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◆不定期日記ログ◆

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■2009-08-20
不統一なカタカナ
 カタカナ語の表記を統一するとき、いつも困るのが「ー」の扱いである。
 たとえば「コンピュータ」か「コンピューター」か、という問題だ。

 これが正解、という基準は存在しないので、よりどころになりそうなものを探す。
 内閣告示の「外来語の表記」によると、

英語の語末の-er、-or、-arなどに当たるものは、原則としてア列の長音とし長音符号「ー」を用いて書き表す。

 となっている。原則として「ー」は付けよう、ということらしい。

 一方、現状で「ー」を省いている用語は、日本工業規格(JIS)の原則であった、

a)その言葉が3音以上の場合には、語尾に長音符号を付けない。
b)その言葉が2音以下の場合には、語尾に長音符号を付ける。

 という様式から生まれたものがほとんどなようだ。
 パソコン用語を始め、工学的なものが「ー」を省略するのはこの理由による。
 この様式を知らない人が「パソコン用語は最後の長音を省いている」と機械的に認識し、Dataを「データー」と発音してしまったりする被害が出ている。

 だが、JISに関係あるかどうかで「ー」の有無を判断すればいいかというと、そう単純ではないので困る。
 履物は「スリッパー」ではないし、ぬいぐるみは「テディーベアー」ではない。
 「モーター」はよく見かけるが「プロペラー」は見かけない。
 基準はサッパリわからないが、慣用化した例外がたくさんある。

 これらを統一しようと思っても、そう上手くいくものではない。
 我々は無意識に、曖昧に、これを利用して言葉を区別しているからだ。

 たとえば、モニタと言えば画面だが、モニターと言えば試用者だ。
 ドライバーといえば運転者だが、ドライバと言えば周辺機器だ。
 フリーザと言えばポロリだが、フリーザーと言えば伝説のポケモンだ。
 ローラーと言えば重いコンダラだが、ローラと言えばヒデキだ。

 カタカナ語の発音なんて、もともと原語とかけ離れているのだから、開き直ってこの種の使い分けをもっと広げてもいいと思う。
 lighterとwriterのどちらかに「ライタ」という表記が定着していれば、我々はZippoについての記事を書くときに駄洒落をいくつも思いつかずに済んだはずだ。
 rockerとlockerのどちらかに「ロッカ」という表記が定着していれば、我々はコインロッカーと間違えてパンクロッカーに荷物を預けたりしないで済んだはずだ。

 しかしキャリア(carrier/career 職歴・官僚・運輸・通信・病気)のように、すでに意味が爆裂している例もあるので、あまり効果はないだろうし、定着もしないだろう。
 まことに言語は複雑である。
 
■2009-08-05
祈念と記念
 NHKのニュースで、頻繁に「~の試算、試みの計算、によると~」という言い回しを聞く。
 日本語には同音異義語が多すぎる。
 そのたびに、このアナウンサーのようにいちいち説明したり、「わたくしりつ/いちりつ」などの読みを作って対処しなければならない。
 もちろん対処法が確立されていない例の方が多く、日本語変換システムは大変な苦労を強いられる。たとえばこの「確立」もかなりの確率で「確率」と誤変換される。
 「保証」と「保障」など、人間でも判別困難なものも多い。

 同音異義語が増えた原因のひとつには、歴史的仮名遣いの廃止があるようだ。
 たとえば、
  • こうしょう(公称)
  • こうしゃう(工匠)
  • かうしょう(考証)
  • かうしゃう(高尚)
  • くゎうしょう(黄鐘)
  • くゎうしゃう(鉱床)
 これらは、現代仮名遣いでは全て「こうしょう」になった。
 現代仮名遣いが採用されたとき、発音の区別が失われていたのだから仕方ない。
 日本に入ってきた時点での中国語の発音はもっと細分化されていたのだろう。
 leaderとreaderの違いがわからないのと同じ理屈か。

 さて、この時期になるといつも気になるのは「記念」と「祈念」である。
 字面の感じからだいたい意味の違いはわかる。が……
 長崎は「平和祈念式典」、広島は「平和記念式典」なのだ。
 どちらも正式名称には「祈念」の文字が入っているようだが、なぜ違う漢字を使ったのだろう。memorialに主眼を置くか、prayに主眼を置くかの違いなのだろうか?

