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俺キャン! ~平成から令和へ~
娘氏にアウトドア生活を嗜ませたいというワイフの計画により、我々はこの大型連休にキャンプに出掛けた。
事前準備として我々はアニメ『ゆるキャン△』全話をあらかじめ視聴し、最低限の知識を身に付けた。アウトドアには危険が潜む。備えすぎるということはない。
■1日目
キャンプ1日目、平成最後の昭和の日。
早朝、渋滞が始まる前の朝霧高原を北上し、山梨県に入る。甲府南ICから中央自動車道に乗り、双葉SAで小休憩し、須玉ICで降りて清里ラインを登る。道端にはまだ桜が爛漫に咲いている。そのままJRで最も標高の高い地点を横目で見ながら佐久甲州街道を進み、上越自動車道に沿って浅間山の西側に回る。名物のくるみ蕎麦を食べて、長野街道で嬬恋村に入る。ほぼ渋滞ナシで早めに到着してしまったので、鬼押出し園を見に行き、戻る。移動距離およそ240km。
久しぶりに訪れた鬼押出し園は相変わらずの押出しっぷりで、なぜここだけこんなにゴロゴロしているのか不思議だった。「鬼が岩を押し出した」という伝説が生まれたのも頷ける。ところでなんで鬼は岩をここに集めたの? マインクラフトごっこ?
以前と違い今は仮面ライダーWを履修しているため、こんな岩場のどこにユートピアドーパントと戦えるような広場があるんだ……? という思いで散策した。
初日のキャンプ地は
休暇村嬬恋鹿沢のオートサイトであり、家族用のでかいテントがすでに張ってある。調理器具一式はレンタルで、食材も人数分用意されている。さらに言えば寝袋と毛布も支給され、休暇村本館のオンセンも使えるため、我々がするべきは炊飯と寒さ対策くらいなものである。
かまどに薪を投入しながら考えた。これは「昭和」だ。俺の生まれた村では昭和どころか平成のはじめまで、こうして薪を燃やし、ボイラーで水を加熱して風呂に使っていた。薪を割り、新聞紙に火をつけ、団扇で風を送らなければお湯さえ手に入らなかった。それは子どもたちの仕事だった。過ぎ去った過去の記憶のはず。なぜ俺はこの平成の終わりに慣れた手つきでこんなことをしているのだろう?
そんなことを考えているうちに支給された炭にすっかり火が着いてしまった。雨も降ってきたし、早くBBQ台に移して肉を焼かなければ火力が足りなくなってしまう。燃焼で得たエネルギーを自在に保存しておける現代文明のなんとすばらしいことか。あと『ゆるキャン△』で言ってたまつぼっくりさんが火起こし時に便利って奴ガチで便利だな。昭和に戻って実家の山にでかいマツを植えるよう提言したい。
娘氏はその間、どんぐりを集めて「リスさんの晩ごはんと朝ごはんと昼ごはんとおやつ」を用意していた。濡れるからテントに入っててほしい。
そうして作られた夕食を食べながら、テントの中に無印良品めいたケルト音楽を流すことで完全にゆるキャンとすることができる。ただしこのケルト音楽はゆるキャンのサントラではなく「FINAL FANTASY IV Celtic Moon」であり俺の手持ちの精いっぱいのケルトであった。
■2日目
キャンプ2日目朝、天候雨。
湯を沸かしコーヒーに砂糖をたっぷり入れ、時間をかけて飲む。
水分は補給しすぎということはない。
なお朝食は普通に休暇村本館のホテルバイキングで食べるわけだが、なぜこんなことをしているのかというと朝5時に雨の音で目が覚めてしまったからである。
国道145号線を東にひたすら進む。高山村で某ロケ地として有名な大理石村ロックハート城を訪れ昼食。その後南にある某ロケ地として有名な県立ぐんま天文台に立ち寄ったあと、県道36号線を北上し赤根峠を越える。そのまま利根川を遡上してみなかみ町のキャンプ場に至る。移動距離およそ90km。
ロックハート城は雨天ながら団体客などでたいへん混んでいた。あい変わらずこのお城を見ると「ハートに着信(チュワ)」って思ってしまう。娘氏はお城を見るやいなやプリンセスの物語を紡ぎはじめ、「はやくプリンセスのいるお城へ行きましょう!」とウッキウキになった。あっ自分はプリンセスじゃあないんだ。
ここにはひそかに鉱石の展示があり、正方形の板に切り出された安山岩や花崗岩を見て「わーマインクラフトみたーい」と思った。娘氏は400円の鉱石つめほうだいで最高になった。
パンドラボックスが開くと生えてくることで有名なぐんま天文台のストーンサークル。ぐんま天文台は500mくらい山道を徒歩で登ってこないといけないし、荒天でシンピテキな霧がかかっているいるし、マジでパンドラタワーだった。ここはここんとこ毎年のように特撮に登場しており、今はリュウソウジャーのOPで毎週見ることができる。実家のような安心感、親の顔より見た施設。
娘氏は今期のプリキュアさんの影響で星座意識がかなり高まっており、牡牛座のモニュメントを探した。まだ望遠鏡に興味を持つには至らなかったようだ。キュアスターさんもっと頑張って!
