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琉球の旋風
■一日目 Go! Go! Heaven
つらい冬が過ぎ、ようやく暖かくなった矢先に我々を襲った寒の戻りに耐えかねて、我々一家はオキナワ行きの航空機に乗っていた。なんか
つい最近も夏の暑さに耐えかねて北海道に向かったような記憶があるので、渡り鳥というシステムは非常に理にかなったものだと思う。
娘氏は二度目の航空機になるわけだが、前回はまだ2歳ということもあり、よくわからないうちに飛んで、ねんねしてるうちに降りていた感があった。今回は離着陸の振動とGでめちゃめちゃ笑っていた。もはやちょっとしたアミューズメントだな。高度12000メートルから雲海を眺めながら「わたーげにしたらおいしいとおもう」と言っていた。娘氏はまだ綿毛とワタアメの区別がつかない。
そして我々は夕方の那覇空港に降り立った。
……寒くね?
おかしい……
10年前の3月に来たときは長袖のTシャツ一枚で余裕の常夏アイランドだったはず……我々は寒の戻りの過酷さに耐えかねてここまで来たというのに……釈然としない表情で上着を羽織る。実際、日中の日差しがあるときはTシャツでも余裕だったが、朝夕はまだまだ常夏とは言えない感じだった。
那覇空港から送迎バスでレンタカー屋へ。ポケモントレーナーであるTebazakiはこの間ずっとポケモンGoの様子を見ていたのだが、沖縄の街には住宅地でもビジネス街でもいたるところにシーサーがあり、それがポケストップになっている。そのせいで我々の街よりもまんべんなくポケストップが配備されてる感覚がある、という気付きを得た。
レンタカーを借り、夕方の街を北上する。本日は沖縄本島と道路で繋がった離島
浜比嘉島のコンドミニアムに宿を取ってある。コンドミニアムというのは要はレンタル別荘であり、バーベキューの素材も一式用意してもらっている。
ただ想定外だったのは、那覇周辺の退勤ラッシュか何かで高速道路周辺が大変ずつもつしており(レア静岡弁)、チェックイン時間に大幅に遅れてしまうことが確実だったことだ。沖縄県民は時間にとんじゃかない(コモン静岡弁)ことで有名だが、あまり遅くなると管理人のおばあの家におじいたちが集まり泡盛を開けて三線を掻き鳴らしてイーヤーサーサーし始めてしまうのでは? 俺は強くアクセルを踏み込んだが、実際管理人はおばあではなかったし、泡盛も呑んでなかった。
浜比嘉島のコンドミニアムは落ち着いた佇まいであり、一晩で退去するのがもったいないホスピタリティだった。娘氏も「ずっとここ借りよーよ!」と強く申し立てていた。俺はといえばずっと、(そんなことよりこの家マインクラフトで建てやすい色と形をしているな……)と思って脳内で採寸をしていた。
海に面しているため風が強く、防寒具の類いを一切持っていない我々は、バーベキューをひたすら焼いたあとそれを素早く室内に持ち込んで食べた。用意された焼きそばの麺はソーキそばに似た太麺だった。
■二日目 ALL FOR YOU
翌朝、妻子をベッドに残し島内を散歩する。というかポケストップを回しに行く。ここには高い石垣に囲まれた低い赤瓦の平屋、という教科書に載ってるような伝統的沖縄住宅が多く歴史を感じた。ひょっとしたら昨日の三線おじいの妄想はあながち間違っていなかったかもしれない。
朝食として昨夜の残りを平らげたあと、コンドミニアムから退去。クルマで橋をわたり離島を乗り継いでいく。見渡す限りサトウキビ畑と青い海とでかい墓。人はどこに住んでるの? 宮城島にある
「ぬちまーす観光製塩ファクトリー」に立ち寄って塩と当面のオヤツとなるおせんべいを購入し、次の伊計島に渡った。
伊計島のビーチは有料ではあるが、水着に着替えないのなら200円で入れる。大変管理が行き届いていて、珊瑚礁の海と白い砂浜を存分に満喫することが可能だ。そして当然、満喫するものの中にはこれも含まれる。
ここで出ましたサニーゴさん! 低緯度地域限定のポケモンであり日本では現在ここ沖縄や屋久島などでしか出現しないのである! 本土の人間にとっては航空券という最強の課金によってしか手に入らないレアキャラなのだ! これに至って俺のポケGo課金額に交通費と宿泊費とビーチで食べた揚げたてのサーターアンダーギー費が計上され、廃課金勢へ一気に近づいたことになる。エッ日本には5万円以上払っても目的のキャラを手に入れられないばかりか沖縄も満喫できないソシャゲがあるんだって~~!? それはもうゲームでなく何かの刑罰では!?
