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◆不定期日記ログ◆

■2025-01-26
喋る犬と賢いヨウム
 犬が主人公のプリキュア、『わんだふるぷりきゅあ!』が終わった。
 本当に暴力に訴えないプリキュアとして1年駆け抜けてしまった。
 非暴力だと相手を無力化するためにさまざまなキラリンアニマルの能力を使うことになり、結果的に特殊能力の出番が増えるという発見があった。

 今作は犬であるこむぎが主人公の話なので、ときどき飼われている動物の気持ちをこむぎが翻訳することがある。飼っているペットが「幸せだよ!」と喋ってくれれば人間は嬉しい。しかし当然、制作陣はこれを「人間のエゴではないか」と苦悩しながら作っていたようだ。

現実世界では、動物と人間は言葉を交わし合うことはできません。本作で語られるこむぎのセリフは、どこまでいっても想像の域を超えません。「犬はきっとこんなことを考えている」 これは人間のエゴなのかもと不安になることもあります。
でも、言葉を交わせないからこそ、私達は動物の気持ちをとことんまで考える必要があるのではないでしょうか。

ORICON NEWS プリキュア担当P、新作の背景に人間のエゴ
 人間に飼われている動物は幸せなのか? それを人間が決めることはできない。思いやり続けることしかできない。それが我々のエターナル・キズナ・シャワーなのだ。


 話は変わるが、今月『アレックスと私』という本を読んだ。
 世界一賢いヨウムのアレックスのことを、その研究者アイリーン・ペパーバーグ博士が綴るエッセイである。ちなみにヨウムはオウム科ではなくインコ科で、オカメインコはオウム科である。どうなってんの!?

PIPI
ピピチャンダヨ!(冠羽の有無を見てくれ!)
 研究対象のヨウムの中でもアレックスは飛びぬけて賢いようだけど、天才というよりは性格と訓練方法がガッチリはまったんだなという印象だった。
 アレックスが「ケーキ」という単語を知らないので「ヤミー・ブレッド」と呼んだというエピソードは、我が娘氏が日本語ビギナーだったころの挙動にも似ており、母語の獲得方法について思いを馳せてしまった。

 ここに、動物が人間と暮らすメリットがあるような気がしている。アレックスは人間と暮らすことで普通のヨウムにはできないことを次々とやったわけだ。ヨウムの価値観は知らないのでこれもエゴの可能性が高いが、「人間と暮らすことでできることが広がる」というのが楽しい……そういうこともあるんじゃないか。
 なので、最終決戦でこむぎがドッグトレーナー回で覚えた「わんだふるごー!」を使ったのは、そういう話にも持っていけるように仕込んでおいたものなのかなあと思った。


 最後はたぶん「喋ることはできなくなったけど気持ちはつながっているよエンド」だろうなと予想していたが、普通に「喋る犬として平和に暮らすエンド」になったのでびっくりしてしまった。
 エエーッそれじゃあこの街にはずっと中村悠一の声で喋るウサギがいて、蟹江ちゃんとこのカニもそのうち喋り出すかもってコト!? それ大丈夫!?

 いや、しかし……『アレックスと私』のMITでの研究の話で「留守番中に退屈しないようにヨウムが操作できるマルチメディア機」、その名もInterPet Explorerという最高の機械が出てくる。それから技術は進歩し、この令和の時代ではアレクサが人間とヨウムが共用する究極のユニバーサルデザインとなっているのですごい。ペットと我々の意思疎通ができる世界も、もうそれほど遠くはないのかもしれない。


 最後に、猫屋敷まゆ/キュアリリアンという女について特筆したい。
 キュアリリアンの名乗り口上は「結んで紡いでつながる世界」であり、編み物キャラであることをアピールしているものと思われたが、実態としては「他人のカップリング激推し急進派」という解釈であった。ラブコメでこういうことやると面倒な三角関係が発生しがちだが、幸い本作は犬の話なので面倒は起こらず、無事いろは×悟のカップリングが成立した際には光に包まれて浄化されていた。
 そこまでならただのカップリング厨なのだが、これがラスボスのガオウとザクロを激推しし始めた回にこいつはプリキュアとして完成してしまった。カップリングに種族も性別も関係ない。こいつは本気でカップリングで世界を救おうと思ったのだ。それが「結んで紡いでつながる世界」なのだ。スケールのでかいやつだった。