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◆不定期日記ログ◆

■2015-04-27
消える免罪符
 歴史の教科書の宗教改革のところに「贖宥状」という見慣れない単語があって驚いた。
 しょくゆうじょう……?我々はこれを「免罪符」として習ったハズ……。

 どうやら「免罪符」という訳は正しくないらしい。罪は免じられるものではなく、罪の結果受ける罰を免じるものだということだ。カトリックでない自分にはいまいち違いがわからないが、とにかくそういう理由で世界史用語としての「免罪符」は消えつつある。

 しかしこうなると、すでに我が国で慣用句として使用されている「免罪符」はいったいどうなってしまうのか。エイプリルフールであることを免罪符に嘘八百を書き連ねた罪はどう贖えばいいのか。そもそもこの場合の「免罪符」の「罪」の概念もカトリック的にはまったく的外れなのではないか。それなのに「贖宥状」に置き換えていく流れなのか。


 人名や地名もできるだけ現地の言葉になるように変わってきている。いつかクリストファー・コロンブスはクリストバル・コロンになるのではないかとにらんでいるが、こうなった場合慣用句としての「コロンブスの卵」は「コロンの卵」になるのだろうか。ならないか。絶対立ちそうにないし。