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◆不定期日記ログ◆

■2018-04-21
クラーク博士と小野妹子
 歴史に詳しくない人でも、クラーク博士の名前は知っているだろう。
 札幌農学校で教鞭をとり、ボーイズにアンビシャスするよう求めた人である。その功績は疑いようもない。
 しかし……明治時代に日本人を導いたお雇い外国人は他にも大勢いる。きっとクラーク博士と同等の貢献をした人もたくさんいたはずだ。でもほとんど教科書には載っていない。載っていても覚えていない。辛うじて覚えていてもフェノロサなのかフェロノサなのかわからない。

 クラーク博士のもつこの圧倒的知名度は、「去り際にカッコイイことを言った」という一点で生まれたものではないだろうか。当然それを記憶したボーイズたちが立派に出世したという要素も必要ではあるが、名台詞には一気にキャラを立たせる力があるものだ。


 さて、同じように学校で学んだ日本史の記憶が流れ去っていっても、教科書に乗っていた小野妹子の名前を忘れる者はいないだろう。
 これも不思議な話で、教科書に載っている事実だけ見ると小野妹子は「聖徳太子の書いたヤベェ手紙を持って中国の激ヤバ暗君に凸したブッこみ鉄砲玉」であり、それなら聖徳太子(厩戸皇子)のほうだけ教科書に載せとけばよくね? みたいな感覚でいる。いやまあ命がけの偉業であることは疑わないけど、中大兄とか中臣鎌足とかと同じレベルで扱っていいのかどうか、これがわからない。

 そんな小野妹子が他の歴史人物に対して頭一つ抜き出ているのが「名前が可愛い」という点であり、小学6年生に対する引っ掛かりのよさゆえに、今でも彼は教科書に載り続けているのではないだろうか。そんなわけあるか。やっぱほんとは美少女だったからに決まってる。美少女だったなら仕方ない。