 あと、冒頭の「試算」は、いったい何と混同すると思ってるんだろうか?
 謎は尽きない。
 
■2009-07-30
がんばれUK
 「イギリス人」と走り書きしたメモをあとで見たら「イギリスト」と誤読した。
 が、意味するところはそれほど間違っていない。
 残念ながら「イギリス」は日本語だが。

 ……というか、イギリス人はなんて総称したらいいんだ?
 イングリッシュでいいのか?ウェリッシュやアイリッシュはどうするんだ?
 国の総称が「UK」だから「ユーケニアン」と呼ぶのはどうだ?

 調べてみるとブリティッシュが有力なようだが、これでは結局アイリッシュと対立する。
 無難な呼び方になると「people of the UK」……それはもはや説明文では?
 クイーンズイングリッシュのお膝元であるイギリスが、自国民を言い表すスマートな単語を持たないなんてことがあるのだろうか。
 奮起して、イギリストを超える納得の単語を、いつか世界に発信してもらいたいと思う。 
 
■2009-06-19
すべてがF
 駅のホームってアレ……
 プラットフォーム(Platform)だから「フォーム」と書くべきだよな……


 「ヴァ」が「バ」になる例とか、「トゥ」が「ツ」になる例とかはよく見るが、「フォ」が「ホ」になるのは珍しいのではないだろうか。
 日本人にとって「ファ行」の発音は容易だったのだろうか。他に「F」の音が「ハ行」になっている単語というと、もはや「コーヒー」くらいしか思いつかない。
 なにゆえ「フォーム」を「ホーム」にしてしまったのか?
 フォークとホークの違いがわからないのでは、おちおちダイエーで買い物できない。

 ふと、歴史の教科書に載っている、ある文献のことを思い出した。
 戦国時代に出版された、キリシタン版『平家物語』である。

 ローマ字っぽく綴られたその本文の中には、「NIFON(日本)」とか「FEIQENO MONOGATARI(平家の物語)」とかいう記述を見ることができる。
 宣教師の耳を信用すると、かつては「ハ行」が「ファ行」の発音になっていたらしい。
 つまり「ホーム」と書いて「フォーム」と読んでいた可能性は十分ある。
 戦国時代にプラットホームがあった可能性は限りなく低いが。

 しかしこうなると、別の恐ろしい事実が見えてくる。
 戦国時代に「ハ行」が「ファ行」だったとすると、あの猛将・本多忠勝は「ふぉんだふぇいふぁちろう」と名乗っていたことになるではないか。


 フォン・ダ・フェイファチロー [Fond de Pfeifer-Thirault](1548~1610年 フランス)


 ぜんっぜん猛将っぷりが伝わってこない。
 
■2009-06-09
ねまき旬報
 パジャマの先祖は、インド北部の民族衣装「クルター・パージャーマー」であるらしい。
 不思議な語感だと思っていたがインドとは!
 言われてみれば世界史で「パージャーマ朝」みたいな古代王朝を習った気がする。
 いや、気のせいだ。習っていない。

 しかしインドが発祥となると俄然、見る目が変わってくる。
 おそらく、仏教の発展とともに、中国の高僧がインドから持ち帰ったのであろう。
 そして就寝時に魔や鬼の類に襲われても大丈夫という意味で「破邪魔」と呼ばれ、
 日本でも平安時代に弘法大師が……

 え?
 イギリス人?東インド会社?
 ……まあ、うん、そんな気はしていた。
 
■2009-05-30
食パンの食
 なぜ「食パン」は「食」という言葉を冠しているのか?
 この疑問にとりつかれ、周囲に聞いたり調べたりした結果、いくつかの仮説があるものの決定打はないことがわかった。

・消しパンとの対比説
 デッサンなどで使う消しゴム用のパンと区別した、という説。
 思わず納得してしまう信憑性をもつトリビアだが、冷静に評価すると怪しい。
 パンはもともと食べるものであり、西洋画が入ってきた時にもその価値観は同じだったはず。そんななか、美術というごく一部の世界で使われていた言葉が、一般市民の価値観を凌駕できたかというと疑問が残る。

・「本食パン」説
 洋食の基本である、という意味で「本食」と呼ばれ、それが略されたという説。
 この説もあちこちで見受けられ、説得力がある。
 しかし「基本である」という立場を重視するならば、略したとき「食パン」になるだろうか?「本」のほうが残るべきではないだろうか?
 同様の理由で「主食パン」説も受け入れがたい。菓子パンも食べるものだからだ。