目的を果たしたので、ビーチで波と戯れる娘氏とワイフを横目で見ながらひたすら貝殻を拾った。なんということだ、この圧倒的リゾートビーチに来てまで俺はどうぶつの森と同じことをしているのか。だが娘氏はたいそう喜んだのでよかった。よく見たらひとつは中に住んでる人がいたので丁重に浜に帰した。娘氏は海水をペロッってして「やさしいあじがする」と言っていた。
沖縄本島に戻り、A&Wでハンバーガーを食べ、また那覇市へと戻る。なお沖縄県には県庁のある那覇市のほかに沖縄市があることを
以前書いたので知ってください。
次の目的地は
おきなわワールド。この安直な名前のおかげでB級の匂いがするが、玉泉洞というでかい鍾乳洞の上に沖縄の古民家をまとめて移築したりハブミュージアムを建てたりして観光地化したものである。沖縄文化を一同に集めているためお得感がある。
さっそく正面ゲートを抜けて洞窟の中にいく。さぞかし寒いのではと思ったが、洞窟内は年中温度が一定らしく、むしろ蒸し暑かった。娘氏は嬉々として鍾乳洞内部の探険を始めたが、やや広い空間に出て天井にみっちり生えた細い鍾乳石の群れを見て「ちくちくがこわい」と言って完全だっこ状態に移行した。まだあるのかよこの理不尽こわいシリーズ! まあロックマンだったら間違いなくティウンティウンすると思う。死を本能的に恐れるのは生物として間違っていない。
内部は水が流れており、ワイフは「お魚に生まれ変わったらここに住みたい」と言っていた。俺は無照明でこのような冷暗所に迷い込んだら数分と持たずに発狂すると思うので遠慮しとくよ。娘氏はそのうちおそるおそる自分の足で歩き出した。
玉泉洞の出口に至り、地上へ戻る。ここが本来の洞窟の入り口なのだろう。我々は、まず洞窟を抜けていちばん下のエリアに出て、ここから徐々に元の正面ゲートに向かって地上を登っていく形になるのだ。洞窟出口周辺には南国の植物などが見られる植物園があり、そこを抜けると琉球王国城下町と称する伝統的住居をまとめて移築したエリアに出た。
ここではそういった古民家を店舗として、シーサーの色付けや、民芸品の販売、伝統衣装の着付け撮影などを行っている。古民家を移築するだけならまあどこでもやってると思うんだけど、それをこれだけ自由に商業的に活用しているのは初めて見た。それはそれとして明らかにエアコンがないので現代の夏だとクソ暑いと思う。
先ほどから遠くでエイサーっぽい太鼓の音が聞こえるため、我々は急いで階段やエスカレーターを駆使して先へ進んだ。中央広場ではやっぱりエイサーの実演が行われていた。やはり太鼓の音というのは心が躍るな。俺も……チムドンドンしたい。「鼓舞する」という表現はこの為にあるんじゃあないかと思う演舞だった。
その後我々は琉球王国城下町に戻り、写真を撮ったり、ブクブクー茶を頂いたりして過ごした。ブクブクー茶とは簡単に言うと異様に泡立てたサンピン茶で、飲むと当然ながらジャスミン茶の味がする。見た目がアイスクリームみたいなので、飲んだ娘氏は釈然としない表情だった。
その後ハブミュージアムでハブとマングースの対決を……いや、その対決は動物愛護の観点から大昔に廃止されている。ここではなんとマングースとウミヘビの水泳対決が行われていた。いや水に落とすのはいいのかよ!
おきなわワールドを後にし、那覇市内のビジネスホテルへ向かう。娘氏は昨日のおうちに戻ると思っていたので何か不満げなことを言っていた。そんなに気に入ったかコンドミニアム。
チェックインをして夜の国際通りに出る。国際通りにもサニーゴが出るって話だったけど観測した限りでは出ていなかった。この夜は蕎麦屋さんでそばを食べた。そばには海ブドウが乗っており、この海ブドウはすぐさま娘氏によって平らげられてしまった。まあ好きだよね絶対。
夜、娘氏は何も聞いてないのに「ちくちくのところこわかったけどたのしかった」と繰り返し自己申告していた。何らかのトラウマをたった1日で乗り越えたものとみられる。よかったな。
■三日目 Feelin' Good 〜It's PARADISE〜
朝、最速でホテルのレストランで朝食バイキングを済ませ、クルマを出す。今日は
沖縄美ら海水族館まで遠出する予定だ。
前回の家族旅行と違い、今回は娘氏のオムツが取れているため、長時間のクルマ移動には慎重なトイレマネージメントが求められる。娘氏は少しでも尿意を覚えると申告するタイプなので安心ではあるが、トイレを申請すれば退屈なクルマから降りられて、かつコンビニでトイレをすればパパチャンが何かお菓子を買う、ということを覚えられると厄介なので、たいへんにむずかしいもんだいをはらんでいる。
まずは水族館を素通りし、備瀬のフクギ並木道を見に行く。今「なみき」ってタイピングしたらポジションがずれて「ばぬじゅ」になったけどこれ琉球語っぽいな。
このばぬじゅ道は細かい碁盤目状に区画された古い住宅街で、通路の脇にはみっちりとフクギの防風林が整備されている。肉厚のフクギの葉に覆われた通路は夏でもさぞかし涼しかろうと思う。
それにしてもこの並木ゾーンにある建物は、アトリエやカフェばかりでなく普通のコンクリート造りの民家もあるんだけど、この生活感ある区画を観光資源にしようという決断はなかなか攻めていると思う。
なお元気いっぱいに並木道を探険していた娘氏だったが、突然「ちゃいろいはっぱがこわい」と言って完全だっこモードに移行した。今日もあるのかよ理不尽こわいシリーズ!
