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◆不定期日記ログ◆

■2016-10-17
なぜ鏡は左右反対にうつるのか
 今や俺も二歳児の父。いずれ娘は成長し「ナンデ?」「ナンデ?」と言い出してご両親を困らせるだろう。そのときに備えてきちんと説明の手順をシミュレートしておく必要がある。


 たとえば「鏡はどうして左右反対にうつるのか?」だ。

 まず俺は以前述べたとおり、左右という概念をまったく信用していない。この3次元宇宙において極めて主観的なこの概念を、他者とのコミュニケーションに常用している惑星があるときいて首を傾げつつ生活している。娘氏にはこのような疎外感を味わって欲しくはないが、左右という概念に大きな欠陥があることは自覚していてほしい。


 そのような立場としては「別に左右反対にうつってなどいない」と答えるのが第一であろう。鏡は手前と奥を反転しているのであり左右反転したと思っているのはたまたま左右対称につくられた人類の浅薄なる発想にすぎない。もし人類がシオマネキのごとく巨大な右腕を持つ生物であれば、巨大な右腕のほうを「右」と定義したはずであり、それは鏡を見ても揺るぎない定義であろう。

 また、左右反転したと思っているのは地球の重力に引かれ、地上を這うばかりの古い地球人の浅薄なる発想にすぎない。天井に張り付けられた鏡を見上げて、こう、右腕を上に突き出したとき、あれこっち右腕か?えーたぶんそうだな、右腕だ。その場合、天井の鏡の中のお前は左腕を上げているのか?
 鏡張りの床の上にミニスカのお嬢さんが立ち、侮蔑的な嘲笑を浮かべてお前を見ながらゆっくりと左足を上げたとき、お前が凝視している床の鏡の中のお嬢さんは右足を上げているのか?そんなわけはない。おい全然娘に説明するシチュエーションじゃねえぞ。


 たとえ話はともかく、「鏡が左右を反転したと思っているのは人類の錯覚。左右はその程度の概念」ということがうっすらとでも伝わることを願うばかりだ。
 ところで、こういう風にまず「本当に左右が反転しているのか?」と根幹を問い返すパターンはけっこう汎用性があるのではないだろうか。定義を確認しているうちにクレバーな解答を探す時間を稼ぐのだ。「質問を質問で返すなあーっ!!」と言われそうだが、その場合俺のジョジョ教育が成功している世界線なのでそれはそれでいい。