種の幅を広げるとともに「当用漢字表」の制限的な性格を改めて漢字使用の「目安」としたものであり、また、各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではないことも明記されている。

文化庁 第20期国語審議会
 常用漢字表はたびたび改訂されている。
 たとえば、かつて「拉致」を「ら致」と書く習わしがあったが、これはあまりに読みにくいので2010年に「拉」が常用漢字表に入った。
 「拉致」以外で「拉」を常用するのは『闘将!! 拉麺男』の話をするときくらいだが、これが常用漢字に入ったことで「ら致」は「拉致」にすっかり置き換わった。

 だが「破たん」は「綻」が常用漢字に入ってもまだ見かける。これはいったいどういうことか。


 こういうときに疑うべき要素がある。
 「障がい者」の交ぜ書きの例だ。

 これはもともと「障碍者」で、1956年に漢字の種類を限定するために国語審議会が書き換えを行ったものである。「碍(さしつかえる)」を「害」に変えたものの、「害」という字のイメージが良くないので本来の「碍」に戻し、常用漢字でないのでひらがなで書いた……と理解している。

 つまり……「破綻」も、元はまったく違う難しい漢字だったのではないだろうか?
 その可能性を探るべく、取材班は国語審議会の「同音の漢字による書きかえ」を精読した!
 そしてやはり本来の字は「破殫」……「殫」の意味は「ことごとく」「つきる」……つまり「やぶれてつきる」という熟語であったことを突き止めた!! 本来の意味を大切にする報道各社は、これを示すために「破たん」を交ぜ書きにし続けているのだ!!


 ……という話に持って行こうと思ったのだが、書きかえの一覧の中に「破綻」はなかった。だがエイプリルフールなのでせめて力強く嘘情報を断言させてもらった。
 AIの躍進でこれからweb上にはもっともらしいデタラメがあふれることになる。上記の出典リンク先を確認した人はこの大嘘にいち早く気づいたであろうし、「当用漢字でない漢字を当用漢字でない漢字に書きかえるのは変なのでは?」という違和感を持った人はその感性を大切にして、デジタルシティズンシップに励んでいただきたい。
 
 「破たん」については、もう残された可能性は「破たんのほうがカワイイだから」しかない。エイプリルフールなので力強く断言しよう。カワイイは全てに優先するぜッ!!
 なお「処方せん」の「箋」も同様に常用漢字なのだが、これは「我、薬を処方せむ」……つまり薬局が「処方しよう!」という意味で掲げているのでひらがなのままでよい。よかったですね。
 
■2023-02-13
デッドボールは和製英語か
 タイムラインから突然「デッドボールは和製英語」という情報が飛び出してきて、俺はそれに衝突して激しく転倒してしまった。

 ……そんなことある!?

 調べると、確かに多くのサイトに「英語ではHit by a pitch(HBP)という」とか「Dead Ballは審判のタイム宣告などで無効となったボールのことを指す」とか書かれている。

 ちょっとまってくれ、我が国では明治時代に俳人の正岡子規らが多くの野球用語を意訳して、そのとき「死球」という言葉を作ったのではなかったのか。
 デッドボールが和製英語だとすると、

 アメリカからヒット・バイ・ピッチのルールが伝わる
  ↓
 正岡子規が「死球」と名付ける
  ↓
 太平洋戦争(英語禁止野球)
  ↓
 ルー大柴めいた人が「死球」を「デッドボール」と言い出す
  ↓
 用語として定着

 という不可解な流れがあることになってしまうではないか。そんなことある!?


 あまりに不自然ではないか、とワイフと協議したところ「そもそもシキュウに同音異義語が多すぎるのでは」という意見が出た。
 確かに、あれだけ俳句と野球を愛した正岡子規が……いや正岡子規のことよく知らないけど……デッドボール(ヒット・バイ・ピッチ)を「死球」と訳したなら、フォアボール(これも和製英語らしい)を「四球」と訳したのはどういうことなのだろう。
 スリーボールの状況でバッターに投球が当たったかどうかの微妙な判定で、審判が「シキュウ!」と言ったときに、それが「死球」か「四球」かわからない……言葉を大切にし、自らも野球をプレイしていた正岡子規が、そんな単純な不具合を放置するだろうか? 結果はどっちも出塁だから問題なかったのか?