そしてやってきました海洋博公園内沖縄美ら海水族館! ここは浅瀬の生き物から順に、沖縄の海をだんだん潜っていく感覚で展示が設置されている。娘氏はヒトデと触れあうパパチャンを見てドン引きしていた。
小さなシオマネキたちががカチカチしている水槽の前では、娘氏は一匹だけ赤いシオマネキを指して「せんせいのかに」と呼んでいた。カニの幼稚園ってわけかよ。関係性が芽生えている。
でもやっぱ美ら海っていったらこれだよね。この10年前と変わらぬジンベエザメの大水槽!
こいつは前に会ってから10年もずっとここをグルグルしていたのか……。
(……お前も……ではないのか?)
「ウウッこれはジンベエザメの声! こいつ直接脳内に!」
(……お前も……この10年、職場と自宅をグルグルしていただけなのでは?)
「な、何を……」
(私はここにいるだけで、毎年300万人以上の人間が私を称賛しに来る……お前はこの10年で何人の称賛を得たのか?)
「ウワーッ! ヤメロー! ヤメロー!!」
精神を完全に破壊された俺は水族館前のビーチに腰を下ろしていた。美ら海水族館は海洋博公園のほんの一部にすぎないため、公園として散歩しつくそうと思ったら1日かかる。娘氏はビーチの隣にあるウミガメ育成プールのかめさんに夢中になっていた。
たいへん天気がいいので南へ向かって散歩していくと、そのうちイルカのプールが見えてきた。ちょうどイルカのショーが始まるところだったので席をとる。ところでここのイルカショーは水族館の外で行われているので、ぶっちゃけ水族館に入館しなくてもタダで観られる。まあ観光客で水族館をスルーする人はいないと思うけど。
イルカのオキちゃんはなんと齢40過ぎという長寿イルカでありまさかの歳上である。オキさんと呼ぶべき。オキさんとその仲間たちがエイサーにあわせてグルグルと回転を始めると、娘氏は「みんなそろっておおさわぎ!」と大喜びしていた。
しかし……そうか……オキさんも10年前から変わらずずっと芸をして小魚を貰いつづけているのか……
(……お前も……ではないのか?)
「ウウッまた直接脳内に!」
(お前もこの10年……)
「ウワーッ! ヤメロー! ヤメロー!!」
またしても精神を破壊された俺は、沖縄そばを食べて回復をはかるためクルマを南に走らせていた。
きしもと食堂で遅めの昼食をいただく。分厚い豚肉とカマボコの乗ったシンプルな太麺で、一般的にソーキそばと言ってイメージされるものよりも好みだった。ていうかソーキって肉の種類のことなのね。ソーキを使った沖縄そばがソーキそばと呼ばれるのね。じゃあ今食べたこれはラフテーだったからラフテーそば?
