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◆不定期日記ログ◆

■2018-10-03
ゆるゆる減災計画
 我々静岡県民(あえてのクソデカ主語)はもう40年近く「東海地震が来る」と脅され続けており、その危機感は東海地震が東南海地震に進化しても変わらない。その恐怖があまりに長期にわたったため、静岡県民はついに発狂し全知全能の神の幻を見て「神様、東海地震はいつ起こるんですか!?」と問い詰め「ンー、ワッカンナイネー」と返されて逆上する始末である。

 なので我々静岡県民は、東海地震が来れば生活の全てが破壊されてしまう、という諦めにも似た恐怖とともに暮らしている。海は枯れ、地は裂け、全てのインフラが死滅し、太平洋ベルトとともに日本のGDPは爆発炎上、千羽鶴どころか支援物資の送り手すらいない、万人の万人に対する闘争状態……そんなマッドマックスやFalloutのようなポストアポカリプスに対しての、物理的・心理的備えを強いられているのが我々なのだ。

 そんな環境にいるので、いつしか俺は「災害への備え」というのを悲観的に捉えすぎていた。食糧の備蓄はする、耐震はする、しかしそれらは気休めで、本当に安心できる備えなどというのものはこの現実世界にはないのだろうと。東海地震の後に本当に必要になるのは水平二連ソードオフショットガンと肩パッド入りの皮ジャンであろうと。そんなふうに考えてしまっていた。



 だが俺は今回の北海道の地震および列島をブチ抜いた台風によりようやく気付きを得た。なにも東海地震の直撃ばかりが災害ではない。ライフラインの一部が3日くらい止まる程度の災害だって当然あり得ることであり、そういったものを想定した備えは決して無駄ではない。

 それはつまり「もっとユルい備えも必要」ということでもある。たとえば停電して何もすることがない避難所においてボードゲームで気晴らしができた、とか、何のために買ったかわからない Minecraft ライトアップトーチがまるでゲームのように部屋を照らしてくれた、とか、そういったユルめの備えが役に立つ局面も起こりうるということに気付くことができた。



 たとえば音楽だ。停電時でもカーステレオなどは意外と聴く機会があるかもしれない。
 したがって……俺はいつでもこれが聴けるように、購入してダウンロードしておくべきなのだ……これも災害への備えなのだ……。

ダイヤモンドシティラジオ
Diamond City Radio - Music Inspired by Fallout 4

 やっぱポストアポカリプスを想定してんじゃねえかよーッ!