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およぐぜ沖縄2023

2023.05

Day1 琉球愛歌
 ワイフが突然「沖縄の海で娘氏にシュノーケリングをさせたいし我々もしたい」という野望を燃やし始めたため、我々一家は再び沖縄の地を踏んだ。例によって航空機から宿までのすべてをワイフが手配してくれた。
 5月の沖縄は梅雨時期であり、台風の襲来する6月にかけて観光客の足は遠のく。念のため雨天だったときのプランもいくつか考えていたものの、結果的に運良く天候に恵まれ、一足早い夏を味わうことができた。


 那覇へ向かう飛行機の中、娘氏はほぼすべてのおやつを家に忘れてきたことに気付き、睡眠不足と空腹で絶望に包まれていた。唯一かばんに入っていたのがよりによってねるねるねるね系の知育菓子で、あやうく機内でクラシエフーズする子が見られるところだった。
 レンタカーを借り、ソーキそばを平らげたところでようやく空腹クライシスはおさまった。


 初日は平和祈念公園へ向かう。
 2018年に海軍塚公園の司令部壕に行ったが、あちらは職業軍人の話が中心だった。総合的な戦争の記録という点ではこの平和祈念公園が筆頭であろう。季節柄、修学旅行生でごったがえしていた。
平和の礎
 ここには沖縄戦の戦没者を刻んだ平和の礎があり、そこには俺の祖母の叔父にあたる人物の名前が刻まれている。
 祖母が書いた手記から叔父の記述を抜粋しよう。祖母はすでに故人だが、生前にこの手記を自費出版するために編集・出稿・校正をしたのは俺なので、多少自由にさせてもらっても祟られることはあるまい。

 叔父からは三日に一度くらい便りがあった。簡素な官舎や青い海などのスケッチが添えられていたり、俳句を始め雲城と号したことや、砂糖が十二分にあることなどを、詩や俳句に託して送ってくれるのだった。そのうち戦争は激しくなり、便りは一週に一度となり、やがて一月に一度となった。(中略)
 やがて二月二十三日付けの手紙を最後に便りは絶えた。
「取り急ぎ一筆書きます。戦争も激しくなり東京へ帰ります。沖縄本島から飛行機で帰ります。では又会う日まで さらば」
 この手紙は葉書で三月半ばに家に着いた。「さらば」だけがいやに大きく寂しかった。

『松風』(『りんどうの手紙』収録)
 これは祖母が中学三年生のときに書いた文章の一部だ。俺が生まれるより30年以上前に戦死した人物について、祖母がこうして記録していたことで俺がその墓参りに行き、そしてそのことをこうして記録している。不思議な縁だが、日常を記録しておく意義がここにある。
 平和祈念資料館に残されたあまりにむごく生々しい戦場の記録を見て、この地獄に身をおいた祖母の叔父が、俳句や漢詩を嗜んでいたこの人物が、最期まで人間性を保てていたのかどうか想いをはせた。人間を人間たらしめるものって何なんだろうな。


 その日は糸満のリゾートホテルに宿泊した。なんとここはリゾートホテルなのでプールが併設されている。
 娘氏はスイミング教室で基本的な泳法をマスターしており、基本犬かきで暮らしてきた俺にマウントをとってくる。俺は大人げなく勝負を挑み、犬かきこそが哺乳類の基本泳法であり究極の自然体であるということをわからせてやった。
 
Day2 バックミラーの潮騒
 2日めは美ら海水族館のある海洋博公園周辺へ向かう。那覇空港から海洋博公園へ向かう道は前も通ったが、今年はやや南側からのスタートなので、漫湖公園の近くは通らなかった。
Pizza in the Sky
 名護市を越えたところで「花人逢」という古民家ピザ喫茶に寄った。看板に「Pizza in the Sky」と生成AIに適当にお絵描きさせるときの命令文みたいなキャッチコピーがあり、確かに山の上の非常に眺めのよい立地であった。
 外国人観光客がかなり多く、ドルでも会計ができるようだ。円とドルの現金収入が毎日あるお店、会計処理が大変そうだな……。


 2018年に行った備瀬のフクギ並木に到着し、駐車場に車を止める。前より夏が近いせいか、ばぬじゅの厚みが増しているように見えた。相変わらず猫が多い。
 水着を装備してクリスタルビーチへ降りる。フクギ並木側からいくとマジでホテルの私有地にしか見えないので注意が必要だ。このロケーションでシャワー無料・ロッカー100円は破格である。本土の海水浴場はもうちょっと頑張ってほしい。
エメラルドビーチ
 というわけでいよいよ沖縄の海に入ってみる。この日の気温は27℃程度で、本気を出した静岡の気温とさほど変わらなかった。海水はそこそこ温かく、強風が吹いたときのみ寒く感じる程度だった。
 海水は前日の雨で多少濁っていたが、それでも静岡の海とくらべて抜群の透明度を誇っていた。足下がよく見えるので、ラッシュガードで紫外線のラッシュをガードしつつ、海中のサンドダラーを拾うなどして楽しんだ。

