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◆不定期日記ログ◆

■2007-09-12
おもしろさ至上主義
 投票に行かない人の言い分として「誰に投票しても同じだから」というのがある。
 一理ある。
 キチンと投票している僕でも、心の底ではそれを実感しているからだ。

 投票率の低下に歯止めをかけるべく、受付時間を延長してみたり、期日前投票を簡素化したり、いろいろな策が打たれた。
 今後も投票行動にかかるコストは少なくなっていくだろう。

 しかしそれは違うんじゃあないのか?
 どんなにコストが0に近づこうが、コストはコスト。
 少なくなるのはいいことだが、民衆にはびこる「誰に投票しても同じ」という意識を払拭できない限り、根本的な解決になるとは思えない。

 なぜ「誰に投票しても同じ」だと感じるのか?
 単純なことだが、それは画一化されすぎた選挙運動のせいだと思う。
 おんなじような選挙ポスター、名前を連呼するだけの選挙カー、何一つとして違いを感じるものがない。
 公平性を保つための公職選挙法が効きすぎて、候補者それぞれの差別化が行えなくなってしまっているのだ。

 まったく知らない人の街頭演説の内容を吟味するコストは、投票所へ行くコストをはるかに上回る。
 簡単に一覧できるポスターは顔と名前しか書いていない。選挙カーからも名前しか聞こえてこない。
 こんな状態では「誰に投票しても同じ」と感じるのもやむをえない。

 もうちょっとおもしろい選挙運動ができるよう、公職選挙法をいじる必要があるのではないか?
 ミスチルのニューアルバムの広告と間違うような、斬新な選挙ポスターがあってもいいのではないか?
 翌日には演説動画がYouTubeにアップされてしまうような候補者が、もっといてもいいのではないか?

 まつりごとは粛々と行うもので「祭事」にしてはいかんという考え方もあるだろう。しかし執政者が変わるということは、民衆にとって祭りであってもいいはずだ。
 次はもっとおもしろい選挙になることを祈る。


 でもおもしろいこととふざけていることは違うので、そこんとこ踏み外さないでください。