 だめだ謎が多い。まずは正岡子規のほうから調べていこう。
 取材陣は直ちに子規記念博物館へ飛んだ!
子規記念博物館
 嘘です。これは2007年に行ったもの。

■正岡子規は何を「死球」と言ったのか

 1896年に正岡子規がベースボールを紹介する文章(『松蘿玉液』収録の「戸外遊戯」の項)を書いているらしいのでさっそく図書館で借りてきた。これは青空文庫でも読める。ここから「死球」をいう文字を探すと……

ここに球に触るるというは防者の一人が手に球を持ちてその手を走者の身体の一部に触るることにして決して球を敵に投げつくることに非ず。もし投げたる球が走者に中れば死球デッドボールといいて敵を殺さぬのみならずかえって防者の損になるべし

正岡子規『ベースボール』
 エッ!? ぜんぜん関係ないところでデッドボールが出てきたぞ!?
 投手が打者に投球をぶつけたときではなく、走者に野手が送球をぶつけたときの話じゃないか。よく引き合いに出されているこのエッセイの中では、死球について正岡子規は後者の話しかしていない。
 さらにいえばこの場合、「かえって防者の損」とあるとおり、ボールはデッドにならずにインプレーのまま試合が進行することがほとんどである。「死球」はball is deadの訳ですらない可能性が出てきた。いきなり話が違うぞ!

■それなら中馬庚だ

 謎が増えてしまったので、次に中馬庚ちゅうま かのえをあたる。正岡子規と同様に野球の普及に努め、Baseballを「野球」と訳した人物だ。この人は1897年に『野球』という名の指南書を出版している。
 これは国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができる。ただ明治の書なので解読に少し骨が折れる。ヒット・バイ・ピッチの説明は巻末の「仕合規則」にあった。

Dead Ball とは Pitcher の打手に投ぜる球にして 打手の是を打たざるに打手の身体又は衣服に触れたるを云ふ
Dead Ball の場合には球のその合法的の位置にあるの Pitcher の手に帰る迄は仕合は中止せるものと見なすべし

中馬庚『野球』P162
 中馬庚は正岡子規と異なり、投手の投球が打者にぶつかることを「Dead Ball」と言っている。「死球」という訳語は使っていない。正岡子規が「死球」と呼んだケースについては、俺が見た範囲では特に触れられていなかった。

 余談だがこの本、変化球のことを「魔球」と称していて味わい深い。「投球の錬磨を為すには始めより魔球を投ずることを勉むべからず」って言うならそんな魅力的な名称にしないでほしい。

■野球のルールが伝わった時代はどうか

 さらに時代を遡る。
 正岡子規や中馬庚が野球のルールについての文章を発表するよりさらに10年以上前、1885年に出版された『西洋戸外遊戯法』という書物があり、これも国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができる。
 「ベース・ボール」のルール説明には、「受球者ケッチャー」「投球者ピッチャー」「スリーストライクス(三撃の義)」などの味わい深い用語が並ぶ。しかし、「ボール」や「ボーク」についての記述はあったがヒット・バイ・ピッチについては書かれていない。ただ「死球」という言葉は、

……是れ亦ファールボールに属す 此場合にありては之を死球と称し 三撃のうちに算入せず……

下村泰大『西洋戸外遊戯法』P26(表記改)
 ……というような形で出てくる。微妙に読めない字があるので正確でないかもしれないが、とにかくこちらでは、ファールラインを越えて無効になった球について「死球」と記しているようだ。おおよそball is deadの訳である。

■そもそも死球=ヒット・バイ・ピッチなのか?

 正岡子規は野手の送球が走者にぶつかることを「死球」と言った。
 中馬庚はヒット・バイ・ピッチを「Dead Ball」と言った。
 野球のルールが伝わったときには、ボールがデッドすることを「死球」と言った。
 では時間を太平洋戦争の時代まで進めよう。戦時は英語禁止運動が起こり、野球の用語もことごとく和訳された。そこでのヒット・バイ・ピッチの扱いがわかれば理解の足しになるはずだ。

 資料を探すと、1943年に急遽発刊されたらしい『野球用語邦語集』というものに行き当たった。残念ながらこれは実物がどんなものかはわからない。孫引きの断片的な情報になる。
 これにはデッドボールは「触体球」と言い換えられた……と書かれているようだ。「死球」ではない。字面からいってこのデッドボールはヒット・バイ・ピッチのことだろう。フォアボールについても「四球」ではなくただ「四ツ」と数えるだけになっているようだ。


 こうなると「正岡子規がデッドボールを死球と翻訳した」という前提条件が怪しくなってくる。いや1985年以前に正岡子規がそう訳した資料があるのかもしれないが、だとすると『松蘿玉液』での死球の描写は変だ。
 しかし……小学生向けの本ですら正岡子規の紹介として「打者・走者・直球・四球・死球などの用語を訳した」と言っている。正岡子規の研究者も、野球の歴史の研究者も、我が国にはたくさんいる。俺が図書館とWebで見つけ出した情報でそれが覆るハズがない。
 でも松山観光コンベンション協会では「四球」のみで「死球」が翻訳リストに入っていないので、ひょっとしたらすでに覆りつつあるのかもしれない。「野球」の翻訳者が正岡子規でなく中馬庚だったということも知られたのはわりと最近らしいし。