 宿は海洋博公園のすぐそばに取ってあるので時間的に余裕がある。別荘まるごと1棟貸し切りタイプなので広く、子ども連れには自由が効いて良い。
 徒歩でビーチまで行けるのも利点で、たくさんの貝がらをヤドカリと奪い合った。きれいな貝、だいたいヤドカリに取られてる。
 
Day3 EXCITE
 3日目はいよいよ今回の主目的であるシュノーケリングに挑戦する。空は晴れ渡り、海の透明度も文句ない。どうやら午後からは引き潮が大きくなるらしく、磯遊びにはうってつけの日であるようだが、まずはシュノーケルだ。

 水着に着替え、その上からマリンスーツを装着させてもらい、ビーチに出る。ビーチでさらにライフジャケットを羽織って浮力を確保し、ゴーグルとシュノーケルをかぶる。こうして我々は完全装備の状態で、水上バイクの牽引するフロートにのって水深5mほどのところまでやってきた。
バリアリーフ
 海に入ると一面のリアルさんご礁が我々を待ち受けていた。この写真はインストラクターの人がGoProでバリバリ撮ってくれた動画から切り出している。その日のうちに写真と動画がLINEで送られてくるので素晴らしい。
 とにかく生きたさんご礁の上を泳ぐという夢のような体験をしたのだが、足ヒレ初心者である俺は足ヒレのうまい使い方がなかなか掴めずに右往左往していた。基本の動きが犬かきなのでどうしても無理がある。犬にフィンは生えていない。なので、さんご礁については今でも夢の中の話だったんじゃないかと思ってしまうくらい記憶があいまいになっている。足ヒレに慣れたころには浅瀬についていた。

 娘氏はきれいな熱帯魚たちを見てテンションがあがっていた。しかしでかいナマコを目撃し「どうか内臓を全部吐かないで下さい!!命の危険は与えませんから!!」とお願いベースの悲鳴を上げ、磯に近づくことはなかった。


 なお、このビーチではインストラクションが終わったあとも、そのまま海で好きなように遊び続けることができる。インストラクターさんも他のお客さんにインストラクトする合間に娘氏とヤドカリを採って遊んだりしていて、かなり自由に動いているので居心地が良い。
相当EXCITE
 さきほど水上バイクの牽引するフロートで移動したのを娘氏がえらく気に入って、「水上引き回しの刑をもう一回やりたい」と熱望したため、バナナボート引き回し体験を追加でお願いした。すごい勢いで振り回されて完全に満足した。娘氏は「コンパスのきもちがわかった」と供述していた。

ゴルフボール
 これは俺が海底で見つけた、ゴルフボールが海産物である揺るぎない証拠。


 宿の案内図にあったタコライス屋さんでタコスとぜんざいをいただき、午後は美ら海水族館に行くことにした。水族館は前にも行ったので優先度は低かったが、ワイフが獲得した全国旅行支援のクーポンがまだ全然残っており、意外とここまでの飲食店で行使できなかったので、水族館のチケット代として行使しようというわけである。
ジンベエザメ
 娘氏は前に来た時のことをほぼ覚えていない。ジンベエザメは15年前と変わらず水槽をぐるぐるしていたが、2頭いたのが1頭に減っていた。残念なことに亡くなったらしい。時は確実にこの水槽にも流れているのだ。だがオキさん(48)は変わらずイルカショーを続けており伝説を更新し続けている。オキさんはすげえよ。人間だって40過ぎたらいろんなとこにガタがくるってのによお。


 夜は徒歩圏内の居酒屋に行ったんだけど、リトルリーグの試合の打ち上げか?ってくらい子ども連れがいっぱいいて満席だったので諦めた。
 やんばるの夜はとても静かで暗く、街灯のない道路を歩くのは恐ろしかった。ハブとかキジムナーとか出てくるかもしれないだろ……
 
Day4 ほほ笑みに続く道
 最終日はほぼ帰るだけであり特筆することはない。レンタカー返却時間まで余裕があったので瀬長島に寄ってまたヤドカリと戯れた。ここの砂浜がいちばんヤドカリが多かった。
ポケモンGO
 あとついでにサニーゴも捕った。


 娘氏は前回の沖縄のことをあまり覚えていなかったが、さすがに小学校3年生ともなれば今回の旅を忘れることはないだろう。
 娘氏には、旅の思い出を宿のコミュニケーションノートに書いてもらった。記憶は言葉にすることで深く定着する。遠足のあとに作文を書くのは思い出を忘れないようにする効果があるのだ。みんなも出かけたら日記を書こう!
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