◆不定期日記ログ◆
- ■2023-02-13
- デッドボールは和製英語か
タイムラインから突然「デッドボールは和製英語」という情報が飛び出してきて、俺はそれに衝突して激しく転倒してしまった。
……そんなことある!?
調べると、確かに多くのサイトに「英語ではHit by a pitch(HBP)という」とか「Dead Ballは審判のタイム宣告などで無効となったボールのことを指す」とか書かれている。
ちょっとまってくれ、我が国では明治時代に俳人の正岡子規らが多くの野球用語を意訳して、そのとき「死球」という言葉を作ったのではなかったのか。
デッドボールが和製英語だとすると、
アメリカからヒット・バイ・ピッチのルールが伝わる
↓
正岡子規が「死球」と名付ける
↓
太平洋戦争(英語禁止野球)
↓
ルー大柴めいた人が「死球」を「デッドボール」と言い出す
↓
用語として定着
という不可解な流れがあることになってしまうではないか。そんなことある!?
あまりに不自然ではないか、とワイフと協議したところ「そもそもシキュウに同音異義語が多すぎるのでは」という意見が出た。
確かに、あれだけ俳句と野球を愛した正岡子規が……いや正岡子規のことよく知らないけど……デッドボール(ヒット・バイ・ピッチ)を「死球」と訳したなら、フォアボール(これも和製英語らしい)を「四球」と訳したのはどういうことなのだろう。
スリーボールの状況でバッターに投球が当たったかどうかの微妙な判定で、審判が「シキュウ!」と言ったときに、それが「死球」か「四球」かわからない……言葉を大切にし、自らも野球をプレイしていた正岡子規が、そんな単純な不具合を放置するだろうか? 結果はどっちも出塁だから問題なかったのか?
だめだ謎が多い。まずは正岡子規のほうから調べていこう。
取材陣は直ちに子規記念博物館へ飛んだ!
嘘です。これは2007年に行ったもの。
投手が打者に投球をぶつけたときではなく、走者に野手が送球をぶつけたときの話じゃないか。よく引き合いに出されているこのエッセイの中では、死球について正岡子規は後者の話しかしていない。
さらにいえばこの場合、「かえって防者の損」とあるとおり、ボールはデッドにならずにインプレーのまま試合が進行することがほとんどである。「死球」はball is deadの訳ですらない可能性が出てきた。いきなり話が違うぞ!
中馬庚 をあたる。正岡子規と同様に野球の普及に努め、Baseballを「野球」と訳した人物だ。この人は1897年に『野球』という名の指南書を出版している。
これは国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができる。ただ明治の書なので解読に少し骨が折れる。ヒット・バイ・ピッチの説明は巻末の「仕合規則」にあった。
余談だがこの本、変化球のことを「魔球」と称していて味わい深い。「投球の錬磨を為すには始めより魔球を投ずることを勉むべからず」って言うならそんな魅力的な名称にしないでほしい。
正岡子規や中馬庚が野球のルールについての文章を発表するよりさらに10年以上前、1885年に出版された『西洋戸外遊戯法』という書物があり、これも国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができる。
「ベース・ボール」のルール説明には、「受球者 」「投球者 」「スリーストライクス(三撃の義)」などの味わい深い用語が並ぶ。しかし、「ボール」や「ボーク」についての記述はあったがヒット・バイ・ピッチについては書かれていない。ただ「死球」という言葉は、
中馬庚はヒット・バイ・ピッチを「Dead Ball」と言った。
野球のルールが伝わったときには、ボールがデッドすることを「死球」と言った。
では時間を太平洋戦争の時代まで進めよう。戦時は英語禁止運動が起こり、野球の用語もことごとく和訳された。そこでのヒット・バイ・ピッチの扱いがわかれば理解の足しになるはずだ。
資料を探すと、1943年に急遽発刊されたらしい『野球用語邦語集』というものに行き当たった。残念ながらこれは実物がどんなものかはわからない。孫引きの断片的な情報になる。
これにはデッドボールは「触体球」と言い換えられた……と書かれているようだ。「死球」ではない。字面からいってこのデッドボールはヒット・バイ・ピッチのことだろう。フォアボールについても「四球」ではなくただ「四ツ」と数えるだけになっているようだ。
こうなると「正岡子規がデッドボールを死球と翻訳した」という前提条件が怪しくなってくる。いや1985年以前に正岡子規がそう訳した資料があるのかもしれないが、だとすると『松蘿玉液』での死球の描写は変だ。
しかし……小学生向けの本ですら正岡子規の紹介として「打者・走者・直球・四球・死球などの用語を訳した」と言っている。正岡子規の研究者も、野球の歴史の研究者も、我が国にはたくさんいる。俺が図書館とWebで見つけ出した情報でそれが覆るハズがない。
でも松山観光コンベンション協会では「四球」のみで「死球」が翻訳リストに入っていないので、ひょっとしたらすでに覆りつつあるのかもしれない。「野球」の翻訳者が正岡子規でなく中馬庚だったということも知られたのはわりと最近らしいし。
英語なので確かなことはわからないけど、19世紀の野球のルールの変遷を記したサイトがあり、そこに「打者の体に当たったり審判の体に当たったりした球は"Dead Balls"とみなし、審判がそうコールする」とある。このルールは1876年に作られたものに記載があるようだ。
ここでいう「Call」が発声を伴うものなのかどうかの確証が持てない。ボールがデッドしたときに「デッドボール」と言うこと自体はあった可能性がある、というレベルの話だ。
あと、この段階ではルールに「hit by a pitch」とは書いていない。この言葉がいつごろ発生したのか知りたいが、俺の英語力とDeepL翻訳の力ではついに調べきれなかった。
たとえば我々は「プロポーズ」のことを「提案」でなく「結婚の申し込み」に限定して使うが、これを和製英語と言うだろうか?