■じゃあアメリカではどうだったんだよ

 これより遡ろうとするなら、もう当時のアメリカでどうだったかを調べなければならない。
 英語なので確かなことはわからないけど、19世紀の野球のルールの変遷を記したサイトがあり、そこに「打者の体に当たったり審判の体に当たったりした球は"Dead Balls"とみなし、審判がそうコールする」とある。このルールは1876年に作られたものに記載があるようだ。
 ここでいう「Call」が発声を伴うものなのかどうかの確証が持てない。ボールがデッドしたときに「デッドボール」と言うこと自体はあった可能性がある、というレベルの話だ。

 あと、この段階ではルールに「hit by a pitch」とは書いていない。この言葉がいつごろ発生したのか知りたいが、俺の英語力とDeepL翻訳の力ではついに調べきれなかった。

■現時点での結論

 以上の調査から、俺は以下のように推論する。
  • もともと英語にDead Ballという言い方はあり、ボールがデッドしたときに使われていた
  • 日本に伝わったとき直訳して「死球」という言葉がつくられ、「デッドボール」と並行してボールがデッドしたときに使われていた
  • そのうち「投球が打者に当たってボールがデッドしたとき」に限定して使われるようになった
 さて、こうなると「デッドボールは和製英語」と言っていいものだろうか?
 たとえば我々は「プロポーズ」のことを「提案」でなく「結婚の申し込み」に限定して使うが、これを和製英語と言うだろうか?
 もともと英語にある言葉が、意味を限定して取り入れられたとするなら、それは外来語とか借用語という扱いになるのでは? 現在英語でDead Ballという言葉が使われていなかったとしても「和製英語である」という言い方には違和感がある。

 確かなことは何もわからない。ただ「デッドボールは和製英語」「正岡子規がデッドボールを死球と訳した」という情報はどちらも怪しく、したがって冒頭のルー大柴に連なるフローチャートは何もかも間違っていることがわかった。
 あとはこの文章が野球の歴史を研究している人に届き、確かな調査につながることを期待して、ここにボトルメールとして流しておく。
 
■2022-07-30
サステナぶる
 「SDGs」のよォ~~……最後の小文字の「s」の部分……
 あれってなんなんだ?
 SustainableなDevelopmentのためのGoalが複数あるから「s」が付いてるんだよな……?

 じゃあ、17の目標のうち特定のひとつを指すときはみんな「SDG」って言ってんのか?
 複数形を持たない日本語話者が「SDGs」の略称を受け入れたんなら、当然単数のときは日本人も「SDG」って言わないとテスト0点だよなァーッ!?
 それって納得いくかァ~~~おい?
 オレはぜーんぜん納得いかねえ……

 それならPKOだって PeaceKeeping Operations の略なんだから、平和維持活動全般を指すときは「PKOs」って言うはずなんだよな……
 でもそれってMOTHER2の「カッコイイとおもうもの」にオーズって入れちゃった人みたいになるから、誰も言ってねえんだよなああ~~ッ!
#NintendoSwitch
[カッコイイものをオーズにした人]
 つまり結論ッ!
 仮面ライダーオーズがカッコイイということは、国連で決議された事実なんだッ!
 どーだ!? オレの考えたこの意見!

 「『BRICs(Brazil, Russia, India, China)』にsが付いてるのに『GAFA(Google, Apple, Facebook, Amazon)』にsが付いてないので、語呂がいいか悪いかくらいのことしか考えてないと思うよ」

 知ってんだよオオォォッ!! 英語の教師か…おっおっオメーはよォォォォ!!
 
■2021-10-27
参勤交代はなぜ交代か
 江戸時代の「参勤交代」という掟がある。
 三代将軍徳川家光が武家諸法度に定め、制度化したものだ。

一、大名・小名在江戸交替相定ムル所ナリ。毎歳夏四月中、参覲致スベシ。

参勤交代 - Wikipedia
 これを口語訳したものがだいたいどの歴史教科書にも掲載されているが、ちょっと待ってほしい。武家諸法度には「交替」と書かれている。画像検索するといろいろな写本があることがわかるが、どれも「交替」と読める。誰も「交代」とは言っていない。

 交替と交代は何が違うのか? こういうのは検索するとドカドカ出てくる。なかには「違いと正しい使い分け」などと銘打っているものもある。言葉の使い方について「正しい」と断言できるメンタリティが俺にあったら、こんな文章は書いていないだろう。
 そういった記事たちの説明を総合すると、概ね「チェンジが1回だけのものは『交代』、ローテーションするものは『交替』である」と認識されているようだ。
 この説明に照らしてみれば、参勤交代は「交替」である。いったい誰が「参勤交代」などと書いたのだ?


