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◆不定期日記ログ◆

■2005-10-27
語感のロマン
 …言葉っていうのは実に不思議なものだ。

 言葉は、その意味が他人に伝わって初めて意味を成す。
 ならば、はるか昔ウッホウッホ言ってたサルが、ヒトとなって器用な声帯を獲得したころ、いったいどうやってその意味を作り出したのだろう。

 言葉の意味というのは、常に大衆が決めるものだ。
 以前の日記で「シキャク」か「シカク」かあるいは「セッカク」か、という問題を調べたことがあったが、言葉は結局通じればよいものなので、聞く者が正しく理解できればそれで問題はないのである。
 今はたぶん「刺客」という文字を見て「シカク」と読む人が多いから、この文字を「シカク」と読むのが正しいっぽいのだ。

 太古、言葉ができたときも、きっとこうやって決まっていったのではなかろうか。
 土がもっこりしてるところを見て、なんか「やま」って感じ、って思う人が多かったのではなかろうか。
 もちろん「刺客」と違って、読み方のガイドラインになるものは何もない。ある人は「あぼ」だったかもしれないし、「ふず」だったかもしれない。そんな言葉の戦国時代の中で、もっとも人気を集めたのが「やま」だったではなかろうか。

 そう考えると「道路」と「Road」の不自然な類似が説得力を持ってくる。やはり「どーろ」とか「ろーど」とかいう語感が、「なんか人が通るずーっと続いてるもの」という概念にぴったりきたんだと思う。きっと「But」と「ばってん」もそうに違いない。すごいな九州人。
 そういうわけで、きっと、語感のイメージというのは馬鹿にならないのだ。

 だから、「ハリケーン」っていう語感はなんかカラカラに乾いてる感じだし、「トルネード」っていう語感はなんか水をたっぷり含んでそうな重たいイメージがあるし、要するにこいつらが間違ってるんだ!


 以上、トルネードとハリケーンを間違えた言い訳でした。