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■2010-01-08 : 立法員制度
政権交代したのに、やってることが自民と変わらない。
政治なんてどこがやっても同じなのか?
ようやくそういうムードがマスコミ各社から感じられるようになってきた時節柄、皆様いかがお過ごしでしょうか。
さて以前「選挙運動いらなくね?」という思考実験をしましたが、 今回はさらに踏み込んで「選挙いらなくね?」を考えていきます。
あれだけ不毛なルールで戦ってるんですから変人偏屈の類であることは間違いなく、決して「俺たちの代表」と言えるものではありません。
白昼堂々、自分の名前のみを連呼しながら市街を走れる時点で相当レアな人です。
そんなレアな人々が全国から集うのが国会です。
ですから、国会議員の意識が国民の意識と大きく乖離してるのはアタリマエなのです。
そして議員の意識が国民の意識の平均からえらいズレてるから、だーれも望んでない空港が、地元にできたりするんです。
ハコモノだけでなく、古くから、人権擁護法だとか、児童ポルノ法だとか、まるで対バイオロン法みたいな法案が平然と出てくる国会。
裁判員制度みたいな誰が望んだのかわからない法律が、いつの間にか通ってる世界なのです。
んなもんは無理だ!!
もういい、選挙いらん。
ソクラテスは「政治は賢人がやるもの。愚民は来んな」といったようです。
国は、英才教育を受けたエリートが動かせばよくて、国民投票なぞ衆愚政治だと。
なんかイラッとする意見ですがまずこれを採用します。
政治家は全員、厳しい選抜に合格した政治のスペシャリストとします。
選抜方法は、普通選挙をさらに狭き門にしたようなものを新たに考えます。
今以上にレアな人が集まることになりますがとりあえずオッケーです。
法案提出数からいえば官僚で代用してもいいかもしれません。
で、そのエリートたちで参議院を形成し、国会(ひいては内閣)を運営します。
これだけだとただの少数独裁なんで、衆議院のほうを改造します。
議員を全削除して、ランダムに選ばれた一般国民に差し替えます。
完全に知識のない我々愚民でオッケーです。
この上に、エリートが衆愚を納得させない限り、議決が通らない仕組みを作るのです。
さしあたって「法律の制定」と「予算の議決」、すなわち通常国会だけでいいでしょう。
内閣が予算を通すにも、一般人に納得のいく説明をしなけりゃいかんわけです。
法律の制定も、わかりやすく説明しなけりゃ通りません。
去年「プレゼンが下手だと学術予算も容赦なく仕分けされる」という事を役所は学びました。
今度は国会が学ぶ番です。
エリートが作った本当に必要な法案ならできるはずです。
今、日本では、いつの間にか裁判員制度が運営されています。
「有権者の中からくじで選ばれた6人に、3日ほど判決に関わってもらう」制度です。
裁判を身近に感じてもらうために直接参加の制度まで作ったのですから、行政・立法で同じ理屈が適用できないわけがありません。
これを「裁判員」になぞらえて「立法員制度」とでもしましょう。
厳密には立法してませんが、そこは議員さんも同じ体たらくなのでよしとします。
さて、裁判員関係の裁判は、年間3,000件ほどあるそうです。
3,000件×6人×3日で、国民全体から年間54,000日を徴収しているわけです。
一方、通常国会は延長がなければ年間150日。
参議院議員が242名いるので、240名を集めても合計36,000日分の消費ですみます。
150日も拘束できませんから、案件ごとに立法員のメンバーは交代します。
「どこに集まるの?」とか「どうやって質問するの?」とかいろいろ問題はありますが、国民の負担としては裁判員制度程度ですむはずです。
システムも流用できます。
確かに専門知識を持たぬ我々は衆愚。
聞きかじりの知識で知らない人に投票するだけの無駄な存在です。
しかし衆愚ならば教育を受ければよいだけです。
1つの法案について、様々な立場のエリートが説明してくれるわけですから、その法案の是非についてだけは、必要か不要かの判断は有効にできるでしょう。
くじで選ばれた立法員は、地方ごと公共施設にあつまって、議員の「必要だ」「不要だ」という生放送ディベート&勉強会を経て、最終的に可決か否決かのボタンを押して帰るわけです。
各党の担当者が現場にいるといいですね。どうせ地方議員余ってるし。
シロウトが中学校レベルの資料で「できるんじゃね?」と思っただけです。
できてない、ってことは何かしら問題があるんでしょう。
衆議院の半分が立法員になるだけでも革命だと思うんだけどな。
政治なんてどこがやっても同じなのか?