 ちなみに前述のWikipediaには「参勤交代の『勤』は『覲(まみえる)』が正しいが、役人が誤って記録してしまって以来、このように書くのが一般的になった」というドすげえ一文があり、このドすげえ部分の出典が明らかでないため、おそらくこの疑問は解決しないであろうことが予感される。
 「参勤」すら怪しいのに「交代」についてどうこう言ったって仕方ないだろ……ていうか誰だよその役人……ちゃんとセプクしたのか? 誤植でセプクはしたくないものだ。

 とっかかりとしてWikipediaの出典情報をたどって『道路の日本史』(武部健一 著)を読み、「参勤とは国元から江戸へ赴く旅、交代または蹴封とは国元に帰還する旅をいう」という一文を確認した。しかし、参勤交代の語源についてはそれ以上の情報はなかった。
 「蹴封」とは見慣れない言葉で、ググッてもよくわからないが、こうなるとそもそも参勤交代の「交代」が我々のイメージするChangeやTake turnsと同義かどうかすら怪しくなってくる。これ以上は俺には荷が重いか……?


 いやまて、今Changeって言いました?
 閃いた俺はすぐにWikipediaを英語版に切り替えた!
 そしてそこに「Sankin-kōtai (alternate attendance)」という記述を見つけた!

 適当に「alternate attendance」でググって翻訳かけたら「代替出席システム」とか出てきて俺の腹筋を攻撃した。授業サボってんじゃねえ! 真面目に英和辞典を引くと、alternateが「交互の」、attendanceが「出勤」なので、参勤交代は英語に訳す際に「交互出勤」と意味をとられたわけだ。
 つまり……参勤交代は「交代参勤」と書いたほうが実態をイメージしやすい……ということだろうか? こう書くと大名たちがシフト勤務してる様子が目に浮かぶ。まあ1年単位のシフト勤務であることには違いなかろう。

 そういえば我々はシフト勤務のことを「三交代制」と呼び習わしている。これも先ほどの「交代/交替」の使い分けメソッドからすると「交替」であるべきだが、検索すると「交代」が倍以上引っかかる。言葉の使い分けに「正しい」も何もあったものではないということがおわかりいただけたところで、参勤交代は現代の感覚で言うと「交代」で良いのではないか、という実感を得られたので調査をおしまいにしたい。

■今回調べきれなかったこと:
  • 「交替」が「交代」になった時期
  • 「参覲」を誤植したやつの末路
 これは古文書ガチ勢に聞かないとわからないやつかもしれない。
 
■2021-04-30
パラオのことば
 太平洋にうかぶパラオという島国がある。

 大航海時代にスペイン領となり、スペインが衰退するとドイツ領となり、第一次世界大戦後に日本領となった。それから第二次世界大戦が終わるまで日本領であり、戦後アメリカの統治を経て独立。それゆえパラオ語には外国語から借用された言葉が数多くある。
 特に興味を引くのはパラオ語に取り入れられた日本語の数々で、Wikipediaの「パラオ語」の項目にも多くの例が挙げられている。

 歴史的経緯から、パラオ語における日本語からの借用語は非常に多い。…(中略)…日本語教育を受けていない若い世代や子どもたちも「それが日本語由来であると意識せずに」用いており、定着につながっている。

パラオ語 - Wikipedia
 「デンキ」「デンワ」「ベントウ」などの単語が外来語として使われているのみならず、何かが得意なことを「モーレツ」と言ったり、ビールを飲むことを「ツカレナオス」と言ったり、「おいしい」の意味で「アジダイジョウブ」と言ったりするなど、独自の進化を遂げた日本語が生きているらしい。


 しかし……「Chazi daiziob(アジダイジョウブ)」は地理の教科書にすら載っているが、よく考えると妙ではないだろうか。「おいしい」に相当する言葉が外来語? じゃあ日本人が来るまでパラオの人は旨いものを食ったとき何て言っていたんだ?
 仮に何か「おいしい」に相当する現地の古語があったとして……旨いものを食ったときの言葉なんて、どの国だって「セボン!」だの「ボーノ!」だの「ハオチー!」だの短い発音でパッと出るものだろう。それが「味・大丈夫」なんていう2語の外来語に置き換わるか? 置き換わるとしたら「おいしい!」のほうじゃあないのか? 不自然だ。

 さてはパラオにやってきた兵隊さんはろくに補給もなく、味が大丈夫かどうか怪しいものを食べるのが日常だったのか……現地の人がその様子を語り継ぎ……悲しい物語だぜ……いやまて、第二次大戦が始まる20年前からパラオに日本人はいたはずだ。この仮説はおかしい。


 しかしwebの海には普通にアジダイジョウブの情報があふれており、「そうはならんやろ」「なっとるやろがい!!」の力で納得するしかない……と思っていた。しかし今月のはじめ、突然Twitterの俺のタイムラインに、在パラオ日本国大使館の公式アカウント(@OfPalau)の「日本語由来のパラオ語」についてのバズツイートが流れてきたのである。
 俺は勇気を出して上記の質問をリプツリーにぶらさげた。相手は大使館である。普段の俺ならこんな軽薄にリプライなどできない。しかしなにしろバズっているので、多くのリプライや引用RTに埋もれるかもしれない。そんな尊大な羞恥心と、臆病な自尊心が俺にリプライをさせた。
 そして、その結果、在パラオ日本国大使館からのお返事をいただくことができた!

