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◆不定期日記ログ◆

■2016-11-11
正しい字形という幻
 小学校社会のテストの東西南北を問う設問で、選択肢に書かれたゴシック体の「北」の文字をそのまま解答欄に転記したところ、「字形が違う」としてバツをもらった、という悲しい話を耳にした。

字体の違い
参考:ゴシック体と教科書体
 ご存じの通り、印刷物やweb上にある漢字は、国語の教科書で習う形とは異なる。それはデザイン上のことであったり、読みやすさの工夫であったりするわけなんだけど、小学生にはまず基本となる手書きの字形を教え込まねばならない。なので教科書本文のフォントは教科書体で組まれている。教科書体というフォントについては東書文庫の資料で簡単に触れられているが、どうやら昭和12年からいろいろ形を変えて存在しているようだ。

 いま「いろいろ形を変えて」と書いたが、つまりそれは「一口に教科書体といっても各社で微妙に細部が違う」ということを意味する。ひらがなですら、教科書によって「せ」の棒や「ら」の点のはねの有無が違ったりする。ショドーにはさまざまな流派があり、どの流派のセンセイが監修するかによって文字の細部が異なるのだ。

 教科書体ですらこのありさまなので、「正しい字形」などというものが幻想である、ということはおわかり頂けると思う。
 先生がたは何事においても最終的に「通信簿」という形で評価・評定をしないといけない職業なので、つねに「正しい知識が定着しているかどうか」を判断しなければならないという事情はわかる。わかるけど、とめやはねなどを含む「字形」と、ついでに「書き順」についてはもう評価の対象にするべきではないのではないか。

 平成28年2月に文化庁が発表した指針の中でも、

○ 手書き文字と印刷文字の表し方には,習慣の違いがあり,一方だけが正しいのではない。
○ 字の細部に違いがあっても,その漢字の骨組みが同じであれば,誤っているとはみなされない。

常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)について
 とあらためてハッキリと言っており、似たような内容は常用漢字表でも手元の教科書でも触れられている。ショドーのセンセイならばともかく、それ以外のシーンで「正しい字形や書き順」を持ち出すのはリソースの無駄だと思う。ただでさえ日本の小学生は欧米に比べて覚える文字が多いのだ。

 字形や書き順は美しい字を書くための指標であり、こう書くのがオススメ!という情報を最初に提示するに留めるべきで、それを強いて定着させることに意味はない。俺が「ニンジャスレイヤーはこの順番で読むべき!!その他の順で読むのは邪道!!」とか言い出したら「うわ……なんか怖い……ニンジャ読むのやめて家でパラッパラッパーしとこ……」となるでしょう?だからみんなもニンジャスレイヤーを自由な順番で読もう。

 だいたいよォーッ……仮に「正しい字形」ってものが存在して、それを基準に○×が付けられるってんならよォー……なんで俺のご先祖様が戸籍つくるときに名字を変な字体で提出したときに×つけてくれなかったんだよォー!!おかげで変換はできねえわ身分証明は面倒くせえわで大変だっつーのよ!もうお役所は全部その正しい字形って奴で通してくれよ!許さんぞ!教育界という狭い庭でエラそうにしやがって!他の省の官僚も黙らせてみろってーの!


 ……最後なんかすごい私感があふれ出たけれど、まあ文化庁や文科省が「正しい字形はないよ」って言ってる以上、冒頭のような指導は減っていくのではないかと思われる。願わくば渡邊さんや齋藤さんたちが大分裂する前にその価値観が浸透すればよかったなと思う。文字コードが割り当てられてしまってからでは何もかも遅すぎるのだ。