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◆不定期日記ログ◆

LOG 2023-07

■2023-07-11
音便オルタナティブ
 どっきりどっきりDON DON!!
 こういうテストが湧いたら どーしよ?(どーする?)
ろくかくけい/ろっかくけい/ろくかっけい/ろっかっけい
 びっくりびっくりBIN BIN!!
 残さず全部がマルでも いーでしょ!(いーよね?)


 ……いいのか?
 常用漢字表では「角」の読みは「カク・かど・つの」であり、「カッ」はない。
 同様に「六」の読みも「ロク・む・むつ・むっつ・むい」としか書かれておらず、「ロッ」は含まれていない。

 ちなみにほかの数字を見てみると、「十」の読みには「ジッ」のところに「ジュッ」という注釈が示されている。「十角形」は「ジュッ」と読むことが許されている……逆に言えば「ロッ」は許されていない!?
 つまり「ろくかくけい」こそがマルで、他の答案はバツになってしまうのか!?


 だが待ってほしい。常用漢字表には使用例が併記されており、「ロク」の例として「六法」が挙げられている。さすがにこれが「ロクホウ」であるとは考えにくいので、おそらくここに「ロッ」の読みを含めたいのだろう。
 常用漢字表は冒頭で「他の字と結び付く場合に音韻上の変化を起こす例は、全ての例を尽くしているわけではない」とブン投げている。つまり全部マルで良いッ!!


 ……いいのか?
 これを認めてしまうと、「学校」の読みを「ガクコウ」と書いた答案をバツにできなくなるが……本当にいいのか?
 当然「せんたっき」などの表記も認めなくてはいけなくなるし、そうなると「満足感」は「まんぞっかん」、「保育器」は「ほいっき」でOKになってしまう。これが本当におまえの望んだ世界か……?


 こういったカオスに突入することを防ぐためか、教科書では独自に「学 ガク(ガッ)」のように読みを追加している。
 教科書会社ごとにこの判断は異なる可能性があるが、ある教科書を例にとると「六 ロク(ロッ)」は示されているが「角 カク(カッ)」は示されていない。

 したがってこの教科書を使っている学校では、冒頭のテストの正解は「ろくかくけい」と「ろっかくけい」の2つとなる。教科書に従っておけば間違いないッ!! 鳥もそう思うよな!!

PIPI
ピピチャン!(そもそも「六角形」は漢字の読みのテストとしては出題されないと思うよ)
 ウワーッそもそも論だ!! 退却!!
 
■2023-07-14
ピラフは中華ではなかったが、もういい
 グローバルな米料理の概念として「世界三大米料理」がある。スペイン料理のパエリア、イタリア料理のリゾット、そして中華料理のピラフである!

 ……いやピラフは中華料理じゃなくてトルコ発祥なんだ!?


 確かにバター入ってるし、炊いてない米を使うし、どう考えてもチャーハンの一種じゃなかったわ。
 しかし俺はこの過ちを正しはするが恥じるつもりはない。

 だって世界的マスターピースである『ドラゴンボール』で、ウーロンとヤムチャとプーアルが出てきた冒険のすえにシュウとマイとピラフが出てくるのだから、この流れでピラフを中華料理だと思い込まないヤツがいるんなら、それはドラゴンボールの読書体験が俺より足りていないと言わざるを得ない。

 「ピラフの発祥」なんていう雑も雑な雑学を知るよりも先にドラゴンボールを読んでいたなら、ピラフが中華料理ではないという発想がそもそもできないはずだ。
 つまり俺の過ちを笑う人は、不幸にも少年期にドラゴンボールに触れられなかった人である可能性が高い。
 ドラゴンボールは世界各国で放送され、時代を超えてアニメもリメイクされた。だが、それでもなお、生まれた時代や国が少し違えば、俺は少年期にドラゴンボールに触れていなかっただろう。

 俺は恥じるのでなく誇るべきなのだ。この境遇を羨む人は世界中に大勢いるのだから。ドラゴンボールを「ピラフの発祥」なんていう豆も豆な豆知識を得るより先に読めたということを、マウントを取り返す勢いで誇るべきなのだ。
 
 俺はピラフが中華料理でないという知識を持たなかった。だがそれは少年期にドラゴンボールがあったことに比べれば取るに足らないことである。
 頭カラッポのほうが夢詰め込めると森雪之丞も言っている。夢より先に米を詰め込んでしまった人に笑われて、何を恥じることがあろうか。そういう気持ちで生きていきたい。
 