・フライパンとの対比説
 最初、まったくくだらないと思って却下した説。
 しかし前の2つの説と同じ視点で検討すると、意外に悪くない気がする。
 資料が見つからないのでまったくの憶測だが、洋食が日本に入ってきたとき、料理人は「食パン」と「フライパン」という2つのパンに出会った。
 片方は食べるもので、片方は明らかに食べられないものだ。
 料理人が「食パン」と呼びはじめたなら、その料理をいただく一般市民にも定着する可能性はある。

 なにより、「パンはパンでも食べられないパンはなーんだ?」という古典的なぞなぞの存在が、この説を後押ししている。
 これほど反論の余地が多く、いまや子ども相手でも通用しないであろうなぞなぞが、なぜ生まれ、なぜ生き残っているのか。
 こういった歴史的背景があるとすればそれも納得がいく。

 まったく事実とは異なると思うが、「納得」が事実に優先することが稀にある。
 
■2009-05-21
ワヰウヱヲのこと
 「ディズニー」を発音できないお年寄りを見ると、
 ここ半世紀で日本語の発音はバリエーションが増えたのだなあと思う。

 かつて「Angel」は「エンゼル」であった。
 いまや「エンジェル」という発音・表記が一般的であるといって良いだろう。「エンゼル」という表記・発音は、おもちゃの缶詰に関する文脈か、あるいはロサンゼルスなどの固有名詞に使用されるにとどまる。
 いつの間にか我々は「ジェ」の発音を手に入れたのだ。
 もしこの成長がなかったら、JEROは「ゼロ」と呼ばれるハメになり、それは演歌というよりはB'zであっただろう。

 しかし、表記が根付いていても、発音が根付いていない例も見受けられる。
 「ウィ」「ウェ」「ウォ」の3つを例に、少し考えてみた。

 ゆっくり思い返してみると、我々は「ウィ」と書いて「うい」と発音することが多々ある。
 「ウィーク(Week)」は「ういいく」だし、「ウィンドウ(Window)」は「ういんどう」だ。
 さすがに「ウィン(Win)」まで短くなってくると「ウィ」に近くなってくる。
 「ウィル・スミス」を「ういる・すみす」と発音する人は少数派だろう。

 「ウェ」はどうだろうか。
 「ウェディング(Wedding)」「ウェハース(Wafer)」「ウェスト(West)」……脳内で発音してみると、どれも「うえ」になることが多い。
 「ウェザー・リポート」は「うえ」だが、本名の「ウェス・ブルーマリン」は「ウェ」に近くなる。
 いちばん「ウェ」の発音が意識されるのは「ウェブ(Web)」かもしれない。

 「ウォ」について考えると、前2つとは大変な違いがある。
 「ウォール(Wall)街」「ウォーキング(Walking)」「ウォーター(Water)」など、驚くほど「ウォ」の発音が根付いている例が多い。
 若者層でこれらに「うお」の発音を使う人は、もはやいないのではないか?
 この定着率、「ヰ」「ヱ」が死亡した今もなお残る「ヲ」の執念のなせるワザだろうか。
 全然関係ない話になるが、Waterを「ウォーター」と読んだのはいったい誰なんだろう。
 ジョン万次郎は「わら」と教えたはずだが。


 こうなると、なぜ「ワ」は「ウァ」にならないのか?という疑問も出てくる。
 VとWに密接な関係があるのは字形からも推測できる。
 VAを「ヴァ」としたのにWAを「ウァ」にしないのは不公平ではないのか?

 今までの人生で「ウァ」の表記をいちばん目にしたのは、10年前の1999年。
 『ファイナルファンタジーVIII』のプレイ中である。
 アステカ神話のケツァルコアトルをもじった召喚獣「ケツァクウァトル」や、主人公の一人「ラグナ・レウァール」の名前に「ウァ」の表記が登場した。
 これほどの「ウァ」を見たのは後にも先にもこのときだけである。