古来のパラオ語のみで「おいしい」を表す「ウンギル・ア・テレムテムル」と言っていたかもしれません。
現在、特に若い世代は「ウンギル・ア・アジ」や「オイシイ」を使います。「アジダイジョウブ」はあまり一般的ではありません。

@OfPalau 午後7:03 · 2021年4月8日
 やはり「おいしい!」は使われていた! よかった……味が大丈夫かどうかわからないものばかりを食べていた兵隊さんはいなかったんだ……(いたと思うよ)。
 疑問が晴れ、大使館のTwitter担当者様に深く感謝するとともに、このアジダイジョウブの補足情報をweb上に刻み込むべく、こうして記事に残しておくことにします。
 
■2020-04-01
古事記にも書いてある
 先日このような情報が入ってきて思うところがあったので、書く。

 将棋ライターの松本さんが「ひえー」と驚く棋士たちの歴史に切り込む記事である。「ひえー」と発声するのは将棋界ではポピュラーな驚き方らしい。
 いったい我々日本人はいつから「ひえー」と悲鳴を上げるようになったのだろう。アイエエエでは駄目だったのだろうか。何か語源のようなものがあるのだろうか。

 時代劇などを思い返すと、「ひえー」よりもさらに古い悲鳴に「アーレー」がある。ヨイデワ・ナイカ・パッション重点は歴史あるわいせつ行為であり、 仕掛けられた女性は皆「アーレー」という悲鳴を上げるものであると古事記にも書かれている。

 ここで聡明な読者の皆様はお気づきになられたであろう。そう、奈良時代の舎人、謎めいた『古事記』の編纂者、「稗田阿礼ひえだのあれ」のことである! 彼もしくは彼女の恐るべき暗誦力によって古事記は編まれ、その能力に奈良の誰もが驚嘆の声を……



 ……という論調で妄想を書き切ろうと思っていたんだが、なにしろ最近毎日がエイプリルフールのニュースかっていうような信じがたい報道ばかりで、そのうち古事記のことなどどうでも良くなってきてしまった。一年前に戻って今の状況を報告しても誰も信じはしないだろう。ここまでトゥモローがネバーノウズな状況は体験したことがない。もはや我々は、とどまる事を知らない時の中で、移りゆく街並みを眺めているほかないのだ……。
 
■2020-03-26
進化する品詞
 「屈託のない笑顔」の「屈託」って何?
 出身高校は? 家族構成、恋人は? 調べてみました!

 あー……フゥーム……なるほどね……

 いかがだったでしょうか! ググれば一撃で出てくるので俺は別段その結果をここに書き記したりはしない。それは辞書サイトの仕事であって俺の役割ではない。


 ここで問題にしたいのは、我々は「屈託」のことを「笑顔にないもの」としか認識していないということだ。「屈託がある」という状況を我々は日常で想定していない。存在の否定である。
 我々が屈託の存在を認識してあげないと、屈託は名詞としての意義を失い、「くったくない」という形容詞に成り果ててしまうのではないか。環境省レッドリストで「野生絶滅(EW)」に指定されてしまうのではないか。

 何を大袈裟なと思われるかもしれないが、我々は小野妹子の時代から「つつがなく~」という形容詞を使う。しかし誰も「つつが」の意味を知らない。
 「つつがない」の語源としては「つつが(病気・災難)がない」というのが有力らしい。つまり「つつが」は「つつががある」という状態を否定され、名詞としては絶滅し、いまや形容詞の一部に成り果ててしまったのだ。


 しかしこれは「絶滅」にたとえるべき事態ではないかもしれない。前向きに「進化」だと捉えることもできる。

 我々はよく記憶がおぼつかなかったりするが、この「おぼつかない」は形容詞なので、その逆の状態を「おぼつく」とは言わない。
 国語の授業っぽくいうと、この活用は「おぼつかなかろう/おぼつかなかった/おぼつかない/おぼつかないとき/おぼつかなければ」であって、「おぼつかない/おぼつきます/おぼつくとき/おぼつく/おぼつけば/おぼつけ」ではない。


 だが、おぼつかない状態が解消されたことを「おぼつく」と言ってもなんとなく通じてしまう。
 我々は「~ない」で終わる言葉が形容詞か動詞かを区別する方法として「ぬ」に置換することを習った。「おぼつかぬ」という言い方に違和感を覚える人は何割くらいいるだろうか?
 これはつまり「おぼつかない」が動詞に進化しつつあることにほかならない。「ほかならない」はどうだ? どっちでもいい。「屈託がない」も、そのうち「くったくない」という形容詞になり、「くったく」という動詞に進化するのかもしれない。


 ところで人の夢と書いて「儚い」だが、これは「果敢無い」とも書くらしい。これも勇猛果敢な感じがないことから生まれたのだろうか。だが動詞に進化すると「はく」になってしまうので、これ以上は進化しないでもらいたい。
 