■2023-07-17
俺たちはどう生きるか
 もう年齢も40を過ぎると「どう生きるか」よりも「どう死ぬのか」のことを考えてしまいがちなんですが、なんと80過ぎのレジェンドアニメ映画監督が『君たちはどう生きるか』と刃をつきつけてきているんですよ。不惑がどうとか言ってる場合じゃないんですよね。

 ただこの映画、マジで事前情報がまったくなく、ただ一枚のポスターだけでどう生きるかを決めなければならなかったんですね。ジブリ公式サイトでも「同名の小説が原作ではない」という話しか書いてない。
 俺は映画でもゲームでも公式が出してくる事前情報はできるだけ履修してから作品に触れたいと思っているタイプなので、これはかなり不安でした。「宮崎駿監督作品」というだけで、ジャンルすらわからない映画をどういう態度で見に行ったらよいのか。しかもタイトルの圧がすごい。検索するとメガネがこちらをガン見してくる。こわい。

 だから逆に怖いもの見たさで行っちゃおうと思ったんですよね。ここまでの大作映画を事前情報ゼロで観るという体験はおそらく今後ないでしょう。そのような考え方で生きていくことを俺は決めたのです。

 とにかく情報が「君たちはどう生きるか」と突き付けてくる謎の君生きバードのポスターしかなかったので、「絶対違うけどそういう話だと思うしかない」という藁にすがるような状況で観覧をスタートしたんですが、いきなり火垂るの墓みたいな話が始まったので、リアリティラインをどこに持っていったらよいのかわからなくなりました。
 そのうち、神的存在だと思っていた君生きバードが驚くほど下衆なしゃべり方を始めたため俺は完全にハシゴを外されました。自分の持つ情報がゼロになってしまったのです。許さないよ君生きバード……お前が人生を問うキャラじゃなかったら俺たちはこれから何を見せられるんだよ。

 どういう話か予測がつかないので、自分がいま序盤を観ているのか終盤を観ているのかぜんぜんわからない。おそらく予告編などがあったら時々「金曜ロードショーなどで見たシーン、ここか!」「そういやまだあのシーンが出てないぜ!」と我にかえって自分の座標を確認できたと思うんですが、それがまったくできずに作品を浴びせかけられるの、とてもエキサイティングな体験でした。そして俺は「なぜ自分の座標を確認する必要があるのか?」ってふと思いました。なぜでしょうね。

 おそらく俺は、「公式が出してくる事前情報を把握しておかないと、自分が変な方向を向いて鑑賞してしまうのではないか?」という不安をもっているのだと思います。今回も「同名の小説は原作ではない」という事前情報があったから小説の内容に目を通すことができましたし、その結果「その小説には『人として正しくあれ』みたいなメッセージが書いてある」という情報を得ていなければ、主人公が母の残した本を読んで何を思ったのかを受け取り損ねていたでしょう。
 というかあのシーン、小説の情報がなければ「時間を超えて母が石の世界や自分の運命について記した本」だと思っちゃうのではないですか。なんかそれでもいいような気がするし、北米版のタイトルは『少年とアオサギ』になるようだし、どうすんだろ。

 お話は中盤以降「これは何らかのメタファー! そしてこれが何らかのメタファー! そして喰らえッ明らかなアレのメタファーだァーッ!」っていうような感じでもみくちゃにされましたが、不思議と置き去り感はなく、むしろ心地よく高濃度の宮崎駿を浴びせかけられていました。
 これ深読みされることを前提に書いてるでしょ。作者と作品を切り分けて考えることをゆるさない構えです。考察勢をまとめて一網打尽にするつもりだな。

 背景美術が特に素晴らしく、オールジブリよくばりセットって感じでした。トトロみたいな田園風景、千尋みたいな和風建築、もののけみたいな原野、ハウルみたいな王城、ラピュタみたいなダンジョン、全部ある。それが西洋美術みたいな美しさで迫って来るのでスクリーンで観てよかった。他にもポニョみたいなババアもいるし、風立ちぬと紅の豚は……戦闘機のキャノピーがいっぱいでてきたよ! よかったね。
 音楽は……音楽はもう久石譲でしたね……ここまで久石汁を最後の一滴まで絞りつくしていいんだ……ってくらい全編久石譲でしたね……。満月のシーンで「月光」みたいな旋律が出てきたときは「真面目か!」ってなりました。

 総じて、これが2時間4分の尺に収まっていることが奇跡であるように思いました。これを観て、我々にどう生きよというのでしょうね。昔は「生きろ。」「生きねば。」で済んだのに、今やどう生きるかを考えなければならない。難しい世の中になったものです。