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◆不定期日記ログ◆

■2022-04-01
ソースのソースを確認せよ
 昔、「ソースとは食品に使う液状調味料の総称のはずなのに、なぜか日本ではソースと言えばウスターソースのことを指す」という指摘をした。
 そのときは「ケチャップと言えばトマトケチャップのことを指すので何も珍しくないんだが?」という自己ツッコミによって相殺され消滅した疑問であったが、これはもうちょっと深掘りしていきたい話だ。
 なぜ我々はウスターソースに「ソース」の総称を許しているのか?

 歴史をたどる前に、ウスターソースとは何かをはっきりさせておこう。ウスターソースとは日本農林規格上では「ウスターソース」「中濃ソース」「濃厚ソース(とんかつソース)」の総称であり、これは粘度で分けられている。一番さらさらなのがウスターソースだ。


 ソースは明治時代の初めに、洋食とともに日本に入ってきた。そして明治期の日本人にとってソースとは「洋食にかける醤油」であった。料理人の間ではクリームコロッケに入れるベシャメルソースなどの多種多様なソースが使われたが、一般家庭においては、さらさらで醤油のように使えるウスターソースだけが「ソース」として認知されたというわけだ。
 すぐに日本でもウスターソースの生産が始まり、明治後期にはイカリソース、カゴメソースなど今につながる様々な商品が「新味醤油」「洋式醤油」として登場した。ウスターソースは日本人の口に合うように変化していき、中濃ソースや濃厚ソースが開発されてもなお「ソースの総称」の座を保持し続けたのである。


 さて、ではそんなウスターソースはどこから伝来したのだろうか? 広東料理のオイスターソースが間違って伝わったのか? そうではない。ウスターは野菜のソースで、オイスターは牡蠣である。関係ない。

 ウスターソースの発祥には諸説あるが、イギリスで生まれたことは確かである。
 記録として残っているのは日本の開国より20年ほど前、1838年にイギリスのウスター社が発売したものだ。これは瞬く間に全英に広がり、覇権をとった。
 時はまさに大帝国主義時代であり、ウスター社はこれを世界中に輸出し、莫大な富を手にした。工場が林立し労働者の住む町が広がっていくと、この町は「Worcester」の名で呼ばれるようになり、町の中心にあった「キリストならびに処女マリア主教座聖堂」も「ウスター大聖堂」と名前を変えた。いわゆる企業城下町である。
Worcester Cathedral
英語版wikipediaのWorcester Cathedralの項目
 さらにウスター社は、日本でいうところの醤油皿にあたる器にも目をつけ、ソースをディップするための陶磁器の生産にまで手を広げた。これも瞬く間に広がり、最終的には英国の陶磁器界で初めて王室に認められるまでになり、ロイヤルウースターの名を現在まで継承し続けている。


 これだけの影響力のあるウスター社であれば、日本でソースの総称を我が物にすることなど容易なことだったのだろう。現在もウスターの町ではソースを生産しているが、驚くべきことにウスター社は俺が考えた完全な嘘である。ちょっと調べれば……つまりソースのソースを確認すればわかるとおり、イギリスのウスターシャー州の州都ウスターで発祥したからウスターソースなのであり因果が逆なのだ。
 こういうパターンは見破りにくいが、俺だってまさか「アマゾネスみたいな部族がいる川だからアマゾン川」なんては信じたくなかったので、あらゆる因果を疑っていこうな、というエイプリルフールの教訓なのであった。