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◆不定期日記ログ◆

■2018-01-15
ベルサイユの着付け
 新年早々、振袖詐欺業者が世間を騒がせた影響で、さまざまな振袖情報が俺のスマホンに入ってくる。振袖がバカ高いこと、予約時期がバカ早いこと、着付けにバカ時間がかかることなどだ。こうなるとすぐにおまえたちは「振袖についてこんなことも知らないのか」みたいな態度でマウントを取ろうとするのでよくない。おまえたちだってヒヤキポリネキ・セサナモペ共和国の民族衣装オペケランポヌマーを装着するのに儀式が必要なことを知らないだろう。「知っていて当然の知識」なんてものは個人個人が抱いている幻想の集合体にすぎないということを肝に銘じるべきだ。

 そんな中「着付けなんて自分でしろ」「てめー頭脳がまぬけか? 振袖は一人で着られる物じゃねーんだぜ」というバトルには気づきがあった。言われてみれば「一人で着られない服」という概念そのものがザ・上流階級という感じがする。従者がいる身分だということが前提の服装なのだ。ブルジョア的概念でありプロレタリアートの敵! 総括! 革命! 進歩!
 ウェディングドレスみたいなドレスだって基本一人では着られないし、和の東西を問わずそういうものなんだろう。マリー・アントワネットだってあのドレスを装着するために、複数人の力でコルセットを締め上げていた、と「ベルばらkids」に書いてあった。

 ……ん? ということは何か? フェルゼン伯がアントワネット様と誰にも知られずにイチヤイチヤするためには、完璧な着付けの知識だけでなく並外れた腕力が必要ということか? 千の誓いよりも万の誓いよりもまず腕力がいるというのか?

フェルゼン伯「女性が一人で着替えられないというのは不便であろう」

ギロチン博士「鉄の板を落とす力でコルセットを締める装置を開発しました」

ルイ16世「なるほどこれは人道的だなあ」

 こうしてつくられたギロチンはのちに多数の刑死者を生むことになるのであった……[大嘘]