■2019-10-25
ポケモンがローマ字を拡張する日
 来月発売となるポケモンの最新作に、「ウッウ」なるポケモンが登場するという。

 まず鵜のポケモンを「ウッウ」と命名する力業がすごい。そのうえ魚を射出する特性「うのミサイル」もネーミングセンスが抜群で、ただのパワープレイでないことを思い知らされる。
 だが俺はそれよりなによりこのネーミングにひっかかるところがあった。
 先生! この「ウッウ」ってローマ字でどう書くんですか。


 俺は小学校で訓令式ローマ字を習った日、ただちに「では母音の前に促音が来る場合はどうするのか」という疑問にとりつかれた。
 結局、結論としては「日本語にはそのような言葉がないので大丈夫」ということで、本当にそうなのか、将来にわたって「ない」ことを保証することはできないのではないか、とたいそう不満だったのを覚えている。

 実際、日本語においては母音のア行だけでなく、子音のナ行、ハ行、マ行、ラ行、ワ行の前にも促音は来ない、ということになっていた。
 だが「ゴッホ」や「アッラー」など外来語の出現によってその原則は次々に崩れている。将来にわたって「ない」ことを保証することはだれにもできない。その波がついに聖域である母音に到達したというわけだ。

アシマリ
娘氏のシール帳にみられるポケモンのローマ字表記

 さあ、ゲームフリークがパンドラの箱を開けてしまった。来年の小学生の語彙には「ウッウ」がある。しかもこれは純然たる国産の単語だ。我々は急いで、ローマ字で「母音の前に促音が来る言葉」を表記する方法を決めなければならない。
 さしあたり、ア行のウとワ行(ワヰウヱヲ)のウが同じ文字であることを利用して「UWWU」という表記を考えたが、発音上ふさわしいかどうかは怪しいところだ。
 (……なぜア行のウとワ行のウが同じ文字なんだぜ? 調べてみると江戸時代後期に「于」みたいな字が作られたらしいがすぐ廃れたようだ。)


 それはそれとして、このような形で「うのみ」の語源が子どもたちに伝わるのはとてもよいことだと思う。この調子で「めじろおしポケモン」とかも出してほしい。絶対カワイイぞ。
 
■2019-10-10
狭窄する総称
 おばあちゃんが言っていた……「洋服を着なさい」というときに「きものを着なさい」と。
 だが我々の世代においては「きもの=和服」であり、衣服の総称として「きもの」を使うことはまずない。


 洋服の普及により、それまでの衣服が「和服」というレトロニムになるのは理解できる。だがそれと同時に「ザ・着るもの」というド直球な意味の「きもの」という言葉が洋服に拡張されず、和服と同義になってしまったのはいったいどうしたことなのだろうか。
 だって携帯電話の出現でそれまでの電話が「固定電話」と呼ばれるようになった現代において、「電話」とだけ言ったときに固定電話のことを指すようになるかっていったらならないでしょ。

 どちらかというと、ジャイアントパンダの発見でそれまでのパンダがレッサーパンダと呼ばれるようになったあと、総称としての「パンダ」もジャイアントパンダに持っていかれた、みたいなパターンのほうが多いのでは。「きもの」は完全にこの逆ではないか。


 これはもしかしたら言葉の逆輸入なのかもしれない。海外で「和服=Kimono」が定着したのが日本人にも周知されてきたため、我々の認識もそれに引っ張られ……と思ったが、これはちょっと時間的に前後がありそうだ。
 感覚的には「お茶」が近い。紅茶の出現で我々のお茶は「日本茶」ないしは「緑茶」になったが、「お茶」とだけ言ったときには俺は緑茶のほうだけをイメージする。ただこれは俺が緑茶王国静岡県で生活しているせいという可能性がある。一般的に「お茶する」と言ったときにはだいたいコーヒーとかも含まれているし。
 
■2018-11-03
超10ギガ
 1年前に「ギガが減る」という言葉が紹介されたときには嘲笑していたが、どうやらこの「ギガ」、通信量を示す使い勝手のいい言葉として俺の中で定着しつつある。

 「動画を見すぎてギガが減る」「Wi-Fiがなくてギガが減る」、逆に「コンビニでギガ増やせるよ!」──最近、SNSなどで見かける不思議ワード「ギガが減る」。勘のいい人は気付くかもしれないが、これはスマートフォンなどで契約しているデータ通信量の残りが減っていることを表す若者言葉だ。

若者はみんな使っている? 謎のワード「ギガが減る」とは - ITmedia NEWS
 世間一般でも「ギガ放題プラン」とか「ギガモンスター」とかの料金プラン名によって便利に使われている感がある。ギガモンスターってなんだよソフトバンク……ギガゾンビか何かか? ギガゾンビのひとはなんで七万年前の時代に精霊王として君臨しておきながら「ギガゾンビ」なんていうドすげぇ名前を名乗ってしまったんだ? ブードゥー教もなければSI単位系もないのに。