もともと英語にある言葉が、意味を限定して取り入れられたとするなら、それは外来語とか借用語という扱いになるのでは? 現在英語でDead Ballという言葉が使われていなかったとしても「和製英語である」という言い方には違和感がある。
確かなことは何もわからない。ただ「デッドボールは和製英語」「正岡子規がデッドボールを死球と訳した」という情報はどちらも怪しく、したがって冒頭のルー大柴に連なるフローチャートは何もかも間違っていることがわかった。
あとはこの文章が野球の歴史を研究している人に届き、確かな調査につながることを期待して、ここにボトルメールとして流しておく。
……そんなことある!?
調べると、確かに多くのサイトに「英語ではHit by a pitch(HBP)という」とか「Dead Ballは審判のタイム宣告などで無効となったボールのことを指す」とか書かれている。
ちょっとまってくれ、我が国では明治時代に俳人の正岡子規らが多くの野球用語を意訳して、そのとき「死球」という言葉を作ったのではなかったのか。
デッドボールが和製英語だとすると、
アメリカからヒット・バイ・ピッチのルールが伝わる
↓
正岡子規が「死球」と名付ける
↓
太平洋戦争(英語禁止野球)
↓
ルー大柴めいた人が「死球」を「デッドボール」と言い出す
↓
用語として定着
という不可解な流れがあることになってしまうではないか。そんなことある!?
あまりに不自然ではないか、とワイフと協議したところ「そもそもシキュウに同音異義語が多すぎるのでは」という意見が出た。
確かに、あれだけ俳句と野球を愛した正岡子規が……いや正岡子規のことよく知らないけど……デッドボール(ヒット・バイ・ピッチ)を「死球」と訳したなら、フォアボール(これも和製英語らしい)を「四球」と訳したのはどういうことなのだろう。
スリーボールの状況でバッターに投球が当たったかどうかの微妙な判定で、審判が「シキュウ!」と言ったときに、それが「死球」か「四球」かわからない……言葉を大切にし、自らも野球をプレイしていた正岡子規が、そんな単純な不具合を放置するだろうか? 結果はどっちも出塁だから問題なかったのか?
だめだ謎が多い。まずは正岡子規のほうから調べていこう。
取材陣は直ちに子規記念博物館へ飛んだ!
嘘です。これは2007年に行ったもの。
■正岡子規は何を「死球」と言ったのか
1896年に正岡子規がベースボールを紹介する文章(『松蘿玉液』収録の「戸外遊戯」の項)を書いているらしいのでさっそく図書館で借りてきた。これは青空文庫でも読める。ここから「死球」をいう文字を探すと……ここに球に触るるというは防者の一人が手に球を持ちてその手を走者の身体の一部に触るることにして決して球を敵に投げつくることに非ず。もし投げたる球が走者に中れば
死球 といいて敵を殺さぬのみならずかえって防者の損になるべし- 正岡子規『ベースボール』
投手が打者に投球をぶつけたときではなく、走者に野手が送球をぶつけたときの話じゃないか。よく引き合いに出されているこのエッセイの中では、死球について正岡子規は後者の話しかしていない。
さらにいえばこの場合、「かえって防者の損」とあるとおり、ボールはデッドにならずにインプレーのまま試合が進行することがほとんどである。「死球」はball is deadの訳ですらない可能性が出てきた。いきなり話が違うぞ!