 思いかえすに、小学生だった僕に初めて「ヴァ」の発音を要求したのも、
 やはりファイナルファンタジーの「シヴァ」だった。

 ファイナルファンタジーならきっとやってくれる。
 
■2009-05-10
湯桶読み
 「湯桶(ゆ・トウ)読み」という言葉をなんとかしたい。
 湯桶そのものの知名度がなさ過ぎる。

 対になる「重箱(ジュウ・ばこ)読み」の重箱は、おせちのシーズンにギリギリ聞く可能性があるし、スミをつつきたがる人がいる限り印象が薄れることはあるまい。
 それに比べて湯桶はどうだ。君は湯桶を知っているか?「そば屋でいつも見るじゃん」と即答できる人はなかなか通なレベルに達していると思う。

 湯桶読みの代表を任せられる言葉は他にないのか。
 せめて重箱レベルの知名度があるものはないのか。

 真っ先に思いついたのが「鼻栓(はな・セン)」だったので絶望した。
 鼻栓読み……なんかマ行が読みにくそうだな……

 他に浮かんだのも「技表(わざ・ヒョウ)」だとか「引数(ひき・スウ)」だとか、一般に流通してない言葉ばかりなので次々と却下した。
 「柴犬」を思いついたときはコレだ!と思ったが、実際は「しばいぬ」が正しいのでこれも却下である。惜しい。

 結局のところ、「手帳(て・チョウ)」が一番オーソドックスで、無難なような気がする。
 将来、電子化が進んで手帳が絶滅する危険もなくはないが、重箱が生きているうちは大丈夫だろう。
 なにより「湯桶」と「手帳」は語感が似ていて、しかも「手帳」のほうが強い。
 実生活で「ああ、手帳読みね」とサラッと言ってもツッコまれなさそうな自然さがある。
 サラッと言って徐々に浸透させてやりたい。
 
■2009-04-30
流れゆく思考
 ふと、J1クラブチーム「モンテディオ山形」の名前を聞いて、
 「Monteは『山』のことだよな……となるとディオは『形』か!?」
 と思いついたのだが、全然そんなことはなく、ジョジョ紳士ならとっくにご存じの通りDioは『神』を意味する言葉だった。
 霊峰・出羽三山にちなんだ名前だということだ。

 こうなると「ニューラグーン新潟」とか「千葉サウザンドリーブス」などというチームが現れるのを期待したくなるところだが、それを差しひいても「水戸ホーリーホック」は「水戸イエローゲート」であって欲しかった。

 さらに関係のない話になるが、「リーフ」→「リーブス」の複数化は凄いと思う。
 本家英語だと「leaf」「leaves」であり、「f」と「v」の字形にはなんの関連性も見られないのに、日本語では「フ」と「ブ」という関連性の強い文字が使われている。
 濁点というギミックが普及したのはわりと最近だと思うが、これを作った奴はそうとう冴えている。表音・音節文字の特徴を生かした仕組みといえよう。

 かくして今日も思考は横道にそれていく。
 
 「鼻血」は「鼻+血」なので「はなぢ」である。
 「はなじ」ではない。

 しかし「地面」に代表されるように、この使い分けの根拠は薄弱である。
 たとえば「稲妻」は「稲+妻」なので「いなづま」だったハズだが、
 広辞苑先生は「いなずま」のみを採用している。

 こういうとき妙に頼りになるのがATOK先生である。
 「はなじ」で変換しようとすると「鼻血《はなぢの誤り》」と赤を入れてくる。

 さて前述の「いなづま」はどうかというと、さすがATOK先生、
 「いなづま」でも「いなずま」でも「ゆうづう」をきかせて変換してくれる。
 俺の中で新しいスタンダードが生まれた。
 
■2009-04-04
シンプルな答え
 目くじらを……立てる?
 なぜ目にクジラが?しかもそれが立つだって?

 「目くじらって何者だ?」

 「目にクマができるからその仲間じゃないですか?」

 疑問はいっこうに解決しなかったが、納得はできた。
 
■2009-03-27
朝○暮○
 【朝三暮四】(ちょうさんぼし)

 むかしむかし中国にサル好きのおっさんがいました。
 おっさんはサルにエサをやり、サルもおっさんを慕って集まりました。
 ある日、おっさんは経済的に苦しくなり、エサを減らなくてはならなくなりました。
 おっさんは、翌朝、サルたちを集めてモンキー語で言いました。
 「すまないが、お前たちのエサを朝3つ夜4つに減らしたい」
 するとサルたちはモンキー語ではげしい非難を浴びせました。おっさんは
 「わかった、ならば朝は4つに増やそう。そのかわり夜は3つね」
 と言いました。サルたちはそれを聞くとスゲェ喜んで納得しました。
 このように、目先の利益にとらわれて全体のことを見落とすことを、
 「朝三暮四」といいます。