 話が逸れた。ソフトバンクの料金プランにはすでに「ウルトラギガモンスター」が登場しており、もはやギガは接頭辞としての役割を忘れられ、頭にウルトラまでつけられてしまう時代になったことを示している。


 でも理にかなってはいると思う。日常的にバハムート改やハードディスクに触れてきたオタクと違って、一般人にとってはギガに至る単位はほぼ通信量しかない。それならカロリーみたいに単位のほうを一般名詞化すべき、とは思うが、バイトは金を得る手段なので仕方ない。ギガのほうが便利に使われる道理である。

 ところで、我々はバハムートさんにSI接頭辞がメガ・ギガ・テラと大きくなっていくことを教わった。メガ(M)は百万倍、ギガ(G)は十億倍、テラ(T)は一兆倍を示す。
 しかし英語で習った百万・十億・一兆は Million, Billion, Trillion であった。MとTはわかるが、なぜ Billion は "Gillion" にならなかったのか。空気を読んで欲しい。みんなジリオンだったらなーって思ってるぞ。
 
■2018-09-27
逆襲のインファント・フォーミュラ
 夏以降「液体ミルク」という不思議な言葉がニュースにのぼるようになった。これは粉末でない乳児用の調整乳を指す言葉だが、説明するまでもなくミルクは液体である。これは「魚類マグロ」と言っているようなもので何か無駄な迫力を感じる。

 だがここでうろたえてはいけない。我々は「肉眼」という言葉を使う。眼は広義の肉であり魚類マグロと大差ない。だがカメラや望遠鏡などの登場で、我々の眼は「肉眼」となった。こういった言葉をレトロニムという。


 「液体ミルク」も粉ミルクの存在により生まれたレトロニムなのだろうか? 俺は少し違うと思っている。携帯電話の普及で固定電話というレトロニムが生まれたが、液体ミルクはレトロではない。新たに登場した概念のほうである。

 そもそも我々が、乳児用調製粉乳のことを「粉ミルク」と称したのが大きな過ちだったのだ。
 粉末状のミルクには他にも脱脂粉乳やスキムミルクがある。彼らの存在を蔑ろにして、乳児用の粉乳のみに「粉ミルク」という呼称を与えたその軽率さと、海外に液状の乳児用ミルクがあり、その黒船がいつ我が国に来るかもわからないのに泰平の惰眠を貪っていた失策の代償として、我々は「液体ミルク」という謎の単語を使わなければならなくなったのだ。これは贖罪の言葉なのだ。


 しかし……贖罪というのなら、まず脱脂粉乳たちに納得のいく説明をするのが先だろう。まがりなりにも理由をつけ、筋を通さなければならない。

 かくなる上は、開き直って「粉ミルクの『コナ』はもはやその意味を失っていた」ということにするしかない。
 ほかに粉乳と呼ばれるものがあり、粉末とも限らないものを「粉ミルク」と称してしまったのだから、それ以外に解釈の道はあるまい。粉乳のうち、乳児用に調整されたものを我々は「KONAミルク」と呼んだのだ。
 これなら我々は脱脂粉乳やスキムミルクを蔑ろにしたわけではなく、かつ、海外に液状のものがあることも承知していたということにできる。コナミのキャラグッズを扱うお店が「こなみるく」という名前だったことを思い出したがそんなことはどうでもいい。

 欠点としては、我々が漢字の意味も知らない凡愚ということになってしまう点が挙げられるが、まあ言語にはそういう側面がありがちだ。「御」の字のことを忘れ「おみ足」とか言ってしまうのだ。だから仕方のないことなのだ。

 この主張に従えば、「液体ミルク」は「液体粉ミルク」と呼ぶのが筋であろう。我々は「コナ」の意味を熟慮しなかったのだから仕方がない。その罪を受け入れ、甘んじて罰を受けなければならない。「液体粉ミルク」と呼ぶことが真の贖罪である。


 おそらく、昆虫界におけるこのような贖罪のプロセスとして「トゲナシトゲトゲ」が生まれたのではないか。もし将来、この液体粉ミルクが保存性を高めるために粉末状に進化したとき……そこに乳製品界の「トゲアリトゲナシトゲトゲ」が誕生するのだ。
 人類は等しく愚かであり、神はそれをお許しになる。がんばってやっていきましょう。
 
■2018-07-01
来年の上半期こそ本気出す
 2018年の上半期が瞬く間に終わり、下半期が始まってしまった。
 ところで月の英語名は古代ローマの呼び方を継承している。由来を調べたところ、ざっと以下の通りである。