2日目のキャンプ地は
アジアンキャンプリゾートTapaで、ここは小さなコテージとBBQ場がセットでレンタルされる。アジアンリゾートというだけあって受付の人も東南アジア系だった。日本語が達者で助かった形だ。コテージとはいえ中には何の設備もないのでマットと寝袋を使用しなければいけない。
平成が終わるのを感じながら肉を焼く。でかいバーベキューコンロがあまりにもアメリカなのでBGMはケルトではなくアメリカンオールディーズにして肉を食うモチベーションを高めた。なおオールディーズの曲目は完全にダイヤモンドシティラジオ準拠なので、サバイバル意識が無駄に高まる。
平成最後の夜に太腿をつりかけて、シュラフの上でのたうち回った。昼間ちょっとハイキングしたくらいで太腿をつるとは急激な老化を感じる。ひとつの時代が終わったからだ。行かないでくれ平成。早くも俺の体だけが先行して「ふた時代まえのおじいちゃん」としての体勢を整えつつあるのだ。やめてくれ。まだ来ないでくれ令和。
■3日目
キャンプ3日目、令和元年5月1日――天候晴れ。
湯を沸かしミルクココアを入れ、時間をかけて飲む。
水分は補給しすぎということはない(言うほど標高は高くない)。
昨日の寒さで風邪を引いたようで多少体調が悪い。いや令和史上もっとも体調が悪い。
簡易な朝食が用意されるが、それとは別に持参したカレーメンにお湯を入れ、ケルト音楽を流しつつ食べることで完全なゆるキャンとなった。キャンプにはケルト音楽が必要不可欠であることがお分かりいただけるだろうか。
その後、朝食の生ハムのパックが消失するという令和史上最大のミステリーが発生したがすぐに発見された。
朝イチの日帰り入浴をキメたあと、ひたすら利根川沿いの国道17号を下る。徐々に都会になってきたので道の駅こもち休息。途中、前橋市街を避ける形でカーナビにない新しい道に入り進路がよくわからなくなるが、まあ南に向かっていれば平気ら、とテキトーに高崎市街を抜け、どこをどう進んだかわからないうちに秩父に着く。激しい雨の降るなか山道を登り、国道140号線で埼玉から山梨に抜ける。せっかくなので笛吹川フルーツ公園に立ち寄り、再び降り出した激しい雨の中、朝霧高原を南下するルートで帰宅。移動距離およそ250km。
途中、高崎市街を過ぎたあたりでこの建物が突然現れて腰を抜かしそうになった。昨日特撮ロケ地を見てきたばかりの俺には眩しすぎる高崎商科大学。本当に偶然だったので本気で驚いた。実物を見るとなんか印象と違うなって思ったけど、こうして写真に切り取るとこれ完全に天ノ川学園高校だわ。すっごい……弦ちゃんはここからぐんま天文台までさそり先生を追ってバイクを飛ばしたんだァ……。
笛吹川フルーツ公園は『ゆるキャン△』で知った。あいにくの雨と霧で景色はいまいちだったが、ここの室内遊技場には大きめのネット遊具があり、長距離ドライブでくたびれた娘氏の気晴らしには最適だった。雨の日も心置きなく遊べる公園が近くにあるのはうらやましい。また来ようと思った。
とはいえ……ここまで群馬から永遠とも思える距離を走ってきたのでなんかもう到着したような気持ちになっているが、ここはまだ山梨の北の方であり、ここからまだ富士山の反対側まで2時間以上走らなければならない。結果的に高速道路を使わずに来たので距離感覚がマヒしているな。
こうして1日平均200kmを爆走した改元キャンプ場めぐりは幕を閉じた。『ゆるキャン△』の子たちがやってることはかなりすごいし、現代文明もかなりすごいということが完全に明らかになった。あと
カルイザワ適当旅行で培った「Google検索すらせずにノープランで温泉街に行って観光案内所で日帰り温泉を求める」という適当ムーヴが活きたのでよかった。