 思うに、このサルたちは「朝令暮改」という故事成語を知っていたのではないか?
 だとすれば貰えるときに貰っておく姿勢は評価できる。
 
■2009-02-06
魚へん
 鯵 鰯 鰻 鰹 鮭 鯛 鮪 鮃 鮹 鰕 鰤

 いずれも食材として身近な魚の名前だ。
 魚の名前を示す「魚へんの漢字」は多々あれど、これらは常用漢字表には含まれていない。魚に限らず、こういうあまり熟語を作らないタイプの漢字はだいたいそうだ。

 そんな中、堂々と常用漢字表に含まれているものがある。
 「鯨」くじらである。
 分類上では魚ではないが、他の魚介類をおさえて常用の名を欲しいままにしている。
 このあたりからも、いかに日本人が鯨を必要としてきたがが伝わってくるだろう。
 海のテロリストたちも、目先の寄付団体ばかりにとらわれず、このあたりの文化をちっとは考慮していただきたい。

 しかし現在、「鯨」という字が他の魚介類より常用されているかというと、怪しい。
 今もっとも使われている魚はなんだろう?

 ネットだけに限定していえば「鯖」ではないか?
 たかがスラングかもしれない。だが馬鹿にはできない。
 「パリ」のことを「巴里」と書いた時代もあった。
 漢字字典によっては「英」の項に「イギリス」と書かれていたりする。
 「鯖」の項に「サーバー」の意味が追加される日が、来ないとは言えない。
 ぜひ鯖には頑張ってほしい。
 
■2008-12-23
ゼロゼロ
 コカ・コーラゼロが、ちょっと前からキャンペーンを行っている。
 その名も「Coca-Cola zero zero 7」

 ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ。
 ジェームズ・ボンドの「007」は「ダブルオーセブン」が公式なんであって、「ゼロゼロセブン」って読むとマニアから「それはサイボーグ戦士のことだ」とか「オヤジくさい読み方すんな」とか、熾烈なツッコミを受けるのではなかったか!?

 日本コカ・コーラが正面きってゼロゼロと読んだということは、
 もはや公式がダブルオーと読んでいることなどは問題ではなく、
 一般に日本人が読みがちなゼロゼロこそが勝者だということか!?

 これからは「ゼロゼロセブン」と読んでも白眼視されない世の中が来るんだな!?
 「機動戦士ガンダムゼロゼロ」と読んでも、「ガンダムW」に怒られないんだな!?
 恋のテレフォンナンバーもシックス・セブン・ゼロゼロで繋がるんだな!?
 ……まあ繋がると思うけど!

 世の中を動かすのは正しさじゃない!
 楽しさ(楽さ)だ!
 より快いと思うほうに正義は流れるのだ!
 
■2008-12-18
おくびにも出さない
「げっぷの丁寧な言い方ってなんだっけ」

「…おげっぷ?」

 それは逆に汚いかんじになってます。
 
■2008-12-09
「徳」と「得」

 良い子のみんな!早起きは三文の得というが
 三文とは今の金にすると60円ぐらいだそうだ
 寝てる方がマシだな。(AA略)

 以前もこの引用から書き出したような気がする。
 もし60円の損で寝坊できるとしたら俺は喜んで料金を支払う。
 月額1800円で寝坊し放題。このビジネスは間違いなく流行る。

 だが、どうやら「三文の得」という言い方は怪しいようだ。
 わりと広く使われているが、手元の広辞苑先生はかたくなに「早起きは三文の徳」とおっしゃっている。
 誤用なのか?

 「お徳用」のように、「徳」と「得」はわりと互換性がある漢字だ。
 簡単に誤用と言い切ることはできない。
 だが本当にこれが誤用で、「獲得」の「得」ではなく、「人徳」の「徳」だとすると、このことわざは何を示しているのか?

 ここで「三文」という言葉に注目する。
 「二足三文」のように、三文は「きわめて安い」の意味で使われることもある。
 きわめて安い…人徳?
 全然褒めてねえじゃん!!

 つまりこのことわざは、
 「へぇー早起きするなんてイマドキ偉いッスねェー」
 と上から目線で馬鹿にしているのではないか!?
 まだ60円のほうがマシな解釈だ!!