  • 1月 January
    ローマ神話の出入り口と扉の守護神ヤーヌス(Janus)より。
  • 2月 February
    ローマ神話に登場する月の神フェブルウス(Februus)より。
  • 3月 March
    ローマ神話における戦と農耕の神マールス(Mars)より。
  • 4月 April
    ギリシア神話における愛と美と性の女神アプロディーテー(Aphrodite)より。
  • 5月 May
    ローマ神話における豊穣の女神マイア(Maia)より。
  • 6月 June
    ローマ神話における結婚・出産を守護する女神ユーノー(Juno)より。
  • 7月 July
    ユリウス暦を作ったユリウス・カエサルより。
  • 8月 August
    初代ローマ皇帝アウグストゥスより。
  • 9月 September
    7番目の月の意。なぜ9月が7番目なのかは以前ふれたので略。
  • 10月 October
    8番目の月の意。
  • 11月 November
    9番目の月の意。
  • 12月 December
    10番目の月の意。
 上半期はだいたい神の名前にちなんでいるのに、下半期になると突如皇帝の名前が出てきて、そのあとただ数を数えるだけになることがわかるだろう。やはり古代ローマ人も下半期はやる気が出なかったのだ。来年の上半期こそ本気出す。
 
■2018-01-13
時計の針を止めて
 「海外旅行中、時計の時刻を1時間遅らせた。」というとき、我々はどのような動作を想定するだろうか。
 7時を指している時計を8時にする? それとも6時にする?

 とても気になったのでTwitterでアンケートを取ってみた。タイムラインの皆さんのご協力により、自身のフォロワー数を超える138の票が集まった。まずはご多用の中のご尽力に感謝したい。
 そして結果はこうなった!
 ドゥルルルルルルー……ダン

51:49
51%対49%
 正直ここまできれいに割れるものだとは思っていなかった。もうこれは言語としての役割を果たせていないと言っていい。
 7時の時計を8時にするときは「時刻を進める」と言えば誤解はないだろう。しかし逆に6時にするときに「遅らせる」と言うことはできない。「針を戻す」などの表現が必要になるだろう。あるいは「マイナス1時間ずらした」など正負の数を利用するといいかもしれない。

 前に苦言を申し立てたことがあるが、日本語は「ここから後」「ここから先」が両方とも未来のことを指すというおばかっちょ仕様であり、我々は未来永劫この言語のバグと付き合っていかなければならないのだ。

 あなたもblogの過去記事などで「前の記事」「次の記事」のどっちをクリックしたら新しい記事が読めるのか毎回迷うことになるだろう。これはいにしえのBBSの過去ログ機能の影響であり日本語に限ったことではないと思うが、弊サイトの月別アーカイヴでは [next 201802] のように日付を併記することで貴方をナビゲートしているのでご安心いただきたい。
 
■2017-11-19
重複表現祭りその2
 結婚式のスピーチと同様、弔辞にもさまざまな「忌み言葉」がある。特に「不幸を二度くり返さない」という意味で、「重ね重ね」「たびたび」「しばしば」「ますます」などの重ね言葉は一般的に禁句とされている。

 故人への思いを素直に伝えたい気持ちにくだらない制限をかけやがって……と思う。「それは不幸を繰り返すタイヘン・シツレイな言葉だ! ケジメしろ! いやセプクだ!」みたいなことをいう古代中国の暴君のような奴がいたのだろう。こういうのが「マナー」として、アクセス数稼ぎが目的のコピペサイトによって大量に複製され、検索すると同じものがどっさり引っかかってくるため、いつまでも廃れるということがない仕組みだ。こういう奴には極端な例をつきつけて、境界の認識をバグらせて目を覚ましてもらうしかない。

 ところで重ね言葉といえば、日本語には重言(冗語)というやっかいな技法がある。いわゆる「馬から落馬」「頭痛が痛い」みたいな奴だ。これは別に日本語として間違っているのではなく、「あえて二度言う」ことの賛否が問われる案件だと認識している。無知から重ねたのか大事だから重ねたのかは表面上はわからないからだ。
 そして「あえて二度くり返す」ことは弔辞においてはマナーに反するという理屈なのだから、当然、重言もマナー違反となるべきで、弔辞に膨大な数のNGワードが追加される形になる。このマナーを考えた奴は正気か? これは大変困ったことだ。たとえば以下のような弔辞はどこまでが許されるのか?
 突然の訃報の知らせを受け、予期せぬ不測の事態にびっくり仰天しています。

 いちばん最後に会ったとき、「神経痛が痛む」と言うあなたに、後で後悔しても遅いからと、損保ジャパン日本興亜のチラシを渡したのが、つい今しがたのことのように思われ、頭をうなだれています。私のマイミクや、あなたのYoutubeチャンネルのファンも同じ気持ちと思います。

 あなたは食べ物を食べるのが何より好きな人でした。臨時収入が入ったと、あらかじめ予約していた店に私を誘い、一杯のラム酒と、酒の肴にチゲ鍋やえんどう豆のポタージュスープを注文していた姿を思い出します。

 あのとき交わした、余分な贅肉を落とし、あなたよりもBMI指数の数値を減らすという約束は、いまだに未完了のままです。あなたに笑われないよう、ここに減量をはっきり明言いたします。
 それが私のmy graduation……
「重言がどうこう言う前に弔辞としてオーケーな部分がない」
「だよな」