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◆不定期日記ログ◆

■2009-08-05
祈念と記念
 NHKのニュースで、頻繁に「~の試算、試みの計算、によると~」という言い回しを聞く。
 日本語には同音異義語が多すぎる。
 そのたびに、このアナウンサーのようにいちいち説明したり、「わたくしりつ/いちりつ」などの読みを作って対処しなければならない。
 もちろん対処法が確立されていない例の方が多く、日本語変換システムは大変な苦労を強いられる。たとえばこの「確立」もかなりの確率で「確率」と誤変換される。
 「保証」と「保障」など、人間でも判別困難なものも多い。

 同音異義語が増えた原因のひとつには、歴史的仮名遣いの廃止があるようだ。
 たとえば、
  • こうしょう(公称)
  • こうしゃう(工匠)
  • かうしょう(考証)
  • かうしゃう(高尚)
  • くゎうしょう(黄鐘)
  • くゎうしゃう(鉱床)
 これらは、現代仮名遣いでは全て「こうしょう」になった。
 現代仮名遣いが採用されたとき、発音の区別が失われていたのだから仕方ない。
 日本に入ってきた時点での中国語の発音はもっと細分化されていたのだろう。
 leaderとreaderの違いがわからないのと同じ理屈か。

 さて、この時期になるといつも気になるのは「記念」と「祈念」である。
 字面の感じからだいたい意味の違いはわかる。が……
 長崎は「平和祈念式典」、広島は「平和記念式典」なのだ。
 どちらも正式名称には「祈念」の文字が入っているようだが、なぜ違う漢字を使ったのだろう。memorialに主眼を置くか、prayに主眼を置くかの違いなのだろうか?

 あと、冒頭の「試算」は、いったい何と混同すると思ってるんだろうか?
 謎は尽きない。