その後我々は那覇市へ戻った。チャイルドシートと違い背もたれのないジュニアシートでは、娘氏が睡魔に倒されたときにかなり自由な姿になることがわかった。
夕方、ホテルにいったんクルマを置いて、再び国際通りへ。少し入ったところに海ブドウ専門店があるのでそこでお土産用の海ブドウを買い込み、ついでに多めに試食させてもらった(大半は娘氏が食べた)。あとはおみやげバラまき用のお菓子等を調達し、悠々とホテルに引き上げた。
夕食に向かったのはジャッキーステーキハウス。沖縄県民は飲み会のシメにステーキを食うという伝説があり、俺も10年前に来たとき二次会として向かったのだが、当然二次会の胃袋で満足に肉が食えるわけもなく、いつかちゃんと空腹のときに肉と出会いたい、と思っていたのだ。
ここはアメリカ統治時代から続く老舗である。協賛企業でもないのに個人食堂が単体でポケモンジムになっていることからもその歴史が伺われよう(偶然)。そしてめちゃくちゃ並ぶ。我々が到着したときも50分待ちだったので、ジムを攻略して火力が強そうなブースターを置いておいた。当然すぐ落とされたが。ステーキも比較的安価なので、地元の人が多く訪れている感じがする。娘氏は「ステーキだいすき。だってどれみちゃんが好きだから」と言っていた。おジャ魔女の影響かよ。
牛……それはすばらしい。牛の肉……それはすばらしい すばらしい。ミディアムレアなのにレアよりな肉もさることながら、レトロな脱脂粉乳のコーンスープがアメリカ統治時代を思わせる。なぜか娘氏はこのタイミングでご両親にインタビューごっこを始めたが、「パパチャンは何の動物がすきですか」とか言われても食い気味に「うし!」と答えることしかできなかった。
■四日目 さよなら、そしてありがとう
あいにくの曇天ながら降水確率は0。本日はお昼にはレンタカーを返さないといけないため、午前中の時間を利用して海軍塚公園へ向かった。ここには戦争の遺構である海軍司令部壕があり、その周辺というかその上が公園として整備されている。
海軍塚はその名のとおり丘なので、斜面を利用した大規模な遊具が設置されている。平日朝ゆえ誰もいないが娘氏は存分に遊具を楽しんだ。ただローラーコースターはものすごく滑りが悪かった。敷物禁止って書いてあるけどケツじゃこれ滑れなくない!?
その後丘をひたすら登っていくと戦時中の写真や遺物が展示されている建物があり、そこが壕の入り口となっていた。全長約450mの坑道を、ほぼ機械を使わずにおよそ2ヶ月で掘ったそうだ。日本軍そういうとこだぞ……。艦砲射撃で那覇が火の海になる中、いかなるガッツをもってここで抵抗戦を行ったのか、全容が明らかになっていないあたりが犠牲者の多さを物語っている。
ここで沖縄の部隊が文字通り体を張って米軍を足止めしてくれたから、我々本土の人間はこうして無事に……と思ったが、よく考えたらそのあと核爆弾を2発横っ腹に食らって無条件降伏したわけで、もう無情というほかない。海軍司令部壕だけあってお土産屋さんに海軍の軍帽なんかも売られていたので、提督業をしている人はここに行ったらお金を落としてやってくれよな。
ガジュマルは固体であると同時に液体でもあり得るのか!?
売店でアイスを食べて公園内をぐるっと一周回る。石段の途中になんか柔らかい松葉のような細い葉っぱがたくさん落ちており、娘氏はそれを見て「線のはっぱがこわい」と言って完全だっこモードに移行した。最終日もあるのかよ理不尽こわいシリーズ!
まだ少し時間に余裕があるので、我々は那覇空港というかレンタカー屋さんに近いイオン那覇店に寄って行くことにした。
那覇の街を走っていると、あちこちの建物の壁に「石敢當(いしがんとう?)」と彫られた石板が埋め込まれていることに気付く。おそらく本州の定礎グループのような大規模建築コンツェルンなのだろうと思っていたが、どうやらこれはおまじないらしい。
「敢えて石に当たる」という漢字の示す通り、それを置くことで家族に襲いかかる災難をかわりに引き受けてくれる、というものだそうだ。これはいま俺が考えたので信じるな。
ちゃんと調べると実際はぜんぜん違い、マジムン(マジックモンスターの略ではない)から家を守るものらしい。マジムンは直進しかしないため、丁字路に石敢當を置いておくとそれに当たって砕け散るのだそうだ。なんだそのタワーディフェンスみたいな設定。
そんな話をしているうちにイオン那覇に到着。普通のお土産屋さんも入っていたが、なんとスーパーにも特産品コーナーが設けられており、ちんすこうなどの定番お菓子が国際通りよりもかなり安い値段で売られていた。正直俺のバラまき用お菓子なんかはここで買ったら2~3割は安かった。さすが空港に近いだけのことはある。
せっかくなのでお土産を買い足したところ、近所のガソリンスタンドで使える割引券までついてきた。至れり尽くせりとはこのことである。完全にレンタカーを返却する途中の観光客を狙い撃ちにしにきているな商売人め。
北海道のときはレンタカーを返すときに道路がずつもつして遅れかかったが、今回は空港で人がずつもつしてフライトの時間に遅れるところだった。まあ実際はフライトの時間自体が遅れたのでまったく問題はなかったが。娘氏はベルト着用サインが消えた瞬間にねんねしたので、帰りは本当に平和なフライトだった。
以上で沖縄の記録は終了。なんか思ったより暖かくはなかったが、また10年くらいしたら行くか……。