■それなら中馬庚だ
謎が増えてしまったので、次にこれは国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができる。ただ明治の書なので解読に少し骨が折れる。ヒット・バイ・ピッチの説明は巻末の「仕合規則」にあった。
Dead Ball とは Pitcher の打手に投ぜる球にして 打手の是を打たざるに打手の身体又は衣服に触れたるを云ふ
Dead Ball の場合には球のその合法的の位置にあるの Pitcher の手に帰る迄は仕合は中止せるものと見なすべし- 中馬庚『野球』P162
余談だがこの本、変化球のことを「魔球」と称していて味わい深い。「投球の錬磨を為すには始めより魔球を投ずることを勉むべからず」って言うならそんな魅力的な名称にしないでほしい。
■野球のルールが伝わった時代はどうか
さらに時代を遡る。正岡子規や中馬庚が野球のルールについての文章を発表するよりさらに10年以上前、1885年に出版された『西洋戸外遊戯法』という書物があり、これも国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができる。
「ベース・ボール」のルール説明には、「
……是れ亦ファールボールに属す 此場合にありては之を死球と称し 三撃のうちに算入せず……
- 下村泰大『西洋戸外遊戯法』P26(表記改)
■そもそも死球=ヒット・バイ・ピッチなのか?
正岡子規は野手の送球が走者にぶつかることを「死球」と言った。中馬庚はヒット・バイ・ピッチを「Dead Ball」と言った。
野球のルールが伝わったときには、ボールがデッドすることを「死球」と言った。
では時間を太平洋戦争の時代まで進めよう。戦時は英語禁止運動が起こり、野球の用語もことごとく和訳された。そこでのヒット・バイ・ピッチの扱いがわかれば理解の足しになるはずだ。
資料を探すと、1943年に急遽発刊されたらしい『野球用語邦語集』というものに行き当たった。残念ながらこれは実物がどんなものかはわからない。孫引きの断片的な情報になる。
これにはデッドボールは「触体球」と言い換えられた……と書かれているようだ。「死球」ではない。字面からいってこのデッドボールはヒット・バイ・ピッチのことだろう。フォアボールについても「四球」ではなくただ「四ツ」と数えるだけになっているようだ。
こうなると「正岡子規がデッドボールを死球と翻訳した」という前提条件が怪しくなってくる。いや1985年以前に正岡子規がそう訳した資料があるのかもしれないが、だとすると『松蘿玉液』での死球の描写は変だ。
しかし……小学生向けの本ですら正岡子規の紹介として「打者・走者・直球・四球・死球などの用語を訳した」と言っている。正岡子規の研究者も、野球の歴史の研究者も、我が国にはたくさんいる。俺が図書館とWebで見つけ出した情報でそれが覆るハズがない。
でも松山観光コンベンション協会では「四球」のみで「死球」が翻訳リストに入っていないので、ひょっとしたらすでに覆りつつあるのかもしれない。「野球」の翻訳者が正岡子規でなく中馬庚だったということも知られたのはわりと最近らしいし。
■じゃあアメリカではどうだったんだよ
これより遡ろうとするなら、もう当時のアメリカでどうだったかを調べなければならない。英語なので確かなことはわからないけど、19世紀の野球のルールの変遷を記したサイトがあり、そこに「打者の体に当たったり審判の体に当たったりした球は"Dead Balls"とみなし、審判がそうコールする」とある。このルールは1876年に作られたものに記載があるようだ。
ここでいう「Call」が発声を伴うものなのかどうかの確証が持てない。ボールがデッドしたときに「デッドボール」と言うこと自体はあった可能性がある、というレベルの話だ。
あと、この段階ではルールに「hit by a pitch」とは書いていない。この言葉がいつごろ発生したのか知りたいが、俺の英語力とDeepL翻訳の力ではついに調べきれなかった。
■現時点での結論
以上の調査から、俺は以下のように推論する。- もともと英語にDead Ballという言い方はあり、ボールがデッドしたときに使われていた
- 日本に伝わったとき直訳して「死球」という言葉がつくられ、「デッドボール」と並行してボールがデッドしたときに使われていた
- そのうち「投球が打者に当たってボールがデッドしたとき」に限定して使われるようになった
たとえば我々は「プロポーズ」のことを「提案」でなく「結婚の申し込み」に限定して使うが、これを和製英語と言うだろうか?
もともと英語にある言葉が、意味を限定して取り入れられたとするなら、それは外来語とか借用語という扱いになるのでは? 現在英語でDead Ballという言葉が使われていなかったとしても「和製英語である」という言い方には違和感がある。
確かなことは何もわからない。ただ「デッドボールは和製英語」「正岡子規がデッドボールを死球と訳した」という情報はどちらも怪しく、したがって冒頭のルー大柴に連なるフローチャートは何もかも間違っていることがわかった。
あとはこの文章が野球の歴史を研究している人に届き、確かな調査につながることを期待して、ここにボトルメールとして流しておく。