ようやくそういうムードがマスコミ各社から感じられるようになってきた時節柄、皆様いかがお過ごしでしょうか。
さて以前「選挙運動いらなくね?」という思考実験をしましたが、 今回はさらに踏み込んで「選挙いらなくね?」を考えていきます。
■議員と国民の「意識のズレ」
すべての国会議員は、選挙というエクストリームスポーツをクリアしています。あれだけ不毛なルールで戦ってるんですから変人偏屈の類であることは間違いなく、決して「俺たちの代表」と言えるものではありません。
白昼堂々、自分の名前のみを連呼しながら市街を走れる時点で相当レアな人です。
そんなレアな人々が全国から集うのが国会です。
ですから、国会議員の意識が国民の意識と大きく乖離してるのはアタリマエなのです。
そして議員の意識が国民の意識の平均からえらいズレてるから、だーれも望んでない空港が、地元にできたりするんです。
ハコモノだけでなく、古くから、人権擁護法だとか、児童ポルノ法だとか、まるで対バイオロン法みたいな法案が平然と出てくる国会。
裁判員制度みたいな誰が望んだのかわからない法律が、いつの間にか通ってる世界なのです。
■国民の意思を反映するには?
投票で国民の代表を国会に送る?んなもんは無理だ!!
もういい、選挙いらん。
ソクラテスは「政治は賢人がやるもの。愚民は来んな」といったようです。
国は、英才教育を受けたエリートが動かせばよくて、国民投票なぞ衆愚政治だと。
なんかイラッとする意見ですがまずこれを採用します。
政治家は全員、厳しい選抜に合格した政治のスペシャリストとします。
選抜方法は、普通選挙をさらに狭き門にしたようなものを新たに考えます。
今以上にレアな人が集まることになりますがとりあえずオッケーです。
法案提出数からいえば官僚で代用してもいいかもしれません。
で、そのエリートたちで参議院を形成し、国会(ひいては内閣)を運営します。
これだけだとただの少数独裁なんで、衆議院のほうを改造します。
議員を全削除して、ランダムに選ばれた一般国民に差し替えます。
完全に知識のない我々愚民でオッケーです。
この上に、エリートが衆愚を納得させない限り、議決が通らない仕組みを作るのです。
さしあたって「法律の制定」と「予算の議決」、すなわち通常国会だけでいいでしょう。
内閣が予算を通すにも、一般人に納得のいく説明をしなけりゃいかんわけです。
法律の制定も、わかりやすく説明しなけりゃ通りません。
去年「プレゼンが下手だと学術予算も容赦なく仕分けされる」という事を役所は学びました。
今度は国会が学ぶ番です。
エリートが作った本当に必要な法案ならできるはずです。
■どうやって代表を選ぶのさ
くじです。今、日本では、いつの間にか裁判員制度が運営されています。
「有権者の中からくじで選ばれた6人に、3日ほど判決に関わってもらう」制度です。
裁判を身近に感じてもらうために直接参加の制度まで作ったのですから、行政・立法で同じ理屈が適用できないわけがありません。
これを「裁判員」になぞらえて「立法員制度」とでもしましょう。
厳密には立法してませんが、そこは議員さんも同じ体たらくなのでよしとします。
さて、裁判員関係の裁判は、年間3,000件ほどあるそうです。
3,000件×6人×3日で、国民全体から年間54,000日を徴収しているわけです。
一方、通常国会は延長がなければ年間150日。
参議院議員が242名いるので、240名を集めても合計36,000日分の消費ですみます。
150日も拘束できませんから、案件ごとに立法員のメンバーは交代します。
「どこに集まるの?」とか「どうやって質問するの?」とかいろいろ問題はありますが、国民の負担としては裁判員制度程度ですむはずです。
システムも流用できます。
確かに専門知識を持たぬ我々は衆愚。
聞きかじりの知識で知らない人に投票するだけの無駄な存在です。
しかし衆愚ならば教育を受ければよいだけです。
1つの法案について、様々な立場のエリートが説明してくれるわけですから、その法案の是非についてだけは、必要か不要かの判断は有効にできるでしょう。
くじで選ばれた立法員は、地方ごと公共施設にあつまって、議員の「必要だ」「不要だ」という生放送ディベート&勉強会を経て、最終的に可決か否決かのボタンを押して帰るわけです。
各党の担当者が現場にいるといいですね。どうせ地方議員余ってるし。
■オコトワリ
国会議員が自ら自分のイスを減らすような仕組みを作るわけがないので、このお話は思考実験にすぎません。シロウトが中学校レベルの資料で「できるんじゃね?」と思っただけです。
できてない、ってことは何かしら問題があるんでしょう。
衆議院の半分が立法員になるだけでも革命だと思うんだけどな。