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◆不定期日記ログ◆

■2007-02-15
カタカナガリレイ
 カタカナ語の乱用問題が取り沙汰されて久しい。
 だいぶ前に国立国語研究所が、わかりにくいカタカナ語を言いかえよう!と立ち上がって、モラルハザードだとかインセンティブだとかインキュベーターだとかを頑張って日本語にした。
 しかし今のところモラルハザードのことを指して「倫理崩壊」とか言っているところは見た覚えがない。

 だいたい「インキュベーター」という単語がイケてたのは、会社を興す手助けのことを孵卵器にたとえたその発想がイケてたからであって、そのままカタカナで使ったりわかりやすく「起業支援機関」と訳したんでは全然イケてないのである。俺はいま憶測でモノを言っている。
 ここは「孵業」とかそういう熟語をあみ出すくらいの気概がほしかった。

 そもそも我々は明治時代にこの種の翻訳を繰り返してきたではないか。
 dutyという言葉にぶち当たっては「義務」という熟語を作り、
 rightという要素に出くわしては「権利」という熟語を作ったのである。
 先人に習って新しい熟語を作ってしまえばよかったのだ。
 わかりやすく言い換えるという目的は達成できてないが構わないのだ。

 わかりにくいのはカタカナ語ばかりではない。
 保証(security)と保障(guarantee)の使い分けを僕は即答できなかった。
 文化と文明の違いは?概念と観念はどうか?
 カタカナであるかどうかに限らず、新たに輸入した言葉の中には、いまだに辞書に頼らなければあやふやなものがあるんじゃあないか?

 真に駆逐すべきは、わかりにくい言葉をあえて使って煙に巻こうという根性なのであって、断じてカタカナ語そのものではない。

「公共事業については、これまでの改革努力を継続する中で、未来への投資となる、真に必要な社会資本の整備を、重点化や効率化を徹底しながら実施します」

 みたいなことをおっしゃる政治家の先生のお話も、これからは、

「ああ温泉にゴーしたい!そしてアフター温泉マッサージをしてビアをドリンクしたい!これがナウのマイスモールドリームです」

 とブログにライトするファニーなナイスガイにキャッチキャッチキャッチされていると思って聞くことにする。